プロローグ 睡蓮は清く咲く
新章開幕です。楽しい楽しい夏休み編
茶会が終わって俺の決意が固まるのに時間を要した。行動できたのは、茶会から数日経ってからだ。
電子データではわかりにくいだろうと、お金を払って現像してもらった写真を部室へ持ち込んで、先輩に見せようと思った。
部室でエッチしようと言った先輩を押し留めて、大事な話があると言ったら、先輩は青い顔をしたが、俺を待ってくれた。
俺が決意を込めて、カバンから取り出した写真の束を見て、ヒッとなぜか怯えるような声を出した華実先輩に、覚悟を決めて差し出す。
「みて、ください」
「う、うん……」
先輩が恐ろしいものでも触れるように指を震わせながら、写真の束を掴んだ。
最初の一枚は、藤棚で撮った写真だ。お気に入りの一枚だから、一番上にした。華実先輩が優しい笑みになった。ホッとする。
「懐かしい、ね? 撮影旅行、君と付き合った日の」
「はい、俺の大切な思い出です」
「思い出! そうだよね!」
うんうんと頷いて、しばらく華実先輩の写真が続いて、
「何、これ?」
華実先輩が困惑顔で俺を見ている。
……俺が大事な思い出だと考えている写真達だ。
「俺の友達の唯彩さんとその飼い犬の散歩風景で」
「ナニコレ。ナニコレ。ナニコレ。ナニコレ。ナニコレ。ナニコレ。ナニコレ。ナニコレ」
俺の説明を遮って、華実先輩が写真をどんどんとめくっていく。唯彩さんの写真が多いが、鳳蝶との写真で思い出に入れる事が出来たものもある。せんりの写真もある。写真部の活動中に撮った春日野写真もある。
茶会で撮った写真もある。……莉念の写真をこっそり入れることができる唯一の写真だ。莉念に黙ってズルをした。みっともないと、傷ついたが、莉念の着物姿を見ることが出来た時間。痛くて辛くて、けれど消すことの出来ない大切な思い出。
「尚順、君。何、これ?」
「俺は、華実先輩に分かってほしくて」
「イヤ」
「思い出を」
「イヤって恋人が言ってるのになんで黙ってくれないの!?」
「あ、すみま、せん」
「抱きしめて」
「え」
先輩が懇願するように俺に言った。俺が戸惑うと、いきなりボロボロと泣き出す。
「華実先輩、あの」
「抱きしめて! キスして! 好きだって言って、愛してるって言って!」
「先輩、部室であんまり騒ぐとダメです」
「イヤだ! イヤだ! どうしてこんな、イヤだよ! 私の彼氏なのに」
俺は先輩が騒ぎそうになって慌てて、彼女を抱きしめて、無理やりキスをして黙らせる。
騒ぎになったら、先生が来た時に問題が起こったとされてしまうと、恋人である先輩と会うことが出来なくなるかもしれないと不安になった。
中学で度々怪我が見えていた頃、莉念から遠ざけられそうになった経験から、そんな風に考えてしまった。
「んぅ。キス、もっとキスして、抱きしめて。私、離さないで。行かないで」
「どこにも、行きませんから」
どこにも行かないと、なだめながらキスをしてずっと先輩を黙らせる。唇を少しでも離せば、叫びだしそうな先輩をなだめるのに時間がかかった。もう下校時間が近い。
「びっくりさせてごめん。ちょっと」
「いや、俺こそ、上手く説明できなくてすみません」
俺は何も説明出来ていない。先輩はもう今日は写真を見ないといってどけてしまった。……俺は明日見てもらったほうがいいんだと考えて、引き下がる。
莉念は分かってくれるはずと言ってくれたのに、華実先輩がどうして話を聞いてくれないのか、分からなかった。
「また明日、部室で」
「うん、わかったよ。そこでね」
夜、先輩は最近文字数が増えたメッセージをさらに増やして送ってきた。俺はさすがに全部に事細かく返答できない。
少しだけ返して、おやすみなさいと伝えるしか出来なかった。
次の日、俺は先輩に部室ではなく、家で話したいと言われて、大人しく連れ立って彼女の家へ向かった。
現像した写真を昨日持って帰ったので、今ちゃんと手元にある。今日、改めて写真の意図を説明できそうで安堵した。
リビングではなく、華実先輩の自室に通される。
「……どうぞ、ごめんね、何も無くて。床は敷物が無いから、申し訳ないけどベッドに座ってもらえるかい?」
「お邪魔します。先輩が嫌でないなら」
「あははは、彼氏に座られて嫌も無いよ」
先輩の部屋は想像以上にカメラを大切にする部屋だった。小さいが本棚があり、たくさんの書籍がある。写真集などもある。きっと参考にしているのだろう。カメラを置くための棚も設置されており、きちんと掃除されている。
色は想像以上に黒と白のモノトーン調で統一されており、出会った当初の華実先輩の飾り気のなさを感じさせた。
ベッドに大人しく座る。
さあ、話をしようとしたところで、小柄な先輩がその体躯でも頑張って俺をベッドに押し倒した。
「華実先輩!?」
「もう、我慢出来ないんだ。エッチしたかった。エッチしよ? ねえ、」
「話を」
「エッチしてくれたら、頑張って聞くから、だから、」
――私を抱いてよ、尚順君
俺は迷って、恋人のお願いを聞いた。いつものように彼女の身体を下にする。行為中に先輩が叫ぶ。
「私じゃ足りない?」
「私以外の女の子の方がいい?」
「私の事好き?」
「私のこと愛してる?」
何度も何度もその言葉を繰り返して、泣いている。俺は分からなかった。どうしてそんな事を言うんだ。
「華実先輩が、華実先輩だけが恋人です」「好きです」「愛してます」
俺も何度もそう答えて、華実先輩が乾きを埋めるようにキスをしてくる。行為を終えて、俺の腕の中にいる華実先輩に、ズルい俺は話しかけた。
「写真を、恋人との写真を撮りたいんです」
「今日も撮ったよ。エッチの写真、足りない?」
「そうじゃなくて、昨日見せた――」
「ひっ。い、嫌だよ!!! 離さないで、行かないで。私の彼氏なのに、どうして今他の女の話をしたいの?」
「違う。違います、華実先輩」
「キス、キスして。喋らないで。キスして。嫌だよ。辛いよ。一緒に居て。もう話さないで」
辛いと言われて、身体が自然と動く。莉念が教えてくれて、ずっと続けてきた辛い時に寄り添い方。
俺はキスをしながらギュウっと強く彼女を抱きしめた。触れ合って慰め合う。
本来は互いに抱きしめ合うだけだ。
俺はキスが終わったら、まずは莉念と慰め合う時のようにただ黙って彼女を抱きしめた。
でも、華実先輩がそれでは足りないと、時折キスしてと言うので、それに応じる形だけでキスを行う。辛い時に慰めるのにキスは要らないけれど、恋人が望むなら応えるのが当たり前なのかもしれない。
俺は写真についてもう話さなかった。話せなくなった。
どうすれば分かってもらえるんだろう。出会った当初は分かってもらえたんだと思えた。だから、華実先輩の存在が気になって、華実先輩が写真部の部長として活動する姿が好きになった。
でも、今は分かって貰えないと感じてしまう。どうしてだろう。
解決するのに、一緒に過ごす時間が足りないのだろうか。俺にはまだ、分からない。




