第七十八話 みっともない
後書きにイラストがあります。
鳳蝶が嫉妬に震えているが、俺に近づく前に時間が来てしまった。茶道部の部長が声を上げる。
「時間です。よろしくお願いします」
「生徒の参加者、入れますね~」
生徒会の女子がそんな事いって、のほほんと入り口へ向かう。武道場と通路それぞれの扉をゆっくりあければ、少々騒がしい声が聞こえた。
「茶会なんてイベントこんな学生が来るのか」
俺のポツリとこぼした言葉に、傍に居た上級生が苦笑いを浮かべている。見える光景では列整理が行われて大変そうだ。
「いえ、いつもはもっとゆったりですよ。今回は四條畷さんと住道さんがいるからやはり多いですね」
「……ああ、そうなんですか」
「それじゃいい加減住道さんに迷惑かけないでね」
鳳蝶と揃えられた質の着物を来た女子に話しかけられる。鳳蝶とあまり話している姿を見かけたことがないので、おそらく先輩だろう。俺は彼女の物言いに苦笑いしか返せなかった。それが不愉快そうに一瞬表情を変えてみせるが、あまり苦言に避ける時間もないからか、さっさと離れていった。
俺は大人しくカメラを構えて、大勢の生徒たちが参加する風景を丁寧に撮っていく。来年の行事にもつながる大事な要素だ。
活発な活動をしているという実績がなければ、大所帯でこんな費用のかかる行事を毎年続けるのにも難しいだろう。
「今年すごいさらに綺麗!」「着物のみんなかわいいー」
「うお、初めてきたけどすごいな」「着物女子さいこー」「可愛すぎる」
口々に入ってきた学生たちが口にする。整理されたのだろうか。女子の比率が多めにまずは武道場へ入ってきた。絵面が華やかなのは良いことだ。ざわざわと騒がしいが、着物の茶道部員達が穏やかに対応しつつも、壁を作った態度で明確に手順をこなして行くこと、雑談に盛り上がることさえカットする。
「これなら問題なんて起こらないな」
俺は茶道部員たちの所作のレベルの高さに歓心しつつ、参加者が楽しそうに簡易にお茶を楽しむ姿を写真に収めていった。抹茶が思ったより飲みやすくて驚く者も多く、着物姿の女子達にデレデレしながら感想を言う男子たちもたくさんいた。
スケジュール通りにこなして、半分ぐらい時間が過ぎた頃、俺は問題なくおわれそうだと油断していた。春日野が目を離して、人がいくらか減ってきたところで、偶然器を洗って片付けるために運んでいた女子が、人を避けるためかルートを変えて俺の傍に来ていた。その少女が危なっかしいと見たのか、心配そうなせんりが同時に近づいてきて。
俺は鳳蝶が、私を撮ってくださいませと、少し前に言ったので、仕方ないなと思って、ちょうどいい角度だったのカメラを構えて。
「「キャア!」」
女子の小さな悲鳴が二つ上がって、油断して反応が遅れた俺に、ゴンと俺の腕に器が当たった。それほどの衝撃ではなかったが、器が畳に転がり落ちる。割れなくてよかった、目の前に光景に安堵してから、悲鳴を上げた女子に目を向ける。
「とと! 大丈夫?」
俺はとりあえず倒れた着物の女子二人に駆け寄った。
「だ、大丈夫です。畳なのが良かったですね」
女子がすぐに起き上がりぺこぺこしながら謝って、せんりがホッとして言ったところで、また悲鳴を上げる。
「ああ!」
「せんり、どうしたの」
「き、着物に、お茶、お茶、お茶が」
せんりの大きな声にざわざわと人が俺たちの方へ目を向ける。もう一人の女子は、ごめんなさいごめんなさいと言いながら、大急ぎで落とした器を拾って、畳を汚したので拭くものを持ってくると逃げていってしまった。
逃げ足が早い。
俺は、慌てるせんりを落ち着けたくて声をかける。
「せんり! 大丈夫、落ち着いて」
「で、ででで、でも、こ、これこれ、四條畷さんから貸して、た、高くて!!!」
「うん、分かってる、大丈夫だから。深呼吸して」
俺が彼女を落ち着けようと手を握り、背中を撫でる。そこへ近づいてきた遠畑が、冷たく声をかけた。
「おい、お前、お前もみっともないぞ」
「何を」
「ふん、お前の制服にも抹茶がついてる。そんな状態で動き回られても迷惑だ」
「あああああ、折川君、ごめんなさい、私、私、ごめんなさい」
せんりは何一つ悪くないのに、どうしてそんな。着物のことと合わさって切羽詰まった状態のせんりは一向に落ち着いてくれなくて、度々遠畑の嫌味にさえ自分が悪いと反応してしまう。
手をぎゅっと握り返してくるが、未だ、着物の汚れと俺の制服の汚れを見て、気づいては、どうしようどうしようと口にして判断がつけられない状態だ。
「俺の服の事はいいから、落ち着いて、歩ける?」
「どうしたのですか!!!」
鳳蝶の鋭い声が背中に掛けられた。心配というよりは、俺はせんりに近づいてずっと居たからだろう。嫉妬の声だった。視界の端の遠畑がびっくりしている。
「尚順さん、何をしてらっしゃるの!?」
「いや、鳳蝶、これは」
「あなた! なんてことを!」
鳳蝶がいつもと違ってさらに荒い足取りでおろおろしているせんりに近寄ってくる。俺が言い訳したくて彼女を止めようとするが、止まらない。
せんりを放っておけないのに、鳳蝶がまたその俺の態度をみて、こんなに私が悲しんでるのに! という気持ちなのか、わななわなと体を震わせて瞳に涙をためている。泣かせたくないのに、どうしてこんなにうまく行かないんだろう。
「あなたが!あなたが!」
せんりに向けて鳳蝶が平手を振るおうとしたところで、俺は自分の体でそれを受け止めた。
バシッ。
服の上からでも力の入っていたのが分かる音が響いてしまう。鳳蝶が俺に当てたことに驚いていて泣き出してしまった。
「ああ、尚順さん、ごめんなさい、ごめんなさい」
「大丈夫だから、鳳蝶、落ち着いて」
ざわざわと外野が騒がしい。遠畑が馬鹿にしたような顔で俺を見ていた。かばったせんりも、またごめんなさいごめんなさいと声を震わせて喋ってきて、収集がつかない。
「あの男子だれ?」「え、折川じゃん」「やば、結局住道フってないの?」「別の女子も折川となんかあったの?」
好き勝手に騒ぐ外野の声を黙らせたのは、一人の少女だった。
「騒がしいですね」
凛とした声が、大きく響いて、人々をピタリと黙らせる。ゆっくりと立ち上がり、静謐な空気をまとって歩く。慌てること無く、莉念は冷たい表情で俺たちを睥睨する。
凍りついた空気の中で、表情を隠して微笑の仮面を貼り付けた莉念だけが動いていける。
「あなたたち、騒がしいわ。疾く失せたらいかが? みっともない」
痛い。
痛い。
痛かった。莉念にみっともないと言われて、泣き出してしまいそうで、俺は、俺だけがその凍った空気の中ですぐに動けた。あまりにも莉念の言葉が強くて俺の体を動かしていた。
「すみませんでした、失礼します」
せんりと鳳蝶の手を痛いほど強く引っ張る。彼女らに気を使う余裕すらない。莉念にみっともないと言われた痛みで、もう目の前から逃げ出したくなっただけなのだ。まだ手を引っ張れただけマシだろう。
情けない足取りで、武道場を後にする。参加者が出入りする入り口とは別の通路の扉をくぐりぬけて、通路をズンズンと進んでいく。
「い、痛いよ」「いた、痛い、待ってくださいまし」
聞こえてるのに、聞こえない。俺の心を支配しているのは、莉念にみっともないと言われたことへの悲しみばかりだ。
空き教室に着いて、ようやく俺は悲しい気持ちに一息ついて表向き痛い気持ちを隠すことができるようになった。
彼女らの手を離す。
俺の移動が早すぎたのか、彼女らは少々疲労を見せている。だが、そのおかげで、先程ほぼほぼ話にならなかったのが落ち着いていた。俺はまず、せんりがショックでうつむいている今しか機会が無いと思って、鳳蝶にぐっと近づいてバレないように強くキスをしてから、離れて鳳蝶に頭を下げる。
「鳳蝶、ごめん。井場さんが四條畷さんから借りた着物が汚れたって焦ってたんだ。だからそれをなだめようとしてただけだから、大丈夫だから、ごめん」
「そ、そうですの? 私も申し訳有りません。カッとなってしまって……」
「とりあえず、井場さんの着物の事を優先したいから、許してくれるかな。申し訳ないけど、戻れるなら戻って欲しい……」
「……ちょっと席を外しますわ」
戻るとは確約してくれなかったが、席を外してくれるならそれでも良い。せんりと話す時に親身に話しているところに嫉妬で暴走されても困ってしまう。……どうしてこんな事になったんだろう。
莉念からはみっともないと言われ、鳳蝶が人前で俺の行動に不満をつけて暴走して。それを見て、また莉念にみっともないと思われてしまう。
莉念に嫌われてしまう。好きなのに、みっともなくて、嫌われてしまって。
俺の心のぐるぐると巡る暗い気持ちを必死に押し殺して、せんりに向き直る。
落ち込んでいる女の子に優しくしないといけない。
せんりは着物の汚れに泣きそうになって、見つめていて、俺の呼ぶ声に顔をあげる。泣かないでほしい。
俺は莉念に教わった通り、こんな簡単なことをする。
ギュッと彼女を強く抱きしめる。
「あっ」
「せんり、落ち着いて?」
「うぅぅぅぅ、折川君、私、私、着物、小物も。せっかく、借りて、綺麗で、折川君に買ってもらって」
「大丈夫だから。落ち着いて。着物は四條畷さんに相談しよう? きっと良くしてくれるから」
強く抱きしめながら背中を撫でる。放課後、何度も繰り返してきた動作に、徐々にせんりの声も落ち着いてきた。
「そうかな。怒られて、お金の話になったりして」
「大丈夫。もう使わないものだって聞いたから」
「ほ、本当?」
「うん、だから、大丈夫」
「でも、折川君、買ってくれた帯止めとか小物まで、汚れ、ついて」
「また、買いに行けばいいから」
「だってだって、たか、高いよ。わ、私、あとで、調べた。ぜ、全然違ってて」
「あぁ、バレちゃったんだ」
「バレちゃったって、そ、そんな値段じゃなくて」
「良いよ、大丈夫。落ち着いて」
「どうして? どうしてそんなにしてくれるの?」
どうしてだろう。彼女の好意を振り切ったつもりなのに、どうしてそこまでするのだろう。その答えをせんりに言ったら、きっと彼女はひどく傷つくだろう。だけど、言わなければきっと彼女はどうして? と考え続けて悩み続ける。
どっちが良いんだろう。俺は分からなくて、結局回答せずに毒にも薬にもならない言葉で、彼女をあやしつづける。
「気にしないで。せんり、大丈夫だからさ、とりあえず着替えよう?」
「ごめん、ごめんね、折川君。わ、私、戻らないと行けないのに、ごめんね」
「せんり、大丈夫。まずは着替えて茶会に戻って仕事しないと、ダメでしょ?」
「そ、そうだけど。う、上手くできるかな。みんな着物、綺麗なのに。せっかく」
「大丈夫、せんりはこれまでの時間で十分着物を着たせんりが綺麗だって分かってるから」
「折川君も、綺麗だって、思ってくれる? 良かった?」
「うん、すごく綺麗だったよ。写真もたくさん撮ったから」
「ありがとう、ありがとう。折川君、ありがとう。ごめんね、ありがとう」
俺はとりあえず彼女を着替えさせるために、茶道部の部室へ向かう。廊下にでて、まだぐずっているせんりを少々待たせて、彼女の視界から隠れるように少々離れた柱の陰に鳳蝶を連れて行った。
鳳蝶はやきもきした表情で俺を見つめている。
「ごめん、せんりを茶室まで送って、すぐ戻ってくる。……お願いが、あるんだ」
「またあの女子の事ばかりを」
「ごめん、鳳蝶。茶会、上手く回してもらえるかな。あんな事があったから、どっちにしろ雰囲気が大変だけど、鳳蝶が参加しないとダメでしょ?」
「そんな、私なんて」
「ううん、鳳蝶が今回の茶会の茶道部の中心なんだから、本当はずっと居なくちゃダメだったんだ」
「う、ごめんなさいですの」
「ううん、心配してくれたんだよね。ありがとう。だから、鳳蝶、俺のお願い聞いてくれる?」
「でも……んっ」
俺はもう無理やり彼女にお願いを聞いてもらうために、唇を重ねて舌を絡める。舌が絡まり口の中で互いの舌が蠢く。
もう問答している時間もなくて、彼女をぎゅっと抱きしめながら、わざとらしく鳳蝶の体をまさぐってから唇を離せば、ぼーっと鳳蝶が呆けている。すぐに思考が戻ってきたのか、着物のよれが無いか確認しつつ満足げに息をはいた。
「鳳蝶、お願い?」
「わ、わかりましたの! 尚順さんの気持ち、受け取りました。頑張りますわね」
「ありがとう、よろしくね」
俺は鳳蝶をそのまま開放して、見送る。彼女が多慌てで武道場へ戻ったのをしっかり確認してから、駆け足でせんりの元へ戻った。
顔を真っ赤にしたせんりに声をかける。
「ごめんね、茶室へ行こう」
「ひゃ、ひゃい。……なんだ、そうなんだ。そうれば……」
せんりの手をとって静かな廊下を足早に進んでいく。華実先輩は上手くやってくれているだろうか。春日野に任せっぱなさになってしまっていないか心配だ。急ぎたい。早く戻らないと。
どうしてこんなことになったんだろう。俺が上手くやれなかったからか。なんてみっともないんだろう。莉念の言うとおりだ。
俺がコケるのにちゃんと気づいていればよかった。せんりが近づくのを止めればよかった。
後悔はいつだって役に立たないのに、湧き出してしまう。




