第五十話の一 今日は深緑
朝の教室に入ると、土日のことなんてなかったことのように、清楚な見目をしながら凛とスマホを見ている鳳蝶がいた。
清楚な見目だが、朝一に下着報告のメッセージ自体は送ってきている。今日は深緑だ。
俺はこうやって遠巻きに見える鳳蝶と近づいた時の態度にギャップがどうすれば埋まるのだろうか悩んでしまう。
離れていけば、泣いてしまう。
「おはよう鳳蝶」
「おはようございますの」
落ち着いた挨拶が返ってきて彼女の隣に座る。鳳蝶がスマホを操作して画面を見せてくる。つい身構えてしまったが、画面に写ったのは高級そうな内装をしたテーブルと椅子が置かれた空間の写真だ。
スッと鳳蝶の白い指が画面をスライドさせれば、ケーキスタンドとカップ、ソーサーが置かれた写真。
「可愛い食器たちだね」
「そうですの! とっても可愛くて、私、手元にないタイプのデザインのものを見るとワクワクするんですの」
「まあ、普通はこれぐらいの物を日常使い出来ないと思うよ」
「そうでしょうか? 一品物ではありませんので、存外手に入りやすい値段だと思っていたのですけれど?」
「あははは、住道のお嬢様基準だとそうなっちゃうけど、一般家庭は厳しいよー。たまに出る鳳蝶のお嬢様ジョークだね」
「ジョークだなんて、もう。恥ずかしいですの」
「でも、アフタヌーンティーか~。確かに男だと行きにくから、こういうのは女子と行きたいよね。それを考えれば鳳蝶はぴったりの相手だね」
莉念に連れて行かれたことがあるのですぐに分かった。どこぞのホテルのアフタヌーンティーだろう。しかし、学生が移動する範囲で行けるようなホテルでやっているものは記憶にない。
行くとしたら大阪か、京都に出る必要があるだろか。
「あの、行ってみたいのですが、よろしければ一緒に行きませんか? 夏がテーマで、夏のフルーツが中心のものなのですけれど、一度お友達と行ってみたかったですの」
「そうなんだ? 面白そうだけど、これはどこでやってるの?」
「こちらは東京ですの」
俺はスマホから視線を上げると、ニコニコと笑顔を浮かべる鳳蝶がいる。だからこそ、困惑した。せめて大阪だと言ってほしかった。
「ああ、そうなんだ。東京は日帰りにしても、それだけのために行くところでもない距離だし」
「私でしたら、大丈夫ですわ。お友達とぜひ仲良くしたいと思って」
自信満々に言う鳳蝶に、苦笑いが出てしまう。しかし、冷たく無下に断るわけにも行かず、カバンから手帳を取り出す。直近で空く予定の日は無い。だが俺が手帳を取り出したのを見て、わくわくとした態度で彼女も手帳を手元に用意した。
鳳蝶と二人の時は、最近特に物事の捉え方にすれ違いが多い気がする。その物事が俺たち二人に関わることでなければ、比較的共感しやすいのだが、俺と彼女の部分に関しては少しだけ難しい。
こんな風に自分を優先してくれるのではないかと期待をして、かなってほしいと懇願する表情を安易に見せる住道鳳蝶は、他人からどのように見られているのだろう。
俺たちの関係において、自分のために恋人のように俺が振る舞ってくれることが当然ありうると考えられてしまうのだ。
「うーん、ごめん。やっぱり丸一日となるとバイトもあるし厳しいね」
「そうですの……」
私のためにお休みいただけませんか? と声に出さずに告げるように彼女が上目遣いで俺を見つめる。
日頃顔を合わせる友達と旅行のために、すでにシフトを入れたバイトに急遽休みを取るのは過剰だろう。平日という選択肢も少々選びかねた。高校に入ってまだ二ヶ月ほどだ。
……ゴールデンウィーク中盤にある平日に休んだのは記憶に新しい。莉念と旅行に行くためだけに休みを取ることはできる。莉念は家族だからだ。
友人との旅行のために、平日に休みを取るというのもあまり良くない。それならば事前の長期休み期間で調整した方が良い。
「夏休みとかに旅行を考えるのも良いかもね」
「ええ! そうですわね」
「でも、鳳蝶はもう日本だと行き飽きたレベルじゃないかな? それだと厳しいかなぁ」
「いいえ、そんな事は無いんですの。私、長期であれば海外に行くことはありましたけれど、日本に残っている場合はほぼ住道のパーティーに出るくらいですから、そんな無理なんて考えないでいただければと」
「あははは、住道のお嬢様がパーティーに参加するなんて大事な事じゃないかな? 入念な準備が必要でしょ」
「っ。あなたと過ごすこと以上に大変で重要なことなんてありませんの」
「そう、ありがとう」
俺は鳳蝶の言葉に、曖昧に頷く。旅行の確約はできかねた。男女二人きりの旅行は友人としての立場だと無理だからだ。
俺の笑みに対して、鳳蝶がどう思っているか分からない。教室内には珍しくわざわざ聞き耳をたてているクラスメイトが複数おり、鳳蝶も内心をごまかすような笑みのままだ。
二人きりの時のようなはっきりした表情を見せなかった。拗ねているだろうか? 不安がっているのだろうか。
通知があったのか、鳳蝶がスマホを確認する。申し訳無さそうな表情を俺に向けてきた。
「申し訳ありません。少々席を外しますね」
「了解。大丈夫だよ」
大急ぎですぐに鳳蝶は教室を出ていった。家の事だろうか? 時折、このように急ぎで出ていくと、戻ってきた時は大抵家から連絡でしたと答えていたはずだ。
俺は鳳蝶が離れたので教室にいる一人の女子に声をかけた。
「おはよう、井場さん。今大丈夫?」
「おはよう委員長。何か?」
挨拶は返してくれたが、冷たい声が俺に返された。茶道部に入っているクラスメイトの井場さんは、警戒するような態度を見せた。長い髪が綺麗に整えられて切れ長の目が俺を見返す。目以外の顔立ち自体は可愛らしいのに、涼し気な目線のやり方は莉念ぽさを俺に与えた。
「茶会のスケジュールと内容について話が聞けたら助かるんだけど」
「どうして私なんでしょう? 住道さんに聞いた方が良いのでは」
「写真部の活動で参加する予定なんだけど、鳳蝶以外の茶道部とも連携したほうが良いから今のうちにと思って。まあ、鳳蝶に言うと過剰に反応されちゃうからね」
「ああ、そういう。委員長って結構はっきり言うんですね。驚きました。
でも、私だって一年だから先輩からの説明を聞いてるだけで実際に知りませんけど構いませんか?」
井場さんが申し訳無さそうな態度を取る。俺としては少しでも話ができるだけで大助かりだ。
「大丈夫。写真部、というか俺は部長の雑談で少し聞いたぐらいしか知らないから聞けるだけ助かる。今日、茶道部自体はないはずだけど放課後良いかな? 連絡するから」
「なるほど。私は大丈夫ですよ。他の茶道部の人も呼びましょうか?」
「うん、一年で他に一人か二人ぐらい呼べるなら居てくれると助かるかな。写真部は俺と、一年生で女子の春日野さんが来るから。写真部は俺が開けられるから、写真部の部室で」
私は適当じゃないと思いますけれど、わかりました。と苦笑いを浮かべた井場さんが承諾してくれたので礼を言ってすぐに席に戻る。先ほど交換したアカウントのトークによろしくと送ると、気楽にスタンプが返ってきてホッとする。
結局、鳳蝶が戻ってきたのはちょうど唯彩が登校するタイミングだったらしく、二人は仲良く話しながら教室へ入ってきてちょうどショートホームルームを知らせる朝のチャイムが鳴った。
次話は明日18時更新予定です。
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