第三十八話 壊れた日々でも君は美しい②
夕食後、彼女が家に帰るまでのわずかな時間、莉念は俺の部屋で俺と過ごす。
明日の土曜日に住道家を四條畷家のパーティーに呼びつけた理由は四條畷の御老公が原因だった。ペタンと床に敷かれたクッションに座る莉念がベッドに座った俺を見上げる。
「今日、住道さんのこと、クラス、盛り上がってた。それ、お爺ちゃんどこからか聞いたから、私に、聞いてきた。同じ高校、裏取り。要らないのに」
「宗家さんは耳が早いな」
「……そう、早い。お爺ちゃん、住道のご令嬢、明日、だから呼んだ。今まで、呼んだこと無い。だから、住道家、いきなりでも、断れない」
「下世話な爺さんだ」
「お爺ちゃん、話題の人、好き」
「それが下世話だって」
「なんで、そんなに、怒る?」
「怒ってないよ」
「そう?」
「そう」
座っていた莉念が立ち上がって、俺の隣に移動する。そのしなやかな指が俺の頬を撫でた。
「キスして」
俺が動いたのに合わせて、その後重みでギシリとベッドが揺れた。俺は彼女の顎と指で優しく掴んで角度つける。ねっとりとしたキスを繰り返されて、満足したのか莉念はふよふよと視線を動かしてから、話題をそらす。
「土日、写真部、ある?」
「……バイト探してくるよ」
「どうして、バイト? お金、困ってる?」
「春休みに撮影旅行行ったのが、少しは楽しかったから、行ける資金を自分で稼ぎたくて」
「そう」
「そうだ」
「楽しかった?」
「……ああ、楽しかったよ」
莉念が手元にあった自身のスマホに保存された写真を開く。俺が彼女に渡した彼女を写した写真はすぐにスライドされて、ホテルの部屋で彼女と俺がお互いにあーんと食べさせ合う写真を見て、綻ぶような笑みを浮かべた。
俺の頬をつんつんとその指先でつついて、またそれが嬉しいのか頬を緩ませて笑う。
「ふふっ。どんな、バイトする?」
「ははは、とりあえずお嬢様がやらなさそうなバイトかな」
「むぅ、ひどい」
「とは言っても、土日にしかできないだろうからな。そう考えると選択肢は全然なさそうだな」
「平日、できない?」
「写真部が有るからな」
「写真部、調べた。そんなに活動日、ない」
「活動日がなくても、部室に入り浸るのは問題ないからな」
「でも、」
「それに夕ご飯に帰ってこないと母さんが怒るからな」
「……ふーん」
彼女は俺の唇を疑うように撫でてから、立ち上がりカーテンが空いた窓の向こうを見る。
そこは中学時代とは見た目が変わった、自身の家が建っている。それを無感情な瞳で見る彼女が何を思っているか、俺には分からなかった。暗く沈み込んだ広々とした庭は、思い出にはなかった物だ。
「お爺ちゃん、怒ってた」
「何に?」
「年末年始も、春も、私、四條畷家の集まり、顔出さなかった」
「それ以外の土日のパーティーには顔を出してだろう」
「あれ、外向けパーティー。叔父さんたちの家族も、いない。でも、私、おじいちゃんが出なさいって言った、家のに出なかった。ゴールデンウィークにも、また有る。出なさいって、言われてる」
「そっか」
「うん、そう」
「俺はゴールデンウィークに撮影旅行したいと思ってるから」
「そう」
「そうだ」
「ねえ、キスして?」
彼女がねだったのでキスをもう一度して、満足したような彼女を家に送った。
スマホを見る。莉念からパーティー抜け出したから会おう? とメッセージが来ていた。駅前で雨の中、傘をさして莉念を待てば、着飾った彼女が姿を見せる。
「待った?」
「待ってないよ」
「行こう?」
彼女がするりと傘をたたみながら俺の傘に滑り込む。莉念が濡れないように傘の位置を調整する。そんな自分への気遣いが喜ばしいのか、彼女は笑った。
「休日、ホテル、行きやすい」
平然とそんな事を言える彼女が理解できない。けれど、莉念が望むので行くんだ。
ホテルに直行するのはあくまで莉念の時間が無いときで、時間に余裕がある時は、映画やショッピングに付き合う。
たまに彼女が用意するチケットで美術館に入ることもある。
中学の冬以降は、受験まで俺が強く勉強に頑張りたいと告げると完全に彼女に土日の学習の進捗などを管理された。
彼女が管理する時間の中で、彼女が丸一日埋まるような予定がなければお出かけしつつ、ここのホテル行きたいなど彼女がチョイスして俺たちはいわゆるラブホに入って過ごした。
ホテルのバスルームを彼女は喜んだ。人目を憚らずに、俺と一緒に入れるからだ。瑞々しい体を俺に見せつけながら、当たり前のように彼女は俺と会話する。
彼女が俺に背中を預ける。後頭部にまとめられた髪からいい香りが漂っていた。
「抱きしめて」
彼女が望んだので、強く抱きしめれば彼女は悩ましい声を上げて喜んでいた。パーティーの事でも話すのかと思ったが、彼女は全く話題にせず、ただ何か苛立ちを洗い流して確かめるように俺とのふれあいを優先した。
「莉念は学校ではどうしてるんだ?」
クラスが違えば、彼女が学校でどんな風に過ごしているかすっかりわからなくなっていた。あまり彼女自身の噂も流れてこないということは、無難に過ごしているのだろうなという程度だ。
「気に、なる?」
「クラスが違うから、当然じゃないか」
「嬉しい。私、話す程度、クラスメイト、いる。でも、家の事、忙しい」
「……そっか」
「毎日、帰ったら、尚順の、ご飯作る」
もじもじとした仕草でそんな可愛らしい事を言うが、学校で友達は作らなくて良いのだろうか。彼女の鎖骨を撫でる。くすぐったそうに莉念が笑った。
「友達はつくらないのか?」
「今は、別に。四條畷、面倒くさい、から」
「……そっか。そうだよな、面倒だよな」
「うん、ごめん、ね?」
何に謝ったのだろう。
最近少しは理解した。四條畷が面倒なのはその通りの状況だった。
今は所詮代理だ。代理で彼女の両親が、御老公に付き従う四條畷家本家の家族として振る舞っているだけだ。本来の家族は、会社でやらかしたせいで外部向けに表向き出世レースから外されたと見せているだけだ。
だから、莉念たちは四條畷家扱いとして急遽家を作り直した。
「家、変わっちゃうね」
「……そうだな」
中学生の俺たちは家の取り壊しを並んで眺めた記憶がある。
彼女の家族は四條畷の資金を使って近くの空き家を一時的に借りて過ごした。
俺たちの思い出が残った家は消え去り、ただただ誤魔化し用の屋敷が建てられた。けれど、わざわざ立て直しを行って、引っ越さなかったのは御老公のきまぐれだったのかもしれない。
本来であれば、四條畷家の持ついずれかの屋敷に引っ越せば終わる話だ。だから、あの夏、期待していた。好きだ、と言ってくれると。
婚約者なんて言わなくてもいい。
だが、彼女から好きと一度も聞いたことはない。
家族ってなんだ。本当は怖い。嫌いじゃないだけの人間を自分の物と言って抱く彼女が、遊んでもいいと言って俺を放り出す彼女が他の人間と睦まじいのではないかと、知りたくない。だから、毎日夕方にキッチンに立つ彼女にホッとして、ホッとすればするほど執着が消えていくことがない。
「何、考えてるの?」
「ああ、ちょっと湯船に入りすぎたかな」
「ベッド、行こう? 帰るの、遅く、なる」
彼女の要望通りバスルームを出て、ベッドに座る。壁に立てかけられた傘が見えた。先輩が空模様を見て、まだ降り出してもいないのに貸してくれた傘だ。莉念の体を抱きしめながら、その傘を見ると心がひどく痛かった。
時間の限り体を重ねて、彼女を気持ちよくして、俺が乞うように好きだ、愛してると言っても、彼女は気持ちいいと喘ぎ声しか返さない。
ベッドの上で動けなくなるまで彼女が喜んでも、彼女は俺に好きも愛も言わないまま。
「まだ、したい? して」
陶酔させるような美しい笑顔で俺にそう尋ねた。何度もキスをして強く抱きしめてしまう。
莉念とホテルを出た頃には空はすっかり暗くなっていた。帰り道、莉念は満足した顔で俺の隣をゆっくりと歩いていた。この顔を他の男にも見せている時があるのではないかと、俺は想像して知りたくなくて怯えた。差した傘を雨粒が叩く音が俺たちの間に響く。
四月最終の日曜日。俺はバイトが終わってすぐに家に戻って荷物をもって駅に急いだ。駅にたどり着いてしばらくすると、時間通りに莉念が姿を現す。俺が中学の頃に好きだと言ったワンピースに似たシルエットの服を爽やかに着こなしている。
「尚順、待った?」
「ちょっと待った」
「むぅ、一緒に、出たかった」
「はいはい、行こうか」
電車に乗り込む。一泊二日のため二人の荷物は最小限だ。電車の中で彼女は黙って俺の手を握ってただ目的地までの静かな時間を過ごす。
徐々に沈んでいく日の傾きを電車内で感じながら、俺たちは季節外れの海辺を歩いていた。もっと幼い頃の旅行には、親がいて、時折振り向いて早く行こうと声をかけて俺達は一緒に歩いていた。今二人きりだけで歩く。そこを咎める人たちは、旅行先にはいない。
もう少し歩けば、小さな旅館にたどり着いて、食事を食べ終えた俺たちは部屋でゆっくりと寛いでいた。
「写真、撮ろ? 撮りたい、よね?」
彼女が望んでまたパシャリパシャリと写真を撮っていく。古く小さな旅館には似つかわしくない彼女の若く綺麗な姿は、退廃的な雰囲気を写真に刻み込んでいた。
ハラリハラリと畳の上に落ちていく服がいかがわしさをそこへ足していく。
「……なんで莉念がこの写真を撮らせたいんだろう」
ぽつりと口から溢れ出た疑問を聞いて、莉念が首をかしげた。
「わからない?」
「うん、俺は、わからない。ごめん」
俺はスマホに視線を落とす。目の前の光景とは全く真逆の桜と清楚で綺麗な笑顔をした彼女が映された写真を表示されていた。俺が整理して残した正しい思い出の写真だ。
彼女は俺に近づきスマホを同じように覗き込んでまじまじと見る。
「この時の、写真? でも、今日、この服、持ってきてない。ごめん、ね?」
と嬉しそうに言って謝って、俺の手を掴んでいざなった。ああ、さっぱり分からない。柔らかい彼女の手の肌の感触を贖罪のように彼女が這わせる。
旅館の人が、風呂の締め切り時間を扉越しに伝えきたので、俺たちは一緒に風呂に入って、迷惑をかけないように早々に部屋に戻る。
布団は二組並べて敷かれていた。
俺は熱を逃がすように長い長い溜息を吐き出してから、こちらをじっと無表情で見つめる莉念に目を向けた。
「明日、早くから撮影したいから今日はすぐに寝よう」
「しなくて、大丈夫?」
なんでこんな性欲の権化みたいな扱いを彼女から受けているのだろう。俺はため息を付くと、彼女はビクッと肩を震わせてから怒った? と尋ねた。
「じゃあ、大人しく睡眠とるために抱き枕になって」
「むふ、良い、よ?」
嬉しそうに笑ってから彼女が大人しく寝ることに許可を出した。俺は彼女が動かないようにしっかり抱きとめて眠りにつく。
蠱惑的で甘い香りが非難し責め立てるように俺をクラクラさせる。今の心境とは真逆の穏やかな波の音が遠くから聞こえる気がした。しかし、この小さな旅館から海の距離を考えれば、そんな都合よく波の音が聞こえるわけがない。
ギュッと彼女も俺がしっかりと抱きしめたのを確かめるように俺を強く抱きしめ返す。
「おやすみ」
「おやすみ、尚順」
穏やかな夜の闇に声は消えていった。
φ
夢を見る。
桜の花びらが散る中で立つ莉念の姿は、俺の大好きな写真の一枚だ。
キッチンで料理をして、得意げに笑う莉念の姿は、俺の大好きな写真の一枚だ。
「好きだ」
莉念は時に無表情に、時にニコニコと笑顔を見せるが、何も返してくれない。
だから、つい、聞いてしまう。
寂しい。どれだけ好きな君を抱いても寂しい。
「他の、女の子と付き合っても、良いのか」
だから、新たに好きになった人に好きと言われたいと願いたい。
薄暗い俺の部屋。
押し倒されて、莉念の髪が肌に絡みつく。
「尚順、高校で遊んでも、良いよ。
仕方ない、から。
でも私が、尚順の一番だから。
忘れちゃ、ダメ、だよ?」
女友達とのあるべき距離感も、女の子とのキスの仕方も、気持ち良くするやり方も、全て莉念が教えてくれた。
けれど、莉念はずっと教えてくれない。
俺は莉念のモノで、莉念は俺のモノだという。
莉念は俺の一番だという。
だが、彼女は恋人ではない。
行為の時以外に、彼女に好きだと俺が言った事は一度もない。
俺はみじめで臆病者だから。
思考がそれを思い出したせいだろうか。夢が変わった。
暑い。夏だ。セミの鳴き声が聞こえる。
無表情の莉念が俺に優しい声で言った。
『嫌いじゃない。今は、幼馴染。私達、家族』
好きな人ができたと思う。けれど、今もこうして俺は莉念に執着し続けている。
次話は明日18時更新予定です。
14話と16話のちょっと裏側。莉念と爛れた日々。
32話で尚順が体調不良と休んでいるが、莉念と旅行中。
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