第二十七話 華実先輩は可愛い
月曜日の朝の教室の空気は、たった一人の少女によって形成されていると言っても過言ではないと思えた。鳳蝶が姿勢を正しい静かに本を広げて読んでいる。その横顔はちょうど楽しげにふっと笑みが浮かんでおり、見惚れるほど綺麗だった。
少しだけ彼女に気づかれないように立ち止まってしまった。俺はごまかすように鳳蝶へ挨拶を投げる。
「鳳蝶おはよう」
「尚順さんおはようございますの」
にこやかに答えた鳳蝶の後ろ、俺の席に座る。鳳蝶は椅子の位置をずらして、俺の方へ向き直った。
俺は鞄からスケジュール帳を取り出して、机の上に開く。彼女もおずおずと手帳を取り出すが、俺の目の前には広げず、どうしてか恥ずかしそうに口元を手帳で隠す。
しっかりと学級委員長としてやるべきことを確認し、もれなくメモしていることが出来てホッとする。
「前回と同じように器械運動のためのマットや跳び箱は体育委員と協力しないとね」
「そうですわね!」
彼女と土曜日に約束したことを守れてホッとした。鳳蝶がニコリと笑う。その後はバイトの事を話せば、唯彩さんからも同じ話を聞いているはずなのににこやかに話を聞いて受け答えしてくれる。
唯彩さんは登校してすぐに近くのクラスメイトたちと盛り上がっており、放出がいつも通りの時間に教室へやってきたことで鳳蝶との会話も終了した。
何故か離れ際に俺の手を指でなぞった鳳蝶は満足そうに前に向き直る。その様子を見てしまったというような顔をした放出が驚愕の表情をしていたが、教師がホームルームのために現れたので放出が何か聞いてくることはなかった。
放課後、鳳蝶は家の用事があるということで早々に帰宅してしまい、唯彩さんも帰宅部故にすぐに居なくなってしまう。俺は活動日ではないが今日も写真部の部室に向かった。
今日の部室棟は春の陽気で踊っているような明るさがあった。パタパタとすれ違う女子生徒がいたが、あれは確か茶道部の部長だったはずだ。彼女は俺をちらっと見て少しだけ困った顔して通り過ぎていった。どういう意味合いか理解することは難しかった。
とりあえず俺は写真部の部室の扉をノックする。
「ひ、ひゃい!?」
「こんにちはー」
俺は努めていつも通りの態度で扉を開けて、そうして春の嵐に出くわした。
バサバサとカーテンが風に揺れる。その風に揺らされているのはカーテンだけではなく、肩甲骨まである少しだけ癖のある少女の髪も舞わせていた。
人形のような水晶の輝きを持つ瞳が俺を真っ直ぐ射抜いていた。赤らんだ表情で、ぎゅっとスカートを握りながら緊張したように少女が一人立っている。
小柄な体躯は中学生とも勘違いされそうな見た目ではあった。その美貌が更に整えられていたため、俺はいつも通りにしようとした体が硬直した。
「や、やあ」
彼女が硬い声で挨拶を送ったことで、俺はようやく動き出すことができた。ゆっくりと扉を締めて口を開いた。
「華実先輩、可愛いです」
「かわ!?」
恥ずかしそうに俺から視線を外した華実先輩にカメラを向けて、シャッターを切る。窓から差し込んだ光を背に受けた彼女が、その一瞬を写真の中に刻み込まれる。恥ずかしそうな彼女、慌てたようにカメラに手を向けて、怒る彼女。
「辞めたまえ! もう!」
カメラを構える時以外の多くは前髪で目を隠し、そこそこ伸びて癖が強く出ていた髪は無理やりヘアゴムで止めていたのが、今は整えられて彼女の美貌に合った髪型になっている。
制服以外の姿も見たいと強く思ってしまうほど、今日の彼女は可愛かった。怒った顔を作りながらも、華実先輩はカメラを遮ろうとするだけで、無理矢理奪おうとはしないので本気で怒っているわけではなさそうだった。
「すみません、華実先輩があまりに可愛かったので。どうしたんですか」
「……折川君が写真を撮ろうと言ったんだろう。それを友人に伝えたら、無理矢理、だよ。全く困ったものだね。私は別に不要だって言ったんだよ? でも、相手が写真に残るって言う時に自分も見ることになるって言うんだけれど、でも、自分の格好なんていつも鏡でも見ているだろう? だから、私としては今まで通りで良いと言ったんだよ」
「でも、俺はとても良いと思います」
「そ、そうかい?」
「はい、びっくりしすぎて魂が抜けそうですから」
「えぇ!? なんかキャラが違うのではないかな。ちょ、ちょっと私が頑張りすぎて折川君を錯乱させてしまったみたいだね!!!」
彼女は少し頬を赤らめながらも胸に手を当ててドヤァと言った具合に笑っていた。彼女のそんな態度に内心でホッとした。隠していた見目を整えて見せても、華実先輩がこれまで通りの態度を見せてくれたことで、彼女を前にして生まれていた緊張感が緩和されたからだ。
改めてまじまじと見ると彼女はやはり人形のように整って可愛かった。バイト先の格好はラフな私服にエプロンだが、小柄なので合わない服もあるとは思うが彼女自身はどんな服装でも着こなせそうな雰囲気があった。
あまり華実先輩自身の好みではなさそうだが、いわゆる原宿系や地雷系女子という格好も似合ってしまうのだろう。
俺は一度深呼吸して気合を入れ直す。
「華実先輩」
「なんだい?」
「この一週間は学校内でしたが、良かったら外に撮りに行きませんか」
「そ、外にかい? で、でもなー」
「学校内だときっと華実先輩は目立ちますから」
「い、いや、ほら、住道とか四條畷とか、名前も顔も有名だが、茶道部の部長とかね、私なんて烏滸がましいレベルの」
「華実先輩は可愛いです」
「うぅぅぅぅぅぅぅ、うるさいよ、折川君!」
「すみません。でも、華実先輩と一緒に歩いて、気楽に写真を撮っていきたいんです」
「そ、それだとまるで」
「まるで?」
「うぅ、違う。分かった。い、行こうじゃないか。写真部の後輩の撮影に協力する約束していたからね!」
「はい、ありがとうございます! じゃあ、」
「わ、私は先に行くから! 校門前で会おう!!! どこに行くかは君が決めておいてくれ! 決まってなかったら、私はそこで帰るから!!!」
彼女が今まで手首を捕まえていた俺の手を剥がして、力強く背中を押して部室から追い出される。扉を締めて鍵を片付けた彼女がバタバタとそのまま走り去ってしまった。俺も華実先輩に言われた通り帰る準備をするために急ぎ教室へ戻り、鞄を取ってくる。
場所と言ってもいい場所は特に思いつかない。俺は悩みながら自転車を押しながら自転車で出入りする側の校門へ向かった。
部活の帰宅時間とも、授業終わりともずれた半端な時間とはいえ、時折帰宅する学生が通るのは変わらない。そんなところで憂いげに人を待つ少女はその美貌と合わせて目立っていた。
チラチラと見ていく男子が多い中で、一人の男子学生が彼女に話しかけている。身につけているネクタイから三年生のようだった。
「あのさ、暇ならちょっとぐらい良いか? 遊びに行こうよ。急に気合入れたってことは少しは俺の事、気にしてくれたってことなんでしょ?」
「あなたは何を言っているんですか」
「そんなに他人行儀にならなくたっていいじゃん、一年からずっと同じクラスだったし」
「そんな事言われても、特段仲の良かったわけでもないですし」
「いやいや、先週も伝えたでしょ。俺たちももう三年生じゃないか? 最後の青春楽しもうよって。だから、髪も変えてきたんでしょ。あの時は断られたけど、これってそういうことだよね」
「あなたが何を言っているのか本当にわからないです。連絡先の交換も断りましたし、ちゃんと私は断りました。今日も朝から同じクラスだったけど全く話ませんでしたよね」
彼女が不躾に近づいてきた男子学生の手を払った。俺は行き過ぎた彼の態度が不快に感じられて、慌ててその場に向かう。
俺が割り込むように彼女の前に立って、男子の方に背を向ける。こういう場合は真面目に応対してもどうしようもないと莉念の時に理解していた。
「華実先輩遅れてすみません。行きましょう」
「折川君! ああ、行こうか」
「おい、俺が丸宮と話してるんだけど」
「そうですか。でも、俺のほうが約束しているので。失礼します」
俺は立ち止まろうとする華実先輩を促して、さっさと歩き続ける。おい! おい! と声だけ威勢がよくても、目立たない場所でわざわざちょっかいを掛けている時点で追ってくる度胸なんてないのが、こういうタイプだ。
中学時代の莉念との関係でああいう態度の男子は度々あった。中学の頃の莉念は冷たくても最低限の会話をこなしていた。面倒で無い時だけという部分はあるが。
そんな莉念に対して、教室にいる間に皆の前で直接声をかけるわけでもなく、人が少ないタイミングでのみ強気な態度を見せてコソコソとしているのは、強気な自分というキャラの違いを人目に晒した場合に、他人の評価をひどく気にしてしまうみっともない自分が傷つきたくないからだ。
中学の頃の俺がその人間だと、男子から言われ続けた。
「金曜日何があったんですか?」
「ああ、いや、そんな話すことじゃ」
「俺が気になったんです」
「うぅ、いや、彼とはなんでも無いんだよ? 本当に、ただ金曜日に」
「金曜日に?」
「こ、怖いよ、折川君。金曜日になぜか告白されたんだが、も、もちろんすぐに断ったんだ。そも偶然クラスメイトだっただけだし。何か共感されていたんだが、よくわからなくて」
華実先輩がそんな事を言う。共感されていたという部分については、真剣に何かあっただろうかと悩み込んでいた。俺自身、彼を見ても華実先輩との共通点というのはよくわからなかった。
だが、一方的なシンパシーというのを持って好意を持つのは当然ありえることだ。俺が鳳蝶と初めて喋った時に共感したりしたことで友人になりたいと思ったことを、彼は距離感を間違えてクラスメイトよりも無謀な恋人に向かってしまったのかもしれない。
中学時代の一年生の頃、孤高を決め込んでいたように見えた莉念が、孤高を決め込んでクラス内で人と全く関わらない男子学生に一方的な手紙や告白を受けることがあった。
俺がそんな事を把握しているのは、俺が中学時代にみっともなく彼女にコバンザメみたいについて回ったから把握しているだけだ。莉念自身は告白を受けたことを一方的に報告してきたり、デートを誘われて断ったことを言ってきたりする以外は、雑談した内容をこちらに伝えてくるなんて相手に失礼なことはしなかった。
四條畷のご令嬢に対する節度の有る関係であれば、彼女は無礼や無体な行いを返しはしなかった。
「華実先輩は気が優しくて可愛いから、勘違いでも振りまいたかもしれないですね」
「な、そんな冗談はやめておくれ。私は女友達以外とはまともに交友関係なんて無いんだ。ちょっと、カメラの事があって男性からの不躾な視線が苦手なんだ」
彼女は声を沈ませて逃げるように顔をうつむかせた。男性不信という形では無いだろうが、彼女はきっとその可愛さとカメラ、写真が好きということで高校ではなくもっと前からきっと何かがあったのかもしれなかった。俺はそんな彼女がどんな気持ちで今のように前髪を含め髪を切り、整った顔を出したのだろう。
俺は暗くなってしまう彼女の空気を飛ばすように笑いかける。
「華実先輩、今日は先輩の好きな場所を歩いてもらえませんか?」
「何だい、今日は折川君は降参するのかな?」
「はい、いきなりでもうすっかり華実先輩をエスコートするには何も思いつきません」
「え、エスコートとか、言い過ぎだろう。まー任せたまえ。それで行こうじゃないか!!」
華実先輩が自転車に乗り込み、俺も彼女を追いかける。楽しそうに笑う彼女とともにただただ街中にあるコンビニで買い食いをしたり、神社と寺を回った。
彼女は懐かしそうに神社の階段を上った先で夕日を見ている。夕日のオレンジ色によって照らされた彼女の横顔をついつい見てしまう。まぶしそうな表情をしなが彼女は笑った。
俺の方を向いた瞬間、俺はカメラのシャッターボタンを押した。彼女はシャッター音を聞いて驚いたような顔をして、苦笑いを浮かべる。
「昔はここなら良い写真が撮れる! 私はすごい! って思ったものさ。折川君も思っちゃった?」
「……綺麗な風景をふらっと見つけたら、きっと皆そう思うじゃないですか? 華実先輩を中心に置いたら絶対いろんな人が自信満々に撮った写真を出しますよ」
「ふふ、ありがとう。そこまで言われると、少し恥ずかしい」
彼女はそれ以上何も言わず、ただ夕日を見ていた。俺がもう数回撮影してもただ静かに俺の願いを受け入れた。時間も撮影タイミングも構図も、何一つ検討不足なただただ日常の一部を切り取ったような写真だ。
終わりはすぐだった。
夕日が半分も消えた頃に、彼女が俺を見上げる。じっとカメラを見て、悩んだ末に口を閉じてしまった。彼女は俺に何を聞きたかったのか。
俺は尋ねることはできなかった。だから、逃げる。
「……帰りましょう。華実先輩、今日の写真送りますよ」
「そう? どんな感じになったか楽しみにさせてもらうよ。恥ずかしくなかったら写真撮れとうるさかった母上にも見てもらうさ。折川君は満足した?」
「一緒に撮りませんか?」
「……ふーん、満足してないんだ」
「カメラは難しいので、スマホで良いですよね」
また逃げるように俺はカメラをネックストラップの支えのみに任せ、スマホを手に見せると彼女は、うーんと悩む仕草を見せて、言い淀んでからもじもじと話す。
「女友達と無理矢理撮らされたことがあるけど、お、男の子とは初めてなんだ」
可愛い女子がそんなふうに言うのはダメですと、誰か教えておいて欲しいと思ったのは内緒だ。俺は内心を誤魔化しながら、当たり前で何でも無いような気楽な行為ですよとアピールして、彼女と並んで写真を撮る。
その写真を見ると、しみじみ思った。恥ずかしそうにちょっと硬い笑顔を作る彼女は、自然とはいえないし、俺も少々緊張しているのが写真越しに自分でも分かる。だけど、これで良いなと思えた。この写真を見返した時に俺はそう思い出すだろう。
ああ、この人と仲良くしたいなと、きっと思い出すから。
俺はスマホで撮った写真をすぐに彼女にメッセで共有する。それを確認した彼女は恥ずかしさを誤魔化すように大きな声を発した。
「さあ、帰ろうか」
次話(二十六.五話)を本日19時更新予定です。二十七話を読んでもらってから読んでいただきたく差し込みたかったので入れました。
ようやく描いていただいたイラストのイメチェン後、丸宮華実の髪型、イメージになりました。
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