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 校舎裏に来ると、そこにはたしかに総勢六名の父親たちが揃っていた。しかし彼らは総じて痩せており、少なくとも畑岡よりは早く走れそうであった。

 「やあやあ、これで揃いましたな。」畑岡が再び息を切らしながら言う。「さあ、では練習を致しましょう。あ、その前にリレーではチームワークが最重要。まずは自己紹介ですな。」畑岡は一歩前へ出ると深々と頭を下げ、「では、僭越ながら私から。……私、二年二組の保護者会代表を務めております、畑岡瑤子の父、瑤平でございます。この度は皆さん、保護者リレーにご参加いただき、誠にありがとうございます。是非とも、優勝目指し頑張りましょう!」腕を高々と突き上げた。

 続けて、バトンを手にしながら練習でもしていたのであろうか、精悍な顔立ちをした三十代程に見える男性が軽く会釈をし、「畑岡さんにお誘い頂きまして、参加することとなりました。三峰マナの父です。どうぞよろしく。」と爽やかな笑みを振り撒いた。

 「笹塚桃里の父です。」

 「半沢蘭人の父です。」

 次々に挨拶をしていく。どうやら畑岡は自分はともかくとして、人選には誤りはなかったようである。全員がスポーツに適した体型をしていて、若い、か、若く見える。もしかすると、畑岡は人事か何かの仕事でもしているのかもしれない、とリョウは訝った。

 そして最後に「初めまして。黒崎ミリアの兄です。済みません、ちっとうちは色々ありまして親がいませんで、代わりに兄である私が参加をさせて頂くことになりました。」

 しかしそんな、一般には不審の種をまくような話題に関しても、ここでは何のデメリットも産まないばかりか、すぐさま敬意を向けられることとなった。

 「いやあ、助かりますな。」

 「お兄さんでも保護者というですからね。保護者リレーに変わりはありませんよ。」

 「それより二十代でしょう? いやあ、羨ましい。」

 リョウは照れ笑いを浮かべる。

 「それでは皆さん!」畑岡が声を上げた。「それでは今から、保護者リレーの順番を決めます。皆さん、百メートル走の記録はいかほどですかな。」

 リョウは眉根を顰める。そんな、学生ではあるまいし、自分の百メートルの記録なんぞ高校以来計ったことはない。

 「いやあ、そんなのわかりませんよ。」半沢の父が皆を代表するように言った。

 「皆さんも?」

 六人は顔を見て頷き合う。

 「でも、半沢さんは高校時代、バスケ部でキャプテンをなさっていたのでしょう?」

 「何でそれを?」半沢は頓狂な声を上げた。

 「桃里君からうちの娘が聞きましたよ。」

 「で、でも県大会止まりですから! そんな、私は、運動神経がいい訳ではありませんよ!」慌てたように半沢は言った。

 「ご謙遜ですな。」畑岡はじろり、と半沢を見遣る。「半沢さん、第一走者をお願いします。」

 「第一走者?」

 「そうです。……今年の保護者リレーはセパレート形式で行うそうです。そして二年生は三クラスですから、おそらく我々二組のコースは真ん中になるでしょう。なかなか自分の位置が分かりづらくなることとは思いますが、それで失速してはなりません。自分を信じて。全てはバスケ部キャプテンの半沢さんに託しますよ。よろしくお願いします。」

 それから畑岡は自分で考えた順番を述べていく。最早任命式である。二番手が畑岡、三番手が瀬崎、三番手が鴻巣、四番手が大和田と、なかなか黒崎の名が出てこない。リョウは厭な気がした。

 「そして七番手が鈴木さんです。」

 リョウは顔を顰めて畑岡を見た。

 「そうです。」深々と肯く。「アンカーは黒崎さん。あなたです。」

 「マジかよ。」思わずいつもの言葉が口を吐く。「俺はそんな、もっとテキトーな気持ちで来たんであって、そんな練習だの優勝だの、そんなの考えてねえんですよ。無理ですよ。」

 「否、黒崎さん、あなたは昨年、市民マラソン大会に出場しておりますね。」再び、どこで仕入れてきたのだか、強ち誤りではない事実を指摘する。「瑤子がミリアちゃんから聞いておりますよ。」

 「否、それはですねハーフです。ハーフ。たったの20キロ。」

 「おお! たったの20キロ!」半沢が賛嘆の声を上げた。しまった、リョウは口を覆う。

 「そうです。皆さん、黒崎さんはですね、日頃から練習に練習を重ね、20キロなんて大したことないとお思いの、我々にとってのまさに救世主なんです。若さにおいても、体力においても、どこのチームにもおりますまい! 最早黒崎さんさえいれば優勝は我々のもの!」

 でも、明らかに足を引っ張りそうなお前がいるじゃないか。リョウは思わず口に出しそうになる。

 「さあさ、順番が決まった所で、バトンパスの練習に入りますよ。今回はオリンピックで日本代表も用いた、アンダーハンドパスでやっていこうと思いますよ。アンダーハンドパスと言いますのはですね、まずこう持って走り、次の人にこう渡す……」

 畑岡は相変わらず額に汗を浮かべて指導を始めた。


 こんなことをしている暇があるのなら、グラウンドから流れてくる行進曲に合わせて入場をしているであろうミリアを見ていたいし、そもそもどうしてデスメタルバンドのフロントマンたる自分が、こんな健全な小学校の運動会に来たのかと言われれば、それはひとえにミリアを応援してやり、喜ばせてやるためなのである。だのに今、自分は何の価値があるのだか、アンダーハンドパスとやらの練習に励み、一つもミリアの姿を見られないのである。そればかりか、他に練習なんぞをしているチームは一つもなさそうである。遠く喧噪の聞こえる校舎裏で、ひたすら二年二組によるアンダーハンドパスの練習が繰り広げられた。

 「そうです! 黒崎さんは受け取るだけですからね、そうそう、その姿勢……、いいですよおお!」畑岡はほとんど熱狂的ともいえる口ぶりでリョウのバトンパスを褒め称えた。

 「いやあ、さすがお若いだけあって習得が早い。これはますます優勝に期待が持てますな。」

 畑岡以外の全員が、お前は一体どうなのだという冷めた視線で畑岡を見た。

 「それではパスの練習はこのぐらいにして、と……。それでは柔軟に移りますよ。まずは屈伸!」

 畑岡は明らかに運動とは無縁でありそうなのに、知識だけは長けていた。何とかパスの方法もそうであるし、柔軟体操についても細かな指示を次々に与えてくる。

 「ストレッチの際には筋肉は使わないようにして下さいね。そして痛みを感じるその手前で止めてください。そして十秒以上は同じポーズを維持すること! はい! 1、2、3、4……。」

 ようやく準備運動、その後腿上げから始まるアップから解放されたのは保護者リレーの始まる直前であった。

 「あ! こっちにいた! 二年二組チーム! リレー始まりますよ! 早く集合して下さい!」

 探しに来た男性教師の後ろについて八人は慌ててグラウンドに向かうと、既にクラスごとに整列がされていた。

 最後に二年二組チームが到着し、順番に並んで座ると、教師からの説明が始まる。

 「あーあ。」リョウの前に座っていた鈴木が少々草臥れ気味にぼやく。「畑岡さん、何であんなにやる気なんでしょうねえ。正直、リレーの優勝なんてどうでもよくないですか?」

 「どうでもいいですよ。」リョウも憮然と続ける。「俺はそもそもミリア……、妹が、弁当喰う時に一人ぼっちで不憫にならないように、来ただけなんですから。」

 「ですよねえ。」鈴木は溜め息を吐いた。「うちだって息子の姿写真撮るためだけに来てるようなもんですよ。田舎のじいさんばあさんたちに見せるために。」

 隣にいた半沢もこっそりと、「畑岡さん、去年は全然あんな感じじゃあなかったんですよ。っていうか、去年の担当者の方が畑岡さん誘った時には、『まずはダイエットしなきゃあ出られません』なんて断ってたぐらいなんですから。」と最大級の告白をした。

 「そうだったそうだった!」思わず鈴木は小声で叫ぶ。「たしかに畑岡さん、運動苦手そうだったから、代わりを探して、畑岡さん去年は出てないんだ。」

「そうですよ。そもそも今年だって畑岡さん、走れるんですかね? 明らかに運動とかしてなさそうじゃあないですか。たかが運動会如きで怪我なんてされちゃあ、奥さんに叱られちゃいますよ。」半沢がやれやれといったように肩をすくめる。

 「奥さん?」鈴木は首を傾げる。「そういえば今日畑岡さんの奥さん来てるのかなあ。見てないなあ。」

 「……では以上で説明の方はおしまいに致します。それではお父様方、くれぐれもお怪我には気を付けて、無理だけはなさらぬよう! よろしくお願いします!」いつしか教師の説明は終わっていた。

 選手たちは次々に立ち上がり、第一コーナー、第二コーナーと散り散りになっていく。

 リョウも立ち上がり、指示されたコーナーへと歩いていく。

 その時であった。「黒崎さん!」畑岡に声を掛けられた。「アンカーとして我らの全ての命運がかかっておりますから、どうぞ頑張ってくださいね!」勝利を確信しているような満面の笑みがそこにはあった。

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