584話 悲しい夢③
ネオンにとって聖守という立場は人生そのものだ。しかし同時に望んで得た立場ではない。物心がついた頃には聖守として育てられていて、そうあるべきと教わり、十五歳にして聖石寮の頂点に立った。先代聖守ボウローフがたったの四年で戦死したこともあり、戦闘面では特に厳しい基準を求められた。ネオンにとってこれは歓迎するべきことではなかった。
魔物や魔族と戦い、国に平安をもたらす。
それが聖守としてあるべき姿だ。そうあれとひたすら教えられた。
『争いのないところで、私は歌い手になりたい』
心の奥底ではずっと願っていた。
教会が保有する聖歌隊に憧れ、聖守よりも大きな価値を見出した。
◆◆◆
スルザーラ・アルテミアは名家の出だ。
その血筋は十年に一度の王選に出馬できるほどのもの。聖石寮内での実績を積めば、やがて王として立候補することもできるだろう。だが彼は権力にそれほど執着する人物ではなかった。権力とて、目的を達するために用いる武器の一つ。
いや、寧ろ権力には頼らないようにしていた。
九聖第一席という立場も劔撃との適合率によるところが大きい。全く使いこなせていなくとも、今の聖石寮内でスルザーラほどこの神器を扱える者はいなかったのだから。
『私は相応しくあろうとしている。なぜその努力を見てくれない』
周囲の目は冷たく、厳しい。
九聖第一席は劔撃の使い手であるべきという慣例がある。初代の使い手たるオスカー・アルテミアと同じアルテミア家の者が適合しやすい。従って、第一席は実質的にアルテミア家の世襲となっていた。これはアルテミア家が聖石寮において実権を握っているのも同然である。魔術の腕前はほとんど関係なく、神器との適合率が第一席を決める。
直接何かを言ってくる者はいなかった、それでも陰口は絶えなかった。スルザーラもそれを知っていた。そしてどれほど努力と実績を積み重ねても、真に第一席に相応しいとは認められなかった。
ただ、アルテミア家の成果として数えられてしまう。
『誰か。誰か私を見てくれ。私を認めてくれ!』
アルテミア家という立場がスルザーラという個人を塗り潰していた。
だからこそ、十代目聖守ネオンとの出会いは鮮明に残っている。
――信頼していますよスルザーラ。
聖守ネオンを支える忠実な部下の一人になろうとした。
アルテミア家の中では異端的な考えだ。しかし彼にとってはそれが全てだった。その生き方が心地よかった。親愛とも恋愛とも異なる愛着をネオンに向けていた。
ただ彼女の信頼に応えたかった。
◆◆◆
元老はカーミラの手によって滅ぼされた。とはいえ九尾魔仙は別である。間違いなく倒したはずだが、違和感があった。
(魔物と違い、死体は消えないはず。ですが九尾魔仙だけ残っていません。まさか逃したのでしょうか?)
釈然としないが、敵はもういない。
そこで赤い月の異界から帰還して、まず感知を広げていく。
「皆さんは……まだ下ですか」
彼女は魂を知覚する。
より詳細に観察すれば状態を推察することも可能だ。ルーク、ネオン、スルザーラの魂は奇妙な活動をしている。酷くストレスを受けているらしい。
「戦闘中、というわけではなさそうですね。迎えに行きましょうか」
向かう先はルークとスルザーラを逃がした奥への通路。しかし彼女はそこに向かうことなく、足を止めている。なぜなら、こちらに向かってくる存在を感知したからだ。
魔力の大きさ、魂の歪さからしてかなり強い魔族だ。
「なるほど。まだ業魔族が残っていたようですね」
「吸血種の始祖よ。アンヘルを退けたか。六割とはいえよくやる」
「警戒セネバナ。始祖ハ我ラ魔族トハ異ナル系譜。シカシ同胞ノヨウナモノ」
「私としては一緒にされたくありませんね」
現れたのは前後に二つの頭部が存在する魔族だ。
二面四腕の異形、睡蓮魔仙バステレト。滅多に表に出ない業魔族である。カーミラも存在は知っていたが、対面したことはなかった。
「あなたもまたサンドラに根付く悪意でしたか。私の認識が正しければ催眠能力を扱う七仙業魔でしたね」
「誤解があるな」
「然リ。我ラトテ無闇ニ能力ハ使ワナイ」
「ただ吸血種たちは欲に動かされただけのこと」
「感謝シテイルゾ。吸血種ハ役ニ立ツ尖兵ダ」
「彼らはどこまで堕ちようとも私の血族です。返していただきます」
赤い霧が濃くなり、二人の姿を覆い隠す。
お互いに視認することができないほどの霧も、元より視覚がないカーミラには不利な要素とならない。寧ろ瘴血の霧は有利な空間だ。
「本当の意味で殺せないというのも気に入りませんね。七仙業魔を殺す方法、実験させていただきます」
瞬間的に血晶の槍が生成され、睡蓮魔仙へと殺到する。
それらは固い体表によって全て弾かれ、あるいは砕かれてしまった。
「霧ガ厄介ダナ。我ラノ幻術ヲ無効化シテシマウ」
「魔力を阻害する霧だ。我ら魔族にとって酷い毒となろう。加護の魔力がなければ先の槍に貫かれていた」
「偉大ナル主ニ感謝シナケレバナ」
霧の向こうから赤い狼が襲ってきた。
前後左右、四方より現れた狼に睡蓮魔仙は応戦する。前後に顔と腕があるので死角はない。だが手数には限りがあるし、元より近接戦闘を得意とするわけでもない。三匹には対処できたが、残り一匹に足首を噛まれた。
だがその牙は食い込むことなく、表面で止まる。睡蓮魔仙が殴りつけると、狼は霧となって消失した。
「他の業魔族よりも固いですね。特有の能力ですか?」
霧の中で声が響く。
姿は見えず、声から位置を特定することもできない。まるで霧そのものが言葉を発しているようだ。
睡蓮魔仙は警戒しつつも会話に応じる。
「我は初代魔神様より多くの祝福を与えられた。魔神様が我を守っているだけのこと」
「曖昧な答えですね。期待はしていませんでしたが」
「真の話だ」
狼や蝙蝠が霧の奥より現れ、睡蓮魔仙を襲う。それらは傷を与えるに至っていないが、視覚を覆い、感知を乱すのには役立つ。
そして一際多い蝙蝠の津波が過ぎ去った後、睡蓮魔仙は前の右腕に違和感を覚えた。見れば黒い模様が鎖のように肌へと巻き付き、腕を這って胸に迫ろうとしている。慌てて払おうとしたが、刺青のように張り付いていてどうにもならない。
「《魄奪》」
睡蓮魔仙はその場で動きを止める。
そして戸惑いの表情を浮かべ、前側の首を傾げた。
「なぜ我はここにいる? これは何だ?」
「ナニ?」
「赤い霧だと? 我は吸血種と戦っているのか?」
「イッタイドウシタ」
困惑したのは後ろ側の首も同様だった。しかし前の首とは全く別の理由である。
すると霧の中でカーミラが語りかけてきた。
「なるほど。こうなりましたか。まさか片方だけ記憶を失うとは。魂は一つですが、精神は完全に別たれているようですね。片方にだけ《魄奪》が作用しましたか」
睡蓮魔仙の両方の首が同時に察する。
これは何かしらの精神攻撃だ。催眠という精神に作用する異能を扱うため、答えに辿り着くのは容易かった。そして同時に、自身にまで及ぶ精神攻撃に脅威を覚える。
「奇妙な魔術だ」
「記憶ヲ共有スル。ソレデ元通リダ」
「お陰で催眠に乱れが出てしまったがな」
「問題アルマイ。既ニ人間共ハ弱ッテイル。目覚メルコトハナイ」
警戒を強めつつ、二つの意識で記憶を共有する。前の首を司る精神は、確かに記憶が欠落していた。まるで穴が開いたかのように、すっかり抜け落ちている。後ろの首を司るもう一つの精神がそれを補うことで、これまでの戦いの記憶を復元した。
「終わらせます。セフィロトに接続」
カーミラは霧の中でそう告げた。
◆◆◆
何度同じ悪夢を見ただろうか。
思い出すのはいつも手遅れになってからだった。帝国軍が押し寄せ、レビュノスの街に火を放つ。そしてこれまでの記憶がフラッシュバックする。
「ルーク、スルザーラ……今度こそ」
「ああ」
「はい。今度こそ」
同じ悲劇を繰り返す内に、記憶を持ち越していることに気づいた。今ではルーク、ネオン、スルザーラの三人で協力し、この終わらない一日から脱出するため努力している。
これに気が付いてからは様々な手段を試してきた。
逃げる先を変えてみたり、護衛を増やしてみたり、一緒に逃げたり、立て籠もって籠城戦をしたり。だが結末は変わらない。最後には三人とも帝国兵に抑えられ、『声』が聴こえてくる。
「私たちは魔族になりません。それだけは、決して」
そう誓いを立てるのがループごとの決まりとなっていた。
最期の瞬間では時が緩やかになり、『声』が聴こえてくる。魔族になればこの場を切り抜けることができる。それだけの力を手に入れることが叶う。それこそが正しい道だと。
だがルークは魂で知っている。ネオンは理性を保持している。スルザーラは規律を弁えている。
魔族になるべきではないと心が言っている。
拒否し続け、身も魂も引き裂かれるほどの苦痛を味わい続けた。これらは三人を確実に苛んでいた。
「……本当に正しいのでしょうか」
四十三回目のループ。
まず壊れたのは規律であった。
「私はもうネオン様が殺されるところを目にしたくありません。忘れられないのです。腹を裂かれ、その内から御子を引きずり出され、殺される。その瞬間を。あなたの悲痛を」
「スルザーラ……ですが」
「ネオン、俺もだ。もう耐えられそうにないんだ」
「ルークまで」
今のルークにとってネオンは妻。そして胎には待望の子がいる。
何度も幸福から追い落とされ、絶望の海で藻掻かされた。もう四十三回目だ。ルークはその全てを覚えている。どんな方法を取っても彼女は救えなかった。
「なぁ。俺たちはどうして魔族になっちゃいけないんだろうな」
「ルーク……」
「今欲しいのはネオンを救う力なんだ。もう君を失いたくない。もう……」
「スルザーラも同じ気持ちなのですね」
「……はい、正直に言えば」
火の手も、帝国軍の脅威も、すぐそこまで迫っている。
これからすぐにでも行動しなければ、かつて籠城戦をしたときのような結末を迎えることだろう。だが今のルークとスルザーラに、戦えるような意思は残っていない。どうやっても同じ絶望の終わりに辿り着いてしまうのではないかと恐れている。
ネオンは二人の手を取った。
「大切な人が失われることを恐れるのは愛情があるからです。これは人間にだけ許された特権だと思います。人の生命は魔族と異なり、限りあるものです。だからこそ、この時間は大切なものになります」
「ネオン。でも守れないんじゃ意味が……」
「魔族になってしまえば人を慈しみ、愛する心を失うことになります。この場を切り抜けたとして、私たちは元のような関係でいられるでしょうか。お互いを想い合う、この大切な時間が失われてしまいます。それは永遠の命よりも重要なものです。私はそう思っています」
ルークとスルザーラは互いに顔を見合わせる。
お互い、酷い顔をしていた。死人の方が幾らかマシなのではないだろうか。
「俺はネオンを守りたい」
「私はネオン様の期待に応えたい」
「私もルークとスルザーラを失いたくありません。心すらも決して」
改めて誓う。
もう帝国軍もすぐ傍にまで近づいていた。身重なネオンがいては逃げるのも困難だ。迎え撃つ以外に選択肢はない。魔族の誘惑には乗らないと決めたが、この状況を乗り越えられる何かはまだ見つかっていないのだ。
ルークは剣を抜き、スルザーラも弓矢を構えた。
いつもこの瞬間に違和感を覚える。
(何かが足りない。何かが欠けている)
手足は綺麗なままで、傷一つない。
しかしだからこそ違和感がある。自分の腕はもっと異質だったような気がする。何か物足りない気がするのだ。
『……』
ピリピリと痺れるような感覚が脳裏を過った。
「スルザーラ、今何か言ったか?」
「いや、寧ろ私は君が何か言ったのかと思ったが」
「お二人も何か聞こえたのですか?」
「まさかネオンも?」
これまでのループで経験したことのない事象だ。
繰り返す絶望の中でおかしくなってきたのだろうか。
『……世話の焼ける使い手だ。我のことすら忘れてしまうとはな』
そうではなかった。
どうして今まで忘却していたのか。
普通ならばあり得ないことだ。だが今こうして思い出し、三人はそれぞれ名を呼ぶ。
「嵐唱!」
「劔撃か」
「星盤祖の『声』です!」
その瞬間、ルークの持つ剣に青みが生じ、少しばかり縮む。今はもう懐かしい嵐唱がそこにあった。同様にスルザーラの弓も劔撃に変化する。そしてネオンの手元にも聖王剣が現れた。
『恐れるな。我が力の雫を受け取る者よ。ここは夢の世界。睡蓮魔仙バステレトが作り出した永遠の夢幻である。ゆえに恐れるな』
「そういうことですか」
星盤祖の『声』を耳にしてネオンが納得する。ここでの世界も、記憶も、全ては作り出された虚像だった。この世界で何度も絶望させ、洗脳しようとしていた。
またルークは空の一角を指差す。
「見ろ! なんか崩れてないか?」
「あれは何だ……?」
指差された場所のみならず、あらゆるところで景色が崩壊し始めていた。崩れ行く世界は時が止まり、見える場所まで押し寄せていた帝国兵すらも固まってしまう。そして崩壊する景色に飲み込まれつつあった。
夢の終わりが近づいている。
ネオンはそれを予感する。
「このまま世界が崩壊すればきっと私たちは目を覚ますでしょう。これは魔族にかけられた幻術です。どうしてか分かりませんが、壊れようとしています」
「つまりこのまま大人しくしていればいいってことか?」
「はい。星盤祖が教えてくれています」
少しずつ景色が歪み、更にはルークたちの姿すらも変っていく。
いや、戻っていく。
この夢の中の世界は仮初のものだ。ルークは少しだけ背が縮み、服装も貴族らしいものから戦闘装備に変わる。スルザーラも同様だ。またネオンについては膨れていた腹も消えてなくなり、術師の衣装となる。
『警戒せよ』
嵐唱が、劔撃が、星盤祖の『声』が同時に警告した。それと同時に空が割れた。砕けた空からは巨大な何かが降り立ち、ルークたちを影で覆う。
前後に二つの頭部、また四本の腕。あまりにも巨大だが、睡蓮魔仙の姿であった。




