577話 黒猫の現状
炉からの提案はまさに渡りに船であった。
今欲しいものがそこにある。受け入れないという選択肢はない。皆、顔を見合わせて頷いた。ゆえに次は具体的な話となる。切り出したのはこれまで一言も口にしなかったロニであった。
「ハーケス老、私は帝国軍の強さをよく知っています。ですがギルドとやらのことは知りません。それについて、どのような戦いが起こり得るのか教えていただけませんか」
「ギルドの戦力はほぼ魔神教団の者です。迷宮探索者たちと戦うということはないでしょう。いたとしてもごく少数の、ギルド長に心酔している一部だと考えています」
「つまり敵の多くは魔族だと?」
「その通りです」
そこで言葉を切り、何度か咳をした。
血を吐き出すのではないかと思うほどの激しさで、カーミラが《祝祷》をかける。すると体が楽になったようだ。
「ありがとうカーミラ」
「もう長くないようですね」
「ええ。死ぬまでに炉をあるべき形に戻さなければ」
これまでも何度か体調が悪そうな姿を見せている。個人的なことで、加えればハーケスは他人だ。誰もあえて詳しいことは聞かなかった。
だがこれからは仲間となり、共に戦う。
ルークが切り出した。
「病気、なんですか?」
「心配してくださりありがとうございます。ですがこれは寿命なのです。長きを生きる吸血種も、決して時が止まったわけではありません。私もすでに二百年は生きました。充分です」
「だったら炎帝もそろそろ寿命ってことか?」
「いえ、彼はまだまだ若い。こればかりは私自身の問題です。大きく寿命をすり減らし、その上で吸血種となりましたから。あなたも神器使いですね?」
「ん? あぁ、はい」
「であればお気をつけなさい。その力は諸刃の剣。私が死に近づいたのは神器を使い過ぎたからです。特に適合しない神器は毒も同然ですよ」
反応したのはスルザーラであった。
ほぼ無制限で嵐唱を扱えるルークと異なり、スルザーラは劔撃を使いこなせているとはいえない。同化すれば力に耐えきれず、致命傷すら負ってしまう。ハーケスの言葉が痛く染みた。
「神器は危険な力です。その甘言に惑わされ、みだりに力を行使しないようにするべきです。適合しているからといっても油断せずに。あれは破滅をもたらす兵器だと心得てください」
そう聞いてルークも安心できなくなった。
心当たりがあるのだ。嵐唱の力を引き出すため、何度も体を捧げる取引をした。両腕と片足は既に異形に変質している。負荷らしい負荷がないので乱用していたが、確実にルークも蝕まれていた。それに気づいた。
「そういえば炎帝も神器でしたね。彼はいかほどの使い手ですか? 確か無限炉……といいましたか」
「よくご存じですね。王の側近を名乗られるだけはある。ルゥナ殿の仰る通り、炎帝は無限炉という神器を使います。しかしこの神器はそこまで脅威でもありません。問題となるのはもう一つの神器、星環です」
「あれですか……」
珍しくカーミラが嫌そうな表情を浮かべていた。目元を隠しているので分かりにくいが、明らかに面倒だという雰囲気を出している。
「厄介な神器なのか?」
「私が知る限り最強の神器です。少なくとも攻撃力においては」
「そこまでなのか……」
「当たれば即死だと考えてください。少なくとも同化させてはなりません」
やはり暗殺が最も有効であると再認識することになった。少なくとも正面から戦うべきではない。炎帝の能力を知る人物がそう言っているのだから間違いない。
すぐにルゥナが具体的な方策をまとめてくれた。
「炉の目的と合致するように動くのであれば、炎帝暗殺に陽動を差し向けるべきですね。そうすれば宮廷戦力を釘付けにすることができます。そこで更に探索ギルドの襲撃があれば、そのための陽動であったと勘違いしてくれるでしょう。炎帝暗殺も容易くなります」
「それならば事前に探索ギルドへの襲撃をそれとなく情報として流してはいかがでしょう? そうすれば宮廷への注目が減り、上手くいけば敵を右往左往させることも叶います」
「しかしロニ殿の案には危険も伴うな。裏を読まれ、罠に嵌められるかもしれない。情報は秘匿した方がいいのではないだろうか?」
「そのあたりは情報の出し方次第で上手くいくと思います。可能であれば情報操作に明るい伝手に頼みますが」
「それは止めておいた方がいいね」
すると『黒猫』が口を挟んだ。
彼の言葉は情報操作のアイデアを出したロニ、そしてカーミラに向けられている。
「まずスルザーラ殿が指摘したように、下手な情報操作は読まれると考えた方がいい。いい手だけど、生憎とサンドラは戦争中だ。そういった謀略への警戒度も高い。それと『死神』は『鷹目』に依頼することを考えているんだろうけど、期待しない方がいい。確定していない情報を策として盛り込むべきじゃないと、僕は考えるね」
「彼の言うとおりです。少なくとも帝国はあなた方が潜入していることを知っています。下手な情報操作はしない方がよいでしょう。それどころか向こうが何か仕掛けてくるかもしれません。敵に標的を悟られぬよう、最速で行動するべきだと思います」
ハーケスの意見にはスルザーラも賛成だった。
彼はこの場にいる誰よりも早く行動することを求めている。そして焦っている。
「聖守様がどうなったのか、それも知りたい。生きておられるなら助けなければならない。早く行動するという点において、私は賛成だ。ハーケス殿にお伺いしたいが、炉の戦力はどの程度で準備可能なのですか? スウィフト家の翁によると、炎帝が明後日には出陣……いえ、昨日伺った話なのでもう明日です」
「奇襲性を担保するつもりですので時間が必要です。急いでも明日の朝」
「明日の朝ですか……」
ただ炎帝を暗殺するだけならば問題ない。
しかし聖守を取り返すことを作戦に入れる場合、この時間は微妙なラインだ。それがスルザーラの感情を騒がせる。炎帝を討つという大局に挟むべき感情ではないと分かっていてもだ。
「何にせよ情報収集は必要ですね。明日まで動けないのであれば、確実性を高めます。『黒猫』さん、『鷹目』さんと面会できるようにしてください」
「いいよ。なんならこの後でも」
「早い方が好都合です。お願いします」
グリムという伝手を失い、既に作戦は失敗しつつある。挽回するには炉の協力が必要不可欠だ。この日は再び解散し、作戦をより練り込むことになった。
◆◆◆
カーミラは『黒猫』に連れられ、表の酒場に来ていた。開拓地区の酒場は治安が悪い。肉体労働者たちが日銭と共にストレスを吐き出すための場所として機能しており、喧嘩も絶えない。そんな中にカーミラのような少女が入ればどうなるか、火を見るより明らかであった。
「あぁ? 誰だよこんなところに娼婦なんか呼んだのは?」
「さぁなぁ。あんな小さいのに興奮するモノ好きがいるのかよ」
「ザレの奴がそんな趣味らしいぜ」
「うえ。あいつと付き合うのやめるか」
汚らしい笑い声が響く。
カーミラとしては思わず溜息をついてしまう。目を覆い隠しているので、身体を売って生計を立てているとでも思われたのだろう。昔からよくあることだった。とはいえ、カーミラは少女の姿からほとんど成長していない。幼さ故か、手を出されそうになったことは少なかった。
しかし今日は違ったらしい。ある男が下品な笑みを浮かべながら近づいてくるのを感じる。
「『黒猫』さん」
「別にいいよ」
言質は取った。
男はカーミラが目の見えない、か弱い少女だと思い込んでいるのだろう。酒の飲みすぎで顔も真っ赤になっているし、足元も覚束ない。不用意に手を伸ばしてきた。
それを血液で吹き飛ばす。肌を裂いて血を流し、球体に押し留めてぶつける。これらの工程を目にも留まらぬ速さでやってのけた。少なくとも酒場にいる男たちには何をしたのか理解できなかっただろう。しかし吹き飛んでいった男と、カーミラの頭上に浮く血の球体を見て事態を察したようだ。
まさに阿鼻叫喚となる。
「吸血種だァ!」
「嘘だろ!? なんでこんなところにいるんだよ!」
「逃げないと! 逃げないと殺される!」
「ああああああ。なんで、なんで!」
蜘蛛の子を散らすように労働者たちは逃げ去っていった。飲みかけの酒も、なけなしの金で買った肉すらも置いてけぼりである。
賑わっていた酒場も今や物寂しい。
思わず『黒猫』も腹を抱えて笑ってしまう。
「いやぁ。面白かった」
「悪いことをしましたね」
「そんなことはないさ。でも今頃は震えて隠れているんじゃないかな。帝国の大貴族、吸血種様に手を出しかけたんだから。普通なら皆殺しにされてもおかしくないよ」
「はぁ……こんなつもりではなかったのですが」
「いいよ。ついでに人払いができた。ゆっくり話せるじゃないか」
そう言いながら『黒猫』は何度か手を叩く。
すると酒場の奥から何人かの人が現れ、汚れた床を掃除し始めた。またその内の一人は『閉店』の看板を持って外に出ていく。
「『鷹目』が来るまではもう少し時間がかかる。約束の時間より早く来てしまったからね。どうだい。一応、質のいい血も仕入れているけど」
「ルークさんから吸血していますので不要です」
「へぇ。彼とそんな関係なんだね」
「迷宮を抜けるにあたり、かの魔術を使う必要もありました。魔力の回復のためです」
綺麗になった机の一つに三つの椅子を寄せ、『黒猫』が座る。それに続いてカーミラも腰を下ろした。まだ他の部分は汚れたままなので、掃除は続いている。しかし『黒猫』は全く気遣う様子もなく話を続けた。
「迷宮を抜けてくるなんてすごい度胸じゃないか。蟲魔域からここまでかい?」
「はい」
「蟲魔域は大変だっただろう? あそこはたまに冥王が掃除しているけれど、凶悪な魔物が跋扈しているからね。足手まといを抱えながら進むのは苦労したんじゃないか?」
「……」
「ごめんごめん。答えにくかったかな?」
人間の癖に人の心がないのではないか。カーミラはふと思ってしまう。『黒猫』が異常者なのは昔からだ。代替わりしてもそれは変わりない。なぜなら同一人物が人形を使って演じているだけなのだから。
しかし多少なりとも狂っていなければ、黒猫という組織を運営することはできないだろう。どう取り繕っても犯罪組織なのだ。所属する人物は癖だらけ。まともな人格で統率できるとは思えない。
「折角だから黒猫の近況でも説明しておこうか? 実は『天秤』の奴が病死しちゃってね。息子に受け継がせたみたいなんだけど、これがまたボンクラでさ。奴隷事業の儲けを食い潰す勢いで贅沢三昧さ」
「そうなんですね」
「なんだ。興味なさそうだね。ま、彼は表でも評判が悪い。そのうちアリーナの支配者から降ろされるかもしれないね。ようやく念願叶ってンディババ五世を襲名したのにね」
「私はあの都市が苦手です」
「僕も苦手だよ。あそこじゃ未だに女は全員奴隷扱いだからね」
かつては独立国家であったアリーナも、二百年前の侵略戦争でサンドラに敗北してからは一都市に成り下がっている。アリーナの支配者ンディババも神器使いだったが、戦闘向きではないので紅の兵団によって敗北した歴史がある。その神器とて没収されている有様だ。
サンドラの手に落ちた当初こそ、吸血種のために奴隷を売る産業で潤っていた。しかし各地に人間牧場が作られるようになった今では落ちぶれる一方である。
「『赤兎』と『黒鉄』は殺されちゃってね。次代を探しているところ。『若枝』は調子が良さそうかな。『白蛇』と組んで一当てしたみたいだよ。パンテオンで商会を立ち上げてからは帝都に来ていないな」
「『灰鼠』と『暴竜』は空席のままですか?」
「ここ数十年は埋まっていないね。あとは……ああ、『幻書』がいたね。あいつ、元は探索ギルドに所属して古代研究していたんだけど僕を裏切ってね。魔神教団に付いたんだ。まだ幹部の証を回収できていないから、余裕があれば殺して回収しておいてくれないかい?」
「はぁ……まぁいいですよ」
「流石は『死神』だね。頼もしいよ」
カーミラは何度も黒猫という組織の恩恵を受けている。今回の件もそうだ。たとえ殺しの仕事だったとしても、恩を受けた分は返す。そのつもりでこれまでも『死神』の仕事は受けてきた。
「ギルド長の方は暗殺依頼しないのですね」
「ん? まぁね。何でも殺して解決、というわけにはいかないよ。『幻書』は裏切者だから制裁の意味を込めて殺す。それだけさ。それに探索ギルドの件は炉の問題だからね。ハーケスが望まないなら『死神』は使わない。それが黒猫という組織だからね」
「そうですか」
逆に言えばハーケスが依頼さえすれば、暗殺という願いすら叶えるということだろう。あくまで黒猫は炉を支援する組織というわけだ。
「この戦争もシュウ様の計画ですか?」
「そうだね。彼は西側を娘に託して、東側の手伝いをしてくれているんだ。それに探していた標的も見つかったみたいだから」
「標的?」
「そう。本命を始末するための踏み台みたいなものだけれど。でもこの戦争が上手くいけば、大陸の平和にも近づくはずさ」
「そこで生まれる犠牲は……」
「考慮しないよ。僕たちは今までそうしてきたし、これからもそうする。そんなのは英雄の役目だ。僕たちは世界の影から世界を守る。そのために活動している。そしてこの活動のために最も重要な幹部は『死神』と『鷹目』だ。古代ではこの二人が国を幾つも滅ぼした。そして世界を守ってきた」
懐かしむような、物寂しいような。そんな感情が浮き出ている。
仮面を張り付けたような『黒猫』にしては珍しい。人形に感情が現れるほどの何かを思い起こしているのかもしれない。
「君の役割は既に完了している。下地ができた帝国で、『鷹目』が色々と動いてくれた。お陰で戦争も始まったんだ。でも流石だよ。今の『死神』と『鷹目』は二人とも冥王の弟子だからね。彼は黒猫を抜けてからもよくやってくれている。戦友として僕から返せるものが少ないことが残念だよ」
「待ってください。今代の『鷹目』もシュウ様の弟子なのですか?」
「まぁね。いい子を拾ってきてくれたよ」
カーミラとてシュウの人間関係を深く知っているわけではない。また口ぶりからして妖精郷の人材というわけでもないだろう。サンドラで活動していたという証言から、『鷹目』の候補は絞られる。
「まさか……」
「あれ? 気づいたかな? ヒントを出しすぎたかなぁ」
面白がる『黒猫』は空間を歪め、カップを三つと水差しを取り出す。そしてテーブルに並べて注ぎ始めた。
それとほぼ同時に酒場の扉が開かれる。
目が見えないカーミラは、魔力や魂など様々な要素によって知覚する。だから振り返らずとも、訪れた人物が何者であるか理解してしまった。
「やぁ、よく来たね『鷹目』」
「こちらも忙しいんですのよ」
宮廷魔術師ミリアム。あるいは三導師のミリアム。
それが『鷹目』の正体だった。




