562話 蟲の穴
カーミラは生まれつき、目が見えない。
しかし吸血種となり、更には冥界の加護を得たことによって常人とは異なる知覚能力を手に入れた。それは魔力や魂の知覚である。またその感知範囲も広い。昼も夜も関係なく、広範囲を知覚できるという点ではただ見えているよりも優れているだろう。
そんな超感覚を有する彼女だからこそ、襲撃にも、その異様さにも気付けた。
(いきなり現れました。まるで空間転移のように……ッ!)
どのように現れたのか、全く分からなかった。
突如としてカーミラの感知範囲に出現したのである。
なりふり構っている場合ではない。カーミラの両腕の皮膚が激しく裂けて、大量の血が溢れる。それは普通の少女が何十回と死ぬような血液量であった。
これには他の全員が驚きを露にしてしまう。
「眷属たち! 魔物を仕留めてください!」
大量の血液は無数の蝙蝠や狼へと変化し、夜の闇を駆け抜けていく。
同時にまわりも騒がしくなり始めた。
「驚かせて申し訳ありませんでした。ですが魔物の襲撃です。あちらの方角から」
「あっちは蟲魔域と反対だろ?」
「この街の外からやってきたのではありません。突然湧きました」
「んな馬鹿な!」
「問答している暇はありません。強力な個体も混じっています。数も……かなり多いです」
カーミラの指差す方向で火の手が上がった。
大きな爆発が起こり、まだ距離のあるここにまで熱がやってくる。巨大な炎の内側からは次々と蛾の魔物が飛び出してきた。
その正体はスルザーラが教えてくれた。
「あれは……紅炎鱗蛾か?」
更にカーミラは反対の方向にも顔を向ける。
そちらは静かな闇が広がっていたはずだが、不快な羽音が鳴り始めた。それは次第に大きくなり、やがて耳を塞がなければならないほどになる。
「なん……だよ!」
「また新しい魔物が湧きました。あちらでも、またこちらも! 囲まれています!」
次々と感知範囲に魔物が現れ、こちら側へと迫ってくる。
野営が始まっていたのでほぼ全員が元聖石寮のあたりに集まっていたが、見回りに出ていた者もかなりいる。残念ながら彼らについては無事にここまで戻ってくることを願うしかない。今は僅かな時間も惜しい。早く迎撃態勢を整えなければ、魔物の群れに圧し潰されてしまう。
「九か所。魔物の発生地点は九か所です。逃げることのできる隙間はもうありません」
「カーミラ、どうにかできますか?」
「何とかします。それが私の役割です」
「俺も手伝うぞ。カーミラだけに任せられるかよ」
既にルークは嵐唱と同化し、第三の眼を開眼させていた。嵐の鎧により空へと浮かび上がり、周囲に風を起こす。押し寄せる熱風も不快な羽音すらも届かなくなった。
今にも飛び出しそうなルークだったが、カーミラに呼び止められる。
「待ってください。ルークさんは皆さんの守りを。私が単独で殲滅します」
「だけどカーミラ!」
「私の能力は無差別です。それにこういった殲滅戦は私が得意とするものですから」
カーミラがそう告げるや否や、周囲で霧が現れ始めた。
夜の闇で気づけなかったが、霧は星空すらも覆い隠しながら濃く深くなっていく。これが昼間であれば、霧が赤色であることにも気づけただろう。
魔物を近づけさせないため、瘴血の霧を張ったのだ。
それは二百年前滅びたヴァルナヘルのような、進路を阻む霧である。
「ルークさん、気を付けてください。敵は内側にいます」
「それってどういう――」
最後に耳元で囁かれた言葉の意味を問いただすこともできず、カーミラは霧となって消えてしまう。霧は更に濃く深く、そして音すらも掻き消していく。
月明りに透かされ、上空の霧に映る巨大な怪物の影には誰も気が付かなかった。
◆◆◆
「グァッ!」
「いい子ですねウェルス。我慢させてしまいましたが、存分に暴れてください」
ずっと小型化して隠れていたウェルスは今、本来の巨大さを取り戻していた。カーミラが手に入れた魔の血を与え続けた結果、ウェルスはまさしく異形の獣となっている。飛竜系の魔物と似ているが、幾分か獣のような特徴も見受けられた。
小さく吠えたウェルスは瘴血の息を吐き出し、魔物の群れを滅ぼしていく。凶悪な毒性が体組織を破壊するばかりか、魔力影響すらも阻害する。魔物にとって極悪の毒であった。
(すべて蟲系ですか。いったいどのようにしてこれほどの魔物を……)
感知できる魔物の形質は、そのどれもが蟲系である。
付近に蟲魔域が存在するのだから当然と言えば当然かもしれない。しかしこの図られたような状況に違和感を覚えずにはいられなかった。
今もなお数は増え続けており、もはやカーミラでも数えきれない。
幸いなのは成体蟲系魔物は中位から高位級のみの群れであったことだ。災禍以上の魔物が出現していればかなり厄介なことになっていただろう。
「発生地点を叩きましょう。移動は任せます。私が発生地点を消している間、ウェルスは周囲の魔物を倒してください。いいですね?」
「ギャグァッ!」
この暗闇においてカーミラの超感覚は役に立つ。
蟲系魔物が発生し続けている九つの地点も正確に把握していた。ウェルスに命じて最も近い発生点へと向かわせると、熱気が肌を焼き始める。赤鱗蛾や紅炎鱗蛾の群れである。
まるで炉の内側のようだ。
それほどの熱が放たれ、夜を明るく照らしている。
「霧と相性が悪い相手ですね。それなら……」
カーミラの皮膚が裂けて、大量の血液が溢れ出る。それらは瞬時に結晶化し、指ほどの長さの弾丸へと形を変える。百、二百、あるいは千すらも超えているだろうか。大量の血晶弾が一斉に魔物へと降り注ぐ。それはまるで赤い雨であった。
火の粉を放つ蛾の魔物たちは次々と貫かれて墜落し、そのまま魔力となって消えていく。
またカーミラは蛮骨を手に取り、勢い良く振り回すことで赤鱗蛾や紅炎鱗蛾をすりつぶした。ウェルスは体当たりで道を作り出し、瘴血の息を吐いて魔力をも阻害する。
「ウェルス! 発生地点の真上に!」
小さく鳴いてウェルスは加速した。一気に降下して重力による加速を得た後、羽ばたくことでさらに加速しつつ上昇へと軌道を変える。蛾の魔物は炎の壁を作り出して阻んできたが、それすらも突破するほどの速さであった。一気に上空まで昇り、放物線の頂点に達した瞬間、カーミラはウェルスの背中から飛び降りる。
「臨血」
指先へと魔力を集め、圧縮し、それを飛ばした。
高密度化により青白く発光する魔力は、押し寄せる蟲の群れに消えていく。しかし次の瞬間、蟲たちはバラバラに弾け飛んでしまった。
これによって生じた空白地帯へとカーミラは飛び込み、そこで再び魔力を集める。
二度目の臨血もまた地上に向けて放たれ、落下方向で蠢く無数の蟲たちを衝撃波で消し飛ばす。三度、四度とそれを繰り返しているうちに、ようやく蟲の発生源がはっきりとしてきた。
「あれは……穴、ですか?」
カーミラでさえも近づくことでようやく正確な知覚が叶った。
たとえるならば莫大な魔力の泉、あるいは穴だろう。通常の視界で見えていたならば、黒い渦のようなものが確認できたはずだ。蟲はその渦から発生していた。
(シュウ様から聞いたことがあります。魔物のような何かを生み出し、操る魔術が存在すると。確か……召喚魔術でしたか)
いわゆるアポプリス式魔術について、カーミラは詳しくない。しかし知識として覚えがある。詳細までは聞いたことがないので、目の前で起こっている事象をこの仮説で説明できるかどうかは分からない。しかしもしも正しいとすれば厄介なことになる。
「この襲撃……やはり人為的な攻撃かもしれませんね」
カーミラは蛮骨を振り回し、魔力の渦を引き裂く。
瘴血の刃は繊細な魔力構造物を容易く破壊し、蟲の連続召喚は停止した。
◆◆◆
瘴血の霧が閉ざしてくれたお陰で、聖石寮付近にまで魔物は押し寄せなかった。そこでネオンはいったん全員集合を命令し、点呼を取ることにする。夜という時間帯の奇襲で、こうした落ち着いた行動を取ることができたのは幸いであった。
「我らアスラン戦士団、全員揃っております」
「バジルの民も同様です」
まず初めにロニとルゥナが報告し、一安心できた。
彼らは主に野営の準備をしていたので、あまり離れた場所までは行っていない。確認はすぐに終わった。問題は周辺地の警戒を行っていた術師たちである。
「あとはアガネアたちですか……」
「聖守様、やはりもう一度探しに行っては?」
スルザーラの進言には実行の価値がある。
この状況に陥ったとき、まずロブに頼んで周辺を警戒していたグリムやアガネアの部隊を呼び戻させた。しかしロブが連れて戻ったのはグリムの隊だけで、アガネアたちは一向に見つからない。
まともに動けるならばまず合流を目指すのが定石であるはずなので、これだけ待って音沙汰がないのは何かが起こった証に思えた。
「グリム、確認です。アガネアの隊は西方を警戒していたのですね?」
「間違いありません」
「ロブ、あなたは西側も確認したのですね?」
「当然ですな」
「そうなると彼女たちはどこへ消えたのでしょう……まさか魔物が発生した時点で迎撃に? だとするとカーミラが出してくれた霧の壁の外へ締め出されてしまったということに……」
それは考えられる限り最悪の状況だ。
霧を操るカーミラは外で魔物の殲滅をしてくれている。連絡の方法はない。こうして待っているだけというのは心細く、無力感に苛まれる。
まだ齢十五の少女に、この状況は酷く重い。
どうするべきかと必死に考えるネオンに対し、ルークが手を挙げた。
「俺が一回りしてくる。嵐唱と同化したら空も飛べるし」
「なるほど。それでしたら――」
「聖守様もご判断は慎重になされますよう。その外国人の小僧を単独で出してよろしいのですかな?」
「ロブ? 何を言っているのですか?」
わざわざネオンの声を遮るロブは、少し仰々しい仕草で肩を竦める。
そして指先を天に向け、同じ方へと視線も向けた。
「この霧。カーミラという小娘の能力でしたか。よくよく見れば赤い。吸血種の毒霧ではないのですか? だとするとサンドラ帝国の手先やもしれない。この状況も、行方不明のアガネアも、全てあの小娘が引き起こしたことかもしれませんな」
「ロブ、そんなことはあり得ません」
「何を根拠に?」
「それはヴァルナヘル奪還戦のことです。彼女の力あって私たちは勝利しました!」
カーミラの正体が吸血種である。
その指摘を否定しなかったことで、事情を知らぬ術師たちが騒ぎ始めた。そんな彼らに対し、ネオンは必至の弁明を試みる。
「聞いてください。カーミラはサンドラの吸血種とは異なります」
「俺からも証言する! 帝国との戦いで何度も俺たちを助けてくれたんだ! カーミラは吸血種だけど敵じゃない!」
だが皆に訴えかけるのは二人だけではない。
ロブもまた反論する。
「怪しいものですな。その小僧も吸血種の仲間ではありませんか。まぁ身元の保証されている封魔連合王国の御一同は良しとしましょう。小僧と吸血種に味方の保証はあるのですかな? 共にサンドラ帝国と戦った、という話は決定的な根拠になりえませんな。我々を信じさせ、陥れるための演技かもしれない」
「ロブ! 命懸けの戦いをしてくださったルークに何という暴言を! 訂正なさい!」
「私はただ必要な警戒をしているだけのことです」
ネオンの言葉には人情と実績が、ロブの言葉には目覚めるような刺激がある。
どちらを信じればよいのか分からず、術師は勿論、アスラン戦士団やバジルの民の間にまで混乱が広がり始めていた。この緊急事態において非常に望ましくない。
「不味い事態だ。ロブめ……こんなところで」
「スルザーラさん落ち着いてください」
「だがグリム……」
「この状況を変えられるのは私たちです。スルザーラさんはどちらを支持するのですか?」
ハッとさせられた。
間髪を置いて、自らの答えを示すため劔撃を掲げる。
「私は聖守様を信じている。そしてルークは苦境を共にした戦友だ! 私は聖守様とルークが信じるカーミラを信じるつもりだ!」
九聖の序列は形式的なところも多いが、こういったときは役に立つ。第七席のロブより、第一席のスルザーラの方が支持を集めやすい。胸を張り、高らかに宣言する姿は皆に安心感を与えた。
「エルムレアを経由し、迷宮を通ってサンドラ帝国に急襲を仕掛ける。この作戦はカーミラの能力ありきで実行されたはずだ。信じた彼女に今更疑いの目を向けたりはしない。ロブ、発言には気を付けることだ。今のお前の方がよほど信用ならないことを口にしている」
「どういう意味ですかな?」
「この状況で和を乱し、皆を不安にさせた。九聖ともあろう者が!」
「ふむ。であれば今一度、調べればよいでしょう。たとえば身体検査、荷物検査をすれば私も納得しましょう。ひとまずはね」
そんな場合ではないというのに、ロブはこんな提案をする。
当然スルザーラは反発しようとした。だがそれを他ならないルークが止める。
「いいさ。荷物でもなんでも調べればいい。すぐに終わることだ」
「いやはや。ご本人は怪しい自覚があるようで。協力的な態度ですな」
「うるせぇよ。何もなかったら覚悟しておけよ」
ロブは肩を竦め、部下に指示を出す。
勿論、ルークの身体、荷物を調べるためだ。カーミラはここにはいないので、荷物だけを調べることになる。荷はここにあるので、調べる方も調べられる方も不正はできない。
全員が見守る中、まずはルークの身体と荷が調べられた。
勿論不審なものは持っていない。
「ほら見ろよ! 何もないだろ!」
「ふむ。ではカーミラとやらの荷だけ調べてしまいましょう」
「女性の荷物です。私が調べます」
「おや聖守様が直々に? ふむ、まぁ良いでしょう」
ネオンは小さな荷袋を開き、その中身を調べる。
着替え、水のボトル、後は布が幾つか。本当に持ち物が少ない。
「え?」
だからこそ、奥に押し込まれていた『ソレ』は異彩を放っていた。
血に濡れた拳大ほどもある聖石は。




