552話 新しい絆
ヴァルナヘル奪還戦は混乱のまま集結した。
勝ったのはシュリット神聖王国だ。破壊され、凌辱されたヴァルナヘルは取り戻された。サンドラ帝国軍は自分たちが敗北したことすら知らずに最後まで戦い続け、全滅した。一部は捕虜として捕らえられたが、処刑は免れないだろう。それだけの恨みを買っていた。ヴァルナヘルの惨状はシュリット人を激しく怒らせるのに充分であったからだ。
「カーミラ。あなたには大きな感謝を述べなければなりませんね」
戦いから数日後、病室でネオンとカーミラは再会した。
どうにか一部復旧したヴァルナヘルでは、多くの者が傷を癒している。ネオンは戦いの中で魔力を使い果たし、最後は動けないほどにまでなってしまった。よく食べて、よく眠り、こうして今は医者の許可も下りて面会が叶っている。
「本来であれば金や銀、美しい布など充分な報いを与えなければなりません。ですがそれには慎重な判断が必要だと、私は思っています」
カーミラは立ったまま、微動だにせず聞き続ける。
目を覆い隠す彼女が何を考えているのか、ネオンには分からない。今の台詞に対して何を感じ、どこまで察したのかを推し量ることができない。だからネオンは恐れ、息を飲んだ。
しかしただ聖守としての責務を果たすため、続きを語る。
「あなたは人間ではありませんね。魔族……中でも吸血種と呼ばれる存在なのではありませんか?」
「……」
「根拠はあります。あなたの実力は私すらも上回ります。私たちが死を感じたあの魔族を……リィアを一方的に嬲り殺しにしたのです。人ではありえません。そして戦いの最中に発生した赤い霧は実力のある吸血種が保有する能力と同じでした」
沈黙が続く。
果たしてカーミラはどう返すのか。ネオンは固唾を飲んで待った。この沈黙は答えにも等しい。ネオンの推測が誤りであれば、カーミラは即座に否定すればよいのだ。そうせず、考え込んでいる時点で肯定しているようなものだった。
もしも正体を暴かれたくないのであれば、ネオンはこの場で始末されてしまうかもしれない。だが、そうならないとネオンは思っていた。
「安心してください。何かをするつもりはありません。あなたは魔術で皆の治療を手伝ってくださいました。きっと善良な心の方なのでしょう。少なくとも私はそう信じたいと思っています」
「……あまり隠しているつもりはありませんが、気付く方は気付くのですね。確かに私は吸血種です。ですがサンドラ帝国の吸血種たちを止めたいと考えています。ヘルダルフ……炎帝のやり方は横暴です」
「なぜ、同じ吸血種に敵対を?」
「人間も人間と敵対すると認識していますが?」
「確かにその通りですね。愚かな質問でした」
「いいえ。個人的な理由ですので、仲良くない方にはあまり語りたくないだけです。申し訳ありません」
カーミラの謝罪仕草は思わずネオンをハッとさせた。
それと同時に、再び『なぜ』という疑問が湧いてくる。
「……シュリット神聖王国の作法にも詳しいのですね。それも上流階級の」
「はい。色々とありましたので」
「関係のないことを申し訳ありません。私の部下のスルザーラが同じように謝るものですから……つい」
「気にしません」
お互い、ほんの少しだけ微笑んだ。
どうやら心を許しても構わないらしいとネオンは認識する。
「あなたはきっと良い魔族です」
「少し認識を訂正します。吸血種と魔族は異なるものです」
「そうなのですか?」
「魔族は魔神を祖とする存在です。そして吸血種には別に祖となる存在がいます。魔族とも無関係ではありませんが……どちらかといえば赫魔の方が種として近いですね」
「驚きました。こうしてカーミラと仲良くなれたからこそ知ることができた知識です。では言い直します。あなたは良い吸血種です」
「ありがとうございます。あなたも良い人ですね」
ネオンは手を差し出し、カーミラがしっかりと握る。
二人はこの瞬間を以て種族を越えた友となった。
◆◆◆
「小僧。ルークと言ったな。来い」
聖石寮の訓練場を借りて身体を動かしていたルークのもとに、スルザーラが訪れてそれだけ告げた。突然のことでルークは呆けていたが、背を向けてどこかへ向かう彼を慌てて追いかける。
「いきなり何ッ……ですか」
「分からんか? 訓練だ。私たちには実力が足りない。もしも貴様が自らを恥じていないのであれば、話は別だがな」
「それは……」
ヴァルナヘルの戦いにおいて、ルークの活躍は目を見張るものがあった。傭兵部隊の中では抜きんでた活躍をしていたと言えるだろう。しかし相対的に見ての話だ。
郊外で発生した正体不明の攻撃により、傭兵たちの大部分は死亡した。ヴァルナヘル内ではミリアムを取り逃がし、更には術師たちも多くが死んでしまった。ルークは周囲から与えられた評価に満足することはなかった。
「必ず強くなります」
「そう思うのならば良しだ。正直に言えば私は自身に対して酷く落胆している。この劔撃とて使いこなしているとは言えない。同化すら儘ならん。貴様を羨ましいと思うほどにな」
「封魔連合のアポロヌス陛下も仰っていました。俺は嵐唱と相性がいいって」
「そういう人物は稀に現れる。この劔撃を発見した始まりの使い手は、同化を使いこなしていたという。私はその血族だというのに、あの有様だ」
「そうだったんですか?」
「聖石寮上層部からの目は厳しい。今の聖守様は歴代でも上から数えた方が早い実力のあるお方だ。一方で私たち九聖は実力が伴っていないとすら言われている。私は聖守様の重荷になっていることを酷く恥じている。あの方のため、力になりたいと考えているのに」
ルークはスルザーラの独白を聞いて思わず黙り込んでしまった。意外だと思ったのだ。初めの出会いが悪いものだっただけに、スルザーラに対する人物像はマイナスに振り切っていた。しかしよく彼を知ってみれば、聖守ネオンのためを思って努力していることがよく分かる。
とても純粋で崇高な人物なのかもしれないと考え直し始めていた。
同時に、ルークは自分自身を恥ずかしく思った。
「俺にはできない考えです。俺にはもう復讐しか残っていない。帝国に国を滅ぼされ、家族を、領民を魔族にされた。俺は先の戦いで親しい人たちを殺すしかなかった。怒りは窯よりも強く燃えています。これを鎮めるには、もうミリアムを殺す以外に考えられない。でも、あなたの話を聞いて自分が醜い者に思えてしまいました」
「卑下することはない。復讐の何が悪いのだ。これは正当な戦いだ。国も家族も蹂躙した帝国を許せると語る方が、私には理解できない」
「俺は……俺のままでいいんでしょうか」
「決して止まるな。貴様は両腕を神器に捧げてまで願ったはずだ」
今もルークの両腕は包帯に覆われている。それは怪我の治療のためではなく、異形の腕を隠すためだ。嵐唱の力を引き出すために両腕を代価とした結果、腕は変質したまま戻らなくなってしまった。皮膚は固くなり、ひび割れて鱗のような模様が現れ、更には黒ずんでしまっている。これは治癒の魔術でも元のようには治らなかった。
嵐唱に捧げた結果、自分の腕ではなくなってしまったのだ。
朧気ながらルークはそう考えていた。
「腕の調子はどうだ? 思い通りに動くのか?」
「動きます」
「ならば手加減はいらんな」
「はい」
「言葉遣いを気にするな。私たちはもう戦友だ」
「…‥ああ、分かったよスルザーラ」
「その調子だルーク」
互いに迷宮神器を構える。
場所は訓練場の少し外れ。他には誰もいない。大暴れしても多少は問題ない。
無力を実感した二人は、この日から友となった。
◆◆◆
サンドラ帝国は今や巨大すぎる国家となっている。そのため各地にまで炎帝の支配を届けることは難しく、領主を派遣することによって間接的な支配を完成させていた。しかしながら一つの国として動くためには、その領主たちが炎帝の意思をしっかりと理解する必要がある。
つまり炎帝ヘルダルフの仕事の大半は、面会と会議であった。
「では聞こうではないか。西方の言い訳をな」
炎帝の居城は、火主であった頃から何度も改築増築されている。かつてはクッションに身を預けて面会していた炎帝も、今では造りのしっかりとした椅子に座し、高いところから面会者を見下ろしている。彼の傍には決して火の途絶えることがない灯篭が置かれ、また右手には黒い石の嵌め込まれた杖が握られている。この二つが炎帝を象徴する秘宝、無限炉と星環であった。
(いつ訪れても緊張しますわね)
そして炎帝の前で跪き、首を垂れる人物が一人。
宮廷魔術師のミリアムであった。
この空間の両脇には吸血種の貴族の他、宮廷魔術師たちもいる。しかし彼らの目はどこかミリアムを見下し、あるいは見定めるようなものであった。
「宮廷魔術師ミリアムよ。貴様は西方制圧の要となる都市を占領し損ねたようだな。一度占領したものを取り返されたとあっては失態という他あるまい」
「はい。言い訳しようのない失態でございますわ」
「貴様は我のものとなった都市を奪われた。我の所有物を敵に渡したのだ。どう責任を取る?」
まるで嬲るかのような視線が一斉に注がれる。
常人であれば泣きわめくような状況だ。しかしながらミリアムは毅然としていた。
「そうですわね。では宮廷魔術師五人の首で贖います」
その瞬間、血飛沫が舞った。
今まで侮りを隠そうともしなかった宮廷魔術師たちの首が床に転がり、血で汚す。それを行ったのは同じ宮廷魔術師としてこの場にいるシュウであった。
世話が焼ける、とでも言いたげである。
「炎帝陛下におかれましては、私たち宮廷魔術師など誰でも同じ。つまり誰の首であろうと贖われたのです」
「その通りだ。貴様は良く弁えている。よかろう。その大罪をなかったことにしてやろう」
「ありがとうございます。贖いとなったそこの首も感謝の血涙を流していますわ」
「ふん」
問答は終わり、炎帝はさっさと出ていけという合図を出す。
ミリアムは影を広げて餓楼を出し、ソレに死体を回収させつつ背を向ける。だがここで納得のいかない者が大きな声を挙げた。それはシュウに殺されなかった宮廷魔術師の一人であった。
「炎帝陛下! どうかご再考を! 責ある者に責を問わずしてどうするというのですか!」
ミリアムは何の関係もない、ただ目障りな同僚を殺害させて自分の責任と相殺したのだ。あまりも酷い暴論であることは確かである。
その一声に続き、次々と他の宮廷魔術師たちも抗議し始めた。
「ミリアムにこそ死あるべきではありませんか!」
「老公方が何をされたというのですか!」
「そうです! この方々はそこの小娘と違い、何の失敗もしておりませぬ!」
「何の咎もないのです!」
正しい罰をと願う彼らの論理に間違いはない。
だが、それは炎帝の考えとは異なっていた。
「貴様ら人間は家畜だ。我ら吸血種の食糧でしかない。誰の血だろうと、我に捧げられたのならば同じことだ。南のある部族は罪の赦しの生贄として家畜を屠り、神に捧げるそうではないか。それとミリアムの行いの何が違うというのか?」
「そんな……」
「もう一つ言っておくが、貴様らはいったい何を為した? 魔術の研鑽などと嘯き、ただ宮に引き篭もる老いぼれ共。貴様ら程度を飼っておくくらいならば、動けるミリアムの方が使える。それにミリアムはただ敗北したわけではない。魔族の力を取り入れる儀式を完成に近づけたのだ。良かったではないか。この功績によって貴様らはたったの五人で贖われたのだからな」
狂っているとしか思えなかった。
しかしこれがサンドラ帝国における常識だ。人間の権利は保証されていない。あるにはあるが、簡単に覆ってしまうような代物だ。全ては吸血種のためにあり、そして吸血種すらも炎帝のためにある。この階層構造を理解するところから、帝国民は始まる。
宮廷魔術師という立場に長く居座った彼らは、この逃れられない事実をすっかり忘れていた。宮殿に召し抱えられたという誇りが目を曇らせていた。
「若造が……ッ!」
炎帝を説得するのは不可能と悟ったのだろう。
ミリアムやシュウを睨みつけ、せめてもの抵抗としていた。しかしそれが何かとでも言わんばかりの表情を見て、悔しそうに歯噛みする。
「これで邪魔者は減りましたわね」
「馬鹿な老人共も初めて役に立ったな」
「ですわね。でも意外でしたわ。ヴァルナヘルに残してきた試作品は自信がありましたのに。まさか討伐されてしまうなんて」
「カーミラがやったんだろう。あいつなら最悪、冥域魔術で殺してくる」
「部下には甘いですわね。私という者がいながら……悲しいですわ」
「調子に乗るな」
邪魔になる宮廷魔術師の同僚たちも始末し、更に動きやすくなった。実力も足りぬ癖に足ばかり引っ張る老人共のせいで計画に遅れも発生している。これまで邪魔された分、心晴れやかであった。




