548話 ヴァルナヘル奪還戦⑥
轟々と風が吹き、痛みを感じるほどの雨が降り、激しい雷鳴のせいで目が痛くなる。その混迷のため術師と魔族と吸血種は乱戦を繰り広げ、味方同士ですら意図せず殺しあっている。
「死ね魔族ッ!」
「違ッ――」
「あ……そんな」
「紅の兵団は集まれ! 一度撤退するぞ!」
「グルルルガアアアアッ!」
「《大爆――》」
「こんなところで大規模魔術を使う馬鹿がいますか!」
「おい! なぜ味方を撃った! 貴様さては裏切者か!」
「ち、ちが……私はただ!」
もはやまともな戦いではない。
そして乱戦となれば術師たちの被害が増えすぎる。多少の傷なら再生する魔族や吸血種と異なり、術師はただの人間なのだから。
「皆さん! どうか落ち着いて!」
ネオンは聖守として声をかけ続けるが、どうにもならない。声は届かない。
この大嵐を作り出しているルークは復讐心に囚われ、ミリアムと壮絶な空中戦を続けている。彼には声の大きさにかかわらず言葉は届かないだろう。
「スルザーラ!」
信頼する九聖もどこにいるのか分からない。声が届いているのかも分からない。今は何をしているのかも見えない。
「グリム!」
ならばと別の九聖の名を呼ぶが、やはり返事はない。
「リベラ! アークス! ゼイン! ロマリア!」
誰も応えてくれない。
その代わりとして一体の魔族が雨の向こう側から飛び込んできた。ネオンは一瞬驚くが、体に染みついた動きが魔族を迎撃してくれる。《聖捌》の光が壁となって魔族の攻撃を防ぎ、聖王剣がその心臓を貫いた。ネオンは魔石を砕く感触と共に、自らの意思で動き出す。
聖王剣の刃から強烈な光が放出され、魔族を塵となるまで消し飛ばしたのだ。
「皆さん……どうか」
ネオンは聖王剣を地面に突き立て、目を閉じ、祈るように両手を組む。
そして大きく息を吸い込んだ。
◆◆◆
聖守ネオンは十代目だ。
生まれてすぐ、星盤祖の預言によって選ばれ、親元から引き離されて聖石寮へと引き取られた。九代目聖守ボウローフは多くの九聖と共に戦死したという経緯もあり、十代目聖守にかけられた期待とは戦闘力であった。
幼き頃から始まった徹底した身体作り、戦闘訓練、魔術教練は虐待と見紛うほどに厳しい。彼女の周囲に子供はなく、大人ばかりがいた。そして誰もがこのように語るのだ。
「星盤祖の言葉を聞きなさい。強くありなさい。この国を守るために」
口を開けば星盤祖のために、国のためにとそればかり。剣の腕を上げても『やっとこの程度か』とでも言わんばかりの溜息を何度も見せられた。魔術を知り、それを使いこなしてみせても『できて当然』という態度で次の魔術を教えられた。
精神をすり減らすような日々の中、ネオンは少しずつ人の顔を窺って暮らすようになる。
涙は幼い頃から無意味と知った。嘆き悲しむほどに大人たちの失望を増やすと理解したからだ。
「主よ。星盤祖よ。私はどうすればよいのでしょう」
聖教会の神官から教わった祈りで語り続けても答えは示されない。より正確に言えば、語りかけることで『声』を聴くことはできた。しかしその『声』がネオンの慰めになることはなかった。
聞こえる『声』は魔術についての指南や意見ばかり。
あるいはヴェリト王国で授かった祝福、《聖捌》の使い方もあった。
「聖守様、次からは剣の練度を上げましょう」
「はい」
「聖守様、術師たちとも交流をしておきましょう。彼らはいずれあなたの部下となるのです」
「はい」
「聖守様、得意な光魔術だけでなく様々な魔術を練習しましょう」
「はい」
「聖守様、祈りをかかしてはいけません」
「はい」
自分自身の意見は必要ない。
ただ大人たちの言葉に対して肯定を返し、その通りに行動するだけ。それは聖教会や聖石寮にとって都合の良い聖守を作るためであった。
大人たちは焦っていたのだ。
「七代目聖守様の偉業を無駄にはできぬ」
「かの御方のお陰で魔神は動けませんからな。黒夜宮に封じている間に討伐を成し遂げなければ……」
「しかし魔神教団の動きも活発です。エルムレア事件も記憶に新しい」
「東方では魔族が支配する国があるとも聞きます。聖守様には少しでも早く戦う力を身に付けていただかなくてはいけません」
あらゆる理想をネオンに押し付けた。
無理とは言わせなかった。
それがネオンの心を圧し潰すとは思いもしなかった。仮にその可能性が過っても、大義のために無視した。
「聖守様」
「聖守様」
「聖守様」
「聖守様」
「聖守様」
「聖守様」
「聖守様」
決して名前では呼ばれない。
大人たちにとって聖守という記号こそが重要なのだ。
ネオンは自分という存在が何者であるが、分からなくなる。
そんな彼女が己を取り戻したのは十二歳の時だった。聖守生誕を祝う祭事が行われ、そこで心を打たれるものに出会った。それは聖教会の抱える聖歌隊の歌である。あらゆる情緒を封殺されてきたネオンに、歌詞の内容までは入ってこなかった。ただ衝撃を受けるほどの旋律が、世界に色を付けたのだ。
(もっと、もっと……聴きたい)
あれがいったい何なのか、それは問えば簡単に教えてくれた。
聖教会が組織する聖歌隊は幾つかある。声が変わる前の男子のみが所属しているものや、大人の男女混成のもの、女性のみのものなど。今回は聖守生誕の祭りということもあり、聖教会が組織するあらゆる聖歌隊に披露の機会があった。
ネオンはその全てに興味を抱き、聴く度に心が溶かされるような感覚がした。
歌は記憶の中で鮮明に残り、何度も頭の中で再生された。
(私も、あんな風に、歌えたら)
そう思い始めるのは当然だった。
十二歳の少女だったネオンは、まず記憶に残る旋律を真似するところから始める。まずは唯一自由となる自室の中で鼻歌を奏で、それから次第に口ずさむようになり、やがて祈りより歌う時間の方が長くなった。
その歌は聖守の自室を扉前で警護する術師たちの間で小さな噂となっていく。
彼らは初めこそ希少なものを聴けたと身内ばかりで噂し、日常に幸運が足されたと喜んでいた。しかし交代で何度か警護に就いた術師たちは、徐々に異変を感じ始める。
「不思議だ。訓練の傷が一晩で治っている」
ある術師はこのようの同僚に相談し、そして他の者たちも同じ経験があると知った。別に悪いことではないので、誰もが心の内に留めていただけだったのだ。
また互いに話をすることで共通点も見えてくる。
聖守ネオンの自室を警護した夜、その歌声が聞こえたときに限り傷が治っている。
それを知ったとき、流石に術師たちは自分たちの上官へと報告した。これは身内だけで楽しむ小さな噂で済まない話になってしまったからだ。話を聞いた聖石寮上層部は初めこそ半信半疑であったが、彼ら自身も体験することにより真実は証明される。
「聖守様の歌には癒しの力がある……?」
「あるいは無意識に魔術を行使しているのではありませんか?」
「わからん。初めての事例だ」
「あるいは異能……」
「そんな馬鹿な! まるで魔族や常闇の帝国と同じではないか!」
上層部は扱いに困った。
シュリット神聖王国において魔装のような異能は一切存在しない。なぜならば才能を持った者が生まれたとしても、幼い頃に受ける洗礼によって聖石化してしまうからだ。勿論ネオンも洗礼を受けており、聖石は生成されなかった。どちらにせよ聖守には聖王剣が与えられるので、聖石の有無については問題にならないが。
ネオンの歌については様々な検討が行われ、最終的に彼女の歌について指導することが決められた。癒しの歌の正体が何であるかを知るには、それが最も効率的だと判断されたのだ。
この決定は当然、ネオンにとっては喜ぶべきものであった。
「驚きましたわ。聖守様には歌の才能もあったのですね……」
教師となった人物は過去に聖歌隊に所属し、歌姫とまで言われた人物であった。現在は指導者として主に子供で構成された聖歌隊の面倒を見ている。その実績からネオンを教えるに足ると考えられた優秀な人物だったが、その彼女からしてもネオンの才は驚くべきものだった。
また彼女が歌を習熟する中で、癒しの力がどこから来ているのかも判明することになった。
◆◆◆
戦場に歌声が響き渡る。
暴風も大雨も雷鳴も、戦いの怒声すらも包み込む。歌は光のように全てを透かし、照らす。空は晴れ始め、あらゆる音が静寂へと消えた。ただ歌だけが残っていた。
「―――――ッ!?」
「――ッ!?」
「―――――ッ!?」
「――ッ!?」
「―――ッ!?」
悲鳴すらなく魔族は倒れていく。
全身で歌声を浴び、全身から血を噴き出して藻掻き苦しむ。
「これは……聖守様の……」
状況を最初に理解したのはスルザーラであった。
頭の内側に溶けるような歌声が誰のものか、間違えるはずもなかった。
「この歌、この光」
「間違いありません。聖守様の歌です」
「晴れている。いつの間に?」
「魔族も死んでいますね。こんな……これが聖守様」
「あなたは見るのが初めてでしたね。聖守様の歌は奇跡です。弱い魔物なら蒸発して消えます。まさか魔族にまで効果があるなんて」
術師たちはそれぞれ武器を下ろし、魔力を鎮める。
この歌は吸血種にも多少の効果があるらしく、彼らは死なないまでも動きが鈍くなっていた。自然と戦いは収まり、壮絶な命の奪い合いに僅かな間隙が生じる。
「ッ! なんで……!」
「同化も解けましたわね。歌……? こんなところで?」
最も激しく戦い、天候すら塗り替えていたルークとミリアムの戦いも停止した。互いに神器同化も解除され、地面へと真っ逆さまに落下する。ミリアムは影を広げることで落下の衝撃を抑えたが、ルークはそのまま地面に激突してしまった。
(折れたか……? 痛む)
落下の体勢が悪かったのだろう。ルークは胸の痛みで思わず呻いてしまった。彼の考えた通り肋骨が折れていた。幸運なことに内蔵の損傷はないが、すぐには起き上がれそうにない。
だがルークはすぐに痛みが引いていくのを感じる。胸の違和感もなくなり、そればかりか全身の裂傷や打撲も治っていく。まるで全身へと歌が沁み込むようだった。
そう、沁み込んでいるのだ。
――主は力、主は砦
――私の避けどころとなる御方
――褒め称えられるべき方
――死の網は取り除かれ、滅びの川は枯れ果てた
――魔の手が私の魂に触れるとき
――主は星々すらも動かし私を救われる
――野の雫は喉を潤し、花の蜜は舌の上で甘い
――正しい者には恵み深く、清い者には力が与えられる
――大いなる主
――星の力
――天も地も褒めよ、全霊を以て褒めよ
――私は歌う、星の威力を歌う
――天の門は開け、栄光の戸の閂よ外れよ
――そこに主はおられる
――星の座がそこにある
切なる歌声には力が宿る。
聖守ネオンの歌には魔力が込められている。それは無意識なことであったが、あらゆる感情を削ぎ落されて育った彼女にとって、歌は唯一の感情表現となった。感情とはつまり魂の揺らぎ。魔力の発露となり得るもの。
歌声も魔術となり得る。
それの届くすべてに光を届けるのだ。
――花も、雲も、風も、泉も
――称えよ、主を称えよ
――そこに主はおられる
――星の座がそこにある
歌は反響する。
光は反射する。
ネオンの歌は魔術となって人を癒し、魔を滅ぼす。彼女が最後の節を歌い終えた直後、戦場は完全な静寂によって包まれた。一切の風すらなくなり、停滞となる。
戦場は一度振り出しに戻った。
◆◆◆
魔術の歌は魂で反響する。
その特性はシュウにこそ理解できるものであった。魂を見通す目は反射して広がっていく魔力の波をも見ていた。
「面白い。歌の共感を利用した魔術の増幅か。確かに昔は複数人で発動する大型魔術もあった」
ヴァルナヘルどころか、その外にまで届く歌声には仕組みがある。奇跡でもなんでもなく、理論に従った挙動が存在している。まるで天から降り注いでいるようにすら感じる歌も、光も、シュウの目には説明可能な事象として映っていた。
「歌による共感で無意識下へと術式を埋め込み、魔術発動媒体に変える。歌を受信した魂は、その波動を増幅して反射する。その繰り返しでここまで届いたと。よほど実力のある歌でなければ実現は不可能という点を除けば、有用性の高い方式だ。しかも発動している術式は二種類。治癒の魔術と聖なる光か。治癒はいいとして、聖なる光は凶悪だな。魔物や魔族なんかは内側から聖なる光を発して自滅する。肉体に依存する人間や、辛うじて吸血種は弱体化で済む。魔に属する者にとっては悪夢だな」
希少な現象を目の当たりにしたシュウはどことなく機嫌良く見える。《暴食黒晶》が作り出したクレーターの中でも歌は聞こえた。歌の魔力はシュウの魂に吸い込まれ、二度と出てこれない。シュウは特別なので例外として、この歌はおそらく大抵の魔物に通じる。それこそ終焉級であったとしても、自らの魂が反響した歌によって弱体化は強いられるはずだ。
「お前はどうだカーミラ?」
「……」
問いかけられたカーミラは黙ったままウェルスに騎乗し、シュウの周りを飛んでいる。カーミラもウェルスも全く弱った様子がない。
「瘴血の魔力阻害が歌の効力を打ち消したか」
「……」
「あるいは覚醒している魂の影響なのかも――」
「シュウ様」
途中で遮っての呼びかけだったが、シュウは特に気に障った様子もない。話すことを止め、聞きの体勢を取った。目が見えぬカーミラでもそれが伝わったのだろう。続きを語りだす。
「シュウ様はなぜルークさんを追わなかったのですか。その気になれば私を殺し、ルークさんも殺せたはずです」
「神器使いが一人行ったところでミリアムには勝てん。そう考えただけだ」
「ミリアム……何者ですか?」
「哀れな女だ。表向きは弟子のようなものだな」
「弟子……」
「その点では俺はお前の方にこそ目をかけている。でなければ加護までやらん」
「そうですか。安心しました」
ミリアムは冥域魔術を使えない。
少なくとも理不尽な即死は免れるだろう。
しかし別の部分で安堵している自分がいることを、カーミラは自覚していた。




