546話 ヴァルナヘル奪還戦④
ヴァルナヘル奪還戦は序盤こそ帝国軍優位に進んでいたが、すぐに逆転した。嵐唱と同化したルークの活躍により最前線の魔族兵や吸血種が排除され、傭兵たちによる進撃が続いたのだ。士気の低下した帝国一般兵など木の葉のように吹き飛ばされ、今や敗走寸前となっている。
ルークは無心になって嵐を生み出し、雷撃を落とし、敵を屠るために戦った。
神器同化にも慣れてきたのか、負荷は感じられない。まだまだ戦える。
「くそ……くそ! くそ!」
だがどこか苛立ちを感じさせる様子で薙ぎ払った。
暴風と共に陽電子の雷が放射され、帝国兵は総崩れとなる。戦線を共にする傭兵たちは勢い付いて追撃を行うが、ルークはその場で降り立った。
「ルーク様」
「ロニ将軍……」
「あなたのお陰で我々はほとんど犠牲もなく……間もなく勝利が訪れるでしょう。おそらくルーク様の活躍は英雄の如く語られます」
しかしそれはルークにとって何の慰めにもならない。
名誉も、金銭も、今はなぜか虚しかった。虚ろな心は復讐心すら飲み込み、決して満たされない。ルークはある意味で純粋だったのだ。直接の仇となる宮廷魔術師ミリアム以外に、特別な強い思いを抱けずにいた。無関係な相手にまで同じ復讐心をぶつけることができない程度に、分別を残してしまっていた。
「行きましょう。まだ戦いは終わっておりません。再び前線へ進み、ヴァルナヘルを奪還するのです」
「……はい」
「しっかりしてください! この戦いはまだ序盤。そして戦いは続くのです! 我々が帝国を倒すまで!」
「ッ!」
ロニから叱咤され、ようやく目に生気が戻った。
このようなところで己の感傷に浸っている暇はなかった。そして思い出したのだ。ヴァルナヘル奪還戦は始まりでしかない。いや、スタート地点に立つための資格を示す戦いだ。
この戦いで得られる名誉は、次なる戦いの力となる。
役に立つと示さなければシュリット神聖王国の協力も得られない。
「すみません。もう一度前に出ます!」
一度深呼吸し、嵐唱へと魔力を込める。
嵐の鎧はより力強く、刀身の放つ火花はより激しくなった。
グッと膝を曲げて上空へと飛翔しようとしたその時、ルークは戦場の前方から強烈な気配を感じて身を竦ませてしまう。それは今まで感じたことのない、『死』の気配であった。
◆◆◆
ヴァルナヘルへと迫るシュリット神聖王国軍の大軍勢に対し、サンドラ帝国軍は浮足立っていた。
侵略者たるサンドラ帝国の更なる西進を確固たるものとするため、ヴァルナヘルは重要な拠点だ。この地に兵士や物資を集めることで、シュリット神聖王国との闘いも万全となる。一方でシュリット神聖王国にとってもヴァルナヘルを取り戻すことで本土侵略に対する大きな防衛拠点となり得るのだ。お互い、この地を制することが今後の歴史を決定するとすら考えていた。
出陣したサンドラ帝国軍は一般兵一万に加え、魔族兵や紅の兵団までいる。ダメ押しとばかりに疽狼魔仙ヴォルフガングもいたのだ。傭兵主体の軍隊如きに負ける要素などないはずだった。その予想通り、初めこそ連携のなっていないシュリット神聖王国軍を押していたが、徐々に押し返され始めた。魔族兵や吸血種すら幾人か討たれ、更には疽狼魔仙すらも討伐されてしまった。
勢い付くシュリット神聖王国軍は、ヴァルナヘルを目前とする。
「また神器使いか。どこまでも邪魔してくれる」
だから仕方のないことだった。
「ここの敗北は計画に差し障る。運が悪かったと思ってくれ」
冥王シュウ・アークライトの畏怖が解放される。
精神を蝕むほどの『死』が濃密に解き放たれ、それを浴びた者は誰もがその身を硬直させた。とはいえ、その硬直がなくとも死から逃れることはできなかっただろう。
シュウは掌から小さな雫を落とす。
この世の何よりも深い黒に染まったそれは、恐怖で停止した戦場へと自由落下していった。ほんの小さな雫は、絶大な破壊力を秘めている。
――《暴食黒晶》
黒い破滅がシュリット神聖王国の前線を飲み込んだ。
◆◆◆
一瞬の内でルークは闇に飲み込まれ、次の瞬間には凄まじい光に包まれた。
何が起こったのか理解できなかったが、自然と自分は死ぬのだと感じていた。痛みもなく、熱さも冷たさもない。ただ意識だけが浮いている。
(あ、れ……)
眩しさで閉じてしまった目も、今は開けられる。
目の前には見覚えのある小さな影。
(カーミラ?)
光は徐々に薄くなり、やがて体が感覚を思い出す。
青白い光に包まれるルークは、どこから皮膚がピリピリと痛むような気がした。
「申し訳ありませんが、無理をさせていただきました」
「な、にを?」
「あの方が加減してくださっていなければ終わっていたかもしれません。運が良かったのです」
どういうことかと聞き返す前に、ルークは自分の異変に気が付く。
いつの間にか神器との同化が解除されていたのだ。そればかりか嵐唱もどこか弱々しい。状況の理解もできず周囲を見回すと、同じくロニやアスラン戦士団の一部、他には傭兵の幾人かも見えた。
やがて眩しさも薄れていき、カーミラを中心として青白い光が残る。同時に周囲の景色もはっきりと認識できるようになった。しかしながらそれは元あった景色ではなかった。
「ここは……どこだ!?」
「ルーク様! 御無事のようですね。本当に良かった」
「ロニ将軍も。けど、これは……」
「分かりません。それに肌寒いですね。地面は……焦げているのでしょうか?」
カーミラを中心として円形に土地が残され、そこから外縁は陥没して黒焦げとなっている。所々に池のようなものもあって、そこから白い蒸気が大量に昇っていた。
先ほどまでいた場所とはまるで異なる景色だ。
「信じられません。私たちはどこか異なる土地に来てしまったのですか……?」
疑問は当然だった。ロニの呟きは静かながら周囲の者たちにも聞こえていたのか、口々に状況の推察が始まる。彼らは戦いも忘れ、すっかり混乱していた。
見渡す限り陥没した黒い土地と、見慣れぬ池。それより遠くは白い蒸気に阻まれて何一つ見えず、気温も先ほどより随分と低いようだ。自分たちが全く異なる土地に転移させられたと考える根拠が揃っていた。
しかしながらカーミラはその説を否定する。
「皆さん、落ち着いてください。場所は変わっておりません。ここは先ほどまでの戦場です。ただ地形が変わってしまっただけです」
「どういうことだよカーミラ」
「私たちは魔術による攻撃を受けました。広域を破壊し、地形どころか環境すら塗り替えてしまう規模の大魔術です」
「そんな馬鹿な。俺たちは傷一つない」
「皆さんを守るため対抗魔術を使いました。それでも打ち消すことはできず、私の周囲を守るだけで精一杯でしたが」
とてもではないが信じられる話ではなかった。
教養として魔術についても知っている。魔力を用いて超常を引き起こす技術で、才能が必要とのことだ。ただ個人で大きな火力を見込めるという利点がある。
しかしながら地形を破壊し、環境すら書き換えるなど常識の範囲外だ。
(そんなの……まるで嵐神みたいじゃないか)
誰もが己の知る神を思い浮かべた。
この戦いに神罰が下ったのではないかと錯覚してしまった。ルークとて例外ではない。レベリオ人の末裔としてずっと嵐神を信仰してきたのだから。
「冗談、だよな?」
カーミラはただ首を横に振る。
自分の中の常識と、カーミラへの信頼が混乱を生む。
「これはあの方の魔術です……《無限光》でも相殺しきれないとは」
どういう意味か、とルークは問いかけることができなかった。
突如として身が竦むほどの圧に襲われたからである。
「《暴食黒晶》を防ぐか。成長しているなカーミラ」
「先日ぶりですねシュウ様」
そして現れたのはルークにとっても因縁のある相手。
レビュノス領が帝国軍に占領されたとき、仇敵ミリアムと共にいた宮廷魔術師の男だった。ルークは自分の中の知識によってそのように判断しているが、カーミラは違う。もっと恐ろしい存在として正しく認識していた。すなわち冥王アークライトとしての側面を深く理解し、警戒していたのだ。
「ルークさん。先に行ってください」
「それってどういう……」
「ヴァルナヘルでは聖石寮の方々が潜入し、戦闘を開始しています。空を飛べるルークさんには加勢に行っていただきたいのです。ここは私が……命懸けで食い止めます」
「何でそんなこと……? というか聖石寮の人たちが戦っているって?」
「おそらく奇襲作戦だったのでしょう。見覚えのある気配ですので、気が付きました」
どんな感知範囲をしているんだ、と言い返す余裕もない。
下手なことを口に出した次の瞬間には死んでいるかもしれないのだ。今も強まり続ける死の気配のため、自然と息を潜めてしまう。これでは動くことすらままならない。
「行きなさいッ!」
その瞬間、カーミラの目の前に深紅の巨体が降り立った。吸血によって奪った血液の内、異形に由来する成分を集めて作った眷属だ。普段は小さくまとまっているが、真の姿を現せば巨大な飛竜となる。獣の集大成ともいえる赤き竜ウェルスは、衝撃波を生み出すほどの勢いで吠える。
カーミラの叫びと、この咆哮がルークの硬直を解いた。
「嵐唱!」
即座に神器同化を発動し、ルークは天高く舞い上がった。嵐の鎧は白い蒸気を吹き飛ばし、空まで一直線に穴を空ける。そして初めてルークは状況を真に理解した。
(なんだよこれ……地面が、大地が抉れている)
実際に目で見ても信じがたい。
地面には巨大な黒い円が描かれている。先ほどまでいた場所は、その巨大な円の中にある小さな染み。
シュリット神聖王国軍は大部分が消滅していた。
遺体もない。
なぜこうなっているのか分からない。
「あ……ぁ……ッ!」
分からない。
何一つ理解が及ばない。
いったい、この大虐殺に何の意味があるのか。
「あああああああああああああああああああッ! がああああああああああああああああああああああッ!」
嵐の鎧が爆発的に広がり、白い蒸気を吹き飛ばす。
それは《暴食黒晶》の副次的効果で生成された液体空気が蒸発したもの。視界を塞いでいたそれらは一気に払われ、すっきりとした。曇っていく心に反比例するように。
味方の大部分は死んだ。
ロニたちは偶然すぐ傍にいたので助かった。もしもはぐれていたら戦士団もまた全滅していたことだろう。もはやこの戦争は当初の形を成していない。突如現れた災害が、全てを台無しにした。
『だから言ったのだ。我に身を委ねよと』
「黙れよ嵐唱」
『心を溶かせ。身を焦がせ。お主が復讐すべき敵はヴァルナヘルにいる。厄災、冥王アークライトより逃れよ』
思考にノイズが走る。
逃げろという強迫観念、そして復讐相手に対する憎悪。それらがルーク自身ですらコントロールできない勢いで湧出する。脳裏に浮かぶのは女の嘲笑う姿と声。喉元を掻き毟りたくなるほどの不快なそれは、ルークの力を爆発的に底上げする。
憎しみも、怒りも、魔力となって嵐唱へと注がれる。
無力感への呪いは第三の眼を介して魔力を注いでくれる。
「……ミリアム。今度こそ殺す。家族を……取り戻す」
雷鳴と暴風は産声を上げる。
嵐の申し子は、まだ卵でしかなかったのだ。
◆◆◆
対面するかつての師弟。
シュウとカーミラはそのような関係であった。師弟という表現はあまり正確ではないのかもしれないが、先代と今代の『死神』という点においては近い表し方と言えよう。
しかし今は敵対していた。
「シュウ様。どうしてサンドラ帝国に与し、世界を混乱に陥れるのですか?」
「見解の相違だな。世界を混乱に陥れているのは封魔連合王国の方だ」
「……魔族を招き入れたのもシュウ様なのですか? かつては魔族を討伐したというのに」
「違うな。俺と魔族は無関係だ」
「全てを教えてはくださらないのですか?」
その問いかけに対し、シュウは少しばかり考え込んだ。
今はこうして敵対しているが、別に憎しみあっているわけではない。ただ目的の違いから対立しているだけだ。
「そうだな。まぁ、事の始まりは封魔連合がプラハに手を出したことだ。仮にも娘が管理する国だから、多少の手助けはしてやっている」
「……つまりはセフィラ様を思う心の故と?」
「最大の理由ではないが、大きな目的の一つだ」
「では最大の理由は教えてくださいますか?」
「お前には悪いと思っているが、教えられない。だが安心しろ。仮に俺と敵対する道を選んだところで、加護を取り上げたりはしない」
「たとえ加護の力を使ったところでシュウ様には効かないでしょう?」
シュウは頷いた。
二百年前に与えた冥界の加護は、カーミラの力の一端を為している。魂を感知する能力、冥界に触れる異能、そして凶悪な冥域魔術など、まさしく『死』の眷属に相応しい。しかしながら、その根源たる冥王アークライトに届く力ではない。
当然だ。
冥王が自らの死魔法で傷つくはずもないのだ。これは魔神ルシフェルに魔術や魔装が通用しないのと同じである。
「七仙業魔の一体を屠ったようだな。煉獄を利用する結界術か? 俺の領域にお前の魔力で作った空間ができていた」
「《鮮血の月》。私の切り札です。シュウ様には通用しませんが」
「そう卑下するな。お前の成長を見てやろう。かかってこい。加減はしてやる」
「ッ! ウェルス!」
カーミラは相棒の竜に呼びかけ、その背に飛び乗った。同時にウェルスは大きく吠えて空高く舞い上がる。
地上で戦えば、カーミラがかろうじて守った者たちですら巻き込まれて死にかねない。それを危惧しての移動であった。
シュウは浮遊の魔術を使い、ウェルスを追跡する。
「二百年ぶりだ! 精々、俺を苦戦させてみろ!」
ヴァルナヘルの地。
時を越え、同じ地での再戦が始まった。




