542話 プラハ帝国の苦境
スラダ大陸の南西に位置する妖精郷は平和なままだ。二千年ほど一切の侵略を受けず、ただ平和に発展のみを続けている。現代ではその存在を知るのはプラハ帝国のみで、ほとんどの人間は認知すらしていない。またプラハも神の住まう国として一切の手出しを禁じているほどだった。
神の一柱として崇められるアイリスは、稀にプラハへ出かける以外は妖精郷で研究していることが多い。最近はシュウも帰ってこないので、いい加減こっちから向かってやろうかと思い始める日々であった。
「ママ! 助けて!」
そんな妖精郷の平穏を破ったのは、転移で現れたセフィラであった。比較的のんびり屋の彼女がこれほど慌てているのは珍しい。アイリスも作業を止めてどういうことかと問い返す。
するとセフィラは要領を得ない説明を始めた。
「あのね! あのね! なんか灰色の気持ち悪いのが来たの! それでイシュヴァル達も頑張ったんだけど街が壊されて、兵士の人にも被害が出たの! それでね! それでね!」
「強力な魔物の被害が出たということなのです? 皇帝も出たんですか?」
「ううん。イシュヴァルはこれから出るかもって」
「セフィラちゃんは実際に見ましたか?」
「うん。でもすっごく気持ち悪い!」
それだけではどうにも状況が分からない。
現時点ではプラハ帝国内で手に負えない魔物が現れたように聞こえる。プラハ帝国の黒魔術師団はかなりの練度を誇り、無数の不死属を召喚することで防衛面では何の心配もいらないはずだった。それがまさか皇帝イシュヴァルが出張る状況になっていたとは驚きである。
皇帝が出るということは、ゲヘナの鋲を使用するべき状況と判断されたわけだ。
相当な緊急事態だと言える。
「ちょっと確認してみますね」
アイリスはソーサラーデバイスのログ機能を使い、セフィラが何を見たのか探す。観測魔術により常に周囲のデータは取得され続けており、ある程度であれば過去の記録も保存されている。セフィラの慌てぶりから推測してつい先ほどの出来事だろうと思われるため、データは問題なく残っているはずだ。
目的のログはすぐに見つかったので、動画として再生する。
「これは……」
それは蹂躙の光景だった。
黒魔術師団が召喚した不死属軍を容易く突破し、あらゆる攻撃を受け付けず、街を守る外壁に突撃している怪物の姿だった。それも一体や二体ではない。動画からはすぐに分からないが、同一の化け物が最低四体以上で襲撃しているように見える。
続いてアイリスはログデータに残っている解析記録を眺めた。
魔力出力がかなり高く、持続力も桁外れだ。また再生能力も保有しているらしく、攻撃が効いたとしてもすぐ無意味となってしまう。
(どこかで見た覚えが……)
この怪物にはどこか覚えがあった。
しかし長く生きているため記憶は膨大で、どうしても思い出せない。そこでセフィラにこの時の状況をもう一度問いかける。
「セフィラちゃんはこの場にいたのですよね?」
「うん……でもあれ、気持ち悪いの。だから逃げちゃって」
「気持ち悪い?」
「あのね。あのね。あの化け物の中でいっぱい魂が動いているの。わさわさしてて気持ち悪いの!」
「魂? いっぱい……?」
「うん。だから魔法で触りたくなくて」
気持ち悪い害虫に触れたくない心理だろうか。
『王』の魔物にとって魔法とはより自分自身に近い。単純な強さでいえば、ログに残っている怪物など百体いてもセフィラなら勝てるだろう。そうしなかったということは、嫌悪感が勝ったということだった。
と、ここでアイリスは怪物の正体を思い出す。
「あ、タマハミなのですよ! 思い出したのです!」
「タマハミ?」
「昔の魔術実験体ですね。魂を捕食し、命をストックすることで疑似的な不死を体現しているのですよ。あれは元人間なので、今で言うところの魔族に近いと思います」
「じゃあイシュヴァルたちじゃ倒せないの?」
「そうですねぇ」
タマハミのことは少しずつ思い出せてきた。
その不死性ゆえに、討伐も労力に見合わないものだった。だから当時は封印という措置が取られた。
「まだ残っていたのか、新しく作られたのか……ちょっと調べる必要ありそうですね」
「ママ?」
「分かったのですよ。私が出ますから、そのつもりで皇帝にも言っておいてください。ひとまずタマハミは私が処理しておくのですよ」
パァとセフィラは顔を輝かせた。
彼女にとってよほど汚らわしく、触りたくないものだったらしい。こうして、時の魔女アイリスにとって久方ぶりの出陣が決まったのである。
(というかタマハミってシュウさんが漏洩させたウイルスが原因なんですよね……)
ちょっとした罪悪感を抱きながら。
◆◆◆
プラハ帝国軍には陰鬱とした空気が流れていた。
その理由は東部戦線の急激な悪化である。突如独立したルーイン州に対して武力介入を行い、順調に鎮圧を進めているように思えた。封魔連合王国やシュリット神聖王国の援助もあり思いのほか戦争が長引いてしまったものの、着実に勝利へと近づいているはずだった。
だがそれは突如として覆される。
「苦しいな。どうにも」
「申し訳ございません陛下!」
「いいや。これは私が判断を誤った結果だ。ひと思いに奴らを叩き潰しておくべきだった。情けをかけたばかりに民の被害が増えてしまった」
深く長い溜息が流れ出る。
プラハ帝国の三代目皇帝イシュヴァル=ラー・ファルエル・パルティアは様々な意味で信頼のおける者だけがいる場を作り、愚痴を零していた。皇帝という立場は常に強さを求められる。絶対的な正義を求められる。それは初代と二代目が作り上げてきた皇帝という姿だ。それを三代目たる彼が崩すわけにはいかない。だからこそ信頼できる者たちの前でだけ、自分の弱さを見せていた。
「……陛下も出られるのですね」
「先の会議で決定したとおりだ。私も出る。『槍』を解放する」
「セフィラ様も同意されたのですね?」
「あの子は灰色の化け物を酷く嫌っているからな。神の眼には悍ましいナニカに見えるようだ」
「気を使っておられるのですか?」
「私の相棒だからな」
封魔連合王国は今もプラハ帝国の領土へと侵略を続けている。旧ルーイン州のほぼ全域が敵によって制圧されつつあり、このままでは本土にまで手が届きかねない。状況の悪化を招いたのは、とある化け物であった。
「セフィラが教えてくれた。あの化け物はタマハミというらしい。古代文明が作り出した魔族に近い不死の怪物とのことだ。ゲヘナの鋲で地獄に封印する以外、対処方法はない。あるいは……」
「……どうされましたか?」
「確かではないが、あるいは神が出陣される可能性もある。秩序の魔女様だ」
それはプラハ帝国にとって福音であった。
基本、豊穣の祈りの神々はプラハに干渉しない。豊かさの土台こそ与えるが、豊かさそのものは決して与えない。飢えた者には食べ物ではなく、食べ物の取り方を教える。それが豊穣の祈りであった。
今回のことは例外である。
「まさかそれほどの……」
「タマハミは人の手に余る怪物ということであろう。本当に情けない。国を豊かにする義務、そして国を守る義務は私にこそあるというのに」
「陛下は背負い過ぎるのです。私たちは確かに神ほどの力はありません。しかしゆえにこそ力を合わせることができます。陛下をお支えすることができます」
「その通りだ。悪かったな」
「いいえ」
そんな会話の折、突如としてイシュヴァルの近くへと少女が現れる。浮遊して欠伸をする彼女こそ、プラハで最も重要な神、セフィラであった。
「ん……ママはいつでも出られるよ」
「そうか。やはりあの方は出られるのだな。敵軍の状況はどうなっている?」
「占領された街から出ていないよ。タマハミも繋ぎ止められているね。信じられないけど、あの怪物を操っているみたい」
「魔女様に出ていただけるならば杞憂もない。我々は封魔連合軍を平原に誘い出し、決戦を行う。何も障害物がない場所でこそタマハミは最大の力を発揮するはず。ゆえに敵はこちらの思惑に乗ってくるだろう。こちらの出す軍はほとんど見せかけだがな」
「ゲヘナの鋲を使うんだね」
「ああ。敵があのような化け物を使ってくるなら、仕方ない。地獄を開き、敵を滅ぼすとしよう」
躊躇いは捨てられた。
プラハ帝国がなぜ常闇の帝国と呼ばれているのか、諸国は思い出すことになる。
◆◆◆
エウレハの街ではヴァルナヘル奪還のため戦いの準備が進んでいる。
ルゥナたち封魔連合王国と別れることになったルークたちは、傭兵として自分たちを売り込むべく奔走した。幸いにも戦力の募集に限りはない。何事もなく雇用されることとなった。
「当たり前のように俺たちは最前線なんだな」
「それが傭兵というものです。ルークさんも覚悟はしていたのでは?」
「……」
傭兵に割り当てられる宿などほとんどない。
大抵はシュリット神聖王国が用意した宿営地に、各自でテントなどを立てて宿としている。仕事を求めて各地を放浪する傭兵も少なくはないので、各自野営道具くらいは持っているのが普通だった。
ルークおよびアスラン戦士団はというと、野営道具もなく途方に暮れていた。持ってきたものは全て封魔王国の所有物である。一応追い出された身であるため、ルゥナのもとに置いてきた。
この状況を解決してくれたのはカーミラであった。
「ありがとうございますカーミラ殿。あなたのお陰で皆、屋根のある場所で休める」
「いえ」
このためにカーミラは傭兵たちの治療を請け負い、代価として彼らの持つ予備の野営道具を譲り受けたのだ。ちょっとした怪我ですら生活を脅かす要因になる職だ。治癒能力の需要は高い。何度か有名な傭兵団にスカウトされたほどだった。
「……正直安心したよ。カーミラがいてくれて」
「サンドラ帝国を正しくするためです。そのためならば協力は惜しみません」
「ああ。さっきの話に戻るけどさ。俺は覚悟が足りないんじゃないかと思ったんだ。カーミラが俺たちと一緒にいてくれることに安心して、俺気付いたんだよ。なんて弱いんだろうって」
「ルークさんには神器もあります。傭兵たちの中でも上澄みといえるでしょう」
「道具に頼った力だよ。俺自身が誇れるものじゃない。その証拠に俺は簡単に揺らいでしまう。聖守って人に対して感情的になってしまったし、ルゥナさんの意図にも気づけなかった。カーミラがいなきゃ何もできない、勢いだけの弱い奴だ。恥ずかしいよ」
大きな戦いを前にして、ルークは自分自身と向き合う時間を得た。その中でこれまでの姿を思い出し、ありとあらゆる後悔に苛まれていた。
あの時はこうすればよかった。もっと良い方法があった。
思い返すほどに未熟さが浮き彫りとなる。
そんなルークに対し、カーミラとロニがそれぞれ反論した。
「もしも覚悟がなく、本当に弱い人間であればこの場にいません。受けた悲しみを心に仕舞い込み、時折悪夢を思い出しながら一生を終えるはずです。そして多くの人間はそのような人です」
「ルーク様。私からも言わせてください。あなたはアーガス王子殿下から未来を託された方です。そして意思を受け取る覚悟をされた。それは尊く、強いものだと思っています」
「カーミラ、ロニ将軍……」
「戦いの前で不安になる気持ちに共感してあげることはできません。ですが私はルークさんが故郷を取り戻すため強敵に立ち向かったことを覚えています。自信を持ってください」
思わずルークは苦笑してしまった。
カーミラの言った通りだ。無謀なことをしていたと反省することしかしなかったが、あれもまた強さの一つと言えるだろう。
また戦士として経験の多いロニも語る。
「恐れを抱くことは悪ではありません。それから逃げるのか、立ち向かうのか、そこが重要なのです。少なくともルーク様は立ち向かおうとされています。それに自分の弱さを認めることは、強さを誇ることよりずっと良いものですよ。己を見つめ直した数だけ自信となるのです」
ルークは嵐唱を鞘から抜いて、じっと刃を見つめた。そして祈るように意識を集中させると、力強い声が聴こえてきた。
『我は最も偉大な力である。求めよ。捧げよ。我はレベリオの血族に施そう』
心強く、力強い言葉だ。
不安を瞬く間に洗い流してくれる。
何よりカーミラとロニがいる。迫る大きな戦いもきっと乗り越えられると、今は素直に思えた。




