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第30話 精霊王の目覚め

 空を飛ぶ黒い鳥は、鳥というには羽毛の合間に爬虫類のような肌が見え、翼の先には鋭利なかぎ爪が付いている。羽を広げた姿は、遠くから見ても人より確実に大きく、それらが無数に空を覆う姿は異様というしかない光景だった。

 ルネはあまりの恐怖に足が竦んだが、城の屋根の上にエミールの姿を見つけると、目を見開いた。


「エミール様!!」


 エミールは炎を纏った剣を振り、上空から襲う魔物と戦っている。その姿を見上げ、ルネは声を上げずにはいられなかった。

 あまりにも多勢に無勢な上、敵は手の届かない上空から襲ってくる。どの騎士たちも剣を空振りし、滑空して来る魔物の爪の餌食になっている。

 明らかに劣勢が見て取れて、ルネは居ても立っても居られなかった。


「エフラー夫人! 逃げて下さい!!」


 追い掛けてきた兵士に声を掛けられ、そちらに顔を向けたルネは、唇を噛み締めてもう一度空を見上げる。


「あなたは他の女性たちの誘導をお願い。私は戻るわ」

「え!? エフラー夫人!?」


 ルネはまた走り出すと、精霊の間に戻った。魔法書を拾い精霊王の元に行き、水晶に両手を付ける。


「精霊王! 起きて!! お願いよ!! エミール様が……、皆が死んでしまうわ!!」


 必死に呼び掛けるが、声が届く訳もなく精霊王に反応はない。ルネは両手を握り締め膝を折ると、白い精霊たちを見下ろした。


「精霊王を目覚めさせたいの! お願い! 力を貸して!!」


 そう告げたルネはノートを広げる。すると精霊たちは1人、2人とルネのそばに寄ってきてくれる。

 目を閉じて声を聞くと、皆同じことを繰り返し言っている。聞き取ることはそれほど難しくはなかった。ノートに書き記した言葉を確認し、魔法書で意味を調べる。


「一緒、同じ、満たす、心、優しさ……」


 今までの精霊たちと違い、何だか意味のない言葉のような気がする。

 ルネは首を捻り、とりあえず同じ言葉を精霊語で呟いてみた。すると、白い精霊たちが初めて表情を変えた。パッと笑顔になると、飛び上がる。


(あってるんだわ……)


 発音と言葉に間違いはない。けれどそれ以上の変化はない。ルネは立ち上がり水晶に向かってもう一度言ってみるが、やはり精霊王に何の変化も見られない。


「言葉を言うだけではだめなのか……、それとももっと魔力のある人じゃないとだめなのかしら……」


 考え込んでいると、低い地鳴りのような音が頭上から聞こえてきた。一瞬、地面が揺れたような気がして天井を見上げる。


「なにかしら……」


 それきり静かになってルネは視線を戻すと、水晶から目を離し精霊たちを見た。白い精霊たちはまるでルネを取り巻くように飛んでいる。

 そうしてまた違う言葉を言っていた。


「え……」


 今までになかったことに驚いたが、ルネはまたペンを持つ。

 今度は『思う、労わる、休む、包む』と言っているようだった。


「何かしら……」


 今までは精霊の言葉自体が呪文だった。言葉さえ聞き取れれば、それがそのまま呪文になった。だがこれはどうやらそうではないような気がする。


「一緒……、労わる……、優しさ……」


 何かが引っ掛かる気がして呟く。それにどうしてこの精霊たちは突然話しだしたのだろうか。


「私とエミール様が一緒にいた……」


 そんなことはここでは何度もあった。けれど今何かが変わったということは、きっかけがあったはずだ。


(私たち……何をしてたっけ……)


 何となくキスするような雰囲気になっていたことを思い出し、ルネは顔を赤らめた。

 この非常事態に何を考えているんだと、頭をポカポカ叩く。だがふと手を止めた。


「私とエミール様……。心、優しさ……、一緒……」


 言葉から何かが連想されて、何度も呟く。何度も何度も呟いていると、この言葉に似合う女性が頭に浮かんだ。


「お母様……」


 10歳の時に死んだ母。ただただ優しくて、いつも家族を労わってくれていた。あんな父だけど、母が生きていた時は、仲睦まじい様子で、いつも母の愛が家族を包んでいたような気がする。


「母って精霊語でなんていうのかしら……」


 なんとなく気になって魔法書を開くと、『ニーナ』と書かれていた。


「ニーナ……」


 呟いた途端、白い精霊たちから強い光が放たれる。その精霊たちは水晶に向かって飛ぶと、水晶も呼応するように光り出した。


「ど、どういうこと……?」


 母という言葉が何なのだろうと戸惑いながらも、ルネはふらりと水晶に手を触れると中をじっと見つめる。


「ニーナ……」


 目を閉じてピクリとも動かない美しい人。この人がこの精霊たちの母ということだろうか。精霊たちは必至な様子でルネと同じように精霊王を見つめている。


「この子たちは精霊王を守りたいのかも……。なら……」


 ルネはもう一度魔法書を開くと、ある言葉を調べた。

 そんな訳ないとは思いつつ、試してみようともう一度精霊王に向き直った。


「ル・ニーナ」


 そう言った瞬間、水晶から目映い光が放たれた。ルネはあまりの眩しさに目を閉じた。暖かい空気が身体を包むような感覚があり、そっと目を開けると、目の前にあったはずの水晶が跡形もなく無くなっている。

 そしてそこにいたはずの精霊王もおらず、代わりになぜか小さな赤ん坊が花の中に埋もれるように眠っていた。


「え!? ええ!?」


 ルネの驚いた声に赤ん坊の目がパチリと開く。その途端、大きな声で泣きだした。


「ま、待って!? あなたが精霊王なの!?」


 赤ん坊の周囲には白い精霊たちが飛び回っている。ルネは激しく泣く赤ん坊を恐る恐る抱き上げた。すると赤ん坊は泣き止んでルネに小さな手を差し出した。


(これってあってる? 間違っちゃってない!?)


 水晶に閉じ込められていたのは大人の姿だったが、まさか水晶から出たら赤ん坊になるなんて思いもよらなかった。

 ルネは自分がやったことが、正解なのか、それとも間違ってしまったのかが分からず戸惑った。だが、今はそれを考えている暇はない。


「あなたがもし本当に精霊王なら、エミール様を、皆を助けてあげて!」


 ルネはそう言うと、赤ん坊をしっかりと抱き締め精霊の間を出た。階段を上がりもう誰もいない静まり返った城内を横切ると、中庭に走り出る。

 そうして外に出た途端、抱き締めている赤ん坊から強い光が放たれた。眩しい光の中、ギャアギャアと魔物の鳴き声が空から聞こえる。

 強い光は長く続き、やっと目が開けられると、ルネは慌てて空を見上げた。


「魔物が……いなくなってる……?」


 空を覆うほどの黒い魔物は、一匹もいなくなっている。あの恐ろしい鳴き声もまったく聞こえず、ルネが呆然と空を見上げていると、屋根の上にいた騎士たちがこちらを見下ろした。

 その中に騎士服をボロボロにしたエミールもいて、ルネは目を見開く。


「ルネ!!」

「エミール様!!」


 遠目にもエミールが笑顔を浮かべているのが分かる。その表情を見て、ルネはもう危険はないのだと、安堵の笑みを浮かべた。

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