第28話 お茶会の結末
それなりに長い詩ではあったが、ルネは特段難しく感じることもなく速記していく。そうして詩を読み終わるとルネもペンを置いた。
「できました」
女性たちが驚きの声を上げる。シャーリーも疑いの眼差しを向けている。
「本当?」
「はい」
「では3つとも言ってみなさい」
「分かりました」
ルネは速記した紙を手にして、3つの詩を順番に朗読している。
速記していた時は内容など気にしていなかったが、こうして朗読してみると、それほど素晴らしい詩という訳ではないような気がした。
詩を朗読し終わると、周囲から拍手が起こった。
「すごいわ! 3つとも全然間違いがないわ!」
「どうやって聞いているの? 同時に聞こえるの?」
アストリットたちが持っている紙を覗き込んでいた女性たちが、驚いた顔をして聞いてくる。素直に尊敬の眼差しを向けてくれるので、ルネは少しだけ顔を綻ばせた。
「3人の声質を覚えて、それぞれ聞き分けているんです。後は速記で書き留めれば、3人分くらいは難しくありません」
「速記? 速記ってなに?」
シャーリーに問われて、ルネは手にしていた紙を差し出した。
「これが速記です」
「なにこれ……、気持ち悪い文字……」
「あ、ちょっと見た目は悪いですけど、これで口語を素早く書き留めることができるんです」
ルネの説明に、シャーリーは眉を顰めたまま紙を払いのけた。
「こんな気味の悪い文字……、もしかして魔物の文字とかじゃないの?」
「魔物って……、これは私が考えた文字です! これがあれば会議などで迅速に、」
「あぁ、おかしな文字を見て気分が悪いわ……」
ルネの言葉を遮りシャーリーはそう言うと、ハンカチを取り出して口許に添える。その仕草に女性たちが慌てて駆け寄った。
「シャーリー様! 大丈夫でございますか!?」
アストリットが心配そうにシャーリーに声を掛ける。その時、強い風が吹いた。
シャーリーの持っていたハンカチが風に飛び、そのまま近くの小さな池に落ちてしまう。
「ハンカチが……」
「エフラー夫人、特技がなにもないなら、わたくしのハンカチを取ってきなさい」
「は? いま私、」
「口答えしないで取ってきて! ルネ!!」
今披露した速記をなかったことにされて、ルネはさすがに反論しようとしたが、アストリットがそれを遮る。
ルネは仕方なく池の縁まで来るが、水に浮かぶハンカチは、手が届きそうにない。
「無理よ、こんなの……」
「仕事をしている女性なんだから、何か手はあるでしょ? それともわたくしのハンカチは取りたくないってこと?」
「そういうことでは……」
何か棒でもあれば届くかもと、池の周囲に視線を向けていると、突然ドンと背中を押された。
「わっ!!」
何かに掴まろうと手を動かすが、もちろん両手は空を切り、ルネはそのまま池にドボンと落ちてしまう。
(う、嘘!?)
ルネは両手をバタバタと動かしてどうにか浮上しようとするが、水を吸ったドレスが重いからか顔が水面に上がらない。
息が苦しくなってきて、頭がパニックになってくる。けれどその時、水の中なのに誰かの声が聞こえた。
ピタリと動きを止めて、目を開ける。奇妙だが、一瞬で冷静さが戻った。
「ルネ!!」
突然、ルネの目の前にエミールが飛びこんできた。
「エミール様!?」
「ルネ! 大丈夫か!?」
「は、はい!」
水の中で抱き上げてくれるエミールの首に掴まり返事をする。
「これはどういうことだ!?」
「で、殿下……、これは、その……」
女性たちがしどろもどろで言い訳しようする中、シャーリーだけはしらっとした顔でそっぽを向いている。
「ルネが死んだらどうするつもりだ!!」
激昂するエミールをよそに、ルネはポツリとさきほど聞いた言葉を呟いた。
「ディシア・ディルディア・シャル・リンネ」
その途端、ルネとエミールの周囲の水が噴水のように噴き上がった。
その水が女性たちの上にどしゃ降りの雨のごとく降り注ぐ。あっという間に全員がびしょびしょになって、唖然とした顔で立ち尽くした。
シンと静まり返る中で、突然エミールが大声で笑いだした。
「エミール様!!」
シャーリーが真っ赤な顔で立ち上がる。けれど髪もドレスもずぶ濡れの姿はなんだかとても滑稽で、ルネもつい笑ってしまった。
「……今のはなんですの!? まさかエミール様がやったのですか!?」
目を吊り上げて怒鳴るシャーリーに、まだ笑いを引きずっているエミールが首を振る。
「でかい魚でも跳ねたんだじゃないか?」
「ふざけないで下さい! エミール様!」
エミールは適当な返事をすると、ルネを抱いたまま池から上がった。
「降ろして下さい、エミール様」
「大丈夫か?」
「はい、一人で立てます」
そっと地面に降ろされると、メイドがタオルを差し出してくれる。シャーリーも他の女性たちも、メイドたちがそれぞれタオルで身体を拭きだして、こちらに向けていた視線を外した。
「エミール様、今のは魔法ですか?」
「魔法ではないかな。水の精霊の遊びのようなものだ」
「遊び……、だから私も使えたのかな……」
「そうかもな。外にいる自然の精霊たちも、色々な言葉を話している。人の役に立たないようなものもたくさんあるが、今日みたいに手助けしてくれる時もある」
「手助け、か……」
池の水を見ると、小さな光が水の中を泳いでいるように見える。その光を見つめ、ルネは微笑んだ。
「エミール様! ご説明下さい!」
「だから、でかい魚が」
「そんな訳ないでしょう!? もしかしてエフラー夫人がやったの!?」
「それより、なぜルネが水に落ちたかを説明できるか?」
シャーリーはエミールに詰め寄るが、エミールの言葉に声を詰まらせた。
「そ、それは……、足を滑らせて……」
「そうか。俺にはそうは見えなかったがな。まぁ、そういうことにしておこう。これで話は終わりだ。いいな?」
「エミール様、……わたくしはこれから王太子妃になるのですよ?」
「それがどうした。君はまだ王太子妃候補だろう? まだなってもいない内から、俺よりも上になったつもりか?」
今まで聞いたこともないほど低い声でエミールが言うと、シャーリーはさすがに顔を強張らせて押し黙ったのだった。




