第26話 有言実行
次の日、城を訪れたルネをエミールが城門で待っていてくれた。
「おはようございます、エミール様」
「おはよう、ルネ」
「コレットも、一緒に来たんだな」
「昨日はお見事でございました、殿下」
ルネの後ろにいたコレットはにやりと笑って答える。その言葉にエミールは笑うと、「さぁ、行こうか」と言って歩きだした。
コレットと途中で別れ、二人で精霊の間に行くと、そこにはヴィクトルとクロエが待っていた。
「おはようございます、王太子殿下、クロエ様」
「来たな」
ヴィクトルは冷静な顔でルネを見ているが、クロエの表情は暗く沈んでいる。
「こちらの問題で、色々振り回して悪かった」
「いいえ、王太子殿下。私は仕事をさせて頂けるのならそれで十分です」
きっぱりとそう言うと、ヴィクトルは少し驚いた顔をした。
「私は1千万リールを頂けるという契約で、この仕事を請け負いました。最後まできっちりやらせて頂きます」
「そうか。報酬の件はエミールから聞いている。必ず支払おう」
「ありがとうございます」
ルネはできるだけ事務的に話した。決してエミールとは関係なく、仕事をするために戻ってきたのだと、ヴィクトルには感じ取ってほしかった。
「殿下、私もやらせて下さい! もう少し時間を下されば、きっと成果を上げてみせます!」
「クロエ、この1ヶ月で分かっただろう? 当てずっぽうでやれるほど簡単な仕事じゃないんだ。ここはルネに任せよう」
「で、ですが、やはり精霊語が分からない人がやるより……」
「精霊語なら俺が教えられるし、彼女は精霊の言葉を正確に聞き取れる。なまじ俺たちが教えるより、よほど早く精霊語を使えるようになるだろう」
クロエが必死に食い下がるのを、エミールは静かに却下する。クロエは悔しそうに顔を歪めると、肩を落として下を向いた。
「とはいえ状況は悪い。炎の魔法一つでは魔物の相手は難しい。この頃は本当に魔物の動きが活発で、またいつ城下に現れてもおかしくはない。できるだけ早く、他の魔法も復活させてほしい」
「分かりました」
ヴィクトルはそれで話を終わらせると、地下から出て行った。
「クロエは先に戻っていろ。俺はルネと少し話してから騎士宿舎に行く」
「分かりました……」
クロエも地下を去り二人きりになると、エミールはルネに目を合わせて苦笑してみせた。
「兄上が謝罪するとは思わなかった。少しは悪いと思っていたんだな」
「エミール様、魔物ってそんなに出没しているんですか?」
ヴィクトルとの言葉で一番気になったのはそこだ。他の町で魔物が出たという噂はちらほら聞くが、城下町は平和だし、ここから出ることがないルネにとっては、どこか遠い世界の話のように感じていた。
「うん。城下町に魔物が入ることは決してないとは思うが、近隣ではかなり被害が出ている。騎士と兵士でどうにか食い止めているが……」
「そうなのですか……」
エミールの険しい表情から深刻さを感じ取ったルネは、自分の仕事が責任重大だと改めて思った。のんびりやっている訳にはいかない。
「分かりました。全力で頑張ります!」
「……ルネは本当に仕事に対して責任感を持っているんだな」
「もちろんです。どんな仕事だってそういうものでしょう?」
「そうだけど、それを最後までやり抜くことができる者は結構少ないものだよ」
そんなことは当たり前だと返事をすると、エミールは苦笑して答えた。
「私は最後までやり遂げます、信じて下さい」
「ああ、ルネを信じているよ。じゃあ、ここは任せる」
「はい!」
ルネは明るい返事に、エミールは優しく笑みを浮かべると精霊の間を出て行った。
誰もいなくなり、ルネは腰に手を当てて精霊たちを見つめる。相変わらずのざわめきが耳に届き、口の端を上げる。
「有言実行……、これで後には引けないわよ……」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、ルネは早速仕事を始めたのだった。
◇◇◇
炎の精霊たちがランタンの火に引き寄せられたように、グラスに入れた水に水色の髪の精霊たちが集まった。まるで水そのものの流れのような長い髪の精霊たちは、グラスの中の清らかな水に手を浸したりして遊んでいる。
その隣で、ルネは必死にペンを走らせていた。自分の周囲には紙が散乱し、意味のなさない発音が書き殴られている。
「ディー……、ディア……」
正確な発音を聞き逃さないように耳をそばだて、何度も呟きながらノートに書いていく。炎の魔法は30分くらいで聞き取れた。あの時の集中力は相当なものだったと自分でも思うが、あれで聞き取れるという確信は得られた。
それでも夕方になっても水の精霊の言葉を聞くことはできず、ルネは肩を落として地下を出た。
(まぁ、突然全部聞こえるようになっている訳ないか……)
また仕事に就ける喜びで、何もかも上手くいく気がしていたが、そう簡単なものではない。
気を緩めずにやるしかないと気合を入れると自室に戻った。
ドアを開け室内に入ると、続き間からコレットが走り出てくる。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、コレット」
「お荷物はすべて片付けておきました」
「ありがとう」
「それと……」
コレットは最後に言いづらそうに続けると、小さなカードを差し出した。
「これは?」
「シャーリー様からのご伝言です」
「シャーリー様?」
ルネは顔を顰めてカードを受け取り、中身を確認する。
そこには明日の午後、サロンに来るようにと書かれていた。
「はぁ……、戻ってきたばかりで面倒な……」
「エミール殿下にご相談してみれば?」
「いいえ、自分でどうにかするわ」
エミールに言えばどうにかしてくれるかもしれないが、女同士の問題くらい自分でどうにかしなければと首を振る。
城の中で過ごす以上、シャーリーとのことはどうにかしなければいけないのだ。いちいちエミールに頼っていては迷惑だろう。
「どうせまた意地悪でも考えているんでしょ。適当にあしらうから大丈夫よ」
「お嬢様……」
「心配しないで。もう牢に入れられるようなヘマはしないから」
心配そうな顔でこちらを見るコレットに、ルネは肩を竦めて笑ってみせた。
次の日の午後、仕事の手を休めてサロンに行くと、シャーリーといつもの3人の取り巻き、そしてなぜかアストリットもいて、優雅にお茶をしていた。
「ごきげん麗しゅう存じます、シャーリー様」
腰を深く落とし挨拶をすると、シャーリーはちらりとこちらを見て、持っていたカップをテーブルに戻した。
「エフラー夫人、また城に戻ったのね」
「はい」
「アストリットから話は聞いたわ。あなた、自分がやりたいからって伯爵夫人としての仕事を放り出して、好き放題してるんですってね」
シャーリーの言葉にアストリットが意地悪い笑みを浮かべる。いつもならここで言葉を挟むルネだったが、今回は口答えしなかった。
「あなた、借金まみれの男爵家の令嬢だったんですってね。だからそんな考えなのかしら」
「シャーリー様、貴婦人とはどういうものか、ルネに教えてあげて下さい」
アストリットが甘えるような口調で言うと、シャーリーは扇を広げて溜め息を吐く。
「あなたのような人が伯爵夫人だなんて、困ったものね」
わざとらしくまた溜め息をつくシャーリーに、ルネは同じように溜め息を吐きそうになってぐっと堪える。
とにかく黙ってやり過ごそうと、下を向いたままでいると、パチリとシャーリーが扇を閉じた。
「そうだわ。明日、中庭でお茶会を開くの。それにあなたも出席しなさい」
「え!?」
「シャーリー様! せっかくのお友達だけの楽しいお茶会に、ルネを呼ぶなんて……」
「だからよ、アストリット。わたくしのお友達は皆素晴らしい貴婦人ばかりよ。エフラー夫人は、そういう者たちを見て少しお勉強しなさい」
シャーリーの言葉に、ルネはさすがに顔を上げた。
「ですが、私には仕事が、」
「シャーリー様が誘って下さっているのに、まさか断るつもり!?」
ルネが言葉を言い終わる前に、取り巻きの一人が声を上げた。他の二人も「信じられない!」と非難している。
シャーリーは何も言わないが、じっとこちらを見つめている。その視線に、ルネは肩を落とすと小さく息を吐いて頷いた。
「分かりました。明日、お茶会に出席します」
ルネが沈んだ声で返事をすると、シャーリーは勝ち誇った顔をしてにこりと笑った。




