第20話 エミールとの時間
部屋に戻ったルネの姿を見て、コレットは目を見開いて走り寄った。
「お嬢様! その髪は!?」
「くだらないいじめよ。腹が立って自分で切っちゃったわ」
「お嬢様……」
悲しげな声を出すコレットにルネは笑い掛けると、ポンと肩を叩いた。
「ボサボサでしょ? 綺麗に切り揃えてくれる?」
「す、すぐにご用意します!」
コレットが慌てて隣の部屋に行くのを見送ったルネは、はぁと溜め息を吐いてソファに腰掛けた。
(仕事も上手くいっていないのに、女性たちの相手をするのも疲れるわね……)
それもアストリットとは違い、相手がシャーリーでは強く出られない。とにかく問題を起こさないようにしなければならないので、非常にストレスがたまる。
(私が従順な性格ならなぁ……)
理不尽なことに関しては、どうしても反抗したくなってしまうのだ。今日ももしかしたらまた問題になるかもしれない。それを考えるとまた溜め息が出た。
「お待たせ致しました。こちらにお座り下さい」
コレットがハサミや櫛を持って戻ってくると、ドレッサーのイスを引く。
そちらに笑顔を向けたルネは、重い腰を上げて立ち上がった。
◇◇◇
次の日、ルネは気持ちを切り替えて地下へ向かった。石の扉を開けると、すでに中にはエミールが待っていた。
「おはようございます、エミール様」
「おはよう、ルネ。今日は……」
ルネの声に、顔をこちらに向けたエミールが言葉を途切らせる。
「ど、どうしたんだ、その髪……」
走り寄るエミールに、ルネは苦笑いをして首元に手をやる。
コレットに綺麗に切り揃えてもらった髪は、首をやっと隠す程度の短さで、さすがにすぐに気付かれてしまった。
「えーと、ちょっと気分を変えようかと……」
苦しい言い訳を言ってみるが、エミールは眉間に皺を寄せて見つめる。
「……もしかして、シャーリーか?」
「違いますよ」
「ルネ」
「自分で切ったんです。さっぱりして楽ですよ」
心配させたくなくて笑顔でルネは言った。自分で切ったのは半分は本当だ。嘘は吐いていない。
エミールはルネをじっと見つめ何かを言おうとしたが、思い直したのか口を閉ざし弱く首を振った。
「そうか……。その髪型、ルネにとても似合ってるよ」
「え!? あ……、ありがとうございます……」
思いがけない言葉をもらって、ルネは慌ててパッと下を向いた。
絶対顔が赤くなっている。それを隠すように背中を向けると、赤い光を放つ精霊に目を向けた。
「さてと……、始めようかな……」
動揺を隠してわざとらしくそう言うと、炎の精霊のそばに歩み寄る。花の上にいる炎の精霊は、髪も羽も赤く、まるで燃えているかのようにチラチラと光がゆらめいている。
「ルネ、炎の精霊だけの言葉を聞くこと、できそうか?」
「今のところは難しいです。あの、エミール様、この子たちをそれぞれ外に出すことはできないんですか?」
それができればとても話は簡単だ。静かな場所で一人ずつ声を聞くことができれば、きっとルネの耳ならはっきりと声が聞こえるはずなのだ。
だがエミールは難しい顔をして首を振った。
「ここの精霊たちは特別なんだ。精霊王に仕える精霊たちで、ここから離れようとしない。精霊語で話し掛けても、指示に従ってはくれないんだ」
「そうなのですか……」
確かにそれができれば、もっと早く魔法使いたちが呪文を聞き出せていただろう。
ルネは肩を落としてそう答えると、また精霊を見た。
「この子たちを移動させることができれば、どうにかなると思ったけど、難しいか……」
「移動……。ルネ、この洞窟の隅とか、その程度じゃだめか?」
「洞窟の隅?」
「ああ。ここから出すことはできないが、隅まで誘導することならできると思う」
(隅か……。あんまり意味はないかもしれないけど……)
「試してみる価値はあるかもしれません」
やれることは全部やらないと、きっと先には進めないだろうとルネが頷くと、エミールは明るい顔になって立ち上がった。
「ちょっと待っていろ」
エミールはそう言うと、小走りに石の扉に向かう。そうして少しすると手にランタンを持って戻ってきた。
「エミール様、ランタンで何をするんですか?」
「見てな」
ランタンの風避けのガラスを開けると、炎の精霊にそっとランタンを近付ける。すると炎の精霊はふわりと浮いて、ランタンの周囲を飛び始めた。
「これって……」
「付いてきて」
小さな声で囁いたエミールは、花畑をゆっくりと歩く。その間に散り散りで飛んでいた炎の精霊が集まってくる。
そうして、薄暗い洞窟の端まで歩くと足を止めた。ランタンの周囲には10人ほどの精霊が飛んでいる。そして今気付いたことだが、洞窟の端まで来ると、花畑のざわめきは少し小さく感じた。
(これなら……上手く聞こえるかも……)
ルネはエミールの手を掴んでランタンを引き寄せると、耳を近付ける。ランタンのそばにいる精霊の声が確かにしっかり聞こえる。
「聞こえる……、聞こえます! エミール様!」
嬉しくてパッと顔を上げると、目の前にエミールの顔があって驚いた。
「ご、ごめんなさい!」
咄嗟に謝って手を離すと、少しだけエミールも戸惑った表情を見せた。二人の間にぎこちない空気が流れて、ルネがどうしたらいいか分からずにいると、エミールがふっと笑ってランタンを手渡した。
「上手くいきそうか?」
「は、はい……。これならどうにかなりそうです」
穏やかに笑ったエミールにホッとしながら頷く。
ルネはランタンを掲げたまま、ゆっくりと目を閉じる。まずはすべての声音を耳に覚えさせること。
(高い声、低い声……、うん、区別できる……)
昨日までとはまったく違う。遠くざわめきはあるけれど、その中でも周囲にいる炎の精霊たちの声がはっきりと区別できる。
あとは集中するだけだと、ルネはしばらくそのままでいた。
どのくらい時間が経ったのか、最も高い声が近付いて目を開けた。するとその精霊は驚くことにルネの手の上に座っていた。
「わ……」
こんなに近くまで精霊が来てくれたことが嬉しくて、じっと精霊を見つめていると、すぐ後ろに気配を感じて振り返った。
そこには壁を背に座るエミールがいて、目を見開く。
「ご、ごめんなさい! 私ったら、エミール様がいるのに……」
「気にするな。今日は予定がないから、ルネに付き合うよ」
「で、でも……」
まさかエミールに自分の仕事に付き合わせるのはどうかと戸惑った声を出すと、エミールは「あ」と小さく声を上げた。
「もしかして、俺がいたら集中できないか?」
「そんなことはありません!」
思わず大きな声で否定すると、エミールはふっと笑った。
「そうか」
「は、はい……」
「俺のことは気にせず、自分のペースでやればいい」
「分かりました」
ルネが頷くと、エミールは穏やかな表情で同じように頷いた。
それからルネは、一番高い声で話している精霊の声を聞くことに集中することにした。
「フィー……、ファ……、ラ……、違うわ……」
ルネはその場に座り、ランタンを足音に置くとじっと精霊の口許を見つめる。
聞こえる音をノートに書きだし、また耳を傾ける。そしてまたノートに書くを繰り返す。
ずっと同じ言葉を繰り返し言っているのだが、すぐに聞き取れるほど大きな声でもないので、ルネはとにかく集中するしかない。
「ルネ」
そこでふとエミールに名前を呼ばれて振り返ると、エミールは魔法書を広げていた。
「もしかして、最初の言葉は『フィネ』じゃないか?」
「フィネ……、ああ! そうです! フィネです!! どうして分かったんですか!?」
ルネが驚くと、エミールは広げていた魔法書を差し出した。
「『フィネ』は精霊語で『炎』だ。炎の呪文なら、最初にフィネが入ってもおかしくないと思ってな」
「すごいです! エミール様!」
ルネが尊敬の眼差しを向けると、少しだけエミールは照れた顔をして肩を竦める。
「何もすごくないさ。このくらいは誰でも推理できる。でもこれ以上はよく分からない。炎の呪文で『フィネ』から始まる魔法には、『フィネ・サーラス・リズ・リンガ』とかあるけど、違うだろ?」
「……全然違います」
「だろうな……」
「で、でも、『フィネ』だけでも分かって良かったです!」
ルネは力強くそう言うと、また精霊に向き合った。
それから昼の休憩を挟んで午後になり、突然石の扉を叩く音に、ルネはビクリと身体を揺らした。
「殿下! 緊急招集です!!」
激しい声にエミールは跳ねるように立ち上がると、全速力で走り石の扉を開けた。
「どうした!?」
「魔物です!! 城下町のすぐそばに魔物が現れました!!」
「なんだと!?」
呼びに来た騎士の言葉に驚いたのはルネも同じだった。
「ルネ! 行ってくる!」
「は、はい! ご無事で!!」
ルネが慌てて返事をすると、エミールは騎士と共に颯爽と階段を駆け上がって行った。
ルネはまだドキドキしている胸に手を当てる。
「魔物……、こんな近くに……」
今まで魔物や魔法の話を聞いてきても、いまいちピンときていなかった。どこか遠い世界の話のように感じていたが、こんな近くに魔物が現れ、それを倒しにエミールが飛び出して行ったことで、一気に現実感が迫ってきた。
ルネは両手を合わせて、精霊を見つめる。
「魔物との戦いには、魔法が必要……」
以前、エミールが言った言葉を思い出す。
「魔法が必要よ……」
ルネは真剣な目で呟くと、気合を入れて炎の精霊に向き合った。




