第19話 面倒な人間関係
城で過ごすようになって一週間後、城で国王主催の舞踏会が開かれた。それになぜかルネも招かれ、仕方なくラウルと共に出席することになった。
ラウルは城に来てから上機嫌で、強引にルネの手を取ると会場に向かった。
「はは、隣国の大使の歓迎パーティーか。すごい顔ぶれじゃないか」
ラウルはキョロキョロと周りを見渡して呟く。ルネは浮かれたラウルの横顔を見つめ小さく溜め息を吐いた。
(こんなことしている場合じゃないんだけどなぁ……)
国王からの厚意なので断ることもできず出席したが、ラウルを下手に喜ばせることになってしまい、何だか面白くない。
それにきっとどこかにエミールがいるだろう。ラウルと一緒にいる姿をもう見られたくないルネは、気が気ではなかった。
「よし、踊るぞ」
「え!?」
突然、会場の中央に歩きだしたラウルに、ルネは声を上げた。ラウルは嫌がるルネの手を引っ張り、ダンスの輪に入ってしまうと、強引にルネの腰を引き寄せる。
「ちょ、ちょっと!」
ルネは絶対嫌だとその場から逃げようとするが、曲が流れ始めてラウルは踊り出してしまう。
ここで手を振り払って逃げてしまえば衆目を集めてしまうと、仕方なくラウルの言うことに従った。
「後で王太子にも挨拶に行くぞ」
「……嫌よ」
「あちらにいたのを見たから、ダンスが終わったら行くからな」
ルネの言葉など聞こえていないかのようにラウルは言うと、腰を強く引き寄せる。その感触にぞっとして、ルネは顔を顰める。
ただただ早く終わってくれと無心になって踊り、やっと曲が終わるとラウルは手を離した。
(やっと終わった……)
精神的に疲れ切ったルネは、大きく息を吐いてラウルから遠ざかる。このまま部屋に戻りたい気持ちでいっぱいだったが、ラウルは許してくれる訳もなく、また手を掴むと歩きだした。
「私は口利きなんてしないですから」
「つべこべ言わずついてこい」
(そんなことできる間柄じゃないのに……)
ヴィクトルとはほんの少し話しただけだし、内容はすべて仕事の話だ。それで夫の口利きなんてできる訳がない。
大体ラウルを紹介するなんて、エミールであろうと絶対したくない。このままでは本当にヴィクトルのところに行ってしまうと、どうやって阻止しようかと考えていると、人垣の向こうにエミールの姿を見つけてしまった。
「こ、こっちにはいないわよ。踊ってる時に、反対の方にいたのを見たわ」
「ん? そうか?」
ルネが慌ててそう言うと、ラウルが足を止めくるりと向き直る。ホッとしたのも束の間、背後にヴィクトルがいて驚いた。
「エフラー夫人、ああ、伯爵もいたのか」
「王太子殿下!」
ラウルは声を掛けられたのがよほど嬉しかったのか、喜色満面で足を速めヴィクトルに近付く。
「王太子殿下、お目に掛かれて光栄です!」
「殿下、この度はご招待ありがとうございます」
「ああ。これから大変だろうが、期待している」
今まで見た中では一番柔和な顔でそう言ったヴィクトルに、ルネはホッとして笑顔を見せた。
そこにラウルが割り込むように前に出て口を開いた。
「あの、殿下! 私は」
「エフラー伯爵!」
余計な事を言わないでとルネが止めようとした時、背後にいたシャーリーが声を上げた。
「あなた、妻のことをしっかり監督しておきなさい」
「そ、それはどういう……?」
戸惑った声を出すラウルに、シャーリーは苛ついた顔をしてラウルに指を突きつける。
「あなたの妻は目上に対する態度がなっていないわ。城で過ごすなら、もう少し態度を改めさせなさい」
「シャーリー、そのくらいにしておけ」
「ふんっ」
ヴィクトルに窘められてシャーリーは口を閉じると、一度ルネを睨み付けて去って行った。その後を追い掛けることなくヴィクトルはシャーリーから視線を外すと、こちらを向いた。
「シャーリーと随分険悪になってしまったな」
「すみません……」
「シャーリーには私からも言っておくが、あまりいがみ合うことがないようにな」
「はい……」
釘を刺されてルネはしょんぼりと頷く。ヴィクトルが他の貴族の元へ行ってしまうと、ラウルが目を吊り上げて腕を強く掴んだ。
「おい! シャーリー様に何をしたんだ!? あの方は王太子妃になられる方だぞ!」
「……分かっています」
「私に不利益になるようなことは絶対にするなよ!」
周囲には聞こえないように、小さな声でそれでも厳しく言ったラウルに、ルネは小さく溜め息を吐いて頷いた。
その後、運よくエミールに会うことなく舞踏会は終わり、ルネはやっとラウルから解放されると自室に戻った。
◇◇◇
次の日からルネはまた仕事漬けの日々に戻った。舞踏会などのイベントに呼ばれることもなく仕事に集中はできたが、だからといって進展もなく、悶々とした時間が過ぎるだけだった。
今日も何の成果も上げられずルネが肩を落として廊下を歩いていると、正面からドレスの女性が3人歩いてきた。楽しげに話しながら歩く姿をちらりと見て、シャーリーではないとホッとすると道を開ける。
相手の身分が分からない時は、自分が道を譲った方が問題が少ないので、ルネは城に来てからずっとそうしている。
「ごきげんよう」
何もなく通り過ぎるかと思ったが、女性たちは足を止めてこちらに向かって挨拶をしてきた。
「ごきげんよう」
3人の顔を見て挨拶を返すが、知った顔ではない。
「エフラー夫人、お仕事はどう?」
「え? なぜ……」
なぜ知っているのかと訝しんだが、真ん中に立つ女性がクスクスと笑い扇を広げたことで、ハッと気付いた。
(この人たち、シャーリー様の取り巻きだわ……)
人を馬鹿にしたような笑いはシャーリーにそっくりだ。ルネは眉を顰めて3人を見た。
「わたくしたち、あなたとおしゃべりがしたかったの」
「そうそう。伯爵夫人ですもの。お近づきになりたいわ」
「国の重要なお仕事って何か、とっても興味がありますわ」
3人はそう言うと、なぜかルネの両腕を掴んだ。
「え!? ちょっと……」
「こちらにいらっしゃって」
連行されるようにしっかりと腕を掴まれてしまい、ルネは一瞬抵抗しようしたが、舞踏会でのヴィクトルの言葉を思い出して動きを止めた。
(仕方ない……、少し付き合うか……)
ここで抵抗して揉め事を起こせば、また牢に入れられてしまうかもしれない。そうなるくらいなら、今少し我慢すればいいことだと、ルネは腹を括った。
3人は近くの部屋に入ると、ルネから手を離した。
小さな部屋は客室なのか誰もおらず、嫌な予感しかしない。
「あなた、城での決まり事をあまり知らないようね」
「……何か、失礼なことをしましたでしょうか」
「そういう口を利くのがだめだと言っているのよ」
(じゃあ、どうしろっていうのよ……)
浅く溜め息を吐くと、突然背後にいた女性に肩を掴まれた。よろけて膝をつくと立ち上がらないように体を押えられてしまう。
「何をするんです!?」
「あなたがいけないのよ。シャーリー様を傷つけるようなことをするから」
「私は何もしていません!」
「既婚者でありながら、他の男性に色目を使うなんてはしたないことよ」
「だからそんなことしてません!!」
さすがに黙ってはいられないと声を上げた瞬間、耳元でジョキンと何かが切れる音がした。
驚いて振り返ると、もう一人の女性の手にハサミが握られている。
(え……?)
まさかとゆっくりと視線を床へ向けると、そこには自分の栗色の髪が散らばっている。それも数本どころではない。ざっくりと切られたのか、束に近い状態で床に落ちていて、慌てて首元に手をやった。
「髪が……」
髪に触れてみると、本当に首元辺りで切られている。
女性たちはルネの様子を見て、クスクス笑い続ける。
「少しは反省したかしら?」
「よくお似合いよ、エフラー夫人」
(陰湿ないじめね……)
出会ったすべての貴族の女性が、皆同じような性格でうんざりする。何もかもくだらない。
(これで私が泣いたりすれば、この人たちは満足するんでしょうね……)
どうせシャーリーの差し金だろうと、大きく溜め息を吐くと立ち上がる。
「もういいですか?」
「え?」
「もう用がないなら、私は行きますね」
そう言って歩きだすと、ふいにドアが開いた。
「あら、皆さんで何をしてらっしゃるの?」
姿を現したのはシャーリーで、ルネと目を合わせると驚いた表情を作った。
「まぁ! その髪はどうしたの!?」
心底驚いたような声を出して近付く。その白々しい態度にルネはうんざりした。
「まさかあなたたち、エフラー夫人の髪を切ったの?」
「申し訳ありません! シャーリー様! エフラー夫人がシャーリー様に嫌な態度を取ったから、反省させようと思って!」
「まぁ、そんな……。わたくしはそんなこと気にしていないわ。女性の髪を切るなんて……」
「お許し下さい! シャーリー様! わたくしたちはシャーリー様のことを思って!」
3人はシャーリーの前に膝を突いて許しを乞うている。その馬鹿馬鹿しい光景をルネは白けた目で見つめる。
「仕方のない子たちね。わたくしを思ってやり過ぎてしまったのね」
「そうなのです!」
「分かったわ、許してあげる。エフラー夫人、この子たちを許してあげてね。決して悪い子たちじゃないのよ」
まるで慈悲深い人間のように優しく笑い掛けるシャーリーに、ルネは言葉もなく視線を向ける。
(まるで茶番ね……)
「でもどうしましょう。そんなに短くなってしまって……。結っても上手くまとまらないでしょうし……」
こちらを心配しているようなことを言うシャーリーに、ルネはにこりと笑ってみせた。
「それはご心配いりません」
そう言うが早いか、女性の持っていたハサミを奪うと、一瞬シャーリーに向けた。
「キャッ!!」
小さく悲鳴を上げるシャーリーから視線を外し、ハサミを自分に向ける。そうして残っていた髪をジョキジョキと切り落とした。
「な……、なにをしているの!?」
さすがに驚いた4人が目を見開く。ルネはそれを気にせずハサミを床に投げ捨てた。
「あー、さっぱりした。これで不揃いじゃありませんね」
「あ、あなた……」
怯えたような顔をしてこちらを見る3人に笑い掛ける。シャーリーは異様なものを見るような目つきでこちらを見ている。
本当にもう付き合ってられないとルネは大きな溜め息を吐くと、大股で歩きだした。
「ごきげんよう、皆様」
そう言ってドアを開けると、部屋を出る。
「なんてくだらない……」
ルネは吐き捨てるように呟くと、自分の部屋に戻ったのだった。




