第18話 新たな難題
城で寝起きできることになったルネは、すぐにコレットを呼び寄せた。
部屋を訪れたコレットは、少し心配そうな顔でルネに走り寄った。
「お嬢様!」
「コレット」
「城から帰ってこないので心配しておりました。でも、これはどういうことです? 城にお部屋を貰っただなんて」
「それはゆっくり説明するわ」
ルネはにこりと笑うとそう言って、コレットの手を握った。
自分が仕事に出ている間、ずっと屋敷にいるコレットのことが心配だった。アストリットに酷い仕打ちをされていたらどうしようかと気が気ではなかった。
コレットは自分よりもよっぽど頭が良くて、強い女性だからきっと大丈夫だとは思っていたが、それでも辛い思いをさせたい訳じゃない。だから城にすぐに呼び寄せたのだ。
これまでの顛末をざっと説明すると、さすがにコレットも目を大きく開いて驚いた顔をした。
「お嬢様に王命が……。驚きました……」
「しばらくは城で過ごすから、コレットも侍女ということで続き間に入れることになったの。これで少しは落ち着いて暮らせるわね」
「ありがたいことです。それにしても精霊の声が聞こえるなんて、お嬢様、すごいですね」
「まぁね。私もちょっと驚いているわ」
ラウルと結婚してから、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
「人生って、面白いわよね」
そうポツリとルネが呟くと、コレットは「そうですね」と優しく微笑んだ。
次の日の朝、久しぶりにちゃんとした朝食を食べゆっくりしていると、約束通りエミールが部屋を訪れた。
「おはよう、ルネ」
「おはようございます、エミール様」
エミールが穏やかに微笑んで名前を呼んでくれたことにホッとすると、イスから立ち上がりそばに寄る。
「準備ができているようなら、早速行こうと思うけど」
「大丈夫です。行きましょう」
促されて部屋の外に二人で出ると、コレットが笑顔で「行ってらっしゃいませ」と見送ってくれる。
ルネは一瞬コレットに笑顔を向けた後、エミールと並んで廊下を歩いた。すでに廊下にはちらほらと貴族の姿がある。その人たちがエミールの姿を見つけると、慌てて頭を下げた。
当たり前のことだが、そんなことでエミールが王子様なのだと改めて感じた。
「あの部屋は住み心地はどうだ? もっと広い部屋の方がいいなら用意させるけど」
「いいえ! あの部屋で十分です! ベッドもふかふかでぐっすり寝すぎて、今日はちょっと寝坊しちゃったくらいです」
「そうか? それなら良かった」
他愛ない話をしながら地下へ行くと、エミールが石の扉を開けた。その途端、いつもとは違うざわめきが耳に届いた。
「え!?」
ルネは驚き、走って花畑に向かう。今までとはまったく違うざわめきに戸惑いながら、周囲に目をやる。精霊たちは飛び回り、活発に動いている。
「エミール様! これはどういうことですか?」
「精霊たちの目が覚めたって言っただろ? ここだけじゃない。外にいる自然の精霊たちも目が覚めて飛び回っているよ」
エミールはゆっくりと近付いてくると、笑顔で精霊を見た。
「精霊たちの言葉が変わってる」
「ああ、やっぱりそうか。今までのざわめきとは何か違うものな」
「これって……」
「魔法の呪文だと思う」
エミールはそう言うと、手に持っていた本をパラパラとめくった。
「これを見てくれ」
ルネがそばに寄り本を覗き込むと、そこには炎の魔法と書かれ、その下にはルネでは読めない文字が書かれている。
「炎の呪文?」
「うん。目覚めた精霊たちは、それぞれ自分たちの力で使える呪文を口にしているらしい」
「え……、じゃあここに書かれた呪文を言えば、魔法が使えるんじゃ……」
「これは先代の精霊王の魔法なんだ」
「ああ、そっか……」
以前少し話してもらったことを思い出してルネは頷く。エミールはまたページをめくると、今度は水の魔法と書かれている。
「今俺たちが魔法を使えないのは、この呪文がすべて新しいものに変わってしまったからと考えられている」
「新しい呪文……」
「そう。だからこの教書に書かれた呪文は、何の役にも立たない」
「え……、ということは……、私がこれ全部……、聞き出す、とか……?」
「そうだ」
エミールがはっきりと頷き、ルネは慌てて教書を奪うように手にすると中身を確認する。
そこにはたくさんの呪文が書かれていて、ざっと見ただけでも100じゃすまないのは確かだ。それもエミールの手にはまだ本が2冊ある。
「本気で言ってます!?」
「ああ、もちろん」
にこりと笑うエミールにルネが眉間を寄せると、エミールは苦笑してポンとルネの肩を叩いた。
「全部をいっぺんに聞けと言ってる訳じゃないさ。一つひとつ、増やしてくれればいい。そしていくつか呪文を聞きだした後、精霊王の目を覚ます言葉を探してみてほしい」
「精霊王が目覚めると、どうなるのですか?」
「精霊の力がすべて解放される。そうすれば、最大威力の魔法も使えるようになるはずなんだ」
「なるほど……」
意味はよく分かっていなかったがとりあえず頷くと、本にもう一度視線を落とした。
「とにかくやってみるしかないか……」
「うん。ルネならやれると信じてるよ。それで、まず最初に、炎の呪文を聞いて欲しいと俺は思ってるんだけど」
「炎の呪文?」
「そう。ほら、あそこに飛んでいるのが炎の精霊だ」
「ど、どこですか?」
エミールが指を差す先には、たくさんの光が瞬いていて、どれを差しているのか分からない。すると、エミールが身を寄せて顔を近付けた。
「ほら、あの赤い光」
「あ……、は、はい……」
息がかかるほど近くで言われて、ルネの心臓がうるさいくらい早鐘を打つ。ルネは内心で叫び声を上げながらも、平静な表情をして頷いた。
「精霊たちは炎や水、風などの色々な自然の象徴だ。その姿は炎ならば炎のような姿、水ならば水のような姿でいて、放つ光もその力の色に近い」
エミールの説明に視線を巡らせると、確かに近くを飛ぶ精霊たちは色々な色に輝いている。今までは皆同じような白い光だったからあまり気にしていなかった。
「炎の魔法はすぐに戦いに使える。皆が一つでも炎の魔法を使えるようになれば、魔物との戦いが少しは楽になると思うんだ」
「……分かりました。炎の魔法ですね。やってみます」
今までよりもさらに難易度が上がったような気がして、少し気弱に返事をすると、エミールは優しく笑った。
「俺もできるだけ時間を割いてこちらに来るよ。王命が出たからといって焦る必要はないから」
「はい、エミール様……」
励ますようなエミールの言葉に、ルネは笑顔で頷くと、色とりどりの精霊の姿をまっすぐに見つめた。
◇◇◇
その後、エミールは仕事があると言って精霊の間を出て行った。一人取り残されたルネは渡された本を足元に置くと、とりあえず花畑をぐるっと歩いてみた。
昨日までの風景とはまったく違うと言ってもいいくらい、様相は変化している。淡い白い光で満ちていた花畑は、色とりどりの光が溢れている。どこからか風も吹いていて、まるで外にいるような爽やかさを感じる。
ただ問題なのはざわめきがさらに大きくなったことだった。今までは同じ言葉をバラバラに呟いていた精霊たちが、今はそれぞれ好き勝手に言葉を発している。まるで雑踏の中にいるように、ただ騒がしく感じる。
「すごい声……」
これは耳を澄ませたからといって、どうにかなるものじゃない。
「何か手を考えなくちゃ」
赤い光を放つ炎の精霊はちらほらいるけれど、纏まって飛んでいる訳ではない。勝手気ままに飛んでいる精霊を追いかけてみるが、ふわふわと飛んでいる割には追い付かない。
「うーん……」
エミールに返事をしてしまった手前、炎の魔法から取り込むべきだろう。それにエミールの頼みなら絶対叶えたい。
「よし!」
ルネは気合を入れると、本を置いた場所に戻りその場に座り込んだ。
そうして進展もなく夕方になり、とりあえず部屋に戻ろうと石の扉を出て廊下を歩いていると、最悪なことにシャーリーとばったり出くわしてしまった。
慌てて道を開け、膝を落とす。そのまま素通りしてくれる訳もなく、シャーリーは足を止めた。
「あら、エフラー夫人じゃない」
「ごきげん麗しゅうございます、シャーリー様」
城に来てそうそう問題を起こしてはいけないと冷静に挨拶をすると、シャーリーは取り巻きの女性たちに顔を向けた。
「皆さん、この人はエフラー伯爵の奥方よ。今、城で特別な仕事をしているの」
「まぁ、エフラー伯爵様の!?」
「あの麗しい方の奥方になれるなんて羨ましいわ」
「女性なのにお仕事って、何をなさっておいでなの?」
3人の女性がそれぞれ口を開いて聞いてくる。それには答えずに困ったように笑みを見せると、シャーリーはそれまで見せていた笑みを消して、手にしていた扇でルネの顎を持ち上げた。
「陛下から王命を受けたからといって、我が物顔で城を歩かないでちょうだい」
「申し訳ございません」
ルネはまっすぐにシャーリーを見つめ謝る。だがそれも気に入らなかったのだろう。シャーリーはピクリと眉を動かすと、扇で頬を軽く打った。
「その目が気に入らないのよ」
シャーリーの態度に取り巻きの女性たちは驚き、それまでの浮ついた空気が凍り付いた。
「いい? わたくしはまだあなたのことを許していないから」
ルネが無言でいると、シャーリーはふんと顎を反らして踵を返した。その後を追って取り巻きたちもそそくさと去っていく。
その背中が遠ざかるのを見つめ、曲がり角で姿が見えなくなると、ルネは姿勢を戻した。
(アストリットと離れられたと思ったら、今度はこっちか……)
ルネは重い溜め息を吐くと、自分の部屋に戻った。




