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第16話 精霊の目覚め

 精霊のざわめきを聞きながら歩き、洞窟の隅に置いておいたノートを広げる。


(バラの上にいた精霊は確かに『ルーネ』と言った。そして、ここにいる精霊たちも同じ言葉を言っている気がする……)


 本当はエミールと相談して、これからどうするかを決めたかった。けれどこうなった以上、自分でどうにかするしかない。

 精霊を一人だけにするのは、閉じ込められてしまった以上、今はできないだろう。それなら、もはややることは一つだ。


「集中して……」


 このざわめきの中から、一言を拾い上げるしかない。

 二週間まったくできなかったことだが、一日でそれをやり遂げるしかない。


(エミール様のためにも、絶対やらなくちゃ……)


 その場に膝を突き目を閉じて、エミールの顔を思い浮かべる。

 それから2時間以上は、微動だにせず耳に全神経を集中させた。


(やっぱり聞こえる……。ルーネだわ……。でもその後に何か……)


 言葉には続きがあるように感じる。たくさんの言葉の中から、『ルーネ』で始まる言葉は徐々に聞き分けられるようになってくる。

 ルネは一度目を開けると、両耳を塞ぐように手を当てる。


(頭痛い……)


 ズキズキとこめかみが痛む。それでもここで挫けてはいけないと唇を噛み締める。


(落ち着いて……。まだ全然時間はある……)


 焦る必要はないと自分に言い聞かせてもう一度目を閉じると、眉間に深い皺を寄せて集中する。

 そこからはもはや時間の経過はよく分からなかった。今は昼なのか夜なのかそんなことも気にせず耳をそばだてる。

 それでもやはり『ルーネ』以外は聞き取れず目を開けた。


「ルーネ……」


 ポツリと呟いた時、ふと違うと感じた。


「発音が違うわ……」


 声に出してみて初めて気付いたが、自分の名前とはだいぶ違う発音だ。精霊たちの発音は、『ル』ではなく『リュ』に近い。


「リューネ……、ルーネ……、ルネー」


 少しずつ変えながら発音を繰り返す。精霊たちと同じ発音にならず、何度も何度も繰り返していると、ふいに周囲の光が増した。


「え!?」


 ルネは驚いて周囲を見回すと、精霊たちが羽を広げて飛び始める。その光もまた少し強くなっているように感じた。


「もしかして……、『ルーネ』?」


 最後に試した発音をもう一度口にした途端、また光が瞬いた。ルネはその様子に目を見開くと、楽しげに飛び回る精霊を見上げた。


「あなたたち、もしかして同じ言葉を言ってほしいの?」


 確かにこちらの言葉に反応しているように見える。なぜかは分からないが、そう感じた。

 初めて言葉が通じた感動にルネは元気を貰うと、笑顔で立ち上がる。


「あなたたちの声が聞きたい。何が言いたいの? 私に聞かせて!」


 精霊にそう呼び掛けると、ルネはまた目を閉じ精霊たちの声にじっと耳を傾けた。



◇◇◇



 一睡もせずに精霊の声を聞き続け、ついに丸一日が経った。ルネには時間の経過が分からなかったが、石の扉が開きヴィクトルが入ってくるとルネは目を開けた。


「ルネ、大丈夫か?」

「はい、エミール様……」


 相当な疲労を感じて、ルネは囁くような声しか出ない。


「どうだ? 何か分かったか?」

「どうせ何も分からなかったんでしょ? もう嘘は通用しないわよ」


 シャーリーが口の端を上げて言うのを、静かな目で見つめたルネは、ゆっくりと立ち上がる。


「ルネ……」

「殿下、エミール様、私にこの機会を与えて下さり、本当にありがとうございました」


 ルネはそう言うと深く頭を下げる。


「何も分からなかったのだな」


 ヴィクトルが浅い溜め息を吐く。シャーリーは勝ち誇った顔で笑い、エミールは肩を落とした。

 ルネは3人を見つめて、微笑むと目を閉じる。そうして大きく息を吸った。


「『ルーネ・エル・ノール』!!」


 慎重に、でもはっきりと発音すると、ぶわっと周囲の光が膨れ上がった。


「な、なんだ!?」

「きゃっ!!」


 ヴィクトルとシャーリーが驚いた顔をして周囲を見渡す。

 室内のはずが強い風が吹き、花びらが舞う。精霊たちのざわめきは、一斉に『ルーネ・エル・ノール』という言葉の大合唱になった。


「ルネ……、君……」

「はい、エミール様」

「やった……、やった! やったな!! ルネ!!」


 呆然としていたエミールは、徐々に感情を爆発させると、ガバッとルネを抱き締めた。

 ルネはそれを受け止めながら、晴れやかに笑う。


「すごい……、これは何なんだ? 魔法なのか?」

「違います、兄上。これは精霊たちの目覚めの言葉です。今まで精霊王と一緒に精霊たちも眠っていたんです。それが今の言葉で目覚めたんです。これで魔法が復活する!」

「本当か!?」

「はい!!」


 エミールの説明に驚いたヴィクトルは、ルネを見て大きく頷いた。


「よくやった! エフラー夫人!!」

「ありがとうございます、殿下」

「ま、待って下さい! ヴィクトル様! じゃ、じゃあ、この女の罪は……」

「それは約束通り、許すことにする。それよりこれからのことを考えねば。すぐに父上に報告する。行くぞ、シャーリー」

「ヴィクトル様!」


 颯爽と歩きだすヴィクトルを、シャーリーは慌てて追い掛ける。その二人を見送ってから、ルネはまたエミールに顔を向けた。


「綺麗だな」

「え!?」

「精霊の光がこれほど綺麗だと思わなかった」

「あ、ああ……、そうですね……」


(びっくりした……)


 自分のことを言っているのかと勘違いしたルネは、動揺した声を出しながら頷く。

 周囲はやっと光が徐々に収まってきてはいるが、以前よりもずっと明るい。確かにこれは精霊が起きたというのがぴったりの表現だった。


「本当に、よくやったな、ルネ」

「はい。ギリギリでしたけどね。皆さんが入ってきた時は、少し焦りました」

「そんな風には見えなかった」

「そうですか?」


 ふふふとルネが笑うと、エミールも微笑む。


「これで精霊たちから魔法が聞き出せる。ルネにはこれからも頑張ってもらわないと」

「私以外、魔法使いの方は聞き取れないのですか?」

「たぶん無理だ。精霊語を理解している俺が聞いても、まったく聞き取れないんだから」

「そうですか……」


 今回のことで思ったが、やはり精霊語が理解している人の方が聞き取れるんじゃないかと思ったのだ。

 発音の複雑さは、大陸語の比ではない。これをいちいちやっていたら、時間がいくらあっても足りない気がする。


「大変だとは思うが、ルネにやってもらうしかないんだ」

「私、まだここで仕事ができるんですか?」


 シャーリーとのことが気になって訊ねると、エミールは笑顔で頷く。


「もちろんだ。今回のことはシャーリーがわがままを言っただけだからな。兄上も無下にはできなくて話は聞いたが、本当は牢に入れた時点で、もう罰は与えられたようなものだったんだ」

「そうだったのですか……」

「ルネはしっかり成果を見せたからな、これで正式に国がルネを雇うことになると思う」


 ルネはエミールの言葉に安堵した。これで解雇は免れた。1千万リールの道は、まだ閉ざされてはいない。


「ルーネ・エル・ノールか……」

「あ、それ、どういう意味なんですか?」

「『光の道を辿れ』って意味だな」

「光の道を辿れ……」


 エミールは精霊を見上げて手を差し出す。その手に纏わりつくように精霊たちが飛んで、まるでエミールが光っているように見えた。


「そうか……、光の道……、目覚めの言葉はこれだったのか……」

「綺麗な響きですよね」


 ルネがそう言うと、エミールはこちらに顔を向けて微笑む。


「ルネ、あれは完璧な発音だった。何も教えてもらっていないのに、よくできたな」

「精霊たちの言う通り、言ってみただけです」

「精霊たちの言う通りか……。本当に精霊の言葉が聞こえたんだな」

「はい」


 ルネは笑顔で頷くと、ふらりとその場にしゃがみ込んでしまう。


「大丈夫か!?」


 エミールが驚いてそばに膝を突く。心配そうな表情でこちらの顔を覗き込んできて、ルネは大きく息を吐いた。


「よく考えたら3日まともに寝ていないのを、今思い出しました」

「ルネ……」


 苦笑しながらそう言うと、エミールはそっとルネの手を握った。


「エミール様?」

「本当にごめん……。俺がしっかりしていないから、牢なんかに入れられて……」

「謝らないで下さい。全然エミール様のせいじゃないです。私、エミール様には本当に感謝しているんです。こんな大きな仕事を任せられて、とっても嬉しいんです」

「ルネ……」


 紫の瞳を見つめてそう言うと、ルネはにこりと笑う。

 エミールはルネの言葉に真剣な表情になると、握った手に力を込めた。


「ルネ、また辛いことがあるかもしれない。でも俺が絶対に守る。俺を信じて頑張ってくれるか?」


 まっすぐに見つめられて言われた言葉に、ルネは自分の胸が高鳴るのを感じた。


(だめだめ、勘違いしちゃ……)


 エミールは仕事として言っているのだ。ルネは自分にそう言い聞かせると、唇をキュッと引き締める。


「はい、頑張ります。エミール様」


 ルネは明るい声を無理に出すと、笑顔でそう答えたのだった。

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