第13話 解雇
自室に戻ったルネは、着替えると軽く朝食を食べてすぐに屋敷を出た。
温室で聞いた精霊の声を覚えている間に、地下の精霊のところに行きたかったのだ。半ば走るように城へ向かうと、もうすっかり顔なじみになった門衛に挨拶して城門をくぐる。
まだ兵士の姿しかいない廊下を進み地下へ降りると、石の扉を押し開けた。
「おはよう、みんな」
ルネは精霊に向かって挨拶をすると、軽い足取りで花畑の中央へ進むと足を止めた。
いつものざわめきを聞きながら、その場にしゃがみ精霊を見つめる。
(この子たちを一人ずつにすれば、どうにかなるかもしれないのよね……)
一人だけをもし外に連れ出すことができれば、確実に言葉が聞き取れるかもしれない。
(これはエミール様に聞いてみる必要があるわね……)
精霊は勝手気ままにしているだけだ。いくらルネが呼び掛けたところで、まったく応答してくれたことはない。けれどエミールなら、もしかしたら精霊を連れ出す術を知っているかもしれない。
ルネはどんどん未来が開けていくような感覚にワクワクすると、エミールが来てくれるまでは色々試してみようと立ち上がった。
それから午後になって石の扉が開く音が聞こえ、ルネはパッと目を開けた。
「エミール様!」
笑顔で立ち上がり、扉の方へ走り出したが、暗闇から姿を現したのは、ヴィクトルだった。
「王太子殿下!」
まさかヴィクトルが来るとは思わず、ルネは急停止するとその場で腰を落とした。
「ご、ごきげん麗しゅう存じます、殿下……」
あまり言い慣れていない挨拶をぎこちなくすると、そっと視線を上げる。
「エフラー夫人」
「は、はい……」
ヴィクトルは硬い表情で視線を合わせると、すっと手のひらを上にした。姿勢を戻していいということだろうとルネはゆっくり立ち上がる。
「ここに来て二週間経ったな」
「はい……」
「何か成果はあったか?」
「……いいえ……」
ルネが下を向いて弱く首を振ると、ヴィクトルは浅く溜め息を吐いた。
「やはり無理か……」
「で、殿下! ですが、」
「エミールがどうしてもと言うから聞き入れたが、期待外れだったな」
心底がっかりしたという表情で言ったヴィクトルの言葉に、ルネは焦った。このままでは自分を推薦してくれたエミールの評価まで落ちてしまう。
それだけは絶対だめだと、ルネは顔を上げた。
「殿下! もう少しだけ時間を下さい! やっと分かりかけてきたんです!」
「何日やろうが無駄だ。そなたは魔法使いでも何でもない。魔法の素養もないのに、こんなこと最初から無理だったんだ」
「魔力はあるとエミール様が言っていました! 精霊の声も聞こえるんです! お願いします!!」
ルネは頭を深く下げ必死に訴えるが、ヴィクトルの表情は変わらない。
「あと一週間、いいえ、3日下さい! 絶対に聞き分けてみせます!!」
「しつこい! そなたはもうクビだ!」
ヴィクトルはそう言うと、ルネに背中を向け歩きだしてしまう。
「ま、待って下さい!!」
焦ったルネは、ヴィクトルを追おうとした。けれどなぜかぐらりと視界が回ってその場に膝を突いてしまう。
「あ……、あれ……」
立ち上がろうとしても足に力が入らない。ルネはぐるぐる回る視界に怖くなってヴィクトルの方を向いたが、もはやどこにいるのかも分からない。
「おい、どうした?」
「……なんでも……ないです……」
迷惑を掛けてはいけないと首を振ったが、地面に突いていた手にも力が入らず、しまいには花の中に倒れ込んだ。
「お、おい!」
ヴィクトルの声が遠く聞こえて、返事をしたつもりだったが、ルネは重い目蓋を閉じてしまうと、それきり意識を手放した。
◇◇◇
なんだかとてもふかふかのベッドで眠っている夢を見たルネは、ゆっくりと目を開けると見知らぬ天井を見つめた。
(あれ……、ここ、私の部屋じゃない……?)
「コレット……」
横に寝ているはずのコレットの方へ顔を向けたルネは、そこにエミールがいて目を見開いた。
「エミール……様?」
「目が覚めたか」
(え……? なんで? え……?)
自分がなぜ寝ているのか、その枕元になぜエミールがいるのか、まったく分からない。
混乱する頭でエミールを見つめたままでいると、エミールは安堵したような顔で微笑んだ。
「驚いたよ。兄上からルネが地下で倒れたって聞いて」
「倒れた?」
「ああ。目の前で倒れたって。兄上がこの部屋に運んでくれた後、ずっと眠っていたが、気分はどうだ?」
「王太子殿下が……ここまで……?」
ルネはゆっくりと起き上がると、思わず頭を抱えた。
(仕事でも成果を出せていないのに、そんな迷惑まで掛けてしまうなんて……、私のバカ……)
「ルネ? 大丈夫か?」
「はい……、すみません。たぶん昨日あんまり寝てなくて、それが原因だと思います……」
「俺が無理をさせていたんだったら謝る」
「あ、いえ! エミール様のせいじゃありません!」
疲れて帰ってきた後に、夜通し温室にいて少ししか寝ていなかったので、疲労によるめまいでも起こしたのだろう。
それに体を濡らしたままずっといたので、風邪気味だったのも倒れた原因だろう。
「体調管理ができていなかった自分がいけないんです。私の方こそ王太子殿下にご迷惑を掛けてしまって、申し訳ありませんでした」
「……兄上から、話は聞いたか?」
「はい……。もう私はクビだと……」
「すまない。もともと二週間だけでも試させてほしいと言ったのは俺なんだ」
「いえ、私が成果を出していないのがいけないんです。でも、」
昨日精霊の声を聞くことができたことを報告しようとしたルネだったが、突然バタンとドアが開いて言葉を止めた。
何事だと驚いてドアに視線を向けると、たっぷりとした金髪の巻き毛が美しい女性が走り込んでくる。
「あなたね!? ヴィクトル様をたぶらかしている女は!!」
甲高い声でそう言うと、ずかずかとルネに近付きそのままの勢いでルネの頬をびんたした。
「おい! シャーリー!!」
「王太子に色目を使うなんて、いい度胸じゃない!!」
目の前で言われた意味がまったく分からず、ルネは痛む頬に手を当て、呆然とシャーリーという女性を見つめた。




