8.アネモネ通り(仮)にて
明けましておめでとうございます。
お待たせし過ぎまして申し訳ありません!
「これはまた……美しいですね」
馬車から降り、歩いて石畳を見てみると、また違った景色が見えてきた。
石畳の一部に他の場所よりも濃い色の石が使用され、見事な花模様を描いていたのだ。
「模様とその周りは石の形を変えてあるんですね」
「そのようだね。様々な形の石を使って美しい曲線が描かれているな」
馬車に揺られているだけでは気づけなかった景色だ。
正方形の石が規則的に並べられた石畳も美しいけれど、こちらの様々な形の石を使った模様もまた美しい。
「模様を作ろうと提案したのはバージェス殿下らしい」
「バージェス殿下ですか?」
「ああ。ちなみにこの花のモデルはアネモネだそうだ」
「……もしかして、バージェス殿下の想像するアネモネは青色ですか?」
「そうだろうね。我が妹ながら良き相手に恵まれて幸せなことだ」
クライヴァル様は満足そうに目を細めた。
それはなぜか。簡単に言うと、青いアネモネはバージェス殿下とクリスティナ様の互いへの愛の象徴であるからだ。
クリスティナ様の一番好きな花が青いアネモネなのである。
そして青はバージェス殿下の瞳の色だ。
元々青色が好きであったらしいが、ある時クリスティナ様がバージェス殿下から青い花だけで作った花束をもらったらしい。
その花束の中で最も殿下の瞳の色に近かったのが青いアネモネだったそうだ。
その時から特に青いアネモネが好きになったのだと聞いたことがある。
バージェス殿下はそんなクリスティナ様の一番好きな花を、自分が初めて主導で進めた改修工事の一部に取り入れたというわけだ。
「完全に職権乱用ですけど華やかで良いですね」
もういっそのことこの花模様を組み込んだ理由を公にして『アネモネ通り』なんて愛称をつけてみてはどうだろう。
二人の仲の良さも伝わるし、上手くすればちょっとした観光名所にもなりそうだ。
そんなことを伝えれば、クライヴァル様は「なるほど。殿下に提案してみよう」と言って笑った。
「何かおかしかったですか?」
「いや、私の妻となる人は発想力が豊かだと思ってね」
「そうですか? これくらいのことはみんな考えません?」
「どうかな。少なくとも私はそこまでのことは考えていなかったよ」
政略的なものでも愛のある婚姻で良かったなと思ったくらいだとクライヴァル様は言った。
「その愛こそが重要なんですよ」
平民の、特に女性たちは恋愛の話が好きな人が多い。
比較的安価で手に取りやすい小説なども恋愛を題材としたものも多い。中でも人気なのは貴族の世界の恋愛ものだ。
「前にも言ったかもしれないですが、平民は貴族を恐れているところもあるけれど、それと同時に羨んだり、どんな生活をしているのだろうとか想像したりもするんです」
自分たちと同じ人間だけれど、根本的に自分たちと住む世界の違う人々。
貴族がどんな生活をしているのか、何をして過ごしているのか、自分たちとは違うというのは想像に難くないけれど実際どう違うのか。
そんな想像すらも話のネタになる。
つまりみんな興味津々なのだ。
「自分の住む国の王子様が妻となる女性を想い描かせた模様なんて、女性たちのときめきど真ん中ですよ。皇太子夫妻の人気はうなぎ上り間違いなし! そんな素敵な二人にあやかりたいとみんな思うわけです」
王族なんて貴族の中でも自分たちから一番遠い存在だけれど、そんな人でも自分たちと同じように誰かを想ったりするのだという事実は、一気に親近感を高める。
あと、将来自分たちの住む国を治める人たちが仲睦まじいってなんか嬉しいし安心感がある。
平民みんなが同じ考えだとは言わないけれど、私が昔孤児院にいた時に街に買い物に出た時も、店主の奥さんたちが「王様が王妃様のお誕生日に百本の薔薇を贈ったらしいよ。結婚されて何年経ったかね。いまだに仲が良いみたいで素敵よね」みたいな話をしていたのを覚えている。
まあこの後は「それに比べてうちの旦那ったら花一本さえくれないんだから」という愚痴に変わっていったのだけれど。
「つまり何が言いたいかというと、バージェス殿下とクリスティナ様の相思相愛物語は平民の興味をとても引く、ということです」
こう思うのは私が平民も貴族も両方体験しているからかもしれない。
「なるほど。ではあの辺りにベンチでも設置することを検討してみようか」
バージェス殿下とクリスティナ様にお忍びで来てもらって一度腰掛けてもらえば、より観光名所になるだろうとクライヴァル様は笑った。
仲睦まじい皇太子夫妻が座ったベンチ。人々が列をなす姿が目に浮かぶ。
王都の新しい観光名所計画が動き出した瞬間だった。
「ベンチが置かれたら私たちも座りに来てみるかい?」
クライヴァル様の問いに少し考え、私は「どちらでも」と答えた。
「だって、お二人の愛にあやからなくても私たちは大丈夫でしょう?」
それにもしあやかりたかったとしても、直接二人から愛の惚気話を聞いているから十分だろうと私が言えば、クライヴァル様は「違いない」と言ってまた笑った。
それから私たちはゆっくり散策を楽しんだ。
道の改修に伴い周囲の建物も改修や建て直しが進み、この一角は古い街並みと新しい街並みが融合する不思議な場所になっていた。
「マルカ、見てごらん。屋根に煙突が付いているものは昔ながらの建物、煙突が無くなだらかな屋根が新しいものだ」
近年は室内を温める魔道具が発展したため、煙突を必要としなくなったらしい。
「私たちの領地ではまだまだ煙突のある建物のほうが多いんだ。魔道具は普及しているけれど、それだけでわざわざ家を建て替えるほどでもないからね」
「そうなんですね。また一つアルカランデ領に行く楽しみが増えました」
今度アルカランデ領に戻る際には私も同行させてもらうことになっている。
すでに領地の屋敷の使用人たちも私とクライヴァル様の婚約は知っているそうで、私専用の部屋も用意し始めているということなので今から楽しみにしている。
「一応私のほうでマルカについて伝えてあって、そのイメージに合わせて使用人が部屋を整えてはくれるようだが……君からも何か要望があったら言うといい」
どうせなら自分好みの部屋が良いだろうという配慮らしいが、私はあえて使用人に任せてみたいと言った。
「いいのか? 今ならまだ好きなように変えられるんだぞ?」
「いいんです。クライヴァル様が話した私の印象で、どんな部屋になるのか想像するのも楽しいじゃないですか。さすがにピンクのフリルだらけとかだったら困りますけど、そんなことないでしょう?」
フリルやレースをふんだんにあしらった、いかにも少女趣味な部屋だと私の好みから大きく外れるけれど、クライヴァル様が指示しているならそのような部屋になるとは考えにくい。
「それはないな。君は衣服や小物もフリルやレースも似合いはするがあまり好みはしないだろう? もっと落ち着いていて実用的なものが好きなはずだ」
「さすがクライヴァル様。私のことをよくわかってらっしゃる」
「まあ、このくらいはね」
わかって当然といった感じで自慢げに胸を張るクライヴァル様を微笑ましく思っていると、トスンと右肩に軽い衝撃を受け、ガシャンという音が響いた。
どうやら脇道から小走りで出てきた女性が私にぶつかったようだ。
反動で傾きかけた私の身体をクライヴァル様がいとも簡単に受け止めてくれた。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。私は大丈夫です。でも……」
私にぶつかった女性を支える人はおらず、地面に尻もちをつく形になっていた。
しかも彼女の周りにはコップや色の着いた液体が入った瓶が散らばっており、その液体の大部分は零れ、地面と女性の服に沁みを作っていた。
甘い香りが漂っているのでおそらく中身は果実水か何かだと思われる。
傍には持ち運び用と思われる大きなトレイも転がっていることから、この女性は移動しながら飲み物を販売していたのだろう。
「も、申し訳ございません! お貴族様の服を汚して……って、え? あれ? どうして?」
「ああ、心配されなくても大丈夫ですよ。この通り問題ありませんので」
にこりと微笑んでそう返す。
果実水で私の服を汚してしまったと思っていたのだろうが何の問題もない。
なぜなら今日の私は全身に薄くシールドを纏っているからだ。
護衛なしで出掛けるならば必ずシールドを展開すること、と口を酸っぱくして言われているので、今日の私は汚れ知らずのケガ知らずなのである。
「……あの、本当に申し訳ありませんでした!」
勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた女性にもう一度問題ないから気にしないでと声をかけると、彼女は何度もぺこぺこと頭を下げながら落したものを拾い上げ、出てきた脇道を引き返して行った。
「マルカ、大丈夫か? 痛むところは?」
「ありませんよ。本当に大丈夫です。でもあの人は大丈夫でしょうか。あれきっと大事な商品ですよね?」
稼ぎが減ってしまわないか心配だと話す私にクライヴァル様は苦笑を漏らした。
「マルカは本当に優しいね。私は大事な商品ならばなおさら気をつけて運ぶべきだと思うし、そんなことよりもマルカのほうが心配だよ」
「本当に大丈夫ですよ?」
ぶつかった衝撃でよろめきはしたけれど、身体に直接ぶつかる前にシールドがクッション代わりになってくれるから全く痛みは感じていない。
クライヴァル様は、私が学生時代に植木鉢が上から降ってきても大丈夫だったことを知っているくせに、本当に過保護というか心配症というか。
でも私のことを心から案じてくれる人がいるということが、少しくすぐったくも嬉しくもある。
「私は幸せ者ですねぇ」
「急にどうした?」
「愛されてるなあって思っただけです。さあ、次はどこへ行きます?」
クライヴァル様の手を取って一歩前に出れば、その手をぎゅっと握り返してクライヴァル様が笑った。
私の大好きな、私にしか向けられない甘い笑み。
眼差しからも、手からも、言葉からも揺るぎない愛情が伝わってくるのだから、私の心はクライヴァル様といるといつだった温かくなる。
クライヴァル様に思ったままに伝えれば、彼も同じように感じているというのだから、私の愛情もなかなかのものなのだろう。
そんなのん気なことを考えていたからだろうか。
手を繋ぎ、笑みを交わしながら歩く私たちの姿を、遠くから睨んでいる人がいるなんて、この時の私はまったく気づいていなかったのだ。
ちなみに青い花の花束は学生時代編の【番外編 バージェスの恋】に出てきたものです。
この後との繋がりを考えながら書いていて、一回書き終えては「なんか違う……」を何度も繰り返していたため投稿遅くなりました。
すみません(>_<;)
次は一週間以内に上げられる予定です。




