6.帰る場所
休憩を終え、午後の作業を開始しようかという時に一台の馬車がやってきた。
中から降りてきたのはなんとクライヴァル様。
どうしてここに? と思ったが、考えてみれば今回のこの工事は王太子であるバージェス殿下が中心となって行っているものだ。
殿下の側近であるクライヴァル様がそのために動いていても何の不思議もない。
現に今も役人が笑顔でクライヴァル様を出迎えていた。そこに親方も加わって、真剣な顔で道路を指しながら何やら話し合いが行われているようだった。
(作業の進捗状況を確認しに来たのかしら)
普段私といる時は比較的緩んだ表情をしていることが多いから、仕事中のクライヴァル様の表情はなかなか新鮮だ。
(何をしていても様になるわね)
ぴしっと整えられた身なり、伸びた背筋、余裕のある表情と仕草。どれをとっても仕事のできる男感満載である。
ここが工事現場ではなく街中であったなら、女性たちのうっとりとした視線がクライヴァル様に向けられていたことだろう。
「ずいぶんと男前な役人だな。まだ若そうだけどお偉いさんなのか?」
男性であるバルクさんから見てもクライヴァル様は男前らしい。
さすがクライヴァル様だとなぜか誇らしい気持ちになる。
「あの方は王太子殿下の側近でアルカランデ公爵のご子息ですよ」
「あー、王太子殿下……えっ?」
隣りでひゅっと息を飲む声が聞こえた。
「本物のお貴族様じゃねえか」
貴族に本物も偽物もないのだが。
まあ気持ちはわからなくもない。公爵家の人間なんて普通に生活している分にはまずお目にかかることはない存在だ。
しかも王太子殿下の側近。それだけで、なんだかよくわからないけれどとにかくすごい人、というふうに思えてしまう。
無意識だろうけれど、バルクさんの親方に似た大きな体が少し小さくなったような気がした。
「アルカランデ公爵様なんて俺みたいのでも知ってるお貴族様だ。は~、親父のやつよくあんな普通に話せてんな」
「ふふ、そんなに怖い人ではないですよ」
私の言葉に一瞬きょとんとした後、合点がいったようにバルクさんは頷いた。
「ああ、そうか。マルカちゃんもお貴族様だもんな。あんなすごい人とも知り合いだったりするのか?」
「知り合いというか――」
ここで自分は彼の婚約者だと名乗るかどうか迷う。
クライヴァル様も私も今は仕事でここにきている。クライヴァル様も私がこの現場にいることは知っているだろうけれど、あえて仕事モードを崩さずにいるのなら言わなくても良いのではと考えていると、ふいにクライヴァル様と目が合った。
「な、なんかこっち見てないか?」
「見てますねえ。あ」
クライヴァル様は目があった後微笑むと、私に向かって来い来いと手招きをした。
「呼ばれてますね。行きましょうか」
呼ばれたからには行くしかない。
「え? 俺も?」
「ええ。行きますよ」
呼ばれたのはおそらく自分だろうけれど、一応一緒にいたバルクさんも連れていくことにした。
「お呼びですか?」
クライヴァル様たちのもとへ行くと、3人とその周りにいた人たちの視線が一斉に私たちに向く。
「お疲れ様です」
「頑張っているみたいだね。今ちょうど君の話をしていたところなんだ」
「私の話、ですか?」
「おうよ。嬢ちゃんみたいにこんなとこでも文句も言わねえで気さくなお貴族様が手伝いに来てくれてありがてえってな。仕事もできるからもっと取り立ててやってくれってお願いしといたぜ」
その言葉に私は思わずクライヴァル様を見上げると、彼はとても愉快そうに、けれど少し困ったように目じりを下げた。
おそらく親方のこの言動から、私がこの現場で詳しい身分を話していないということに気づいたのだろう。
だからこの言葉にどう返そうか思案しているのかもしれない。
そんな私たちをよそにバルクさんは「お、親父! 公爵様のご子息になんて口の利き方してんだ!」と慌てた様子で親方を小突いていた。
そして役人は「マルカ嬢は人たらしですね。アルカランデ殿も苦労しそうだ」と真顔で述べた。
それに対しクライヴァル様は「まあこれが彼女の良いところでもありますから」と笑顔で返した。
「お、なんだ? もしかして嬢ちゃんとあんたはよく知った仲なのかい?」
「そうですね。よく知った仲というか――話しても?」
クライヴァル様は視線を親方から私に移し、話しても大丈夫かと確認してきた。
「どうぞ」
私がそう返すとクライヴァル様はひとつ頷いて、親方に答えを返した。
「彼女は私の婚約者なので。誰よりもマルカのことを知っていると自負しています」
「……ほ、おおっ!?」
「なんて声出してるんですか」
親方が見たことないくらいに目を丸くして私とクライヴァル様の間で視線を彷徨わせている。
バルクさんも口をあんぐりと開けて言葉が出ないようだ。
「いや、だって、なあ? 嬢ちゃんが婚約者?」
「そんなに驚きます?」
「そりゃあ驚くだろ。嬢ちゃんには悪いが、俺はてっきり男爵とか子爵とかのお嬢様だと思ってたんだが……公爵家の坊っちゃんの婚約者ってぇと、もっとアレだろ?」
親方は頭をガシガシと掻きながら「いや、子爵だとしてもすげえんだけどよ」と言った。
「マルカ嬢は魔術師長の、つまりフィリップス侯爵家のご令嬢だ」
役人がしれっと答えると、バルクさんは「こ、侯爵家……俺、マルカちゃんなんて気やすく呼んじまった」と顔色を悪くしている。
「マルカが身分にこだわるような者なら初めから家名を名乗っているでしょう」
そうだろうと言うようにクライヴァル様は私に優しい笑顔を向けた。
「堅苦しいのは好きじゃないので」
「はー、やっぱ嬢ちゃんはちょっと変わってるな。それで公爵家の坊っちゃんの嫁になるってんだから大変そうだ」
「あら、親方。女の顔はひとつではありませんよ? 時と場合によって上手く使い分けますのでご心配には及びません」
ふふふと上品に、私がいつもの外向けの控え目な微笑みを浮かべると、親方は「なるほどねえ」と顎を擦った。
「こいつぁまた、笑顔ひとつでずいぶんと雰囲気が変わるもんだな。ま、俺としちゃあいつもの嬢ちゃんのほうが好きだけどよ」
「私はどちらのマルカも好ましく思っていますよ」
「クライヴァル様、今そういうのいらないです」
私がそう言うと親方はガハハと声を出して笑い、「公爵家の坊っちゃん、あんた女を見る目があるねえ!」とクライヴァル様の肩を叩いた。
「っバカ親父! 何してんだよ!」
バルクさんは慌てて止めに入ったけれど、クライヴァル様がそんな親方に不快感を表すこともなく「それほどでも」と答えると、役人が「アルカランデ殿、惚気るなら二人きりの時にしていただきたい」とチクリと刺した。
「おっと、これは失礼を。それでは確認したかったことは済みましたので、私はこれで失礼させていただきます」
クライヴァル様はそう言ってあっさりと帰っていった。何とも呆気ない。
そんなクライヴァル様をバルクさんは少し驚いたように見送り、なぜか私のほうをちらりと見ていた。
仕事に戻ってからも、私に何か言いたいことがあるようでちらちらと視線を感じる。
「どうしました?」
「え?」
「何か言いたいことがあるのかと思って」
「あ~、いや……マルカちゃんとあの人って婚約者ってことは恋人同士なんだろ? なのにあんなあっさり帰っちまうんだなと思ってさ。その、好き合ってるわけじゃないのかなって。ほ、ほら! お貴族様の結婚って家絡みのアレだったりもあるんだろ?」
「ああ、なるほど」
あたふたと早口で話すバルクさんを見て合点がいった。
きっと彼は私が家のために望まない婚約をしているのではと心配してくれているのだろう。
クライヴァル様も仕事中だからそこまで私に構うことはしないし、私たちは仕事を終えれば同じ屋敷に帰る。
けれどそれを知る由もないバルクさんにはクライヴァル様の態度は少しそっけなく見えて、心配をかけてしまったのだろう。
さすが親方の息子さん。人情味あふれる人である。
「ご心配には及びませんよ。これからもずっと幸せな予定って私さっき言ったでしょう?」
「ん、ああ」
「ふふ、あれは彼がいなければ達成できません」
そう、クライヴァル様がいるから幸せだと思える。
大切な人は他にもたくさんいるけれど、今の私にとってクライヴァル様はその筆頭だ。
「そっか。そっか~……」
バルクさんは親方と同じように頭をガシガシと掻きながら長い溜息を吐いた。
「どうしました?」
「いや、今のマルカちゃんの顔を見たら二人は想い合ってんだってわかっちまったからさ。良かったなって」
「……私今どんな顔しています?」
頬を押さえて聞き返せば、バルクさんはニヤッと笑って「んー、恋する女の顔ってやつ?」と口にした。
「ここにいると気が緩みすぎてしまうみたいです」
「はっはっは! いいじゃんか。幸せですって自慢しときなよ」
今度は親方みたいにニカッと笑ってそう言われた。
私が侯爵家の人間と知っても今までと変わらずに接してくれるなんて、親方もバルクさんもとてもいい人だ。
そんなことを思っていたら、バルクさんの後ろからにゅっと腕が伸びてきて、彼の肩をがしっと掴んだ。
「おう、バルク! 今夜は久々に飲みに行くか!」
「な、なんだよ、ヨギル!」
「話は聞かせてもらったぜ。そういう気分かと思ってよ」
ヨギルさんはちらっと私を見てからそう言った。
バルクさんたちと同じ職人だ。彼もまた、というか親方の一門は皆私が何者であろうと仕事さえしっかりやれば気にしないので付き合いやすい。
「また一つ男として成長したな」
「何が言いたいんだよ」
「だから、失恋な――もがっ!」
「うるせー! 余計なこと言うなよ! 黙って仕事しろ!」
「はあ? 俺はお前が嬢ちゃんと話してる間にもしっかり作業してんだよ。見ろよこの完璧な仕上がりを」
そう言ってヨギルさんが指差した場所にはきっちりと等間隔に石が敷かれていた。
腰に手を当て胸を張るヨギルさんに触発されたのか、バルクさんは「それくらい俺にだってできる!」と言って黙々と作業を始めた。
(お喋りをしに来たんじゃないんだから私もしっかり働かなきゃ)
クライヴァル様が来たせいで浮足立って仕事が疎かになったなんて言われたらたまったもんじゃない。
そんなことを伝え聞いたらクライヴァル様だってがっかりすることだろう。
自分のできることを精一杯取り組み、できないことはできるように努力する。それがアルカランデ公爵家だ。
その一員になろうという私が怠けるわけにはいかない。
(目指せ完璧! 目指せ誰にも文句を言わせないクライヴァル様の婚約者!)
外でどんなに頑張りすぎでも安らげる場所はすでに用意されている。
そこに堂々と帰るためにも私は精一杯頑張ろうと思えるのだ。
バルクは身分も違うしマルカとどうこうなりたいとは考えていませんが、淡い恋心を抱いていました。
それに全く気付いていないマルカです( ̄▽ ̄;)
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