87.それぞれの決意
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私のことをまるっと無視してメイジャー伯爵令嬢は笑顔でクライヴァル様に話しかける。
「クライヴァル様、お久しゅうございます。この場で貴方様にお会いできて、私この上ない幸せですわ」
私が今まで見たこともないきらきらとした笑み。
この人こんな顔もできるのねと思うくらい私に向ける表情とはまったく違う。
いつもこの顔でいれば良いのにと思わずにはいられない。可愛いのに。
まあ対するクライヴァル様はすごく冷えた笑みを浮かべているのだけれど、たぶんメイジャー伯爵令嬢は気づいていないのだろう。
「クライヴァル様、クライヴァル様」
私はクライヴァル様の袖をついついと引っ張る。
「……なんだ?」
「大丈夫ですから、抑えてくださいね」
「わかっているよ」
顔を寄せ合って小声で会話する私たちに、メイジャー伯爵令嬢の笑みが引き攣っている。
「ク、クライヴァル様。私と踊っていただけませんか?」
メイジャー伯爵令嬢のこの発言に、周りで様子を窺っていた人たちの視線が一斉に私に向けられたのがわかった。
この国では女性から男性にダンスを申し込んでも何の問題もない。
けれどこの状況でそれができるのはなかなかの猛者というか、礼儀知らずであると思う。
みんながメイジャー伯爵令嬢の言動に対して私がどのような反応を示すか興味を抱いているのだろう。
けれど残念。
たぶん今回私の出番はない。
なぜならクライヴァル様が静かに臨戦態勢だから。
この冷え冷えとした笑みになぜみんな気づかないのかと疑問に思うが、普段から微笑をたたえて穏やかな面しか見せないクライヴァル様は怒らない人だと思われているのかもしれない。
そんな人いるわけないのにね。
「申し訳ありません、メイジャー伯爵令嬢。これからマルカ嬢と踊りますので」
笑顔で当たり前のようにダンスのお誘いを断ったクライヴァル様に、メイジャー伯爵令嬢は一瞬驚いたようだった。
(うん、なぜそこで驚く。この場合申し出を断られないと思っているほうがおかしいでしょうに)
私がクライヴァル様の隣で困ったように微笑みを貼り付けてそんなことを考えていると、メイジャー伯爵令嬢は苦々しく私を睨んだ後、また笑顔でクライヴァル様に話しかけた。
「あら、さようですか……。それは仕方ありませんわね。ではその後でも構いませんわ」
(本当にすごいわね。驚きの精神力の持ち主だわ)
断られてもなお引かない強靭な精神力。
優しく、今まで誰に対しても特別な扱いをしてこなかったクライヴァル様なら断られるはずがないと思っているのかもしれないが、それでも意中の相手から断られれば心が挫けるのが普通ではないだろうか。
(しかも今は隣に私がいるのに。ああ、でも公爵家にお世話になっているから仕方なくエスコート役をしてくれていると思っているのかしら)
そうだとしたら、とてつもなく都合の良いほうに考えを飛ばせる人だ。
もしくは自分にとって都合の悪いことや、認めたくないことは見ないふりをしているだけなのかもしれないが。
「申し訳ありませんが、私は今日はマルカとしか踊るつもりはないのですよ」
「一曲だけだなんて……クライヴァル様と踊りたいご令嬢は他にもたくさんおりますのに」
クライヴァル様が私と踊るのはエスコート役としての義務の一曲だけだと決めつけて、メイジャー伯爵令嬢は同意を求めるように周りに視線を送るがご令嬢方は気まずそうに微笑むだけだ。
まあ、これが普通の反応だろう。
あからさまに拒否されているのにそれでも引かないこの人が特殊なだけなのだ。
「そうですね、マルカが望めば一曲といわず二曲でも三曲でも踊りますよ。愛しい婚約者との初めてのパーティーですから」
クライヴァル様がそう言ってにこりと微笑めば周りから「きゃあ、やっぱり!」という黄色い声と、「そんな……」という落胆する声がいくつも上がる。
私がフィリップス侯爵家の養女として迎え入れられたことと、クライヴァル様がフェリクスお父様に私のエスコートを申し出たことで、「もしかして」「まさか」「そうに違いない」と私たちが婚約したことを予想していた人も多いはず。
そこにきてクライヴァル様が私のことを「愛しい婚約者」と言って引き寄せたことで予想が確定となったのだ。
ざわめきつつも「婚約おめでとうございます」と声をかけられ、私とクライヴァル様が笑顔で対応している中、メイジャー伯爵令嬢は手を握りしめてぎりっと私を睨みつけた。
(私がいなければ自分が選ばれるとでも思っているのかしら)
どう考えても彼女じゃ無理だ。
もし無理でなかったとしてもクライヴァル様の隣を譲る気なんてさらさらないのだけれど。
せっかくなるべく穏便に済まそうとしているのに、そちらがそのつもりならこちらもやってやるぞという気持ちで笑みを深めると、私たちの間にクライヴァル様がスッと身体を挟んだ。
「メイジャー伯爵令嬢、君のことはマルカからよく聞いているよ。学園でも世話になったそうだね」
「え?」
今までの丁寧な言葉から、少しだけ圧を込めた話し方に変わったクライヴァル様にメイジャー伯爵令嬢の肩がビクッと跳ねた。
まあ学園での私とメイジャー伯爵令嬢の接し方なんて、大体は一方的に厭味を言われたり嫌がらせをされたりする関係なのだから、そのことを私からよく聞いているなんて言われた日には冷や汗ものだろう。
「君は皆のように私とマルカの婚約を祝ってはくれないのかい?」
「……っ」
「どうした?」
「あ……その……」
(うわー、意地が悪い。これはクライヴァル様結構怒ってるわね)
クライヴァル様は本当はこういうくだらない嫌がらせをする人のことは好きではないし、なるべく私と関わらせたくないと思っていることも知っている。
けれど私にはひたすら甘いクライヴァル様は、普段は私の気持ちを尊重してくれてやりたいようにやらせてくれている。
その分私に悪意を持った相手と直接顔を合わせた今、『ここで会ったが百年目』という気持ちなのだろう。
しかもその相手が過去に自分に対し釣書を送ってきた相手ということもあり、おそらく私に対する嫌がらせの原因の一部が自分でもあると思っているのではないだろうか。
まあそんなことを言い出したら、私は何人のご令嬢に嫌がらせを受けなければならないのだという感じだが。
それはともかく、クライヴァル様に笑顔で見つめられながら圧をかけられて、メイジャー伯爵令嬢の顔は赤くなったり青くなったり大忙しだった。
しかしついに圧に負け、涙声で「ご、ご婚約、おめでとう、ございます……」と口にした。
意中の相手から、自分の婚約を祝ってくれるよね? 祝えないわけないよね? と言われたらそりゃ泣きたくもなるだろう。
先ほどまでの威勢は何だったのかと思うくらい肩を落とし、意気消沈したメイジャー伯爵令嬢は私たちの前から去っていった。
「お兄様ったら、なかなかえげつないやり方をなさるのねぇ」
ダンスを終えたクリスティナ様とバージェス殿下は戻ってくると、踊りながら先ほどのやりとりを見ていたのかそう言った。
「あれくらい今までマルカが言われていたことに比べれば大したことではないだろう。この場限りのこととして収めただけ感謝してほしいくらいだ」
クライヴァル様はしれっと答えて「私たちも踊ろう」と言って、何事もなかったかのように私をダンスに誘った。
もちろん私は笑顔で頷きクライヴァル様の手を取った。
クライヴァル様と踊るのはとても楽しい。
それはクライヴァル様も同じようで、私を見つめる目はずっと優し気に微笑んでいる。
「やはりマルカと踊るダンスはとても楽しいな」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいです」
初めてクライヴァル様と踊ったのは一年以上前のこと。
私がまだ本当にただの公爵家の居候で、お屋敷でメイドとして働かせてもらっていた時のことだ。
クリスティナ様のダンスの練習を見学させてもらった後、その部屋を掃除しながら一人で練習風景を思い出しながら踊ってみたのだ。
運悪くその場をクライヴァル様に目撃され、流れるようにダンスに誘われ踊ったのが最初だ。
その時クライヴァル様は、ダンスの相手のご令嬢は常に自分を狙ってくる狩人のようであり、隙を見せれば無理やり関係をすすめようとしてくるので勘弁してほしいと言っていた。
そんな中で、その時まだクライヴァル様を好きではなかった私とのダンスは純粋に踊ることを楽しめて良かったと嬉しそうだった。
「あの時クライヴァル様の言っていたこと、実現しましたね」
「ん? あの時?」
「クライヴァル様と初めて踊った時、です」
「ああ。これから先もパートナーはずっとマルカだったら良いのに、と言ったあれか」
「覚えてるんですか?」
私が驚いて聞き返せば、クライヴァル様は当然と言わんばかりに笑みを深めた。
「忘れるわけがない。マルカとの大切な思い出だ」
「……はい」
あれから婚約するまで一緒に踊ることはほとんどなかったけれど、婚約してからは練習だけれど何度も一緒に踊った。
「実現して、本当に嬉しいよ」
最初のうちは緊張と恥ずかしさが大きかった。
何度も踊り、慣れてくると喜びと愛しさが大きくなった。
「クライヴァル様、私幸せです」
クライヴァル様を見つめ、自然と出てきた言葉に自分自身で少し驚く。
私の言葉と様子にクライヴァル様は目を瞠ると、顔をほころばせ「私もだ」と返してくれる。
こんな幸せな時間がずっと続いてほしいと願う。
ただ、願うだけでは駄目なこともわかっているのだ。
私自身が望まなくても、私はもう人に注目される立場になった。
人は善人だけじゃない。
これから先も私をよく思わない人は出てくるだろう。
だからこそ、ずっとずっとクライヴァル様の隣にいるために、幸せな時間が続くように、しっかりと後悔のないように顔を上げて生きていこう。
父様と母様が与えてくれたこの名に恥じぬよう誇りを持って生きていこうと、そう思うのだ。
◇◆◇◆
「本当に幸せそうですこと」
仲睦まじく踊るマルカたちの姿に思わずそう呟く。
「良いことじゃないか。それとも兄を取られて寂しい? いや、親友を取られて、かな?」
バージェス様が少しからかように聞いてきた言葉に、もしかしたらそうなのかもしれないと妙に納得した。
けれど、それと同時に誰からどう見ても幸せそうに笑う二人に心からの祝意を伝えたいとも思う。
兄の社交用ではない愛しむような笑み、マルカのは作り物ではない花が咲いたような笑み。
互いが互いを想い合っているからこそ二人だけが作り出せる特別な空気感に、兄に想いを寄せていたご令嬢たちでさえ「お似合いだ」と口にする。
「お兄様があんな顔をするなんて、以前は考えもしませんでしたわ」
以前の婚約者だった侯爵令嬢と決別した後、いやそれ以前でさえも女性にあのような視線を向ける兄は見たことがなかった。
政略的な意味合いもあるとはいえ、愛する人と結婚できる自分と違い、愛する人さえ見つからない(見つける気もなさそうな)兄をすこし悲しく思っていたのが嘘のようだ。
マルカと出会い兄は変わった。
「マルカには感謝しなくては。守るべきものを得たものは強い。きっとお兄様もマルカも私達を、このリスハールを支える良き臣となるでしょう」
「そうだな。そして臣であると同時に友であり家族でもある。その二人があのように心から笑えるよう、私たちも力を尽くさねばならないな」
「ええ、友が幸せであるためには国が平和で豊かであることが絶対条件ですもの。バージェス様の治世がそうあるよう、私もお支えいたします」
「頼んだ。クリスティナのその言葉以上に頼りがいのあるものはないな」
バージェス様とともに微笑み合う。
兄にマルカがいるように、私にはバージェス様がいる。
バージェス様に兄という友人がいるように、私にはマルカやシンシア様、ハルフィリア様という友人たちがいる。
学園生活で得られた一番得難いものはきっと彼女たちのような友人だろう。
これから王太子妃、いずれは王妃として社交に出る中でこれほどの強者が友であるということのなんと心強いことか。
武者震いに近い形で殿下の腕に添えた手に思わず力が入る。
その手に殿下は自分の手を重ね、「クリスティナ、もう一曲どうだろうか?」と微笑んだ。
「ええ、もちろん。喜んで」
殿下にしか見せない飛び切りの笑顔で私はそう答えたのだった。




