68.命を懸けて
「マルカ嬢、その、涙が」
「え?」
隣に座るクライヴァル様に言われて、私は自分の頬を涙が伝っていることに気が付いた。
クライヴァル様がどうしたものかと手を伸ばしかけては止めたりを繰り返している。
先程すでに私にハンカチを渡してしまっているから拭う物は無いが、私の涙もどうにかしたい、けれど手で顔に触るのはどうなんだと言う葛藤が見て取れて思わず笑ってしまった。
「ふふっ、すみません。大丈夫です」
せっかくなので貸してもらっていたハンカチで涙を拭う。
私が笑って答えると、クライヴァル様だけでなく、殿下やブルームさん、魔術師長様もほっとしたような表情になった。
急に泣き出したので驚かせてしまったのだろう。
けれどこれは悲しい涙ではない。もう会うことの出来ない両親からの一生無くなることのない素敵な想いの贈り物に嬉しくて涙が出ただけなのだから。
私はみんなにそう伝えて話の続きを聞かせてほしいと頼んだ。
「あの、父様は事故で亡くなったと聞いたのですが、ブルームさんはその事も知っていますか?」
「ああ、知っている。……マルカさんは、モニカさんから何か聞いてはいたのかい?」
「いいえ。私が小さい時に亡くなったのだと、それ以上のことは聞いていません」
「そうか……」
ブルームさんは少し考えた後、私の目をじっと見て「聞いても、本当に後悔しないかい?」と言った。
私は黙ってしまった。
この様に確認するということは聞かないほうが良い話なのかもしれない。
母様も詳しく話してはくれなかった話だし、よほどの事があったのかもしれない。
(――それでも、知りたい)
聞いたら後悔するかもしれない。けれど、聞かなくてもきっと後悔する。
せっかく父様のことを知る機会を得たのだ。
ずっと何故父様はいないのか知りたかった。
親の最期を知らないからと言って薄情者だと言われることはないだろうが、私自身が知っておきたいのだ。
「……お願いします」
「本当に?」
「はい」
「ブルームさん、マルカ嬢が望んでいるんです。教えてやって下さい」
私が頭を下げてお願いすると、クライヴァル様も同じようにブルームさんに向かって頭を下げた。
ブルームさんは一つ息を吐いた後「分かりました」と言って話し始めた。
「私も直接その現場にいたわけではないので、これはモニカさんから聞いた話です。その年、このリスハール王国は例年よりも寒さの厳しい冬がやって来ていました」
リスハール王国は夏は暑く、冬は寒くと言う気候の変化はあるものの、毎年そこまでではなく凍えるほどの寒さや雪が降ることも稀だった。
けれど、その年は王都ですら雪がちらつくほどの寒さに見舞われたという。
それは父様たちの住んでいたカタタナ村も例外ではなかった。
山の麓にあるカタタナ村にはかつてない程の雪が降り積もった。
何日も降り続いた雪は、母様の身長を超えんばかりの高さまでになっていたらしい。
母様や父様にとってもそこまでの雪は珍しいものだったけれど、初めて雪というものを見る私――幼いマルカにとっては特に興味深いもので、雪に飛び込んでは自分の形にそれがくりぬかれるのを見ては笑い、父様と母様もそれを傍で見て楽しんでいたらしい。
そんな穏やかなある時、事故は起きた。
雪も止み、僅かだが温かさを感じるようになったその日、大きな雪崩が起こった。
地響きに気付いた時には恐ろしい早さで巨大な滝のように迫る雪。
母様は咄嗟に私を引き寄せ、その腕の中に私を隠そうとした。
父様も私と母様を守るように覆いかぶさった。
けれどどう足掻いてもこのままでは揃って雪に飲み込まれることは避けられない。
そんな命の危機に陥った時、母様のすぐ上から「ごめん」と父様の声が聞こえてきたのだと言う。
そしてその瞬間、母様たちをドンッと言う衝撃音と共に凄まじい勢いの雪が襲った。
けれど、雪の中に埋もれはしたものの、弾き飛ばされるか押し潰されるかと覚悟したほどの衝撃は無かった。
「まさか……」
「そうだ。マシュハット君は雪崩に飲み込まれるその瞬間、迷うことなく魔法を使った。自分の持つ高い魔力を惜しみなく使用した強固なシールドを作りだしたそうだ」
私は思わず口を手で覆った。
(だって、そんなことをしたら父様は、父様は……)
『魔法を使えば自分は死ぬだろう』自分でそう言っていたのだ。
それが分かっているのに、使ったらどうなるか知っているのに――それでも父様は魔法を使った。
私と母様を守るために。
最初の大きな衝撃音は雪崩と父様のシールドが衝突した音、そのシールドによって私たちは押し潰されずに済んだ。
けれどその魔法を使った時、父様の胸に埋め込まれた魔道具は無情にも作動してしまった。
シールドを保つことが出来ず、私たちは雪に埋もれたのだ。
「モニカさんが雪から這い出した時、マルカさんは気を失っていたそうです。そしてマシュハット君は……彼の周りは白い雪が血で赤く染まっていたそうです」
(父様、父様……っ)
「マシュハット君は意識が朦朧とする中、モニカさんに先に逝くことを詫びたそうです」
『マシュハットったら酷いんですよ。「君を置いていくことを許してほしい。僕の分までマルカを愛してやってくれ。ずっと、ずっと傍にいるって約束したのに、ごめん。僕は幸せだった。君と出会えて、守ることが出来て、幸せだったよ。だから、最期だから、笑ってモニカ……愛しているよ、心はいつでも君たちの傍に」って。そんなこと言われたら、笑うしかないでしょう?』
ブルームさんが最後に母様に会った時、母様は笑いながらそう言っていたらしい。
(父様……母様……!)
父様はどんな気持ちで魔法を使ったのだろう。
母様はどんな気持ちで笑ったのだろう。
母様が私に父様が亡くなった時のことを話さなかった理由が分かった。
私が雪で遊んでいなければ、私が父様の代わりに魔法が使えていれば。
今さら言ってどうこうなることではないのは分かっている。
雪で遊んでいなくたって雪崩は起きただろうし、その時父様以外に雪崩を止めることが出来るほど強固なシールドを作れる者はいなかった。
もちろん薄青色の魔力しか持っていない母様にだって無理だった。
父様がシールドで私たちを守ってくれていなかったら、3人とも命を落としていたかもしれない。
分かっていても自分を責める気持ちを持ってしまう。
きっと母様もそうだったのだ。
だから私には言わなかった。
母様と同じようにきっと私自身を責めてしまうから。
まだ小さかった私は、父様の思いも考えられず、自分のせいだ、自分がいたから父様は死んでしまった、生まれてこなければ良かった、などと考えてしまったかもしれない。
(そんなこと、父様も母様も望んでいないわ……今だからこそ分かる)
私は溢れる涙を止めることが出来なかった。
太腿の上に置いた手をぎゅっと強く握りしめていると、その手にクライヴァル様の手が重ねられた。
「そんなに力を入れては手が傷む。この手にしておけ。君の手よりも頑丈だ」
クライヴァル様はそう言うと、自身の手で私の手を優しく握った。
その間も私の目からは止めどなく涙が流れていた。
涙を止めようと、目にぎゅっと力を込めると連動するように繋いだ手にも力が入った。
その手をクライヴァル様が力強く握り返してくれる。
(……温かい)
父様と母様が愛して、守ってくれたから。
だから今こうしてここに居られる。
この温かさが私は生きているのだと実感させてくれた。
ようやく涙が落ち着いてくるとブルームさんが申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ていた。
「辛い話を聞かせてしまってすまない。だがあの事故は誰のせいでもないということは分かってほしいんだ」
「大丈夫です。母様のせいでも、もちろん自分のせいだとも思っていないです。……いえ、本当は少しは思っているかもしれません」
「それは――」
「でも大丈夫です。ちゃんと分かりました。父様もきっと後悔なんかしていない。何回同じ場面を繰り返したとしても、父様はきっと同じことをするでしょう。父様がいないのは悲しいけど……自分の命を懸けることを厭わないくらい、私たちを愛してくれていたって、それが分かって良かったです。話を聞かせてくださりありがとうございました」
私が涙目で笑ってそう言えば、ブルームさんがほっとしたように笑った。
殿下たちも同じように肩の力が抜けたようだった。
みんなにも心配をかけてしまったようで申し訳ない。
よくよく考えたら、子供でもないのに目が赤くなるまで人様の前で泣くなんて恥ずかしいことをしてしまった。
「皆さんもすみません。お見苦しい所をお見せしました」
「いや、思っていた以上にマルカ嬢にとってはきつい話だったと思ったが、上手く呑み込めたようで何よりだ。ところでその後のマルカ嬢の母君は?」
殿下の言葉にハッとする。
そう言えば、領主様の話によると、母様は父様が亡くなってわりと直ぐに面接を受けに行ったことになる。
「モニカさんはマシュハット君の弔いを終えた後、すぐにカタタナ村を出ることにしたようです」
実はあの事故のあった頃のカタタナ村には、もうほとんど村人は住んでいなかったらしい。
それ以外にも男手無しに村での生活は難しいということもあったが、そもそも雪崩で村の多くは雪に飲まれて生活が厳しくなったこと、あの事件の起きた地で生きることが辛かったこともあって、私を連れて働けそうな街に下りてきたということだった。
ただ、一番の原因は隣の村から母様に縁談が来たからだったらしい。
「縁談ですか?」
「そうだよ。年頃の娘の数も少ないということもあったのだが、それ以上にモニカさんは美しいお嬢さんだったからね。夫がいなくなったのならば、という話がいくつもあったらしい」
「……」
馬鹿げている。
事故で最愛の夫を亡くした女性に直後から縁談を持ち込むなど無神経にも程がある。
私は自分の心がすうっと冷えていくのを感じた。
するとブルームさんから「そうそう、その顔」と苦笑いされた。
「え?」
「モニカさんもね、今のマルカさんと同じような顔をしていて。笑顔なのに目が全然笑っていないと言うか、怒っていると言うか。いや、あれは完全に怒っていたなあ」
母様も今の私と同じように、いやそれ以上に怒って「頭の中にお花が咲いているのかしら?ああ、栄養が足りていないから咲くわけがないわね。きっと草木一本も生えない不毛の地ね。まあ!だからあの方たちは御髪が薄かったのかしら」と笑顔のまま言ったそうだ。
「……」
「……ぶはっ!確実にマルカ嬢の母君だな。っはは!」
「……殿下、笑い過ぎですよ」
(母様、殿下ではないけど私も母様との繋がりを今まで以上に感じたわ)
殿下は肩を震わせ笑っている。
とにかく、そういった事情もあって母様はカタタナ村を出たらしい。
そうして領主邸へと辿り着いたのだ。
「ではブルーム、時間を取らせて悪かったな。もう戻っていいぞ」
「お役に立てたなら良かったです。マルカさん、知りたくない事もあったかもしれないが、二人の想いを君に伝えることが出来て良かった」
「いえ、本当にありがとうございました」
私はブルームさんに深々と頭を下げた。
マルカの父マシュハットは他人から見れば可哀想な人生だったかもしれません。
けれど、過酷な人生の中でも懸命に生き、愛する人と愛する子を守れたことを誇りに思い逝きました。
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