56.マルカの母
お待たせしました。
やっとぎっくり腰から復活しました。
翌日、予定通り治療院の視察を終えて領主邸へと戻ってきたクライヴァルたちは、デニス伯爵夫人からマルカの母親モニカの話を聞くことになった。
「何分10年以上も前のことなので全てを覚えているわけではないのですが、それでもよろしければ」
「いえ、こちらの急な申し出ですので。覚えていることだけ話していただければ」
「分かりました。では、モニカたちがこの屋敷に初めて来たときのことからお話し致しましょう」
そう言って伯爵夫人は昔を懐かしむように話し始めた。
「最初は私共が出したメイドの求人に応募してきたのが始まりです。鞄一つと幼い娘マルカを連れて面接を受けに来ました」
住み込みで働くことを希望しており、応募の一番の動機がまだ小さな娘と安全に暮らすためというものだったらしい。
まだ二十歳そこそこの年若い娘が幼い子供を連れて生きていくのは大変なことだ。
自ら働こうとしているということは、頼る親や親族はいないのだろうと考えられた。
「いくつか質問をしましたが受け答えはしっかりとしていましたし、問題は無さそうに感じました」
しかし、雇い入れるにはもう少し話を聞く必要もあった。
答えにくいかもしれないが、と前置きをしてから親や夫はいないのかと聞くと、膝の上に置いた手を握り締めてから答えた。
「両親はすでになく、夫はつい最近事故で亡くしたとモニカは答えました。子供もまだ幼いが、むやみやたらに泣いたり騒いだりしないから、どうか住み込みで雇ってほしいと」
モニカの隣に用意された小さな椅子に座るマルカは、時折足をブラブラとさせたりはしていたものの、会話を邪魔することなく大人しくしていた。
子供はいくつかと聞けば、三つになったところだと返ってきた。
可愛らしく、利発そうな子供だった。
自分たちの子供がこのくらいの時にはもっと落ち着きが無かったように思う。
伯爵夫妻はモニカたちの事情も考慮して、まずはお試しという形で働いてもらうことしたらしい。
「試用期間中に問題が無ければ正式に採用するということになりました」
おっとりとした見た目に反してモニカはとてもよく働いた。
掃除や雑用などはもちろんのこと、繕い物など何でもそつなくこなし、どの場を手伝いに行っても重宝された。
「ある時、メイドの一人がお気に入りの衣類を引っかけて穴が空いてしまったことがあったのですが、モニカはそれは見事な刺繍をそこに刺しました」
お針子の仕事でもしていたのかと聞いても、返って来たのは働くのはここが初めてだという答えだった。
それ以外にも、平民にしてはどこか品があり、初めは誰もが恐る恐る触るような高級な茶器なども躊躇いなく触れた。
またある時は、仕事を終えた後にマルカにカーテシーを教えていたこともあった。
「付け焼刃ではない美しいカーテシーでしたわ。他にも、ダンスを踊れたり、とにかくモニカという人間を知れば知るほど普通の平民とは思えなくなりました。もしもモニカが貴族の令嬢で、家を飛び出してきたなんてことがあれば知らずに雇ったとは言え、後々揉め事になっても困りますでしょう?ですので、モニカを呼んで改めて確認したのです。『あなたは本当に平民なの?どこかのご令嬢ではないの?』と」
貴族だとしたら下働きに抵抗が無さすぎるし、平民にしては所作やマナーなどに目を瞠るものがあった。
「そうしたら、『今は貴族ではない』と答えたんです。それを聞いた時、私はモニカは元々貴族令嬢で、許されざる恋をして家を出たか、勘当されたかだと思いました。モニカはよく働いてくれましたが、揉め事の種を抱え込むわけにはいかないと思いました。まあ全て私の勘違いだったのですけれど」
デニス伯爵夫人は苦笑した。
きちんと話を聞けば、自分の早とちりだったとすぐに分かった。
「モニカは元々隣国の子爵家の娘だったそうです。それが幼い頃に国を追われて、幼馴染でもある夫と共にこのリスハールに逃げてきたのだと言っておりました」
「国を追われた?何故だ?」
「お二方は、24、5年前に隣国で起きた事件をご存じですか?」
「隣国の事件?……っまさか!」
クライヴァルとバージェス殿下は顔を見合わせた。
「そうです。モニカはあの事件の生き残りだったのです」
約25年前に隣国で起きた事件。
それは僅か数日で国一つが無くなった悲惨な事件だ。
隣国のさらに西にあるジェント王国の王が非常に身勝手な理由でならず者を焚きつけ、隣国を蹂躙させた。
元々、小国と呼ばれるほどの小さな隣国は中立を謳い、争いを好まなかった。争いに慣れてもいなかった。
それ故に、襲撃になすすべなく陥落し、貴族をはじめとした大勢の大人は殺され、子供たちまでもがその事件に巻き込まれ死亡したと言われている。
「……なんてことだ」
「痛ましい事件だが、となるとマルカ嬢にも貴族の血が流れていることになるな」
「デニス伯爵夫人、モニカさんは生き残りだったと言われましたが、そう言い切るからには裏は取ってあるのですか?」
「ええ、もちろんです」
デニス伯爵夫人によると、モニカの夫でマルカの父親であるマシュハットも隣国の出身であったらしい。
モニカは魔力測定では薄青色の魔力量だったらしいが、父親は白色を示すほど高い魔力を持っていたそうだ。
しかし、とある事情から王立学園に通うことを免除されていたらしい。
「とある事情?」
「ええ。詳しくは私も教えていただけませんでしたが、その時マルカの父親の魔力測定に立ち会った方に確認を致しました」
送られてきた書面には、モニカとその夫は隣国の貴族だったことに間違いは無いことと、モニカの外見の特徴が書かれていた。
それと、もしそこにいるのが本物のモニカならば夫の形見を持っているはずだとも書かれていた。
「形見?」
「ええ、外装に鳥が彫られた懐中時計です。アルカランデ様はマルカが持っているのをご覧になったことはございませんか?」
「どうなんだ?」
「いえ、見たことはありません」
「帰ったら確認する必要があるな」
「そうします。デニス伯爵夫人、その情報を寄こした人物は誰だったか覚えていますか?」
伯爵夫人は少し考える素振りを見せた後、自信無さ気に答えた。
「……ブラット、いえブルックでしたかしら。すみません、名ははっきり思い出せないのですが姓はブルーム様だったと思います。たしか、魔法省の方だったかと。もしかすると、その方は私以上にモニカや父親について知っているかもしれません」
「魔法省のブルーム……」
「殿下、魔法省本部にもいますね。ブラックス・ブルームという名の者が」
つい最近、地方の魔法省支部から本部に戻ってきた人物だ。
まさかの一番近い所にそんな人物がいたとは。
「どうにも空回っているような気がします……」
クライヴァルはがっくりと肩を落とした。
「そんなこともないだろう。ここでデニス伯爵夫人に話を聞かなければ、そのブルームという者にも辿り着くことは無かっただろうしな。それに、王都にその者がいるのならマルカ嬢も一緒に話を聞きに行くことが可能だろう?」
クライヴァルははっと顔を上げた。
それもそうだと、今はさらなる情報を持っているかもしれない人物が見つかったことを喜ぶことにした。
デニス伯爵夫人の話では、その後しばらくはこの屋敷で働いていたのだが、孤児院に力を入れようと考えた際、モニカにそこへ行ってもらい孤児たちの教育をさせようということになったそうだ。
「モニカは読み書きも問題無く出来ましたし、マナーも申し分ありませんでした。マルカとのやりとりを見ていても、人にものを教えるということも上手そうだったので適任だと思ったのです」
そして、この屋敷で働くよりも孤児院で働いた方が娘のマルカとの時間もより多くとれること、マルカにも同年代の友人が出来るかもしれないということもあり、双方納得の上でモニカはこの屋敷を去ることになった。
「モニカが孤児院に移ってからは孤児院の子供たちの成長は目を見張るものがありました。マルカもここにいた時よりも子供らしい笑顔が増えたように思えました」
しかし、その穏やかな日々は長くは続かなかった。
急にモニカが病に倒れたのだ。
その当時、特に流行り病などは無く、モニカの身体の問題だと考えられた。
そしてモニカの体調は回復することなく、その年静かに息を引き取った。
まだマルカが5歳の冬のことであった。
「それからのことはもうファラディアに聞きましたでしょうか?マルカも初めは塞ぎ込んでいたようですが、次第に元気を取り戻して……マルカが孤児院を去る前に一度様子を見に行きましたが、モニカによく似たお嬢さんに成長したと感じたことを思い出します」
それからのマルカはクライヴァルたちの方がよく知っているだろう。
「そして引き取られたのがあの家か。マルカ嬢もなかなかの苦労人だな」
バージェス殿下はぽつりと呟いた。
両親は幼い頃に国を追われ、その両親も若くしてこの世を去った。
魔力測定を終えたと思ったら問答無用で貴族の養子となり、利用されそうになった。
そしてその家も取り潰しになり、平民に戻った。目まぐるしい人生だ。
その件に関しては自分も関わっているから、申し訳ない気さえしてくる。
「良くも悪くも、これまでの経験が今のマルカ嬢を作ったということか」
「あのマルカが殿下方に友人だと言っていただけるなんて、モニカが生きていたらさぞ驚いたことでしょう。引き取り先の家があのようなことになって、心配していたのですが現在はアルカランデ公爵家でお世話になっているとのこと。安心いたしました。私が言うのも可笑しな話かもしれませんが、感謝いたします」
デニス伯爵夫人はそう言って頭を下げた。
「頭を上げてください。礼には及びません。私たちはマルカという人物に惹かれて好きでやっているだけですら」
クライヴァルの言葉に「まあ」と言って顔を上げた伯爵夫人は微笑んだ。
「お話を聞くことが出来て良かったです。ありがとうございました」
「お役に立てたようなら幸いです」
クライヴァルたちはデニス伯爵夫人に時間を割いてもらったことへの礼を言い、部屋を後にした。
「しかし、まさか白とはな」
「マルカ嬢の父親の魔力量のことですね」
「ああ、マルカ嬢の魔力は間違いなく父親譲りのものだろうな。しかし、その当時平民の中から白色の魔力を持つ者が出たならもっと話題になっても良さそうなものだが……私たちが生まれる前のことだから知らないだけか?」
「そうかもしれませんが――」
クライヴァルは先ほどのデニス伯爵夫人の話を思い出す。
『モニカの夫はとある事情があって学園に通うことを免除された』
本来なら黄色以上の魔力を示した者は王立学園に通うことを義務付けられている。
モニカの父親の魔力は白だと言う。よほどの事情が無い限り、免除されるなんてことは無いはずだ。
「その事情によって意図的に公にされなかった可能性も考えられますね。学園に通えなかったということはよほどの事情でしょうし、下手に知れ渡ると利用しようと近づく者も出てきますから」
「まあなぁ。とりあえず戻ったら魔法省で聞いてみるか。ブルームという者に話も聞きたいし、そもそも魔力測定の管轄は魔法省だ。もしかしたら何か記録が残っているかもしれないからな」
「ええ、そうします」
こうして、翌朝クライヴァルたちは王都への帰路に就いたのだった。
マルカの両親の話は、別枠で投稿しようかなと考え中です。
少し書いてみたらどんどん長くなってしまい、こちらにねじ込むと主人公がずっと出てこないという状態になりそうなので。
またちゃんと決まったらお知らせしたいと思います。




