53.時計と思い出
今誰かがこの部屋に入って来て私を見たら、なんてだらしないと溜息を吐くだろう。
私は机に突っ伏していた。
――親愛なるマルカ嬢へ
この書き出しから始まった手紙の内容は思っていた通り母様についてだった。
孤児院で院長先生に聞いた話によると、私の両親は元々この国の者ではなく、他の国からやって来たらしいということ。
それ以上のことは分からず、母様を孤児院に寄こしたカルガス領主ならばより詳しく知っているのではないかということだった。
そこまでは普通の状況報告の手紙だった。
けれど、問題はその後だ。
これは恋文だっただろうかと錯覚してしまいそうな甘い言葉がつらつらと綴られていた。
一人になるとついマルカ嬢のことを考えてしまう。
まだたった二日だと言うのにもうすでに君に会いたいと思ってしまう。
君と笑い合い、言葉を交わすことがいかに私の心を満たしていたのかを痛感している。
早く君に「ただいま」と言いたい。
君が少しでも私と同じような気持ちでいてくれたならと願わずにはいられない。
文字を追う度に私の心臓が煩くなって行ったのは仕方のないことだと思う。
危うく母様たちが他所の国の出身だったという大事な情報を忘れ掛けた。
何という危険な手紙だろうか。クライヴァル様は文字で私を屠る気なのかもしれない。
これがバージェス殿下だったら仕事で行っているのだから恋愛脳も程々にしておけと言いたいところだが、クライヴァル様に限って仕事を疎かにしているなんてことは有り得ないので言う必要も無い。
それにしてもこの手紙、このタイミングで恋文のような手紙が届くなんて、どこかであのお茶会を見ていたのかと言いたくなる。
嬉しいけれど恥ずかしい。
(そんなこと願わなくても、もう同じ気持ちなのに)
クライヴァル様たちが視察に出られてからこの気持ちに気付いたので、まだ彼には伝えられていない。
視察でどこにどの順番で回るか、どこに泊まるのかという情報は関係者にしか明かされておらず、もちろん私は知らないので手紙をこちらから出すことは叶わない。
もし仮に出すことが出来たとしても、私は直接自分の口で言いたい。
ずっと待っていてくれたクライヴァル様の顔を見てちゃんと想いを伝えたい。
「……私も好きだと言ったら喜んでくれるかしら」
想像してみた。
うん、喜んでくれるところしか想像出来ない。クライヴァル様が私に向けてくれる気持ちが本物だと信じているからだろう。
以前、手の甲への口づけを非難した時からクライヴァル様は私に対して慎重だった。
気持ちを伝えてくれる時も、ぐいぐい押してくるようでいて常に私の様子を窺っていたし、嫌がるようなことはしなかった。
私が本気で拒んだり、困った時にはいつでも引けるようにしていたのは分かっている。
その上で私にこんな手紙を送ってくるということは、クライヴァル様の中で私がこれを嫌がらないと確信しているからなのだろう。
クリスティナ様たちも、私よりも先にクライヴァル様の方が私の気持ちに気付いていると言っていたし間違いないと思う。
私の気持ちが自分に傾いていると確信しているのに、それでも焦らず私が自分でその気持ちに気付くのを待ってくれている。
(やっぱり、ちゃんと目を見て言いたい)
どんな風に喜んでくれるだろう。
満面の笑みで?それともやっと気づいたかという顔だろうか。
そんなことを考えていると自分の口角が自然と上がっていることに気付く。
いけない、いけない。
部屋の中ならまだ良いけれど外でまでこんな顔をしていたら何かあったのかと怪しまれる。
私の気持ちはまだ公爵夫妻には伝えていない。
自分の気持ちは認めたし、クリスティナ様にも成り行き上知られてはいるけれど、やはり一番にクライヴァル様に伝えたいのだ。
それに今は浮かれてばかりもいられない。
早くクライヴァル様に会いたいし、母様たちのことももちろん気になる。
けれど私には私のやるべきことがある。
早くも明後日から魔法省で実習生として学ばせてもらうのだ。
職業体験制度の申請が通り、しかもさっそく二日後からだと学園長から話を聞いた後、私はすぐに今後の出席するべき授業の確認をして、実習に必要な物の準備に入った。
とは言ってもさほど準備するものは無いのだけれど。
服装も学園の制服で良いそうなので非常にありがたい。
「他に必要なのは……そうそう、時計ね」
私が小さな引き出しの奥から懐中時計を取り出すと、短い鎖がチャリッと音を立てた。
女性が持つには少し大きめなこの懐中時計は母様の形見だ。
元は父様の物らしく、母様もずっと肌身離さず持ち歩いていた。
外装には鳥が彫られ、その鳥の目には一粒の小さな石が上品に納まっている。裏には父様ではない人の名が刻まれている。
その名を見ると、母様にこの名について尋ねた時のことが鮮明に思い出された。
『ねえ、母様。このアーノルドというのが父様?』
それまでの私は父様を“父様”としてしか認識しておらず、呆れたことに名前を知らなかったのだ。
母様が父様の話をする時も、ずっと父様と言っていたからそれで問題無かった。
私の問い掛けに驚いた母様は申し訳なさそうにそれを否定した。
『そうよね、マルカにお話する時はずっと父様と言っていたものね。ごめんなさいね。アーノルドというのは父様のおじい様よ』
『おじい様?』
『そうよ。父様の父様の、そのまた父様のこと』
『……父様の、何個目の父様?』
おじい様というものが何かも理解していなかったあの頃の私はこんな事を言ったのだったか。
それに対して母様は面白そうに笑っていたはずだ。
『母様の意地悪……。そんなに笑わなくても良いじゃない』
馬鹿にされたと勘違いして拗ねた私の膨らんだ頬を優しく撫でて『拗ねないで?』と母様は言った。
『マルカったら可愛いお顔が台無しよ。ああ、でもそんな表情も可愛くて母様は大好きよ』
『……私も母様大好き』
『まあ、嬉しい。マルカは母様と父様の、マシュハットの宝物よ』
『マシャ、マシャット、マシュ?……それが父様のお名前?』
『あらあら、マルカのこの可愛らしい小さなお口では父様のお名前は少し難しいのかしら。そうよ、マルカ。マー、シュー、ハー、ット。ほら、言ってみて』
『マ、シュ、ハット』
『上手よ、マルカ』
『母様がモニカで、父様がマシュ、ハット。マシュハットが私の父様!』
あの時の私は初めて知った父様の名を呼ぶだけで何故だか嬉しくて、そのまま母様に抱き着いた。
『あのね、あのね』
『ふふふ、なあに?』
『私も母様と父様が一番大切な宝物なの!』
『マルカ……ありがとう』
母様は私をぎゅうっと抱きしめ返してくれて『とっても嬉しい。マシュハットも、父様もお空の上できっと……ううん、絶対喜んでいるわ』と言ってくれた。
懐かしい思い出とともに規則正しくカチ、カチとあの頃と変わらず時を刻む時計を眺める。
レイナード家に引き取られた時も、この時計だけは常に持ち歩いていた。
最初の挨拶で、自分が本当の意味でこの家に歓迎されていないことは分かっていたし、この懐中時計にどれほどの価値があるのかは分からないけれど、万が一にも盗まれたり奪われたりしないようにと眠る時にもベッドの中に持ち込んでいたのだ。
今はここなら奪われる心配はないと分かっているからこの部屋の引き出しに仕舞ってある。
アルカランデ公爵家に来た当初はそこまで警戒もしていなかったのだが、なんとなく持っていると安心するので最初の内は持ち歩いていて、いつも一人になった時に取り出して眺めるだけだった。
王都に来てからは知り合いもおらず、引き取られた家はあんなのだったし、学園でのゴタゴタもあってどこか孤独を感じていた。
そんな中でこの懐中時計は、自分の名と同じく母様たちから受け取った大切なものだったこともあって、どこか心の拠り所のように感じていた。
自分というものが確かにここに存在している、自分は独りじゃないと思わせ、支えてくれる物だったのだと思う。
(だけど、今はいろんな人に支えられている。自然と独りじゃないと思える)
本当に不思議な縁だ。
レイナード家に引き取られなければ、殿下やクリスティナ様とここまでかかわることも無かっただろう。
クライヴァル様とだって出会って無かっただろうし、好きだと言ってもらえて、私も同じように彼を好きだと思うこともなかったはずだ。
『可愛いマルカ。貴女は将来どんな女性になってどんな素敵な男性と恋に落ちるのかしら』
『恋?どこに落ちるの?』
『ふふっ。マルカはどんな男の子を好きになるのかしらってことよ。貴女が心を寄せるんだもの。きっとマシュハットのように素敵な男性に違いないわね』
そう言って笑った母様の顔が思い出された。
(母様、私が好きになった人はとても素敵な人よ。心から笑って一緒にいられるように頑張るわ。父様と一緒に見守っていてね)
私は懐中時計を両手でそっと握りしめた。
またしても遅くなり申し訳ありません。
心の中ではジャンピング土下座の気持ちε=(シ_ _)シ
いきなり出てきた形見の懐中時計。
そしてやっと出てきたお父さんの名前。
ずいぶん時間が掛かったもんだ。
ブクマ&評価&誤字報告ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。




