50.孤児院訪問
クライヴァル視点です。
私たちが王都を出て二日、ようやくカルガス領に到着した。
魔法省の支部や騎士団の駐屯地などの国の機関を回った後、マルカ嬢がいた孤児院にやって来ていた。
「遠方にもかかわらず、ご足労いただきまして誠にありがとうございます。当孤児院の院長を務めておりますファラディアと申します」
深々とお辞儀をする院長は穏やかそうな人だ。
「そう畏まらなくて良い。こちらが見学させてもらう身だからな。普段通りの姿を見せてほしい」
「さようでございますか?それでしたら案内役を付けますのでご自由に見ていただければ」
院長はすぐに案内役を用意し、孤児院の子供たちが普段どのように生活しているのかを見せてもらうことになった。
「ああ、見て回るのは私だけで良い。クライヴはマルカ嬢の手紙を院長殿に」
「かしこまりました」
「マルカ?あのマルカですか?」
「おそらく院長殿が想像しているマルカ嬢で間違いないと思います」
「まあ、まあ!このような所でおさまる子ではないとは思っていましたが、まさか王太子殿下に名を覚えていただいているだなんて」
「マルカ嬢は私と婚約者の友人だからな」
「友人でございますか?なんとまあ……あのマルカも今では伯爵家の一員ですものね。あの子は元気にしていますか?」
「あー、それについてはこのクライヴから話がある」
院長はマルカ嬢がレイナード家に引き取られたことは知っていても、そのレイナード家が取り潰しになり彼女が平民に戻ったことは知らないようだった。
そのことに関してはマルカ嬢も手紙に書いたと言っていたので、私が説明するよりも先に手紙を読んでもらったほうが良いだろう。
殿下と別れて私は院長室に来ていた。
「これを。マルカ嬢から院長殿への手紙です」
「ありがとうございます。シンプルだけれど可愛らしい便箋……ふふっ、マルカらしいわねぇ」
院長は慈愛に満ちた表情で手紙を受け取る。
これだけで、この孤児院でマルカ嬢が大切にされてきたということが分かり、何故か私も嬉しくなった。
孤児院の中には扱いが悪かったりするところもあると聞くが、マルカ嬢の言っていた通り、ここではそのような事は無さそうだ。
私がそんなことを考えていると、笑顔で手紙を読み始めた院長が、途中で眉を寄せ、最後には驚きの表情に変わった。
「あの、アルカランデ様、ここに書かれていることは本当でしょうか?」
「どの部分でしょうか?」
「引き取り先のレイナード家が取り潰しになって、マルカが平民に戻ったというのは」
「本当です」
「で、では、この驚くほどの寄付金の話は」
「それも本当です。マルカ嬢がこちらに寄付したいと望んでおりますので」
さらにはマルカ嬢が今現在アルカランデ公爵家で生活をしているという事も本当だと告げるといっそう驚いた様子だった。
「あの、大変失礼だと思いますが、何故マルカは公爵家に?あの子は大丈夫なのでしょうか」
「レイナード家の取り潰しに関わる件で、私の妹のクリスティナと縁がありましてね。不運なことに空きが無く学園寮に入れなかったマルカ嬢が困っているのを知り、我が家にお迎えした次第です」
嘘は言っていない。
現在彼女が我が家に滞在しているのはこちらの都合が多分にあるのだが、そこは敢えて言う必要は無いだろう。
「そうだったのですね。マルカを助けていただきありがとうございます。あの、もしご迷惑でなければあの子のことをもっとお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
私はマルカ嬢の近況を不必要な部分を除いて話した。
彼女が元気でやっていることはもちろん、学園でも常に上位の成績を収めていることや魔法の才も魔術師長が認めるほどであることを伝えると院長は驚き、そして微笑んだ。
「ここにいる時から聡い子だとは思っていましたが……そうですか。王太子殿下を始め凄い方々と関わりも持っているなんて、ありがたいことです。王立学園でも上手くやれているようで安心いたしました」
「マルカ嬢は自分をしっかりと持っていますし、そんな彼女を支えたいと思う者もいますから」
私の言葉に院長は僅かに目を瞠り、私の顔をじっと見た。
「何か?」
「……いえ。マルカが元気でいられるのは周りの方々のおかげなのですね。……あの子、見た目に反して何でも自分でやろうとしてしまうでしょう?良くも悪くも賢いせいで大体のことは出来てしまうし。それに結構な負けず嫌いで」
「ああ、そうですね。よく分かります」
私と院長は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
そして院長は懐かしむように昔あったことを話し出した。
「孤児院に街の子が遊びに来ることもあるのですけれど、以前、孤児院の小さい子が街の男の子に泣かされたことがありましてね。マルカがそれに怒ってしまって」
「マルカ嬢は曲がったことが嫌いな節がありますからね」
「ええ、そうなのです。それで、男の子の方が謝らせたかったら捕まえてみろと言って走って逃げたのですけれど」
「もしや、追いかけた?」
「そうなのです。アルカランデ様はご存じ?あの子ったらあれで意外と足が速いんですよ。それで追いつかれそうになった男の子が木に登って……ほら、あそこに見える木なのですけれど」
院長は窓の外に目を向け、一本の木を示した。
「まさか、とは思いますが」
「ええ、そのまさかです。いとも簡単に登ってしまったの。驚きますでしょう?」
そして最終的には相手を木から引きずり下ろしてしっかりと謝らせたらしい。
この話には流石に私も驚いた。負けん気が強いとは思っていが、そこまで活発な印象は持っていなかったからだ。
「貴族の子だったら、というより女の子ならしないことも自分が良しとしたらやってしまう子だったので、貴族社会で上手くやっていけるのか少なからず心配していたんです」
「今のマルカ嬢からは想像つかないですね。彼女は貴族の中にいても遜色ないマナーを身につけていますし、それに」
「木に登ったりはしない?ふふっ」
「ええ」
院長の言葉に笑いを堪えて頷く。
本当にマルカ嬢は色々な意味で想像の上を行く。
「あの子のマナーに関しては母親が大きく関係しているのはご存じでしょうか?」
不意に出てきたマルカ嬢の母親の話に思わず体がピクっと反応した。
どのタイミングで話を出そうかと考えていたが、この話の流れなら不自然ではないだろう。
「いえ、あまり詳しくは。話し方は母君を真似てのことだとは聞きましたが」
「マナーの基本やカーテシーなどは全てあの子の母であるモニカが教えたものです。モニカは存命中はこの孤児院で皆にマナーを教えていたのですよ。モニカはとても所作が美しい女性でしてね。始めは領主様のお屋敷で働く予定だったそうなのですが、その所作の美しさを買われてマナーを教える者としてこの孤児院に遣わされたとのことです」
「マルカ嬢からは母君は間違いなく平民であったと聞いているのですが、それは本当なのでしょうか?ただの平民が領主に認められるほどのマナーを身に着けているとは考えにくいのですが」
「と、おっしゃいますと?」
「その身に貴族の血が流れていたという話は聞いたことは無いでしょうか?」
「……そのご質問に答える前に私の方からも一つお伺いしても宜しいでしょうか?」
「何でしょう?」
院長は私の目を見ると真剣な声音で問う。
「アルカランデ様はそれを知ってどうするのですか?貴族の血が入っていると、マルカに対する何かが変わるのでしょうか?それとも何かに利用しようと?」
私を見る院長の目に先ほどまでとは違う鋭さを感じる。
返答によってはいくら公爵家の者だとしても教えるつもりはないという意志が感じられた。
「いえ、何も変わりません。まして利用しようなどとは」
「では何故?」
マルカ嬢の母親に貴族の血が入っているのかどうかを今さら気にするのには理由があるはず、院長の疑問も尤もだ。
適当な嘘を並べることも可能だが、それはマルカ嬢を大事に思っているであろう院長に対して失礼であるし、そもそも嘘を吐く必要は私には無い。
それに、なんとなくだがこの院長には嘘は通じないような気がした。
「理由は、完全に個人的な事ですよ。それをお話しするために、まず先ほどのマルカ嬢が公爵家にいる理由から訂正を」
クリスティナと縁があってというのも嘘ではないが、それ以上に私個人の理由のためにマルカ嬢に好条件を提示して公爵家に留まってもらっていること、そしてこれからもずっと公爵家にいてほしいと願っている事を話した。
「そしてその個人的な理由なのですが、実は私はマルカ嬢に懸想しておりましてね。彼女を口説いている最中なのです」
そう告げた時の院長の顔は文字通り目を丸くしていて、失礼ながら大変面白いものだった。驚き、私を見つめ、いかにも不可解だという表情を浮かべた。
「あの、失礼ながら……確認したいのですが」
「何でしょう?」
「アルカランデ様はアルカランデ公爵家のご嫡男でいらっしゃいますよね?」
「はい」
「公爵家をお継ぎになる?」
「もちろん、その予定です」
「貴方様の伴侶になられる方はいずれ公爵夫人となられる」
「そうなりますね」
常識的に考えれば公爵家が平民の娘を嫁として迎え入れるなんてことは夢物語だし、院長の信じられないという気持ちも分かる。
私も自分がその信じられないことをする側になるなんてマルカ嬢に出会うまでは思いもしなかった。
実際マルカ嬢ほどの人でなければあの父が許すとは思えない。
「……ご冗談、ではないようですね」
「もちろん。私は至って本気ですよ」
「では、貴方様の伴侶に迎えるにはマルカの身分が足りないということでしょうか?」
「いいえ、そうではありません」
もし単純に身分が足りていないだけであれば、どこぞの貴族に養子として迎え入れてもらえば良いだけだ。アルカランデ公爵家と縁続きになりたい家などいくらでもあるのだから。
「マルカ嬢が平民であろうが、貴族の血が入っていようが私はどちらでも良いのです。当主である父も彼女であれば問題無いと言ってくれています」
「マルカはそこまでの評価を……けれど、尚更分かりません」
「先程も申しましたが、私は今マルカ嬢を口説いている最中なのですよ。残念なことに恋仲でも何でもないのです。ようやく私の気持ちを信じ、真剣に考えてくれるようにはなりましたが、賢い彼女のことなので色々と思うところもあるのでしょう。身分というものも一つ彼女の気持ちの枷になっているとは思っています」
「自分にも貴族の血が流れていると分かればその枷は外れると?その枷さえ無ければご自分に心を預けてくれると?ずいぶんとご自分に自信があるようですね」
院長の少し棘のある言い方に思わず苦笑してしまう。
私の発言が高慢に聞こえてしまったのかもしれない。マルカ嬢のことを娘のように語る院長にはそのような男に彼女を任せたくは無いと思われてしまったのかもしれない。
確かに私は容姿も整っている方だし、頭も剣の腕も悪くないと思っているし、実際周りにもそう思われているだろう。そうなるように努力してきたのだから当然とも言える。だが、マルカ嬢に関しては別だ。
「彼女のことに関しては自信なんてありませんよ。ただ、私はマルカ嬢のことを真剣に考えています。自分で言うのも何ですが、彼女に好かれるために必死でしてね。その為の努力も怠っていないつもりです。その甲斐あってか最近では多少頼ってくれるようにもなりましたが、少しでも可能性を広げられるならそれに縋りたいだけです」
今言ったことに関してはマルカ嬢にも直接話してあること、両親について調べることに許可ももらっていることを伝えると、わざわざ許可まで取ったのかと驚かれた。
「そもそも公爵家ともなれば、有無を言わさずマルカを従わせることも可能でしょうに」
「院長殿は本当にそう思われますか?マルカ嬢ならばどうにか抜け道を探し出しそうだと私は思いますがね」
「……そうですね。仰る通り、マルカならば嫌だと思ったら素直に従うかどうか」
「でしょう?それに、もし出来たとしてもそれでは彼女の心は手に入らない。私はマルカ嬢の全てを手に入れたい。互いを支え、愛し愛される存在になりたいのです」
貴族のくせに何を甘いことをと言われるかもしれない。恋愛結婚をする貴族も増えてきたとはいえ、平民と違い政略結婚が主流なことに変わりはない。
私はたまたま家が盤石な地位を築いていること、そのため両親も恋愛結婚推奨派だったこと(私に関しては親が決めた婚約で上手くいかなかったこともあるが)、たまたま好いた相手がマルカ嬢のような人だったから好きなようにさせてもらっていると言える。
院長は少し驚いたような素振りを見せた後、先ほどまでの鋭い視線から「貴方様もマルカのことをよく理解していらっしゃるようですね」と柔らかく目を細めた。
ブクマ&感想&評価、誤字報告などありがとうございます。
書籍のお話ですが、こちらの【連載版】を軸にさせていただくことになりそうです。
とりあえず、もっといっぱい書かなくては。




