44.謝罪と説教
クライヴァル様の大丈夫だと言い聞かせるような優しい声音と肩に置かれた手の温もりに、段々といつもの自分に戻って行くのを感じる。
最後に大きく深呼吸をして顔を上げるとクライヴァル様と視線が交わる。
心配そうに見ていた瞳を私がしっかり捉えると、クライヴァル様はほっとしたように目を細めた。
「もう大丈夫なようだな」
確認するようにそう言うと、すっと私から手を離し、私たちの距離はいつも通りに戻った。
「……すみません。少し取り乱しました」
「いや、気にすることは無い。だが――私もたまには役に立つだろう?」
そう言ってクライヴァル様は二ッと口角を上げて笑った。
(ああ、またそうやって私の気持ちを楽にしようとしてくれる)
私の迷惑を掛けてしまったと思う気持ちとか、少し沈んだ気持ちとか、そう言ったことを考えさせないようにしてくれる。
その気持ちが嬉しかった。
「役立つって言い方は好きじゃないですけど……いつも助けてもらってます。ありがとうございます」「そうか。私が望んでやっていることなのだから礼は要らない。それよりもまた許可なく触れてしまったことを見逃してくれると嬉しい」
クライヴァル様の言葉に少し驚く。
私を落ち着かせてくれるための行動だったのだから怒ったりしない。以前言ったことをこんな時にまで気にしてくれているらしい。
あの時強く言ったことを少し申し訳なく思っていると、「……あの」と遠慮がちな声が聞こえた。
ああ、この人の存在をすっかり忘れていた。
私たちがロナウドさんに視線を向けると、彼は地面に額を付けて平伏した。
「す、すみませんでした……!」
そして謝罪の言葉を口にした。
ロナウドさんが謝ったという事実は私の中ではなかなかの衝撃だった。
何度注意しても、拒絶しても、全てを聞き流して自分勝手に行動していたロナウドさんが。
同じ国の人間なのに、言葉が通じないのかと思うほど打っても響かなかったあのロナウドさんが。
「あの、意識は大丈夫ですか?」
私の口からそんな言葉が出たとしても許してほしい。
だってあのロナウドさんから謝罪の言葉が出るなんて思わないではないか。炎と煙に巻かれて意識が混濁して自分が何を言っているのか分からなくなっているとか疑っても不思議ではないだろう。
しかし、私が驚いて口にした言葉をロナウドさんは別の意味に捉えたらしい。
私の言葉に顔を上げて驚いた顔でこちらを見ていた。
これはもしかして、こんな自分を心配してくれるのかとか思ってやいやしないか。なんだか涙ぐんでいるけれど、それ、勘違いだから。
勘違いを指摘できないうちに、ロナウドさんは上げた頭をまた地面に押し付けて土下座の姿勢に戻ってしまった。
「俺、本当に死ぬかもしれないって思って……そしたら、俺、クズだったなって……だから、許してくれなんて言わないし、信じてもらえないだろうけど」
ロナウドさんは一旦言葉を切って息を吸う。そして。
「本当にすみませんでした!! ……ゲホ」
大きな声で謝った。
謝ったのだが。
「え……?急に変わり過ぎて逆に怖い、ええ?何?本当に大丈夫ですか?」
「マルカ嬢、落ち着いて」
「だってクライヴァル様、さっきまでとまるで人が変わったように……」
「死に直面すると走馬灯を見るとも言われているし、この男にも何か思うところがあったのだろう」
「……そういうものですか?」
「まあ実際のところは本人にしか分からないが」
そんな簡単に人は変わるものだろうか。
私はこんな馬鹿なことをしたことも、死にそうになったこともないので肯定も否定も出来ない。
正直ロナウドさんの謝罪を素直に受け取れるかと言ったら、まだ信用出来ないという感情の方が強い。けれど、いまだに顔を地面から起こさずにいるロナウドさんも、彼の発した言葉に感じる重みも、今までのロナウドさんとは全く違って見えて全てを否定する気持ちになれなくなってしまっている。
(ああ、甘い。私ってこんなに甘い人間だったのね)
私が大事にしたくないなんて甘っちょろいことを言っていたからロナウドさんはこんな事になってしまったし、クライヴァル様や他の人にも迷惑をかけてしまったのに。それでも私はそう簡単に変わることが出来ない。
だったら、甘いなりに釘を刺しておかなければいけない。たとえそれが人の力に頼ったものだとしても。
「ロナウドさん」
私の呼びかけにロナウドさんが顔を上げる。
「私はあなたのことなんか大嫌いですし、その謝罪も完全には信用出来ません」
「ああ。……それは、当たり前だよな」
「そうです。当たり前です。あなたが今までそれだけ周りに迷惑を掛けてきたからです」
ロナウドさんが眉を寄せて唇を噛み締めた。
今までの自分の行いを振り返っているのだろう。省みられるようになったのなら本当に変わったのかもしれない。
「だから、これからのあなたで証明してください」
「……え?」
「私に付きまとわない、待ち伏せしない」
「も、もちろん、もうしない!」
「生活態度を改めてください。人に迷惑を掛けない、授業を真面目に受ける……言うのも馬鹿馬鹿しいくらい当たり前のことですけど、今までのあなたはそれが出来ていませんでした。失った信用を取り戻すにはそれ以上の時間を必要とします」
正直貴族で関わりの無い人たちは、ロナウドさんの名前も知らないだろうし、この人が何をしていたって「品の無い平民が何かやっている」くらいにしか思っていないだろうとは思う。
ただ、巡り巡ってこの学園に通う平民全員がそんなものだと思われたらたまったものじゃない。
「……分かってる。ちゃんとする」
「一応その言葉を信じますが、もしまた馬鹿なことをした時はそれ相応の罰を覚悟してください」
とは言っても私個人にそんな力は無い。
こんな事ばかり頼るのは申し訳ないし、本当はお願いしたくないのだが。
「クライヴァル様、あの」
「ああ。その時は私がきっちり方を付けるとしよう。言っておくが私はマルカ嬢のように優しくはないし、そんな義理も無いからな」
ちらっとクライヴァル様を見て、その時は頼らせてほしいとお願いしようと思ったら、言う前に了承されてしまった。
まあ私がお願いするまでも無く、この学園には妹のクリスティナ様もいるし、これだけ言っても駄目ならもう排除するしかないのだろう。よく今までお目付け役程度で済んでいたと思っているのではないだろうか。
(ロナウドさん本人が積極的に迷惑を掛けていたのが、平民の私だけだったから見逃されていたようなものだもの)
私があれこれ考えていると、クライヴァル様はロナウドさんと目線を合わせるように腰を落とした。
そして耳元で私に聞こえないくらいの小声で何かを言うと、ロナウドさんは目を見開いてクライヴァル様を見た。
クライヴァル様は立ち上がるとロナウドさんを冷たく見下ろして言った。
「私にはそれが出来る。今のマルカ嬢との約束を忘れないことだ。もし違えた時には……言わなくとも分かるだろう?」
クライヴァル様、一体何を言ったのか。
口の端を僅かに上げて笑うその姿は私が普段見ているような顔ではなく、いかにも貴族と言った感じだ。
威圧感が半端じゃない。
「あ、あんた……本当に一体何者なんだよ……」
ロナウドさんもが震えた声でそう聞けば「ああ、そう言えばまだ名乗っていなかったな」と言って、おもむろに頭に手をやると変装用に被っていた鬘を外した。
先ほどまでダサいと言っていた相手がこんなにも優れた容姿の持ち主という事に驚きを隠せていない。それに加えて、名乗られた名前にさらに驚くことになる。
「私の名はクライヴァル。クライヴァル・アルカランデ。クリスティナ・アルカランデの兄と言えば分かりやすいか?」
クライヴァル様の名前だけではピンとこなかったロナウドさんも、クリスティナ様の名前を聞いてようやく気づいたようだった。
この学園に通う者なら誰もが知っている生徒の名。私がよく行動を共にしている公爵令嬢クリスティナ様を知らないはずがない。
「アルカランデ、公爵、家?……は、ははっ、マジかよ。しかもその顔、何で隠してんだよ。こんな全部持ってる奴が傍にいたら……」
「おい。勘違いしているようだが私はマルカ嬢と恋仲でもなんでもないぞ。私が勝手に想っているだけだ。先ほども言ったが、彼女が家柄や容姿に靡く人間のような発言は止めろ」
「……は?」
「はい、そこまでー!クライヴァル様!」
「だが、君の人間性が勘違いされているのを黙って見ているわけには――」
「良いです、大丈夫ですから。ちゃんと知っていてほしい人が分かってくれていればそれで良いです」
だから余計なことまで言わなくて良いと言えば「君がそう言うのなら」と引き下がってくれた。ロナウドさんは信じられないと言うような表情で何かブツブツと呟いている。
「嘘だろ……。公爵家の人間から想われてるのに、意味わっかんねぇ。やっぱあいつと全然違う」
「ねえ」
「うわっ、な、何?」
私がいきなり話しかけるとロナウドさんは大袈裟に驚いた。
「聞きたいことがあるんですけど」
「なに、を?」
「あいつって誰ですか?何故ロナウドさんはあんなに貴族と平民に拘っていたんですか?私に執着していた理由は?」
「それは……」
「理由なくあんなことされていたならそれはそれで気持ち悪いですけど、一応あなたなりの理由があったのでしょう?うじうじと自分の中に溜め込むよりも、もう全部吐き出してしまったらどうです?聞いてあげますよ?と言うか、私には聞く権利があると思います」
正直なところどんな理由があったにせよロナウドさんの行為は正当化されるものではない。
けれど許す、許さないではなく、自分が被害を被った理由くらいは知っておきたい。
「あ、クライヴァル様。まだお時間大丈夫でしょうか?」
「……まあ、特に時間の指定も無いし大丈夫だろう。それに、今聞かずに後でマルカ嬢とこの男が接触することの方が腹立たしいからな」
心底嫌そうにクライヴァル様が言った。
「さあ、さっさと話してもらいましょうか」
私はロナウドさんに笑顔を向けてそう言ったのだった。
≪クライヴァルに聞いてみよう≫
質問:あの時ロナウドさんの耳元で何と言ったんですか?
↓
クライヴァル「大したことは言っていない。『これまではマルカ嬢の気持ちを尊重して手を出さなかったが、本当なら今すぐにでも消してしまいところだ』と言っただけだ」
ロナウドへの対処にご不満な方もいらっしゃるかとは思いますが、私の書く話ではこうです。
ご理解いただけると幸いです。
ブクマ&評価、誤字報告などありがとうございます。
感想、メッセージへのお返事はまた明日させていただきます!




