20.変われなかった人
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私は最近は売られた喧嘩は買うことにしている。
以前の私なら、よっぽどのことでないかぎりは面倒だから困ったように笑って聞き流していたし、それで貴族になめられようともどうでもいいと思っていた。
けれど、侯爵令嬢となり、公爵家に嫁ぐからにはそういうわけにもいかない。
私が何も言い返さない愚かな人間であれば、アルカランデ公爵家までもが侮られる。
だからこそ、どんな敵意を向けられても跳ね返せるように自分を磨き、噛みついてくるような相手には立ち向かう。
もちろん勝てるものに限るけれど。
勝てない時は無理せず逃げれば良い。
どうしても逃げられない時は戦いながら勝つ方法を探るけれど、そうでなければ一旦逃げて、確実に勝てる方法を考えてから挑めば良い。
『勝てない喧嘩を売ってはいけない。売ったからには勝たなくてはいけない』
リディアナお義母様の教えには、そういう意味も含まれていると私は勝手に解釈している。
だからこそ、このベサニー夫人は愚かだとしか言えないし、こんな人だったから婚約を解消した後クライヴァル様はしばらく一人でいたかったのかと思うとなんだか腹立たしい。
クライヴァル様は愛情深い人だ。
たとえ政略的な婚約者だったとしても、きちんと自分の役割をこなし、努力し、肩書だけではないクライヴァル様自身を見て尊重すれば、きちんと想いを返してくれる。
そう思うのは、私たちの関係がクライヴァル様のほうから好意を持ってもらって始まったからだと言われればそれまでだけれど、それでも私は彼はそういう人だと思っている。
ベサニー夫人はそんなクライヴァル様の手を一度放したのだ。
彼女から言わせれば、クライヴァル様のほうから縁を切られたと思うのかもしれない。
けれど、優しく辛抱強いクライヴァル様に婚約の解消を決断させたのは、間違いなくベサニー夫人の行いによるものなのだ。
それなのに今さらのこのこ現れてクライヴァル様を煩わせるなんて許すまじ。
計画の杜撰さも、自分の犯した罪の重さも、貴族としての常識や振る舞いも、何もかもわかっていないベサニー夫人にクライヴァル様を支えることなんてできるわけがない。
(大体、私と結婚できなくなって一番悲しむのは誰だと思ってるのよ。クライヴァル様なんだから!)
厚かましく聞こえるかもしれないけれど、私はクライヴァル様からの愛情を微塵も疑っていない。
自惚れではなく愛されている自信がある。
もしも私がクライヴァル様と結婚できなくなったら、絶対に一番悲しむのはクライヴァル様だ。
たぶん相当落ち込むし、仕事が手に付かなくなるかもしれない。
クライヴァル様もたぶん自分でそう思っている。
だからそうならないように行動する。
万が一、今回の計画が上手くいって私の貞操が穢されたとしても、それでもクライヴァル様は私を手放さないだろう。
その代わり、きっとベサニー夫人もリックたちも、誰一人として許さない。
どう許さないかは敢えて言わないけれど、そうなることをクライヴァル様だけではなく、ヒューバートお義父様もリディアナお義母様も止めないだろう。
つまり、私がこうして無事でいることでいろんな人が救われているというのに、ベサニー夫人はそれがまったくわかっていないようだ。
こういう人には早々にご退場願うに限る。
私は小首をかしげて困ったように微笑みながらベサニー夫人に話しかけた。
「私と同じ、とは?」
「あら、ふふふ。侯爵令嬢でクライヴァル様の婚約者ということですわ」
この人はやはり馬鹿なのだろう。
よくこの面子を前にしてそんな馬鹿げたことを口にできる。
「まあ……困りました。何て返せば良いのでしょうか」
「もしかして私がクライヴァル様の婚約者だったということを知りませんでしたの? ごめんなさいね、驚いたでしょう?」
さも失言してしまったというように、わざとらしく謝るベサニー夫人。
何を今さら、あなたさっきから失言だらけですよと言ってやりたい。あと謝るなら、少しくらい申し訳なさそうにしてみせてほしい。
「いえ、それは知っていましたので。あなたのお噂もたくさん耳にしております。私が驚いたのは、その、もしや今も侯爵令嬢のつもりでいらっしゃるのかしら? というところで」
「……どういう意味かしら?」
「いえ、だってお亡くなりになったとはいえ、あなたはすでに既婚者でしょう?」
「だから何だっていうの?」
あら、嫌だ。
早くも猫が逃げはじめていますよ。
「先ほどからまるで私に勝ち誇ったような顔を向けられたりされていらっしゃるので、もしやクライヴァル様の婚約者にでもなりたいのかと思いまして。わざわざ私に『今は』なんて言うくらいですから」
「……」
「そんなに睨まないでくださいな。感情をコントロールすることもリディアナお義母様から教わりましたでしょう?」
「……誰に物を言っているのよ」
「あら、私は今あなたとお話ししていると思っていたのですけど。言われたことが図星過ぎて動揺してしまいました? わからなくもないですよ? クライヴァル様はとても素敵な方ですから。ただし、スタークス前子爵夫人は既婚者なのです。どう足掻いても再び彼の隣に立つことは叶わないということをご理解していただかなくては困ります」
ふふっと微笑めばベサニー夫人が私に向ける視線が一段と厳しいものに変わる。
そんなに睨んで大丈夫だろうか。
彼女の頭の中からはすでに私以外の人物は置物とでも化しているのかと思いたくなるほど軽率な行動だ。
「まあ、そんなに怖い顔をなさらないでください」
「……何て生意気な物言いなのかしら。あなたなんか所詮私の代わりでしかないくせに」
「スタークス前子爵夫人の代わり? 私が?」
「そうよ!」
ベサニー夫人はテーブルをバンッと叩いて立ち上がった。
その拍子に口をつけていなかったティーカップがカチャンと音を立てた。
「……はしたないこと」
リディアナお義母様が眉を顰めて呟いたが、それすらベサニー夫人の耳には届いていないようだった。
「クライヴァル様は私と婚約を解消してからずっとお一人だったわ! 誰とも婚約しなかったのよ!」
「そのようですね。あなたのせいで女性というもの自体を面倒に感じられていたのでしょう」
「違うわ! クライヴァル様はずっと私を想っていてくださったのよ!」
「不思議なことをおっしゃいますね。婚約の解消はクライヴァル様からされたのですよね?」
「きっと何か事情があったのよ……だから私に似た雰囲気のあなたで我慢したのよ! そうでなければ次の婚約者にわざわざ平民出のあなたなんか選ぶはずないもの!」
「スタークス前子爵夫人はこうおっしゃっていますけど?」
クライヴァル様に顔を向けてそう問えば、彼はいつになく不機嫌そうな顔で「恐ろしいな」と溜め息を吐いた。
「どうしてそういう思考になるのか見当もつかない。スタークス前子爵夫人はあの頃とまったく変わっていないようだ。感情のコントロールもできず、自分の都合のいいようにしか物事を見ることができない。マルカが君と似ている? ふざけるのも大概にしてくれ」
「ク、クライヴァル様……?」
「私が想っているのはマルカだけだ。君じゃない」
クライヴァル様が冷たく言い放つと、ベサニー夫人はよろよろと腰を下ろした。
「うそ、そんなわけないわ。そうよ、きっとクライヴァル様はこの女に騙されてるんだわ。公爵様たちだって……そうじゃなきゃ、私がいるべき場所にこんな平民女がいるはずない」
「その発言、すべてにおいて失礼だって気づいてます?」
本当に呆れてしまう。
私に対してだけならまだしも、彼女はクライヴァル様やヒューバートお義父様たちが私に騙されるような人だと言っているのだ。
お義父様は静観しているけれど、内心溜め息ものだろう。
もしかしたら、一時でもこんな愚かな人をクライヴァル様の婚約者に選んでしまったことを反省しているのかもしれない。
「うるさい! 私は公爵夫人になる人間なのよ! あなたがいなければ、そこにいるのは私のはずなの!」
ベサニー夫人はまるで駄々をこねる子供のように、首を横に振りながら叫んだ。
「だから私を狙ったんですか?」
「……言っている意味がわからないわ」
私の言葉にベサニー夫人は急に静かになり、こちらを睨みつけた。
膝に置かれた手は彼女の服をぎゅっと握りしめており、あからさまに動揺が見て取れる。
(私たちがここに来た時点でこれくらいの質問をされるなんて想像できたでしょうに)
こんなにわかりやすく態度に出していては、自分がやりましたと言っているようなものだ。
本当に彼女に施されたであろう淑女教育はどこへ行ったのやら。
「では、もっとわかりやすく言いましょうか?」
私はベサニー夫人の後ろに立つリックを一瞥してから、再び彼女に視線を向けた。
「あのお屋敷で私を襲わせるつもりだったのでしょう?」
「……何のことかしら」
「ああ、襲わせる、は少し違いましたね。仕事を終えた褒美としてお屋敷に娼婦を一人行かせるから好きに楽しめ、でしたか?」
ベサニー夫人は私の話を聞いて目を丸くする。
内心すぐに振り返って、どういうことなのかとリックを問いただしたいことだろう。
しかしそれもできず、口を引き結んだかと思えば、次いで無理に口の端を上げた。
「ふ、ふふ。あなた頭がどうかされたのではなくて? いったい何を言っているのかわからないわ」
「あら、白を切るおつもりで? 本当にそれでよろしいのですか?」
私は困ったように笑って、クライヴァル様に「どうしましょう? ご自分がやったこともわからないなんて、ベサニー夫人は頭がどうかされてしまったのでしょうか」と言った。
先ほど彼女が私に言った言葉を引用したのはもちろんわざとだ。
それに気づいたベサニー夫人は、自分が馬鹿にされたと思い顔を真っ赤にし、苛立ちを露わにした。
「だから! 何を言っているのかわからないと言っているでしょう! クライヴァル様、何なのですか、この失礼な娘は! こんな子、やはりあなたの隣に相応しくありませんわ!」
ベサニー夫人の言葉に対し、何か言おうとしたクライヴァル様の手に自分の手を重ね、私は微笑んで首を振った。
これ、私の獲物ですから。
まだまだマルカのターン。
本業が繁忙期に入れまして、更新が遅くなってしまっています。
申し訳ありません(;´Д`A ```




