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彼がいた町


「ゆーたん、あーんして★」

「……語尾に★をつけるのはやめてください。もういい大人なんですから」

 店で出てくるようなオムライス。とろとろのたまごに、手作りと思われるソースがかかっていて非常においしそうだ。いつもなら喜んで食べただろう……少なくとも、朝食になんか出されなければ。

「冷たいなー。あたしから見れば二十五なんてまだまだガキんちょだよ」

「二つしか違わないんですから……」

 麻紀子さんの手からスプーンを取ろうとしたが、頑として放さないようだ。仕方ないので、おとなしく口を開ける。

「うんうん、素直でよろしい」

「…………」

 ぱくっと入ったオムライスを、ゆっくりと咀嚼する。きっと、これも麻紀子さんの手作りなんだろうな、と思いながら。

 加賀組に拾われてもう十年。すっかり仕事にも慣れた。そして、この組の力の強さにも。

 どうやら、加賀組というのは国内でも力の強い組の一つであるらしく、行く先々でその名を出すとよい待遇を受けられた。まあ、反感を買うことも多いからあまりその名を出さないことにしているが。

 ふた口目を口に運ばれながら、ちらりと横目で周りを見る。何人かが、僕と麻紀子さんを見てこそこそとささやき合っていた。……この場合、見ているのは僕だけか。ヤクザでも、人を掃除するという仕事は忌み嫌われるようだった。

『いいか? 人を消すにはな、それなりの覚悟が必要なんだ』

 小林の言葉が、今でも耳にこびりついている。今ではあまりあっていないが、入った当初は随分と世話になったものだ。

「そうそう。親父から伝言を預かってるよー」

「…………仕事、ですか」

 その単語を聞くだけで、心臓がどくどくと脈打つのを止められない。落ち着かせるように、片手で腕を握りしめる。

「なんとねー……ゆーたんの故郷への出張なのだよ!」

「…………え?」

 室温が少しずつ下がっていく。手からは血の気が引く。心臓は、さらに脈打つ。

「なんかさー。あの町って入り組んでるらしいから土地勘のある奴の方がいいんだとさー」

「あの……組長は分かってるんですか? それがどうゆうことか」

 麻紀子さんを見据え、静かに訊いた。麻紀子さんは一瞬冷たい眼を僕に向けたあと、フにゃりと顔を崩した。

「さーねー。あたしにゃあ分かんないよ」

 おちゃらけた、普段の麻紀子さん。僕はそれをしばらく見ていたが、同じように顔を崩す。

「じゃあ、いっちょがんばってきますよ」

「その調子だよゆーたん。待ってるからねん」

 そう言って麻紀子さんは、オムライスの最後の一口をぱくんと食べた。



 僕を、仕事のために故郷に向かわせる。

 それがどれだけ危険か、分かっているはずだ。

 それほどまでに人手が足りないのか、それとも僕を捨てたいのか――――。

 それはきっと、後者だ。



 町ゆく人々。騒がしい商店街。まだ少し残る、雪。

 ああ、何も変わっていない。

 僕は、交差点の真ん中で空を見上げた。空は僕が逃げ出した日と同じ、青い青い色を映している。

「ただいま……」

 だれにともなくつぶやいた言葉は誰の耳に届いただろうか?



 人通りが多い駅前の、ファーストフード店。その二階の窓際で、僕はハンバーグにかぶりついた。

 もうすぐだな……。

 窓から見える道を通るはずの男。それが今回のターゲットだった。

 唐沢栄治。三十九歳で、職業はコンピューター会社の社長。初心を忘れないようにと、社長に就任した後も電車通勤を続けている……表向き、家庭をもったごく普通の男だ。

 しかし裏では、ありとあらゆる若者に麻薬を売り続けているという。若者がよく買う音楽MDのなかに、麻薬を仕込む。最新機種だと言って高値をつければ怪しまれない……という噂。

 これが本当であるとかないとか、僕にとってあまり関係はないのだ。まあ、組長が動く位だからそれなりの根拠はあるのだろう。僕はただ、彼を、殺せばいい。

 ふと下に目を向けると、小太りの男がバスから降りてきた。写真の男――――唐沢だ。腕時計を見て、駅に向かっている。僕は口にハンバーガーを詰め込み、急いで店を出た。



 ぷしゅーという音がして、電車の扉が閉まる。僕は人ごみの中に押しつぶされそうになりながらも電車に乗り込んだ。

 扉に押し付けられながら、唐沢を目で追う。距離は……五十センチ弱というところか。黒い手袋をした手を、ポケットの上にまさぐらせる。右手が小さいが長い、小型のナイフを握った。

 左手は、もう一つのポケットの中にあるナイフを撫でていた。あの日――――十年前に男から奪った、装飾ナイフ。小林が、初めてに仕事の時に渡してくれた。

『これはおそらく……どこかの国のお守りってところだな。実用には向かん』

「お守り……ね」

 たとえそうでなくても、僕にとってはお守りだった。心を落ち着かせ、冷静になれる。それはきっと、このナイフに刻まれている言葉が関係しているのかもしれない。

「やあやあ、小橋君じゃないか」

 唐沢は知り合いを見つけたらしく、一人の男のもとに歩いていく。僕にも肩をぶつけ、小さく「すみません」と言っている。まさか、もうすぐ自分が謝った相手に殺されるとは微塵も思わないだろう。僕と違って。

 こいつに殺されるかもしれない。誰にあっても、まずその疑念が浮かんできた。それは、僕が人を殺したことに起因するのだろう。人を見ると、こいつは人殺しなのだろうかと考えてしまう。

 こいつが見ているのは、なんだ。何も見ていないのか、人を見ているのか。もしくは、人の奥深くの心臓を見ているのだろうか。

 唐沢を見る。彼は今、何を見ている?

 駅に停まり、扉が開いた。扉に近付く唐沢を、追いかける。唐沢がホームに片足をつけた。もう手が届く。ナイフを取り出し、背中から彼の心臓をめがけて――――。

 刺そうと思った。

 思ったのに。

 彼の隣にいる人物を見て、足が止まる。顔がこわばる、力が、ぬける。

「――――だろ? なあ、小橋君」

「そうですね、社長」

 唐沢の隣で、にこやかにほほ笑んでいるのは。

 小橋、和馬。

 電車の扉が閉まる音。慌てて手を引っ込めた。人に当たらないよう、細いナイフをポケットに滑り込ませる。扉のガラスに手を当て、目の前の光景が信じられなくて、凝視する。

 間違いない。和馬だ。身長はだいぶ伸びたが、表情の一つ一つににじみ出る無邪気さは、間違いなく和馬。呆然と、成長した友人の姿を見た。

 すると偶然――――本当に深い意味はなかったのだろう、ほんの偶然に、和馬が、こちらを――――僕の方を、向いた。

 視線が、僕をとらえる。目が見開かれる。口が、ゆっくりと開く。僕も、口を開いて――――。

「      」

 電車が、動きだす。景色がぶれ、流れ、和馬も消えた。あっという間に駅を出て、ビルや建物が次々と流れだす。

「…………」

 冷静になりきれないまま、唇に手をそっと当てる。今言った言葉を、無意識に紡いだ言葉は何だったのかと、唇をなぞっていれば思い出せる気がした。


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