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二面性の人


 しばらくして部屋の外に出る。と、扉のすぐ横に小林が立っていて驚いた。バツが悪そうな顔をしている小林さんに、恐る恐る訊く。

「聞いちゃいましたか」

「……ああ」

「秘密にしといてくださいねー」

 そう言って、笑ってみせる。得意の、作り笑顔。ひきつっていると、分かっていたけれど。ごまかすように、話題を変えた。

「そうそう、麻紀子さんにお礼を言いたんですけど……どこにいるかわかりますか?」

「わかるが……」

 それを聞いて、少し迷ったように見えた。が、やがて小さくつぶやく。

「どうせ知ることになるだろうしな……」

 その言葉の意味がわからないで、首をかしげる。やがて小林は革靴の音を鳴らしながら廊下を歩きだした。

「ついてこい。案内しよう。お嬢の部屋にな」



 薄暗い、コンクリートでできた廊下はヤクザが使っているとは思えなかった。どちらかというと、ちょっとさびれた会社という方が適切かもしれない。そんな廊下を、僕は小林さんに続いて黙って歩いていた。擦り切れたスニーカーが、ぼろぼろの服が汚くて並んで歩くのが少し恥ずかしかった。

「ここだ」

 ひとつの扉の前で、革靴の音は止まる。小林が、ゆっくりと振り返った。

「ここが、お嬢の部屋だ」

「……もうちょっと豪華なのを期待してたんですけど。あの性格じゃ、小さい部屋では満足できそうにないですし」

「あの性格……ねえ」

「?」

 小林は、扉の取っ手をつかむ。あまりにも、あまりにも薄い扉の奥に、それはあった。

「な、なんだ……」

 昼間なのに、真っ暗な部屋の中。床には、衣類と思われるものがそこら中に散らばっていた。異常な腐臭が、部屋の隅に積み上げられたコンビニの空箱から発生していた。

 まるで、ゴミの巣窟。

 その主が部屋の奥、小さく赤い、あちこちが切り刻まれたソファーの上に膝を抱えて座っていた。

「も、もしかして……」

「お嬢……加賀、麻紀子だ」

 見覚えのある栗色の髪が、乱れ、肩にかかっている。一歩部屋に入る。空き箱を踏んだ音で、その塊はびくっと動いた。ゆっくりと、顔を上げる。

「麻紀子……さん?」

「……や。だ、誰……」

 まるで、双子の妹のような。同じ姿形だけど、瞳は、体は、信じられないほど小さく縮こまり、おどおどとしていた。視線が、あちこちをさまよう。

「ご、ごめんね、こんな散らかってて。あ、あなたは、私と知り合いなの……?」

「お嬢」

 小林が、僕の脇から部屋にすっと入ってくる。麻紀子さんは、ほっと安堵の表情を浮かべた。慣れているのだろう。隣にしゃがみこみ、顔を近づけて話す。

「彼は、お嬢を助けてくれた人です。ほら、前にも言ったでしょう?」

「え、ああ、そうね。お、お礼、いわ、言わなきゃ」

 おびえるような視線を僕に向ける。僕はというと、愕然としていた。

 これが、麻紀子さん? あの自信に満ち溢れた、あの?

「麻紀子、さん……」

「あ、あのっ、その、わたしを助けてくれて、ありがとう……」

 最後の方はよく聞き取れなかった。顔色をうかがうような、麻紀子さんの顔に釘付けになったから。

「麻紀子さん!」

「ひっ」

 僕が大きく一歩を踏みこむと、体をこわばらせた。頭を抱え、膝に顔を押し付ける。その隙間から漏れ出す、小さな声。

「ごめんなさいごめんなさいもうしませんごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 あいた口がふさがらない僕の肩を、小林が叩いてささやく。

「もういいだろう。外に出よう」

「……はい」



 背後で扉が閉まるのを訊いた時、息がどっと出てきた。大きくため息をつく。

「お礼……言えませんでした。なんなんですか? あれ」

 ふりかえると、小林がまだ扉の前に立っていた。こちらもまた、大きくため息をつく。

「お嬢はな……ヤク中なんだよ」

「ヤク中って……」

「薬物が、やめられないんだ。そんでもって、薬が切れたらああなる」

 親指で後ろのドアを指し示す。それでもまだ、驚きを隠せなかった。扉を凝視しながら、訊いてみる。

「どっちが……本当の麻紀子さんなんですか」

「さあな。俺が来た時にはああだった。過去になにがあったのかも知らん」

 そう言って、肩をすくめて見せた。小林が歩き出して扉の前から離れた後も、僕はそれを見ていた。

 彼女は今、閉じられた部屋でどんな表情をしているだろうか。僕がいなくなって、安心したのだろうか。それとも、一人の恐怖に怯えているのだろうか?

 太陽のような麻紀子さんと、夜の闇のような麻紀子さん。どちらが本当なんて区分けはできないに違いない。だって、どちらも麻紀子さんなのだから。

 二人の間の境界線はとても薄く、あいまい。それが崩れ、溶けあうことがいつかあるのだろうか?

「おい、どうした?」

「……いいえ。なんでもありません」

 僕は、踵を返して歩き出した。



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