表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/23

閑話 誰か・ある夏の日にて


 蝉の鳴き声が、五月蝿い。

 杏は蝉が苦手なようで、一緒に来なかった。つかんだとたんにジージーと泣き出すのが、かわいそうで見てられないだって。やっぱり、女って貧弱だな。

 そんなところが可愛いよな、そう勝手に呟いて、一人で赤くなる。こんなに暑いのに、さらに熱くなってどうするってんだよ、俺。

 網を担ぎ、足を速める。向かうは、近くの神社。その神社の近くには蝉がよく集まる木があり、子供の間でひそかな穴場として語り継がれている、と思う。小学校一年生になるという、近所の子供から教えてもらった話だ。

 赤い鳥居が見えてきた。コケに覆われ、鮮やとは言えなくなっている鳥居。そこに足をふみ入れると、風が木々を揺らした。

「うわぁ……」

 神社の中は日陰になっており、アスファルトの道路とは比べ物にならないくらい涼しかった。やわらかい、落ち葉の腐ってできた地面を踏みながら、神社の賽銭箱の前に立つ。

 どうか、蝉を取らしてください!

 目をつぶって念じ、手をパンパンと二回鳴らす。これも、人から教えてもらったものだ。しかし、誰一人としてこの神社の名前を知らないなんて、おかしなことだ。

 お祈りが終わり、俺は一本の木に駆け寄った。この木から、蝉の鳴き声がする。そう思って探してみると、いた。木のくぼみでわかりにくかったが、確かにいる。しかも……。

「クマゼミだぁ!」

 ここらでは珍しい、クマゼミだった。こいつを捕まえれば、ヒーローになれる。そう思って近づき、息を潜め、網をすばやく動かす!

「あ、あぁ……」

 背が少し足りなく、網は蝉の下に当たった。その衝撃で、蝉は飛び去っていってしまう。

 ああ……杏に見せてやりたかったなあ……

 肩を落とし、別の木に視線を向けた時のことだった。

「あれ……?」

 社の裏、軒下を覗き込んでいる少年がいた。年は、俺と同じくらいだろうか。そこに存在していないのかと疑うくらい、音も、気配もなかった。

 なぜか気になり、近づいてみる。それも、忍び足で。どうしてそうしたかわからない。けど、気付かれてはならないという気がしたのだ。

 横から、そっとのぞき込む。少年は、端正な顔立ちをしていた。この近所では見たことがない。冷たい、針のような鋭くとがった視線でそれを見ている。視線の先にあるのは、……猫の、死体だった。

 声が出せない。足が動かない。怖い、と思った。

 腐り、蛆が湧きかけている猫の死体。死体が怖かったのではない。その、見ている少年の方が怖かったのだ。無表情で、無言で、ただひたすら猫を見ている。騒がない、しゃべらない、子供らしさがぽっかりと抜け落ちてしまったような、顔。

 俺は怖くなって、その場からしびれた足で逃げ出した。



 その夜のことだった。

「はじめまして! 隣に越してきました、沢田と言います」

 きれいな女性が家にあいさつに来た。その、少年を連れて。

 俺が突っ立ってそいつを見ていると、そいつは笑った。明るさが凝縮されたような、子供らしい笑顔。赤い唇が、開く。

「はじめまして! ゆーいちといいます! よろしく!」

 それを見て、俺は思わずほほえんだ。そいつの笑顔につられて。ほっとした、というのもあるかもしれない。こいつは、なんでもないただの子供だったって。

「よろしく! 俺の名前は和馬!」

 まさか、その十数年後に、あんなことが起こるなんて。



 葬式の後、杏は警察に呼ばれた。

 帰ってきた杏に何があったのか訊くと、

「警察の人に黙っていてくれって言われたから……」

と言葉を濁した。その目は、訊かないでくれと語りかけていて、俺は何も言うことができなかった。

 優一の家に電話をしてみたが、出ない。もう夜の十一時だし、帰ってないはずはないと思ったのだが。何度かけても、でなかった。

 杏は口を閉ざし、優一はいない。

 俺だけ、何も知らない。

「――っ。くそっ!」

 自分の部屋の、壁を拳でたたく。悔しさ、怒り、悲しみ。何もかもがごちゃまぜになった、拳だった。

 なんだよ。俺だけ蚊帳の外かよ。俺たちは、いつも三人でやってきたじゃないか!

 もう一度、壁をたたく。三人の間にある、壁を壊そうとして。

 何もかもがおかしい。柚子が殺されるのだっておかしいし、杏が俺に隠しごとするのもおかしい。優一だって、おかしい。

「どこ行ったってんだよ……」

 もしかしたら、柚子を殺した犯人と関わりがあることなのか?

 あいつ、柚子を可愛がっていたから。本当の、妹のように。もしかしたら、一人で犯人を見つけようとしてるのかも。だとしたら、だとしたら――――。

「なんで、俺に声をかけてくれねえんだよ……」

 頭を押さえ、座りこむ。カーペットが、今は冷たい。氷の草原に、座り込んでいるみたいだった。



 翌日も、その次の日も優一は学校に来なかった。

 家にも行ってみたが、誰も出てこなかった。杏も、しばらく学校を休むという。三人で行くために受験した高校に、俺は一人で行く。

 三人で歩いた道も、今は俺一人。

 コンクリートで舗装された道を、一人で歩く。右にも、左にも、誰もいない。

「どこから……」

 いつから、俺の日常は変わってしまったのだろうか?

 こんなにも、脆いものだったのだろうか?

 俺は、犯人を許さない。

 杏を泣かした奴を、許さない。

 地の果てまで追いかけていって、殺してやるさ。

 冷たい空気を、大きく肺に取り込む、決意が消えないように、拳を握り締めた。



 あの時、決意したのに……。



「嘘、だろ……」



 もう、くじけそうだよ……。



「う、うそだあああああああああああああああああああああああ!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ