抜殻の葬列
「はい、どうぞ」
「ありがとう……」
泣きはらした目をこすりながら、無理をして笑う杏。いつもの元気を見ているものからすれば、その様子はあまりにも痛々しかった。
あのまましばらく泣き続け、やっと落ち着いた杏を冷えるからと家に上げた。僕はなみなみとココアが入ったマグカップをを手渡した。マグカップに口をつけ、おいしいとつぶやく。
「……和馬は?」
「いま、あちこちを探し回ってる。……警察の人、相手にしてくれなかったの。小さい子がいなくなることなんて、よくあることだからって」
「……そう」
警察は、忘れてしまったのだろうか?
僕が起こした、事件のこと。
「でも、なんというかね、……すごく、嫌な予感がするの。ほら、すぐ近くで変な事件があったでしょ?」
「ああ……男の子の頭に、棒が突き刺さっていたやつね」
それを言うと、杏はこちらを向いた。くびを、かしげる。
「優一君、それを……」
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ!
杏の言葉をさえぎるように、電話がけたたましくなる。僕はココアをテーブルに置き、受話器をとった。そのとたん受話器から大声が飛び出して来て、耳から受話器を離した。
『おい! 優一! 杏はそっちにいるか!』
「なんだ和馬か……杏ならこっちにいるよ。ココア飲んでる」
『かわれ!』
ゆっくりと、ふりむく。きょとんとした顔の杏がこちらを見ていた。受話器を差し出す。
「なんか、和馬がかわれって」
「なんだろう……」
杏が受話器を耳に当てる。おずおずと戸惑った様子で、口を開く。僕はそれをじっと観察していた。
「はい、杏です。……え? 和馬君、おねがい、もう一度言ってくれないかな?」
瞬間、顔がこわばる。血の気が引いていく。体が、手先が、震えていく……受話器が、床に落ちた。拾おうともしない。その場に、杏がへたり込む。頭に手をあてて、うわごとのように何かつぶやく。僕はどんな答えが返ってくるか知りながらも、訊いた。
「どうしたの? なにかあったの?」
ずっと呟いていたのは、嘘、という言葉。うそ……うそ……うそ……。その言葉は途切れ、代わりに杏が機械のようにぎこちない動きで、こちらを向いた。声が、震えている。それでも、それは居間にこだました。
「柚子が……みつかったって。……もう、死んでるって」
警察の鑑識などに回され、柚子の葬式はだいぶ遅れてしまった。冬の間のことで死体が腐らなかったのは不幸中の幸いというか、ね。
小さな棺に入った柚子は、きれいに縫われていた。僕が開いた傷跡は、ぴっちりと閉じられていた。くるくると変わった表情や、元気に跳ねまわった足は、もう、動くことを知らない。
柚子は学校でも人気があったらしく、ほとんどの級友が泣いていた。あの、一緒に帰っていたし男の子もその一人だった。大きな声で、声がかれるほど鳴いている。
杏は、まだ現実が受け入れられないようで、呆然と立っていた。棺の隣、桃花さんはそこに座り込んで、ハンカチを顔から離さなかった。すらっとして美人と評判の母親は、娘の死にいつの間にか小さくやつれていた。僕の隣では、母が「かわいそうにね……かわいそうにね……」と呟き、目頭を押さえている。和馬も、ぐっとこらえた様子でうつむいている。
お経が一定のリズムを刻み、花のむんとした甘い香りが鼻につく。棺桶に、花を添える時が来た。柚子と同じ年の女の子は、さようなら、ばいばい、と一言いってから、花を添えている。杏も、おぼつかない足取りで棺に近付く。倒れないように、僕と和馬が両側から支えてやっていた。
「柚子……柚子……」
焦点の定まらない目で、柚子を見る。その目は大きく見開かれ、杏は無理にひきつった笑いをした。
「お姉ちゃんを困らせないでよ……ほら、すっかり驚いちゃったじゃない。もういいから、はやく帰りましょうよ……」
その悲痛な笑い声は、誰の耳にも届いた。触るだけで悲しみがにじみ出るような、苦しい笑い声。
「杏」
和馬が、杏の肩に手を置く。ゆっくりと振り向いた杏の目には、涙が溜まっていた。それが、一筋、あふれる。
「花を、そえるんだ」
「……ゃあ、いゃあ!」
頭を抱えて杏が座り込む。棺のふちに手をついて、叫ぶ。僕は、それを、黙って見ていた。
「花なんかそえたら! 柚子が死んじゃう! 花なんかそえたくない! 柚子はまだ生きてるもの!」
だれも、何も言えなかった。沈黙の中、杏の声だけが響いていた。ひとり、またひとりが、泣き出す。和馬も、スーツの袖で目をぬぐった。
それを見ていると、僕も不思議と涙が出てくるような気がした。心は何も感じていないのに、胸も熱くないのに、視界がぼやける。涙が目のふちにたまる。息を、吸い込んだ。
これは、演技なのか、僕の本心なのか。
「うっ、う……うわああああああああああ!」
僕は僕が殺した少女のために、泣く。
僕はしばらく、葬儀場のそばで突っ立っていた。杏と桃花さんは火葬場に向かい、参列客は帰り、僕と和馬だけが残された。
無言のまま、葬儀場のそばにあるフェンスに寄りかかる。ぼんやりと、晴れ渡ったそれを見上げていた。
「……柚子は、どうしてあんなことになっちまったんだろうな……」
和馬が、誰にいうでもなくつぶやく。僕は、黙ってそれを聞いていた。
「ちょっとやんちゃだったけどさぁ……周りに元気をくれるような子だったんだよ。柚子じゃなくてもよかったんじゃねえのかよ。どうして柚子を選んだんだよ!」
「…………」
それは犯人への、僕への言葉。それが犯人に届いているとは、和馬は知らないだろう。
「……ほんとうにね」
本当に、なぜ柚子だったのだろうか。わからない。誰でもよかったような気がするし、柚子でなければいけなかったような気もする。
でも、後悔は微塵もなかった。
「杏は……どうやって立ち直ればいいんだよ……」
苛立ちを込めた拳が、フェンスを叩き、揺らす。
杏は、一生後悔し続けるだろう。自分が、守り切れなかったと。後悔し続けて。
やがて、和馬は寄りかかるのをやめて立ちあがった。僕の方を見ないで言う。
「……俺、帰るわ。お前もさっさと帰れよ」
「……うん」
去り際に和馬が目をこすったのを、気付かないふりをした。それからしばらく、フェンスに寄りかかっている。
飛行機雲が一筋、空に浮き出ている。涙の筋に、そっくりだと思った。
ふと、砂利を踏む音が近くでする。そちらを向くと、あの男の子……柚子の、級友の少年が立っていた。僕を、敵意のまなざしで。
「……こんにちは。名前は、ええと……」
「カイト。海人だ」
「そう、海人君」
僕は、自分の腰ぐらいの高さの少年を見る。この年頃にしては、体が大きい方だろうか。比べる対象が死んでしまったので、比べることもできない。
「どうしたの? 僕に何か用?」
軽く微笑んでみせる。それを見た海人君は、呟く。それがよく聞き取れなかった。
「え? なに?」
「やっぱりって言ったんだよ」
二人の間に、一陣の風が吹く。髪が揺れ、頬に張り付いた。僕は寄りかかるのをやめて、立ち上がる。海人君を見下ろす。僕の声は、驚くほど冷たかった。
「何が、やっぱりなの」
「柚子のことだよ」
「柚子?」
少し怖くなったらしく、後ずさる。それでも、それでも勇気ある少年は、僕に向かって叫ぶ。
「おまえが! 柚子を殺したんだろう!」




