表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/23

抜殻の葬列



「はい、どうぞ」

「ありがとう……」

 泣きはらした目をこすりながら、無理をして笑う杏。いつもの元気を見ているものからすれば、その様子はあまりにも痛々しかった。

 あのまましばらく泣き続け、やっと落ち着いた杏を冷えるからと家に上げた。僕はなみなみとココアが入ったマグカップをを手渡した。マグカップに口をつけ、おいしいとつぶやく。

「……和馬は?」

「いま、あちこちを探し回ってる。……警察の人、相手にしてくれなかったの。小さい子がいなくなることなんて、よくあることだからって」

「……そう」

 警察は、忘れてしまったのだろうか?

 僕が起こした、事件のこと。

「でも、なんというかね、……すごく、嫌な予感がするの。ほら、すぐ近くで変な事件があったでしょ?」

「ああ……男の子の頭に、棒が突き刺さっていたやつね」

 それを言うと、杏はこちらを向いた。くびを、かしげる。

「優一君、それを……」

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ!

 杏の言葉をさえぎるように、電話がけたたましくなる。僕はココアをテーブルに置き、受話器をとった。そのとたん受話器から大声が飛び出して来て、耳から受話器を離した。

『おい! 優一! 杏はそっちにいるか!』

「なんだ和馬か……杏ならこっちにいるよ。ココア飲んでる」

『かわれ!』

 ゆっくりと、ふりむく。きょとんとした顔の杏がこちらを見ていた。受話器を差し出す。

「なんか、和馬がかわれって」

「なんだろう……」

 杏が受話器を耳に当てる。おずおずと戸惑った様子で、口を開く。僕はそれをじっと観察していた。

「はい、杏です。……え? 和馬君、おねがい、もう一度言ってくれないかな?」

 瞬間、顔がこわばる。血の気が引いていく。体が、手先が、震えていく……受話器が、床に落ちた。拾おうともしない。その場に、杏がへたり込む。頭に手をあてて、うわごとのように何かつぶやく。僕はどんな答えが返ってくるか知りながらも、訊いた。

「どうしたの? なにかあったの?」

 ずっと呟いていたのは、嘘、という言葉。うそ……うそ……うそ……。その言葉は途切れ、代わりに杏が機械のようにぎこちない動きで、こちらを向いた。声が、震えている。それでも、それは居間にこだました。

「柚子が……みつかったって。……もう、死んでるって」



 警察の鑑識などに回され、柚子の葬式はだいぶ遅れてしまった。冬の間のことで死体が腐らなかったのは不幸中の幸いというか、ね。

 小さな棺に入った柚子は、きれいに縫われていた。僕が開いた傷跡は、ぴっちりと閉じられていた。くるくると変わった表情や、元気に跳ねまわった足は、もう、動くことを知らない。

 柚子は学校でも人気があったらしく、ほとんどの級友が泣いていた。あの、一緒に帰っていたし男の子もその一人だった。大きな声で、声がかれるほど鳴いている。

 杏は、まだ現実が受け入れられないようで、呆然と立っていた。棺の隣、桃花さんはそこに座り込んで、ハンカチを顔から離さなかった。すらっとして美人と評判の母親は、娘の死にいつの間にか小さくやつれていた。僕の隣では、母が「かわいそうにね……かわいそうにね……」と呟き、目頭を押さえている。和馬も、ぐっとこらえた様子でうつむいている。

 お経が一定のリズムを刻み、花のむんとした甘い香りが鼻につく。棺桶に、花を添える時が来た。柚子と同じ年の女の子は、さようなら、ばいばい、と一言いってから、花を添えている。杏も、おぼつかない足取りで棺に近付く。倒れないように、僕と和馬が両側から支えてやっていた。

「柚子……柚子……」

 焦点の定まらない目で、柚子を見る。その目は大きく見開かれ、杏は無理にひきつった笑いをした。

「お姉ちゃんを困らせないでよ……ほら、すっかり驚いちゃったじゃない。もういいから、はやく帰りましょうよ……」

 その悲痛な笑い声は、誰の耳にも届いた。触るだけで悲しみがにじみ出るような、苦しい笑い声。

「杏」

 和馬が、杏の肩に手を置く。ゆっくりと振り向いた杏の目には、涙が溜まっていた。それが、一筋、あふれる。

「花を、そえるんだ」

「……ゃあ、いゃあ!」

 頭を抱えて杏が座り込む。棺のふちに手をついて、叫ぶ。僕は、それを、黙って見ていた。

「花なんかそえたら! 柚子が死んじゃう! 花なんかそえたくない! 柚子はまだ生きてるもの!」

 だれも、何も言えなかった。沈黙の中、杏の声だけが響いていた。ひとり、またひとりが、泣き出す。和馬も、スーツの袖で目をぬぐった。

 それを見ていると、僕も不思議と涙が出てくるような気がした。心は何も感じていないのに、胸も熱くないのに、視界がぼやける。涙が目のふちにたまる。息を、吸い込んだ。

 これは、演技なのか、僕の本心なのか。

「うっ、う……うわああああああああああ!」

 僕は僕が殺した少女のために、泣く。



 僕はしばらく、葬儀場のそばで突っ立っていた。杏と桃花さんは火葬場に向かい、参列客は帰り、僕と和馬だけが残された。

 無言のまま、葬儀場のそばにあるフェンスに寄りかかる。ぼんやりと、晴れ渡ったそれを見上げていた。

「……柚子は、どうしてあんなことになっちまったんだろうな……」

 和馬が、誰にいうでもなくつぶやく。僕は、黙ってそれを聞いていた。

「ちょっとやんちゃだったけどさぁ……周りに元気をくれるような子だったんだよ。柚子じゃなくてもよかったんじゃねえのかよ。どうして柚子を選んだんだよ!」

「…………」

 それは犯人への、僕への言葉。それが犯人に届いているとは、和馬は知らないだろう。

「……ほんとうにね」

 本当に、なぜ柚子だったのだろうか。わからない。誰でもよかったような気がするし、柚子でなければいけなかったような気もする。

 でも、後悔は微塵もなかった。

「杏は……どうやって立ち直ればいいんだよ……」

 苛立ちを込めた拳が、フェンスを叩き、揺らす。

 杏は、一生後悔し続けるだろう。自分が、守り切れなかったと。後悔し続けて。

 やがて、和馬は寄りかかるのをやめて立ちあがった。僕の方を見ないで言う。

「……俺、帰るわ。お前もさっさと帰れよ」

「……うん」

 去り際に和馬が目をこすったのを、気付かないふりをした。それからしばらく、フェンスに寄りかかっている。

 飛行機雲が一筋、空に浮き出ている。涙の筋に、そっくりだと思った。

 ふと、砂利を踏む音が近くでする。そちらを向くと、あの男の子……柚子の、級友の少年が立っていた。僕を、敵意のまなざしで。

「……こんにちは。名前は、ええと……」

「カイト。海人だ」

「そう、海人君」

 僕は、自分の腰ぐらいの高さの少年を見る。この年頃にしては、体が大きい方だろうか。比べる対象が死んでしまったので、比べることもできない。

「どうしたの? 僕に何か用?」

 軽く微笑んでみせる。それを見た海人君は、呟く。それがよく聞き取れなかった。

「え? なに?」

「やっぱりって言ったんだよ」

 二人の間に、一陣の風が吹く。髪が揺れ、頬に張り付いた。僕は寄りかかるのをやめて、立ち上がる。海人君を見下ろす。僕の声は、驚くほど冷たかった。

「何が、やっぱりなの」

「柚子のことだよ」

「柚子?」

 少し怖くなったらしく、後ずさる。それでも、それでも勇気ある少年は、僕に向かって叫ぶ。

「おまえが! 柚子を殺したんだろう!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ