27 「岩場にいく準備」
ケンは、魔法陣と魔法を用いた戦闘ができるようになり、草原での狩りが安定した。そして、ようやっと仕立てた紅熊のコートを受け取れた。
タマモは、本日の狩猟で絶品のお肉を逃して落ち込んでいる。
アルタイ防具店で紅熊のコートを受け取った夜。
宿屋での食事中に、俺はタマモにある考えを告げた。
「次の依頼からは、岩場にも足を伸ばそうと思う」
俺の決断に、正面の席で酒を楽しんでいたタマモはふぅとため息をついた。
「やっと、その気になったかや」
タマモは首を緩く振り、手元の酒杯の中身をコクリと優美に呷った。
ほぅ……、とタマモの艶のある吐息が漏れる。
本日のタマモのお酒は、絶品のラスパラを捕り逃した鬱憤を晴らすためなのか、宿屋の安酒ではなくタマモが自前で用意したお高い蜂蜜酒である。
なんでも蜂型の魔物から取れる蜂蜜の中でも一等上等なものから作ったお酒だそうだ。この世界ではそれなりに高値とされている透明度の高いガラス製の入れ物からして、そのお酒の価値の高さが伺える。
ガラス瓶の酒は銀貨十数枚相当の価値があるのをタマモの過去の散財から知っている。銀貨10枚もする高級果実酒でも濁った質の劣るガラス瓶なので、タマモが今飲んでいる蜂蜜酒の値段は推して然るべきである。
タマモ曰く、得も言われぬ酒精を帯びた滋味深い甘い口当たりだそうで、値段もさることながら、甘党のタマモにとっていたく気に入ったもののようだ。本日は分けてもらえそうにはないな。
それをコクコクと実においしそうに飲み、タマモの潤んだ瞳が俺を流し見た。
「お主のことじゃ。岩場の下調べは済んでおるのじゃろう? 」
中身が残り少なくなった酒杯を弄びながら、緩んだ笑みでタマモは俺に問いを投げかける。
無論。草原の次に行く場所として、岩場については、以前から冒険者ギルドの資料室を中心に調べていた。
「ああ、実際に足を運んだことはないが、関係のある資料には目を通してる」
「なら、妾に話してみよ」
俺が首肯すると、空になった酒杯にとろみのある濃い黄金色の蜂蜜酒を注ぎながら、タマモは酒の肴とばかりに俺に話を促した。
俺は手元のコップを取り、中身のピグミルクで舌を湿らし、岩場の調査結果をタマモに披露することにした。
岩場とは、城塞都市ツゲェーラの東に広がる草原の先にあり、一軒家くらいの巨石がごろごろ転がっている一帯のことを指している。
公式の文書では、『スーカリャ戦場跡地』と書かれ、巷では専ら『岩場』と言われている。
ついでに冒険者の間では『石喰いの狩場』と言っていたり、魔術師ギルド内では『大賢者の残石場』と言われていた。
岩場は、かつて百年以上前に起きた魔物の氾濫で戦場になったため、『スーカリャ戦場跡地』と呼ばれている。地方名である『スーカリャ』だけでなく、百年以上前の戦いの跡地であることを公式の文書での名称としているのは、その戦いで、かつて平原だったスーカリャが今の岩場へと変貌したからである。
ちなみに、平原が岩場へと変わったのは、それほど魔物の氾濫が環境に与える影響が大きかったからではなく、その戦場で戦った魔術師が行使したひとつの魔法によるものだった。
魔法ひとつで、地形を変えてしまうなんて話、どこの神話の話だというところであるが、この城塞都市ツゲェーラで似たような話に覚えがある。
このツゲェーラが城塞都市と呼ばれるようになった由来でもある都市一つを囲む外周数十キロの城壁を一夜で築いた話と似ている。
何を隠そう平原だったスーカリャを岩場へと変えたのは、この城塞都市ツゲェーラの城壁を一夜で築いたあの大賢者によるものだった。それ故に、魔術師ギルドでは、大賢者の偉業を称えて『大賢者の残石場』と呼ぶ者が多い。小さな先輩ことコレット先輩もまた岩場のことをそう称していた。
この都市の魔術師ギルドの前身は、その大賢者を慕って集まった魔術師たちの集まりだったらしいからか、今でも大賢者の話を語り始めたら止まらないような熱心な信者がそこそこいるみたいだ。お陰様で、岩場以外にも大賢者についても少しだけ詳しくなった。
閑話休題。
百年以上前の大賢者が行使した魔法によって、今なお無数の巨石が生えて積み重なる岩場と化した場所では、石を食むという魔虫が生息している。この魔虫、正式名称は「ロポリ」と呼ばれているのだが、冒険者の間では鉱物を主食としていることから「石喰い」と呼ばれている。そして、この魔虫から採れる甲殻が質がいいものだと、結構いい値段で売れることがある。良質な甲殻は、防具の素材としてだけでなく、錬金素材として価値がでるらしい。この辺りだと岩場にロポリが集中して生息しており、それを目当てにしている冒険者たちから『石喰いの狩場』と呼ばれていた。
「とまぁ、岩場、岩場と呼ばれているスーカリャ戦場跡地は、この辺りでは一攫千金を夢見た冒険者にはそこそこ人気があるみたいだ。まぁ、ギルド職員から聞いた話では、ロポリの甲殻の価値はピンからキリで、スーカリャ戦場跡地で採れるロポリの甲殻の質は基本的にあんまり良くないそうだ。だから、一攫千金といっても伸び悩んでる新人の博打みたいなもんらしい。赤以上の冒険者だと危険も多いが見返りの大きい森を狩場に移していくらしい。あと、質のいい甲殻が採れるロポリほど、厄介で危険度も上がっていくそうだ。だから、甲殻目的でロポリを狩るってのはしばらく見送ろうと思う」
と、ここまで話をしていると、聞き手であるタマモの呆れた顔に気づく。
「……どうした。なんか言いたそうな顔だな」
俺がそう問いかけると、タマモはわかりやすくため息をついた。
「どこの冒険者が、次の狩場の下調べで狩場の歴史を調べてくるやつがおる。それに、狩場で一番稼げる獲物を避けようとは、……まったく。お主らしいと言えば、お主らしいが……。冒険者というよりは学者じゃな」
そう言いながらタマモは、酒のツマミに炒った木の実を摘んで食べる。
それは仕方ないと言いたい。コレット先輩に岩場の資料を尋ねたら、真っ先にそっちの方の本を渡されたのだ。
「それは別にいいだろう。それにロポリを俺たちが狩るのは現実的じゃない。質のいいロポリの甲殻は、鋼よりも強度があるらしい。岩場にいる一般的なロポリでも、魔力を自然石より多分に含んだ岩場の石を食べているせいか刃が立たないくらいの強度はあるそうだ。生憎、金属鎧を着こんだような相手に有効な攻撃手段を俺は持ち合わせていない。有効な手段が用意できるまで戦闘を避けるのは当然だろう」
俺の攻撃手段は、弓矢と剣鉈、それと牽制程度の魔法のみだ。しかも戦闘スタイルは、怯ませた隙に首や急所に一撃を入れるスタイルだ。硬い甲殻に覆われているというロポリとは全く合わない。
俺がそう答えると、タマモは不思議そうな顔をした後に、その口角が意地の悪い曲線を描いた。
「それをお主が熱心に足繫く通っているあそこで用意したのではないのかえ? お主のことじゃし、岩場に向かうと決断したのも、その手の備えができた上で……と思うたのだがのぅ。それともあそこに通っていたのは毛も生えておらぬ生娘と会う口実じゃったか? ――妾の見込み違いかや? 」
「……」
その意地の悪い問いかけで苛立った感情をピグミルクを飲むことで落ち着かせる。これは、あいつのいつもの挑発だ。内容に深い意味はなく、ただ俺の反応を見て楽しもうとしているだけだろう。軽く受け流すのが正解だ。そもそも魔術師ギルドに通っているのは、色んな魔法を使うためにその造詣を深めるためであり、その知識を仕事で活かすのは二の次でしかない。
だが。
そうと分かっていても反論せずに居られないのは、俺がまだ大人になりきってないからなのだろう。わざわざコレット先輩を出汁に使ったのもよくなかった。
それに、戦う手段がないわけでないのだ。
「いいだろう。一度ロポリとは戦ってやる。だが、先に言っとくが割に合わないぞ? 」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次の日は、岩場に行く準備を整えるために休息日にした。
惰眠を貪るタマモの横で、午前中は採取用の道具が増えて荷物がごちゃごちゃしていたので、携帯湯沸かし器を入れていた箱や定規を使い、仕切り板を自作したり、剣鉈の手入れをして過ごした。こうして荷物を整理していると、随分と採取用の道具が増えたと思う。まぁ、稼ぎの三分の一くらいは、道具の購入費で消えてるから当然と言えば当然かもしれない。
そして、午後になってようやっと起きたタマモと宿で昼食をとることになった。
本来この宿では、昼食は出していないのだが、俺の話を聞いて宿の亭主で料理人のエドラノールが料理を試作したらしく、その試食を兼ねた昼食を出してくれることになった。
試食ということで、給仕の娘さんではなくエドラノールがわざわざテーブルにまで料理を持ってきてくれた。
「今日は、君が話していたパンを削った粉で包んだシーズーを油で焼いてみたよ」
「ありがとう。……しかし、いいのか? 昼食はここではやってないのにわざわざ用意してもらって」
「構わないよ。これは君が話した郷土料理のレシピを試してみたくなったから作ってみただけなんだ。店のサービスとは別だよ。助言を頼むよ」
「うむ。ケンもたまには役に立つのぅ」
たまには、は余計だ。
「そうか。なら、遠慮なく……」
エドラノールの言葉で俺は、テーブルの上の料理に目を向けた。油で焼いたといったが、油で揚げたのだろう。皿にいくつかもられたものの見た目は、粗いパン粉をまとったフライだった。
白身魚のフライか。
揚げ物は懐かしい。ここに来てからは久しく見ていなかったものだ。試作したフライには何種類かあるようで、最初はシンプルのものから口にした。
衣に歯を立てるとサクッと音を立てた。中の白身魚がホロリと崩れて、ジューシーな汁気が口の中に広がった。衣の油と汁気が混ざり、なんともいえない旨味に変わる。
「あぁ、これだよ。これ……」
懐かしい揚げ物の風味に舌が喜ぶ。あぁ……フライドポテトが食べたくなる。
「塩はありますか? 」
「ああ、もちろん。用意するよ」
すぐにエドラノールは、厨房から塩をとってきてくれた。
その塩を、ひとつまみして食べかけのフライにかけてもう一口。
白身魚のほんのり感じていた旨味が、塩味でぐっと鮮明になる。
「それは、あえて味付けせずに焼いた奴かな。ダメだったかい? 」
「いや、悪くない。だが、塩気がないから薄い。後でお好みで塩やソースをかけるならこういう素朴なのも悪くない」
「なるほど。僕たちだと、油の味が強いからこれでも十分おいしいけど、祖人だとやはり薄いか」
淡白な白身魚には、タルタルソースをかけるといいと思うが、生憎タルタルソースのつくり方なんて知らない。こういう風にエドラノールが試作してくれるなら、タルタルソースの話だけでも後でしてみよう。
「次は、っと」
次の一個に手を伸ばし、口をつける。
サクッとした食感の後に広がるのは、香草の香りと強い塩気だった。これは、パン粉をまぶす前の白身魚に香草と塩で下味をつけたもののようだ。
「うん、これはうまいな。香草が油のくどさを消してくれる」
「そうかい。下味をつけるなら香草と思ってね。シーサーに合う香草の組み合わせをいくつか試してみたんだ。これとこれとこれだね。こっちは塩だけにしてみた」
エドラノールに言われるまま、それぞれのフライを食べてみたが、香草らしい爽やかな苦味のあるもの以外に、山椒のようなピリリとしたもの、カレーのようなスパイシーな風味のもの、ガーリックのガツンと来るのがあった。試作という話だったが、どれも十分にうまかった。
「うん、どれもうまいな。個人的な好みを言えば、このガツンと強い香りと旨味が増す奴と二番目に食べたのが下味としてはうまかった。スパイスが効いたのは、魚じゃなくてパン粉に混ぜて、これに使われている香草のソースを作ると合うんじゃないか? 」
全部を食べた俺は、エトラノールに感想を告げる。
「パン粉というと、魚にまぶしたパンを削ったもののことだね。それに香草を混ぜるのかい。その発想はなかったね。うん、試してみるよ。ありがとう。そちらはどうだったかい? 」
俺の感想を聞いたエドラノールは、タマモに話を振った。
いつの間にかタマモは料理を食べて終えていたようだった。
「ふむ、あのような料理を口にしたのは初めてじゃったが、どれもなかなかの美味よのぅ」
白身魚のフライは、どうやらタマモのお口にあったようだった。上機嫌に後ろの尻尾が揺れていた。しかし、タマモは、その後に緩めていた口元を引き締め、スゥっと目を細めた。
「……じゃが、これにはひとつ致命的な問題がある」
「……と、いうと? 」
「――これは酒が恋しくなってしまう。酒もなしにこれは食べられぬのぅ。なにかうまい果実酒はないかや? 」
わざわざタメをつくってまでいったタマモの言葉に、エドラノールは一瞬ぽかんとした後に、物静かな食堂に響く笑い声をあげた。
「アッハッハッハ! それは悪かった。確かに、この油で焼いたフライというのは酒が飲みたくなるね。よし、折角だし、店のではなく僕のお酒を分けてあげよう。少し待っていてくれ。追加で焼いてくるよ」
エドラノールは、上機嫌で笑いながら厨房へと戻っていった。
「おい、図々しすぎるぞ」
エドラノールがいなくなった後にタマモに少し釘をさす。しかし、タマモはどこ吹く風といった様子で先にもらっていたピグミルクを飲んでいた。
「なぁに、異国のレシピをお主が教えておるのだ。これくらい当然の恩恵じゃ」
「……そういうことだとその恩恵は俺が受けるべきでは? 」
「まぁ、そう固いことをいうでない。お主も一緒に飲めばよいではないか」
「生憎、俺はこれから外に出る。外に出るのに酒は飲めないだろ」
「なんじゃ固いのぅ。何をしにいくかは知らぬが、少々酒を飲んだところで問題はあるまい」
タマモは、堅物を見る呆れた目を向けてくるが、一人ででかけるというのに酒の匂いをさせて歩き回る気にはなれない。いざという時、酒気で頭が回らないという事態は避けたい。
そうでなくても、ここでは何が起こるか分からないので、気を張っているというのに……
「はぁ……」
俺は、タマモに言い返す気も起きず、自分のピグミルクをぐいっと呷ったのだった。
長らくお待たせいたしました。
取り合えず、書いていたところ一万二千文字を越えたので、分割して投稿します。
なかなか時間を取れていないですが、更新がコンスタントになるよう努めさせていただきます。
次話の投稿は、明日の午前に行う予定です。




