詰所の地下
詰所の地下は、昼間でも薄暗かった。
石壁に染みついた湿気と鉄の匂いが、空気を濁らせていた。
セリーヌが足を踏み入れると、重い扉の向こうから騒がしい声が響いた。
「俺は知らねぇって言ってんだろ! 何回同じこと聞くんだよ!」
がなり立てる声。
グレイが眉をひそめ、扉の前で短く息をついた。
「……ご覧の通りです。尋問は難航しております」
「ずいぶん元気な容疑者なのね」
セリーヌが静かに言うと、アナスタシアが小さく肩をすくめた。
「逆に元気すぎて怖いですよ……」
アナスタシアが囁くと、グレイは無言で頷き、扉の取っ手を握った。
厚い鉄の扉が軋む音を立てて開く。
途端に、怒鳴り声と鉄鎖の擦れる音が狭い部屋にぶつかってきた。
「何度言や分かるんだよ! 俺は運んだだけだ! 中身なんざ知らねぇって!」
縄で縛られた男が、机の前で身をよじらせていた。
乱れた髪と土埃まみれの服、声だけはやたらと通る。
衛兵が二人、左右から押さえ込んでいるが、なおも暴れる勢いだった。
「静かにしろ」
グレイの低い声が響く。
だが男は怯まず、机を蹴り飛ばす勢いで叫んだ。
「黙れって言うな! 俺は本当に知らねぇって言ってんだ!」
衛兵が押さえつける腕に力をこめ、椅子が軋む。
「――名前を」
「は? 今さら何言って――」
「名前を、だ」
部屋の空気がわずかに沈む。
衛兵が一歩踏み出すのを見て、男は渋々口を開いた。
「……ルド。ルド・フェインだよ」
「職業は」
「運送屋だ。王都まで荷を運ぶ仕事をしてる。十年やってる」
「十年もやって、積み荷の中身を確かめもしないのか」
「だ、だから! 今回は特別だったんだ! 夜中に呼ばれて、金を前払いされた! 断る理由ねぇだろ!」
机に拳を叩きつけ、ルドは吐き捨てるように言った。
だがその手は、わずかに震えていた。
グレイは視線を逸らさず、静かに書簡を机の上へ置く。
「依頼主の名は、これで間違いないか」
紙に記された文字を見た瞬間、ルドの喉がごくりと動いた。
「“リュミエール商会”。ああ、それだ」
「どこで聞いた」
「倉庫街の西側のはずれだ。フードを被った奴が言ってたんだよ。『リュミエール商会の荷だから丁寧に扱って』って」
グレイが眉をわずかに動かす。
筆記官が急ぎ手を走らせた。
「声は覚えているか」
「……ああ」
男は小さくうなずいた。
「上品な声だった。女の。貴族みてぇな喋り方だ。『仕事は滞りなく進めてちょうだいね』って言われたんだ」
アナスタシアが小さく息を呑む。
セリーヌは一歩も動かず、表情も変えない。
ただ、まぶたの奥だけがかすかに揺れた。
「他に特徴は」
「白い手。細い指。香水の匂いがした」
記録が終わると、グレイは無言で立ち上がった。
「拘留しろ」
「待てよ! 俺は知らねぇんだ! 本当なんだって!」
衛兵が両腕を掴み、椅子ごと引きずる。
鎖の音と共に、叫び声が遠ざかっていく。
扉が閉まり、静寂が戻った。
「……やけに上品、ですか」
アナスタシアがぽつりと呟く。
グレイは淡々と答えた。
「王都へ報告を上げます。貴族筋の関与も考慮すべきでしょう」
セリーヌは何も言わない。
灯りの揺らめく机の上で、影が静かに揺れた。
――やけに上品な声。
あの男の証言が記憶の底でかすかに疼いた。




