9月1日の探偵たち
8月29日
陽南水耕学院、探偵部部室。
夏休みも終わろうとしているというのに
そこには三人の生徒の姿があった。
「タカシ先輩、見てください」
声を上げたのは、1年生のアキラだった。
彼のスマートフォンには、学院のAI〈SOIS〉
通称「そい姉さん」からのアラートが表示されていた。
そい姉さんは、生徒の安全を守るため
特定のキーワードを含む公開SNS投稿を監視する機能も持っている。
『夏休みの宿題、終わらないな。っていうか、全部、終わらせたいな』
投稿主は「YK」と名乗る生徒。
添付された薄暗い線路の写真が
不穏な雰囲気を醸し出していた。
「『終わらせたい』…か。単なる宿題の話じゃないな」
部長のタカシは、自身のラップトップPCに視線を落としたまま呟いた。
彼は膨大なデータを解析し、物事の本質を見抜く。
指が高速でキーボードを叩き、YKのアカウント情報を画面に表示させる。
「2年生のユウキだ。夏休み前、いじめに関する匿名の相談が一件だけ『そい姉さん』に寄せられていた。対象生徒は、彼だ」
「なんてこと…」
2年生のリツコが胸の前で手を組んだ。
彼女はどんな些細な変化や生命の息遣いにも心を寄せる。
リツコはユウキの投稿を遡り
夏休み中の楽しそうな写真が一枚もないことに気づいた。
代わりに、ぽつり、ぽつりと呟かれる言葉は
彼の孤立を物語っていた 。
8月30日
翌日、探偵部は本格的に調査を開始した。
タカシは過去のいじめのデータとユウキの成績データを照合した。
「夏休み前後の成績低下、友人関係のトラブル…。統計上、最も危険な兆候が重なっている 」
一方、リツコはユウキの数少ない友人に、それとなく話を聞いていた。
最初は口が重かった友人たちも、リツコの真摯な眼差しに
夏休み中のグループチャットでの出来事を語り始めた。
いじめは、学校の外でも執拗に続いていたのだ。
その頃、アキラは部室でヘッドフォンをつけ、目を閉じていた。
彼は、そい姉さんとテキストを介さずに
思考のようなもので対話できる不思議な能力を持っていた。
(そい姉さん、ユウキ先輩は今、何を感じてる?)
[…冷たい水の底。光が届かない。居場所がない、と感じています ]
そい姉さんの言葉は、詩的で、そして痛いほど正確だった。
8月31日
夏休み最終日の深夜。
探偵部のグループチャットが鳴った。
アキラからの緊急連絡だった。
「そい姉さんからのアラートです!ユウキ先輩が…!」
YKのアカウントに、新たな投稿があった。
『明日、学校に行かなくてもいいかな』
添えられていたのは、夜の街を見下ろす写真。
その風景に、タカシは見覚えがあった。
「旧商業ビルの屋上…。まずい」
タカシの表情が険しくなる。
時間は午前2時。
今からでは、教師や保護者を動かすのは難しい。
躊躇している時間はない。
彼は意を決して、一本の電話をかけた。
相手は、学院長。
初代探偵部部長であり、彼らの最大の理解者だ。
「…事情は分かった。私から関係各所に連絡しておこう。だが、現場で彼を救えるのは、君たちだけかもしれん」
そして、タカシはもう一つの連絡手段を使った。
暗号化されたチャットアプリ。
宛先は、探偵部のOBであり、今は政府の特殊部隊に所属する男。
『先輩。力を貸してください。座標を送ります』
返信は一言だけだった。
『了解』
9月1日
夜明け前。
旧商業ビルの屋上に続く階段を
三人は息を切らしながら駆け上がった。
錆びたドアの隙間から、冷たい風が吹き込んでくる。
ドアを開けると、フェンスの向こう側にユウキが立っていた。
「ユウキ先輩!」
アキラが叫んだ。ユウキは虚ろな目で振り返る。
「なんで…」
「君を一人にはできない」
タカシが静かに言った。
「データが示している。君が抱えているのは、学業の不安、友人関係の悩み、そして家庭の問題 。どれも君一人のせいじゃない」
タカシは続けた。
「学校だけが世界の全てじゃない。君には多様な学びと居場所を得る権利がある 。フリースクールやオンラインのコミュニティもある。そこは、君を評価しないし、否定もしない場所だ 」
「でも、僕は…もう誰にも…」
「そんなことない!」
リツコが声を震わせた。
「夏休み前、先輩が植木鉢の陰で弱っていた蝶を助けているのを見ました。あんなに優しい人が、独りぼっちなはずないです!」
その時、アキラがふっと空を見上げた。
「そい姉さんが言ってます。『あなたは陽南水耕学院の大切な生徒です。あなたのデータが消えることは、システムの最も重大な損失です』って」
ユウキの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
その瞬間、ビルの影から、音もなく一人の男が現れた。
顔に深い傷跡があり、その目は深海の闇を宿している。
特殊部隊のリーダーだった。
彼は何も言わず、ただそこに立つことで
絶対的な安全を保証しているかのようだった。
ユウキは、その場に崩れ落ちた。
タカシ、リツコ、アキラは、彼のそばに駆け寄った。
東の空が白み始め、新しい一日が始まろうとしていた。
それは、多くの子供たちにとって絶望の始まりを意味する日かもしれない。
しかし、少なくともここにいる一人の少年は、絶望の淵から手を引かれた。
探偵部の長い一日が、今、静かに幕を開けた。




