25:もし星が神ならば
翌日エイダは装置の席にテーブルとノートを用意した。
検査の結果は多少厳しいものだった。
エイダは誘拐されたあとにレベル5まで達したと考えられている。魔力検査からの推定値だ。
今日エイダはレベル8まで達したと推定された。じゃあ残り2レベル、楽に到達できるかというとこれが多分難しい。
レベルが大きくなるたびに、次のレベルアップまでに必要な微小魔力生物の魂も増えると考えられるからだ。多分レベル10には膨大な魂が必要だ。
一度の滅菌工程に必要な時間を減らすために、金属容器はもう一つ増やされ、予備加圧タンクももう一つ増やされた。一度の工程ごとに加圧済みタンクを切り替えて使うのだ。そのための配管工事が朝早く始まり、そして検査まで全てが朝日の昇る前に終わった。
エイダは自分の計算に没頭した。鐘が一つ鳴ると手が勝手に動いてレバーを倒し、しばらくすると勝手にレバーを戻す。その間目はノートに釘付けで、そして数式でも構造図でも無い、何らかの省略の入った図を描き続けた。
エイダの書いてくれた万能計算機械の証明は、前世の記憶と一致していた。
チューリングマシン。計算万能。
もし計算機がチューリング完全であるならば、その計算機は自分のシミュレータ、自分自身のエミュレータを動かすことが出来る。
オルランドは国教会の神学者たちが喜びそうな概念をひとつ思いついた。
もしこの世界が仮想現実ならば、この世界で作られるチューリング完全な万能計算機の中に、この世界を完全再現することができる。
もちろん完全再現されたシミュレーション世界でも万能計算機は作られるだろう。そしてその上に仮想世界をまたつくることができる。以下永遠に仮想現実が続く略。
こういう状況はばかげているのでこの世界は仮想現実ではない。Q.E.D.
ジェイコブは膨大な製図を終えて、何かの試作に打ち込んでいる。ディヴィッドは蒸気クロウラーと砲架に改良を加え、砲は一人で照準をつけながら撃てるようになった。オリヴァーは魔力計を修理して、砲撃の衝撃に耐えるよう改良を加えた。
点火器のぜんまいは電動機に交換された。これを動かすバッテリーは単純なボルタ電池で、瞬く間に消耗するが電動機が動くのも一瞬なので問題はない。
街の方では、魔獣が出没するという噂があちこちでしきりだ。黒い翼を持つ獣がスチュワートの街の上を二周して南に飛んでいったという。
「あれは決して鳥じゃねぇ。差し渡しが白鳥の三倍くらいあったし、そもそも尻尾があった。尾羽根じゃぁなくて尻尾だよ」
工場へやってきた鍛冶屋がそんなことを言う。
「あの大砲でやっつけてしまうべきだ」
鍛冶屋はそう言うが、魔獣を工場のせいだと難癖をつけに来た男とその場で口論になる。ディヴィッドはそんな混乱の仲裁をしながら、
「よしじゃあ、やっつけに行こうじゃないか」
その場に居合わせた男たちをお供に、蒸気クロウラーに乗って試運転に出かけていった。
手持ち無沙汰になったオルランドは、久しぶりにすずめ寮に戻ることにした。
作業服姿で、一人てくてくと海岸沿いの道を歩いていく。
初夏の海は凪いで風もさわやかだ。もう日は高い。昼食はすずめ寮に何かあるだろう。
ただ道はむやみに埃っぽい。せっかくのマカダム舗装を蒸気クロウラーが毎度ガタガタにしてしまうせいだ。
何も考えずにぼうっと歩く。ちょっと最近は色々有りすぎた。風が気持ち良い。
「言った筈だぞ。無用心過ぎると」
お陰で、背後にジェリー・クランチャーがいつのまにか立っていた時も、全く反応できなかった。
「止まるな。歩き続けろ」
崖と海に挟まれた道をしばらく二人無言で歩き続ける。オルランドは振り向かない。ただ二人分の足音でそれとわかるだけだ。
「レベル7ってところか」
ジェリー・クランチャーの言葉にオルランドは反駁する。
「レベル8には達していると思っているんだけど」
「いや、心配しているんじゃなかろうかと思ってね」
「何を」
「狂気」
オルランドは言い返せない。内心の不安を言い当てられたのだ。
コテージから帰還した日の真夜中、オルランドは重い頭痛と吐き気のするなか目が覚めた。
子供の頃熱病に罹ったときの、あの朦朧とした無力感がオルランドを苛む。頭痛は繰り返される殴打のようだった。床に転げ落ち、吐瀉物まみれになりながら、その振り回す腕がベッドの脚を粉砕するのに気がつかないまま。
やがて衰弱しきって気絶したオルランドを、朝やってきたエイダが見つけた。
エイダはすぐ、オルランドがレベルアップしたのだと悟った。あの砲弾で魔獣を倒したのはオルランドだった。あの魔獣の強い魂は、恐らく一度に幾つもの段階を飛び越えてオルランドに急激な身体の変化をもたらしたのだ。
朦朧とした気分のままオルランドはエスターの検査を受けた。
身体に異常が無いといっても、有ると言っても嘘になる、そんな結果が出た。検出された魔力は以前のおよそ6倍、成長率を1.3とするなら、今オルランドはレベル8である。
今オルランドは、たぶん高さ20足の石垣のてっぺんまで、何とか跳べるだろう。勿論それは凄い身体能力だ。二階から平気で飛び降りることができるし、二階に跳んでいくことすらできる。そのうち人目につかないところで試してやろうとオルランドは思っている。
だが、他の転生者たちのレベルはどの程度なのだろうか。
少なくともレベル10以上だろう。レベル10の人間は、最低でもレベル8のおよそ1.5倍程度の能力を持つとオルランドは推測していた。それは高等学院生と大人の男性の体力差に近いだろう。これは勝てない差だ。
ジェイコブの理論では、狂気の原因は魔獣の魂が持つ記憶だ。
その記憶が本人の記憶と混じって人を狂わせる。では、オルランドが倒した魔獣の記憶は何処に行ったのか。魔獣の魂はオルランドの元に来た。記憶だけがどこかに散歩に行ってしまうなんて訳がない。
「心配はしなくてもいい。あの石冠の周囲に隠された円陣が防いでくれた」
「円陣?」
「昔の発掘で出てきたんだよ。自然石の柱の更に外周に溝が掘られていて、その中に白い丸石が並べられていた」
恐らく魔獣の記憶を消すためだ、とジェリー・クランチャーは言う。
「盗掘避けに魔獣を置いた古代人は、その魔獣が智恵をつけないように工夫もしていたらしい。あの召喚陣が呼び出す魔獣は常に同じ、つまり同じ魂だから、呼び出す度に記憶を蓄積されるとそのうち面倒を起こす心配があった訳だ」
説明までしてくれた。
「エイダ・クレアに関しては防ぐことができなかった。あのコテージを囲むように円陣を描いておいたのだが、二日目のレベルアップはその外で行なわれた」
オルランドは訊く。
「あなた、魔獣を殺したときの副作用を打ち消す方法を知っているの?」
ジェリー・クランチャーは、歩みが止まったオルランドの前に出て、歩き続ける。オルランドはそれを追う。
「生徒会長たち上級の三人は知らないよ。彼らは既に狂い始めている」
目の前の男はあっさりと言った。
「僕とルーシーには、一年以上先行するお手本があった訳だよ。僕らは互いに手分けして調べてリスクを洗い出したって訳さ。
僕の前世はね、考古学専攻の学生だったんだ。専門は中世から近世の中東。この時代のイギリスは専門外だったけど、多分それが良かったのかもしれない。
古代魔法は円陣を併用する。そして円陣の中に副作用を防ぐものもあった訳だ」
「でも、貴方、いいえ、貴方達は三人には教えなかった」
オルランドが言うと、
「僕らが気づいた頃には彼らは既にレベル10に達していたんだよ」
そうなったら、もう教えないほうが良いだろ?とジェリー・クランチャーは言う。確かにそうかもしれない。
「君らの方法だが、滅茶苦茶だね。でも結果は同じだし、精神的にも楽だ」
「褒めてくれているの?」
「勿論さ」
僕らにとって、本当のリスクは君だったんだよ、と男は言う。もし本当に狂ってしまったら、核爆弾でも作りかねないからね。
「……出来ないわよ」
オルランドは答えた。
「この世界で核爆弾は作れないわ。核反応はこの世界には無いもの」
ジェリー・クランチャーは振り返る。驚いた顔だ。
「そんな馬鹿な、じゃあ、あの太陽は」
「あれは核融合で光っているんじゃないのよ」
この世界に核反応は無い。それに気づいたのは数年前だ。
ジェイコブが発見する新元素は勿論前世の元素と同じだったのだが、一つだけ違うことがあった。同位元素が無いのだ。
元素の密度と質量のそれぞれの関係がぴったり整数比を取ることは、古い錬金術の時代から知られていた。原子量は必ずぴたり整数になる。
オルランドたちの技術力では素粒子にはまだ手が届かない。が、素粒子の存在しない可能性がある。量子力学もだ。
原子の構造そのものが全く違うとすれば、その基礎である量子力学も全く違う可能性がある。
今その最大の候補は魔呪力学だった。
ジェイコブが数年間格闘し続けているミクロ魔呪力学はまさにその分野だ。ジェイコブは微小な魔力の大きさが連続値をとらないことを発見していた。そして魔力の最小単位を推定して、それに魔素と名付けた。
ジェイコブは呪力も非連続的な力だろうと考えている。その中のプランク距離に相当する概念はハミング距離の概念に近い。ミクロ魔呪力学の基礎には情報理論があるのだ。
「恐らくは魔力で光っているのね。でっかい精霊灯よ」
まさか、とジェリー・クランチャーは漏らす。そこまで違うのか。
「魔力のもとは一体なんだ。そんな魔力」
「多分、情報の塊が回転してるのよ」
万物百科全巻揃い10の33乗セット分の情報が秒一千回転している、と計算したが、問題は千年もすれば明るさが今の半分に落ちてしまうところだ。エネルギーを放出しているのだから当然減衰する。
「中性子星かよ」
それじゃ昔はもっと明るかったというのか、とジェリー・クランチャーは当然の疑問を口にする。
それがこの説の問題点よねぇ、とオルランドは他人事のように言う。ジム王の時代にはみんな腰蓑姿だったなんて話は聞いたことが無い訳だし。
「当たり前だ」
馬鹿馬鹿しい、とジェリー・クランチャーは吐き捨てる。
「それよりも、明日の話だ。
明日、お前たちは教会へ行け。イベントが起きるのは日曜礼拝の後だ」
「……どういうイベントが起きるの?」
「エイダ・クレアが魔獣に襲われ、それをユライア王子が助ける。但しエイダは王子の助けが入るまでに、最低2ターン魔獣の攻撃から身を守らなければならない。
ここで王子と知り合うことが、メインシナリオへのルートを決定付けることになる」
「それはゲームのイベントの話ね」
「現実にはどういう展開になるかはわからない。だがエイダ嬢は王子との面識はまだろくに無いのだろう?
現状はシナリオ通りと言ってもいい」
男はここで足を止め、
「雑談が長くなりすぎたな。話はここまでだ」
そして跳んで消えた。上を向くとわずかな砂礫が落ちてくるのが見えた。
まさかこの崖を。高さ80足はあるのに。
すずめ寮の前で、試運転から戻ってきた蒸気クロウラーとディヴィッドに鉢合わせた。
「首尾はどうだったの?」
オルランドが訊くと、一緒にいた鍛冶屋が言う。
「勿論やっつけましたとも!魔獣の奴、翼に穴空けられてほうほうの体で逃げていきましたよ!」
なるほど。
「当たらなくてモトモトなんだから上出来よディヴィッド」
鍛冶屋の名前は確かどこかで聞いていた気がするが、オルランドは忘れてしまっていた。
工場への帰りは、ベッドから出る許可がようやく下りたマーティンも一緒だ。皆で蒸気クロウラーに乗って夕暮れの道を辿る。
「お嬢の腕力が六倍になった?何それ?……じゃあちょっとこの手を握ってみてくギャー!!!」
信用しようとしなかったマーティンの手を取り、ほんのわずか力を込めただけでこの有様だ。
「……手の骨が折れるかと思いましたよ。何ですかアレは。まるで東洋の密林のお化け猩猩みたいな怪力だ」
マーティンはまだ手をさすっている。
「なるほど連中が強い訳です。で、お嬢は何か魔法でも使えるようになったんで?」
お伽噺の魔法使いじゃないだからそんなのは使えないわよ、とオルランドは少し不機嫌に答える。
「でも連中、魔法使ってましたぜ」
マーティンの話にディヴィッドも頷く。
「確かに、何か魔法みたいな変なことが起きてました」
「例えば?」
「何か目に見えないものがマーティンと木箱を押し潰したんです」
その時、マーティンの身体は、砂袋の山に押し潰されたかのように重く動かなくなったという。
「指先から頭のてっぺんまで、舌まで重くなるのを感じました。空気も重くなったように感じました」
「木箱の上に何か重いものが乗ったみたいな感じでした。一千ポンドほど乗ったらそうなるんだろうという具合に木箱が崩れて、ついでにクレーンの梁も真っ二つに折れて落ちてきやがったんです」
オルランドは内心当惑していた。
前世のフィクション用語で言えば、それは重力を操る魔法である。マーティンの身体に一様に力が掛かったのがその証拠だ。圧力なら周囲から力を受けるだろうし、舌まで重くなるということもない。
だが重力は、魔呪力学的にはその変換があるとは思っていなかった物理量である。というか、理論の大半が今吹き飛んだ。
吹き飛んだのは良い。新しい、噛み合う理論を思いつけば良い。
昼間、海岸でジェリー・クランチャーと交わした会話を思い出す。
太陽の正体。
太陽を、回転する大量の情報だと考えたのは、魂に質量が無いからだ。魂は魔力を生み出すが、幾らかき集めても太陽の代わりには、太陽系の重力アンカーにはなれない。
その筈だったが、魔力で重力が生み出せるとすると、話は随分と変わってくる。
もし太陽が、巨大な魂だったら。
それは巨大な、想像を絶する巨大な精神であるに違いない。
それは安定して存在し、光や熱を放ち続けるに違いない。元が巨大だから減衰量は同じでも減衰率は極めて小さい。
人類の精神の億倍か、兆倍か。
そういう存在に相応しい呼び方をオルランドは知っていた。
「……もし、星がみんな神様だったとしたら、どうする?」




