第93話 ダブルヘッド 2
<ヴァーン視点>
「おい、ヴァーン、こいつはやべえ。んで、近えぞ」
「……」
はっきりと匂うわけではない。
だが、濃密な瘴気とも思えるような気配がすぐ近くに感じられる。
鈍感なギリオンでも感知できるくらいの気配。
これは相当な魔物に違いない。
「テポレン山との境あたりだな……。どうする?」
さすがのギリオンもこの濃い空気の前では、真剣な表情になっている。
「んなもん、行くに決まってらぁ!」
「ああ、そうだな」
一瞬、撤退も頭に浮かんだが……。
敵の姿も見ずに、それはない。
ギリオンの顔が強くそう主張している。
かなりまずい感じもするが、とりあえず進むとするか。
「んじゃ、進むぞ」
「慎重にな」
相手に気付かれぬよう、気配を抑えながら森の中を慎重に進む。
100歩ほど進んだところで。
「ウルルオォォォン」
魔物の唸り声が聞こえてきた。
かと思ったら。
「おりゃぁ!」
冒険者のものと思われる叫び声、それに魔法が発動される音。
「グゥロォォォ!」
そこに魔物の怒声が入り混じる。
「こりゃ、先を越されちまったな」
「ああ、とりあえず近くまで行くぞ」
この瘴気の元となる魔物と冒険者が戦闘中ということであれば、魔物の注意は相手の冒険者に向いているはず。俺たちが少々音を立てて近づいても、こちらに意識を向ける可能性は低いはずだ。
なら、慎重に進む必要はない。
その考えはギリオンも同じだ。
目でやり取りをし、常夜の森の中を2人そろって駆ける。
戦闘現場はかなり近い。
少し駆けただけで、あっという間にすぐ傍まで到着した。
冒険者と魔物が戦闘しているのは、常夜の森とテポレン山のちょうど境目の少し開けた場所。
ここには高木どころか低木もほとんど生えていない。
俺たちはその手前の茂みに身を隠し、様子を窺っていたのだが……。
「見ろ! ギリオン」
そんな俺たちの前に姿を現したのは。
「こりゃあ、想像以上の大物じゃねぇか」
「ああ、こんな化物とはな。まいったぜ」
獅子の身体に2つの頭、そして漆黒の毛並み。
災害指定特魔ダブルヘッドだ!
実物を見るのは俺も初めて、いやオルドウの冒険者で実際に見たことのある者など、ほとんどいないだろう。
その恐ろしいまでに凶悪な姿は図鑑などで見るよりも何倍も迫力があり、周りに与える威圧感も強大という言葉どころじゃない。
「オイオイ、マジかよぉ」
ダブルヘッドから受ける圧力に身体も思考も硬直しかけていた俺の耳に、ギリオンの困惑した声が届く。
「どうした?」
「ダブルヘッドの相手を見てみろって」
その言葉でダブルヘッドにしか向いていなかった意識が、それと戦っている冒険者に向けられる。
ダブルヘッドのその先にいるのは……。
「なっ!?」
驚きに思わず息を呑む。
「あれは、アルとシアか」
「ちっ、間違いねえな」
「……」
ダブルヘッドを目の当たりにした瞬間、さっきまでの戦意は嘘のように消え失せ、撤退という言葉だけが頭の中を占めていたのだが。
まいったな……。
「おう、なんて顔してやがる。てめえ、根性なしかよ」
うるせえ。
今はそれどころじゃねえだろ。
「こうなりゃあ、やるしかねえだろうが」
……ああ、そうだな。
ギリオンの弟子のアル、コーキの弟子のシア。
ふたりのことはよく知っている。
特にシアは、一緒に魔法を練習する仲だ。
「やってやるか」
このふたりを見殺しにする訳にはいかないからな。
俺とギリオンで倒せるかどうかは分からないが、いや、きっと難しいだろうが。
それでも、やるしかない。
「ったりめえだ!」
まっすぐにそう言い切れるギリオンが少しばかり眩しい。
が、今はもう俺も同じ気持ちだ。
「よーし!」
興奮と恐怖でおかしくなっていた身体に活を入れる。
と、そんな間にも、姉弟の身に危険が迫っている。
「行っくぜぇ!」
その言葉と共に茂みから飛び出しダブルヘッドの背後に迫るギリオン。
「おい、待て!」
俺もその後に続いた。
*********
<アル視点>
「グルルルゥ」
ダブルヘッドの攻撃をギリギリのところで何とか防ぎながら、後ろにいる姉さんの魔法で攻撃を仕掛けているのだが、ほとんど傷を負わせることができない。
それでも、こうしてやりあえているだけでも上出来だ。
相手はあの化物なのだから。
災害指定特魔ダブルヘッド。
一目その姿を見た瞬間、こいつはおれなんかが敵う相手じゃないということがすぐに理解できた。
戦う以前に、威圧感が絶え間なく襲いかかってくるこんな状態では、まともに対峙することすら難しい相手だと。
勝てるわけがない。
怖い、怖い。
この場から逃げ去りたい。
そんな思いばかりが浮かんできた。
……。
でも、そういう訳にはいかないんだよ!
横にいる姉さんに視線を向ける。
恐怖はおれ以上に感じているはずなのに、決然とした表情をダブルヘッドに向け、おれを庇おうとしている。
そうだよ。
この姉さんを守らないと、助けないと!
姉さんこそがおれの生きる理由なのだから。
……。
レザンジュの男爵家の庶子として生まれたおれは、10歳になるまで母とふたりだけで暮らしていた。裕福ではなかったけれど、母と二人での生活はおれにとってかけがえのない幸せな時間だった。当時のおれは自分が貴族の落胤だなんて夢にも思うことすらなく、ただただ母さんとの時間に満足していたんだ。
そんな生活も母の病死によって終了することになる。
流行り病をこじらせた母があっけなくおれを置いていってしまったんだ。
母の死後、実父の男爵に引き取られ貴族家の一員として生活することになったのだが、庶民として育ったおれがそんな環境に慣れることなど簡単にできるはずもなく、家の中では浮くばかり。兄弟姉妹たちにもまともに相手にされず、毎日が苦痛の連続だった。
そんなおれを救ってくれたのが、シンシア姉さんだった。
普段は辺境伯家のセレスティーヌ様のもとにいる姉さんだったけれど、実家にいる時はいつも俺のことを気にかけてくれた。貴族の常識など全く持っていなかったおれに優しく色々と教えてくれた。寂しい時は一緒にいてくれた。
今の俺がこうして生きていられるのは全て姉さんのおかげ。
だから、おれは自分の命を姉さんのために使うと決めた。
母さんは救えなかったけれど、姉さんは何があっても必ず助けると決めたんだ!
オルドウにやって来たのも、本当はセレスティーヌ様のためじゃない。
姉さんのためだ!
そんなおれがダブルヘッドから逃げてどうする。
姉さんを助けるために、おれの命を使う。
ここがおれの命の使いどころだ!
姉さんを守りながら、なんとかダブルヘッドの攻撃をしのぎ戦い続ける。
途中何度も姉さんに逃げるように言ったけれど、全く聞き入れてくれない。
こうしてダブルヘッドとやり合えているのは奇跡なんだ。
だから、今のうちに逃げて欲しいのに。
くそっ!
ダブルヘッドの攻撃の合間、距離をとって相手を窺う。
あいつ全く疲れてもいないし傷もない。余裕といった感じだ。
それもそうか。
あいつは全く本気を出していない。
こちらの様子を見るように、いや違うか、こちらをゆっくりいたぶるように小出しに攻撃を仕掛けてくるだけ。
だからこそ、こちらも持ちこたえることができているのだが……。
「もう魔力の残りも少ないわ」
「だから、姉さんは逃げろって」
いつまでもこうして耐えられるわけじゃない。
それに、ダブルヘッドが本気になったら、そこでもう終わりだ。
「そんなことできる訳ないでしょ」
「一緒に逃げるなんて無理だ」
「大丈夫。次に大きめの撃つから一緒に逃げるわよ」
「なっ?」
そんな魔法撃てるのか?
今まで見たことないぞ。
「いくわよ! 放逸にして峻烈なる絶炎を統べる主よ、契りによりて求めるは灼熱の炎、ここに集い放たん、ファイヤーボール!」
なんとか本日中に、間に合いました。
この2日間はトラブル続きでしたが、よかったぁ……。





