第91話 緊急事態 3
<アル視点>
「セレス様、無事にここまで到着できるわよね」
「姫様も危ない場所は避けるだろうし、それに護衛の者もいるから。多分、大丈夫だと思うよ」
テポレン山頂付近の危険さは尋常ではないと耳にするけれど、それは姉さんも知っていること。
今さら話しても仕方がないことだ。
だから、姉さんの気持ちが少しでも落ち着けばと、不安を隠して気軽にそう答えてみる。
「領都は戦支度で余裕がないわ。ここに派遣されたのがわたし達だけというのも、そのためなのだから……。せめて、姫様の警護には騎士団の手練れの方がついていれば良いのだけれど」
姉さんの言う通りだ。
今のワディン家の状況を考えたら、セレス様に付き従う者がどれほどの者なのか。
不安にならざるをえない。
そんな中でのテポレン山越え。
「……」
今から数カ月前、ワディン家とレザンジュ王家の関係がここまで悪化する以前。
ワディン家が王家との戦に踏み切った場合に備え、神娘であるセレスティーヌ様を領内から無事に逃すということを目的として幾つかの計画が立てられた。
仮に戦に敗れたとしても、神娘たるセレス様さえ無事ならワディン家の再興はなると考えてのことだ。
おれと姉さんがオルドウに拠点を用意したのも、その計画の内の1つに過ぎない。
当初は採用可能性のきわめて低い、万が一のための予備案だったと思う。いや、予備の予備の予備くらいだったかもしれない。
それが、事態が進むにつれ、王家の手が至る所に伸びていることが分かり、用意していた拠点を任された者たちの中に王家に寝返った者がいることも判明した。
以来、事態は悪化するばかり。
結局、予備案であったはずのオルドウ逃亡案の採用可能性が高まってきたというわけだ。
しかしだ、採用可能性の極めて低い予備案だったとはいえ、オルドウにいるワディン家直臣が男爵家の長女である姉さんと庶子のおれだけなんて……。
いくらなんでも手抜きが過ぎる!
もう少し人材を派遣して欲しかった。
「今ごろセレス様は……。辛い目にあっていないかしら。魔物に襲われてなんか……」
それでも、ワディン家はレザンジュ王国一と言ってもいいくらいの大領主。
レザンジュ南方を治めるワディン辺境伯家だ。
こんな状況下でも、神娘であるセレス様を護るのは一流の騎士に違いない。
人数も揃えているはず。
きっとそうだ。
だから。
「大丈夫。しっかりとした護衛騎士がついているはずだから。おれと姉さんは信じて待つだけだよ」
「……そうね。待つしかないものね」
「おれたちは元気に姫様を迎えないといけないんだから、姉さんはもう少し気楽にしていてよ」
「ありがと。アルの言う通りね」
翳りのある姉さんの顔に少しだけ笑顔が戻った。
良かった。
「ところでさ、常夜の森にふたりだけで来たことがバレたら、ギリオン師匠に怒られるな」
気分を変えるため、他の話でもしないとな。
「コーキ先生にもね」
「ホントにな。でも、最近は姉さんの魔法も俺の剣も上達しただろ。今ならふたりでも大丈夫なんじゃないか。特に浅域ならさ」
本当は不安もあるけど、ここは気楽な感じで。
「その油断が駄目だと、また怒られるわよ」
「うわぁ、やめてくれ姉さん。その光景が頭に浮かんだぞ」
「ふふ、でも油断は禁物よ。コーキ先生とギリオンさんのおかげで、ふたり共少しは上達したでしょうけど、まだまだなのだから」
「分かってるよ」
おれはまだ未熟だ。
ギリオン師匠やコーキさんには全く及ばない。
それは重々分かっている。
けれど、オルドウに来たばかりの頃に比べれば、上達しているというのも事実だ。
「あの時のような失敗はもう許されないのだから。特に今日はね」
「ああ」
オルドウに来たばかりの頃、自分たちの力を過信して常夜の森に入り魔物の群に襲われた時のことが頭を過ぎる。
あの時の自分を思うと恥ずかしくて、いたたまれなくなってしまう。
実際、コーキさんに助けられた直後、そしてその後も情けなさと恥ずかしさのあまり、まともに話すことができず、ずっと失礼な態度をとっていたと思う。
まあ……。
平民の冒険者に対する対抗心やプライドみたいなものの影響があったのも確かだけど。
今はコーキさんの実力を素直に認めている。
剣もすごいけど、魔法は半端ないと思う。
魔法の威力を調節できる上に全て無詠唱で放てるなんて、開いた口が塞がらないとはこのことだ。
当然、姉さんも俺と同じ感想だった。
本人は冒険者になりたてで大したものじゃないというが、とんでもない。その腕前は、おれが知る限り最上級のもの。まだまだ手の内を隠しているようだし、これで5級冒険者なんてな。あり得ないだろ。
だから、その、剣と魔法の腕に関しては尊敬していると言ってもいいかもしれない。
あくまで、その2点のみだけど。
それと、まあ、数年後にはおれの方が強くなっている予定だけど。
……。
まあ事実として、コーキさんに命を助けてもらったことに違いはない。
あの時、コーキさんが駆けつけてくれなければ、姉さんも俺もここにいることはできなかっただろうから。
そして、この使命を果たすこともできなかった。
だから、その恩は返す。
必ずだ!
そのためにも、今日の任務をやり遂げないといけない!
「ここが浅域だからといって、常夜の森には変わりない。警戒は怠らないようにしないとな」
「そうね。アル、頼むわよ」
「了解」
*********
<ヴァーン視点>
「おい、そんな気配なんざ何も感じねえぞ」
「ギリオンが気配を感じるなんてできるわけねえだろ。まあ、俺を信じろって」
ギリオンを連れて常夜の森に来たのはいいのだが。
「はん、お前の言うこたぁ、当てになんねぇからなぁ」
まだ浅域に入ったばかりだというのに、とにかくうるさい。
「黙って、ついて来い」
昨日、常夜の森からの帰り道。
ちょっと今までに経験したことがないような空気が、森から漂い始めるのを感じたんだよな。
夕闇が迫っていたため、昨日はそのままオルドウに戻って来たが、どうにも気になってしまい酒の席でギリオンに話したところ、翌日である今日探索に行こうという話になったと、そういうわけだ。
「なんもなかったら、帰るかんな」
口はうるさいし品もない男だが、その剣の腕だけは確かだ。
こういった不穏な探索のパートナーとしては頼りになる。
そう思って同行しているのだが、既に若干の後悔を感じ始めている。
ギリオンに興味深い探索の話をするということは、馬面に人参をぶら下げるようなもの。
普段の探索ではここまで先を急ぐこともないのに、今は未知なるものへの興味しか頭には無いようだからな。
ホント、剣と冒険には目がない奴だ。
「ああ……ん?」
ギリオンに返事を返そうと思ったその時、異質な空気が少しずつ漂い始めてきた。
「どうした? 何かあったか?」
空気の変質には違和感を覚えないようだが、俺の雰囲気の変化には気付いたか。
「そろそろ漂ってきたぞ」
「あぁ、本当かよ」
「この場で嘘を言うと思うか」
中域の方から只ものではない濃厚な気配が漂ってくる。
「んで、ヤバそうか」
「ああ」
「そいつぁ、楽しみだぜ」
いかにも嬉しそうに口の端を上げニヤッと笑うギリオン。
そんな姿に頼もしさと不安を同時に感じてしまう。
「……もう少し進むぞ」
「ったりめえだ!」





