第85話 魔法訓練 1
幸奈の弟の武志がそんなことになっているとは、想像もしていなかった。
「そうなの。それで、お父さんが強く注意したんだけど、今でも一緒にいるみたいで」
「……」
「高校も無断で休むし、外泊もするし。この前なんて酷い怪我して帰ってきたの。あの子、何してるんだろ」
重いため息をつきながら目を伏せる幸奈。
幸奈は両親と弟の4人家族。
みんな武志のことが心配なのは当然だ。
しかし、魔法や超能力が大好きで無邪気だったあの武志が……。
「武志は何をしているか話さないのか?」
「うん……。誰が聞いても詳しいことは話さないの」
「そうか……」
「ここのところ毎日そんな感じで。お父さんはあまり機嫌がよくないし、お母さんもよく眠れないみたい。それで、わたしも」
「俺が武志と話をしてみようか」
「今すぐはやめておいた方がいいと思う。その、功己は武志と長い間会っていないから」
「そうか。そうだよな」
俺が話をして状況が好転するのならいくらでも話をするが、武志と疎遠になってから随分と経つ。
いや、疎遠どころじゃないな。
俺にとっては20年以上前の記憶になるが、確か、この当時の武志は俺のことを避けていたはずだ。
そんな武志が俺の話なんか聞くはずもない、か。
「今は話を聞いてくれただけで充分。ありがとうね」
「ああ」
今の俺が武志に対してできることは殆どないのかもしれない。
それでも、可能な限り力を貸したいとは思う。
「また、よかったら話を聞いてね」
「もちろん、いつでも言ってくれ」
自宅に戻る幸奈と別れて諸々の用事を済ました後、俺も帰宅したのだが、幸奈から聞いた武志の話が頭からずっと離れない。
16歳の武志……。
あいつについて今の俺だけが知っている事実がある。
幸奈や幸奈の家族には話すことができない、現時点では20年後から来た俺だけが知っている事実。
それは……。
16歳の秋、武志は事故で亡くなる。
この事実だ。
……。
恥ずかしいことに、ついさっきまでその事実を忘れていた。
いや、正確に言うと、忘れていたわけじゃないか。
武志の死は前回の俺にとっても大きな出来事だったから、忘れることなんてできるわけがない。
ただ、武志の16歳の秋というのが、この秋だと頭に浮かばなかったんだ。
20年前のこととはいえ、情けない。
俺はこの時間に戻って、自分のことばかり考えていたんだな。
異世界と日本との往来で余裕がなかったとはいえ、武志のことを思い出せないなんて。
本当に情けない。
けど、こうして気付けたのは幸いだ。
まだ秋までに時間はある。
何とかできるはず。
もちろん、前の時間の流れの中での出来事なので、今回も同じことが起こると確定したわけではない。とはいえ、時間の流れに大きな変化がなければ起こる可能性は高い。
前回同様この秋に事故が起きるとすると、今の武志の状況がその遠因になっている可能性も否定できない。
……。
前回の俺が20歳の秋、幸奈と会う機会はかなり少なくなっていた。
今と異なり、俺が幸奈を避けていたからだ。
だから、この時期の武志については全くと言っていいほど話を聞いたことがなかった。
事故後も、詳しく事情を聞くことはなかった。
だから、事故前の武志がどんな状態で、どういう経緯で事故が起こったのか、俺は知らないんだ。
今さら悔やんでも、どうすることもできないが……。
幸奈から少しでも話を聞いておけば良かった。
未来から来たというのに。
俺は何も知らないじゃないか!
ホント、使えない。
でも、事故が起こるということだけは知っている。
それなら……。
武志のストーカーになってやろうか。
事故の正確な日時までは覚えていないが、ある程度の推測はできる。
事故が起こったと思われる日の前後数日間、ずっと武志についていればいいんじゃないか。
それとも、武志を上手く説得して家から出ないようにするか。
いずれにしろ、対策を立てることは可能だ。
ただ、状況が変化した場合は、そう上手く事は運ばないかもしれない。
それに……。
今の武志の状態を聞く限り、本当に事故だったのかという疑問も抱いてしまう。
事故ではなく事件性のあるものだとしたら。
……。
今の交友関係を何とかしないといけない。
そういうことになるかもしれないな。
とはいえ、今すぐに俺が介入するのも難しいか。
秋までには時間もある。
もうしばらくは、様子を見てみるか。
そして、夏の終わりには何らかの行動を起こすとしよう。
武志の件をどうするかを考えながらも、オルドウと日本での二重生活は特に問題もなく順調に過ぎていく。
そんな順調で穏やかな日々を過ごす中。
オルドウの街にも随分と慣れてきたことだし、そろそろ他の街も訪れてみたいという思いが心の中に生まれつつある。
この先オルドウに定住するという考えもなくはないが、それにしても、いくつかの街や都市を回って見聞を広めることは悪いことじゃない。
シアへの魔法指導が落ち着いたら、他の街への移動を具体的に考えるのもいいかもしれないな。
ああ、移動と言えば、日本でもひとつ大きな変化があったんだ。
先日、ついに引っ越しを完了したんだよ。
これで、何の気兼ねもなく異世界に行くことができる。
それにそう。
仮に古野白さん関連の揉め事に巻き込まれたとしても、俺だけの問題で済むんじゃないかな。
そう考えると、一安心だ。
そう言えば、古野白さんとはしばらく連絡を取っていない。
大学内で偶然見かけたりはするけれど、ふたりきりで会話することはほとんどないかな。
まあ、連絡がないのだから元気にやっているのだろう。
俺としては、古野白さんの所属する機関から呼び出しを受けることなく日々を過ごせていることが何よりもありがたい。このまま俺が下手に首を突っ込むことがなければ、もう呼び出されることもないのではと期待してしまう。
そうすれば、ステータスの露見欄もいずれ綺麗になることだろう。
……。
まあね、正直言うと、古野白さんの活動には興味あるんだよ。
でも、露見が怖いからさ。
こちらから積極的に接触しようとは思わないかな。
そうそう、引っ越しの際に、妹の香澄にさんざん文句を言われたんだった。
せっかく夏休みに帰省しているのに、このタイミングで引っ越すとは何事だと。
至極まっとうなご意見、反論できなかった。
おかげで、また食事をおごる羽目になりそうだ。
今度はランチにしてもらおう。
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「ここで練習しますが、問題ありませんか?」
「はい……。あの、やっぱり、その口調なんとかなりませんか?」
「変ですかね?」
「変というか。コーキさんは私の先生になるので、そういう風に丁寧に話されると申し訳なく思ってしまいます。それに、常夜の森での実習の際はもう少しくだけた話し方をしてくれましたし」
あの時は、ギリオンもいたし少し口調が乱れていたのかもしれない。
しかし、そうか。
居心地が悪いか。
「目下の者に話すような口調にしてもらえれば、ありがたいです」
「わたしは平民の冒険者ですよ」
「関係ないです」
「分かり……分かったよ」
どうにもやりづらいが。
まあ、徐々に慣れていけばいいか。
「では、さっそく始めよう」
「はい、お願いします」
「まずは、ファイヤーボールを撃ってもらえるかな」
「はい」
俺たちがいるこの場所はオルドウの街を出て少し北東に進んだあたりにある平原。
右手に見える常夜の森と左手の小高い丘に囲まれた荒野然とした平原だ。
ほとんど人が通らないこの場所は、訓練するには最適だろう。
実は俺もこの場所を見つけてからは、何度かここで鍛錬を行っている。
そんな場所で、シアの魔法の訓練を行うことになったのだが。
「シアの魔法かぁ、楽しみだな」
どういうわけか、ヴァーンがついて来たんだよな。
前回の常夜の森にはギリオンが同行していたし、こいつら暇なのか?
まあ、別にいいんだけど。
「いきます! 放逸にして峻烈なる絶炎を統べる主よ、契りにより求めるは灼熱の炎、ここに集い放たん、ファイヤーボール!」
放たれた火の玉が10メートル程離れた岩に当たって消失する。
「どうですか?」
「いいじゃないか。詠唱も早いし、威力もあるしな」
感心したようにヴァーンが答える。
「ありがとうございます。あの、コーキさんは?」
「ああ、悪くないと思う」
これは前回も感じたことだが、やはりシアの魔法は悪くない。
この世界で他の冒険者が放つ火魔法を見る機会は多くはないのだが、それでも、シアのファイヤーボールは平均より上じゃないのかと思ってしまう。
しっかりした前衛のいるパーティーに加入すれば、このままでも十分冒険者としてやっていけそうに思えるほどだ。
ただまあ、俺が教えるからには。
「じゃあ、ちょっと見ていてくれるかな」





