第84話 イタリアン
ちょっと高級で瀟洒なイタリアンレストランの一角。
洒落たテーブルの上には小粋なテーブルクロスが掛かっており、これまた真っ白で小洒落たナプキンが傍らで存在を主張している。
「ごめんね」
そんな店に緊張したわけではないだろうが、硬い表情をした幸奈が俺の正面の席に座っている。
常夜の森でシアに魔法を教えると約束して数日。相変わらず、日本とオルドウを行ったり来たりの毎日を過ごしている。
日々の活動も、シアに魔法を教えるという一点を除き特に変わることもなく平常通りにこなしているばかりだ。
そんな日々を過ごして迎えた今日は、幸奈と約束をしていた週末。
本来ならお酒を楽しめる店で夕食という予定だったのだが、またしても家族の問題とやらで、夜は出かけられないという連絡がきたんだよ。
それなら、また次の機会にと提案をしたものの、昼なら時間が取れるということで予定を変更して急遽ランチに来ることになったと、そういうわけだ。
「今日はごめんね」
で、今はこんな感じ。
申し訳ないという思いが幸奈の全面から表れている。
「気にしなくていいから。それより、注文するぞ」
「うん」
近くにいたウエイターを呼んで、無農薬の葡萄がどうとか書いている高価な葡萄ジュースとランチコースを2つ注文する。コースは3種類あったが、2番目に高い値段のコースを選択。
ここに来るのは2度目なのだが、ランチは案外お得な値段設定になっている。
先日この店で妹の香澄と夕食をとった際は、かなりの出費を強いられたからなぁ。
あいつ、遠慮なく食べまくって追加注文までしていたんだよ。
まあ、喜んでいたからいいんだけどさ。
でも、あれだ。
こういう時って、つい真中のコースを選んでしまうよな。
これが極端回避性ってやつか。
確かに、中間というのはどちらの端にも偏らず調和がとれていて素晴らしいからな。
仕方ない。
そんなどうでも良いことを考えながら幸奈を覗き見る。
まだ暗い気持ちを引きずっている様子。
「……」
「……」
とりあえず……。
「そのワンピースにカーディガン、似合ってるな」
本当に似合っている。
明るい表情なら、もっと映えるはずだ。
「……そう?」
「ああ、いいと思うぞ」
「コーキ、こんなのが好きなんだ?」
「ん? まあ、そうかもな?」
「どうして疑問形?」
「女性のファッションは難しいからな」
「そうね」
「この暑いのに、長袖のカーディガンだしな」
「似合ってるなら、いいでしょ」
「いいけど、幸奈の半袖も見てみたいからな。二の腕もな」
「えっ! 何言ってるのよ。もう」
「まっ、それも似合ってるから、いいんだけどさ。でも、暑くないのか」
「暑い時もあるけど、日焼けしたくないから。それに、冷房が効き過ぎていると冷えるしね」
「なるほど」
「女の子はいろいろと大変なのよ」
「そうだな」
うん、少しは元気が出てきたか。
元気が出てきたところで。
「なあ、幸奈」
「何?」
「家で色々あるみたいだけど、大丈夫か?」
「えっ? なに!? 大丈夫だよ」
ああ、やっぱり。
顔色が変わってしまった。
けど、はっきりと言っておかないと。
「そうか……。前にも言ったけどさ、話したくなったらいつでも俺に言えよ」
「う、うん……」
「俺にできることがあるなら、何でもするからさ」
「ありがと……。でも、大丈夫だよ。それに、あの、家の問題だし」
「家の問題でも何でも、抱えきれない時は言ってくれ。遠慮なんてなしだぞ」
家庭の問題に他人が踏み込むのもどうかとは思うが、状況によっては、そうも言っていられない。
「でも……」
「元気のない幸奈を見てると、こっちの調子も狂うからさ。俺を助けると思って、な」
「……」
「まあ、俺の我儘だと思ってくれたらいい」
「……うん、うん。ありがと。ホントに困ったら、その時は話すね」
曇っていた顔にわずかばかりの笑顔が現れる。
「やっと笑ったな」
「もう~。でも、ごめんね」
「今日もそうだけど、最近の幸奈は謝ってばかりだぞ。謝るのはもう禁止な」
「へへ、分かった」
丁度いいタイミングで、注文の品が届き始める。
「よし、いただこうか」
「そうだね、せっかくのランチだもん。今は楽しまなきゃね」
「そういうこと」
アンティパストのひと口サイズのキッシュから始まり、フォアグラのテリーヌ、ジェノベーゼのパスタと続き、メインは仔羊のロースト。
先日、香澄と来た時にも美味しいと思ったのだが、今日の料理も間違いないものだった。
「本当に美味しいんだけど、もう無理。コーキ、少し手伝って」
健啖家の香澄なら普通に食べてしまうだろうが、平均的な食欲を持つ女性にはボリュームがあり過ぎるのかもしれない。
「いいぞ」
差し出された仔羊を自分の皿に移す。
うっすらとしたロゼ色がまだ余裕のある俺の食欲をそそってくる。
うん、美味い。
その後、デザートのティラミスとエスプレッソをいただき、本日のランチは終了。
仔羊のローストは食べきれなかった幸奈もティラミスはしっかりと胃に入ったようだ。
「もうダメ~、歩けないかも」
もうすっかりいつもの幸奈だ。
「無理して食べるからだ」
「だって、ティラミス好きだもん」
「じゃあ、仕方ないな」
「ううぅ……」
恨めしそうに唸ってもなぁ。
「あっ、そう言えばさ、銀座に生チョコの店ができたみたいなんだけど、美味しいって評判なのよ。今度行こうよ」
「そんな状態で食べ物の話がよくできるな」
「デザートは別腹でしょう」
「そう言ってティラミスを食べた結果がそれだろ」
「もう、意地悪だなぁ~」
「意地悪だから、行くのやめるか」
「もう!」
「まあ、行ってもいいぞ」
「ホント?」
「スイーツは嫌いじゃないからな」
「んん? スイーツって、甘いもの?」
うん?
この時代では、まだスイーツって呼ばなかったのか。
でも、何となく通じているよな。
「そう、甘いデザートのこと」
「そんな言い方するんだ。へえ~、スイーツかぁ。スイーツ、いいね」
にこにこと笑いながら楽しそうにスイーツを連呼している。
元気が出てきてなによりだ。
この昼食が、いい気分転換になったかもな。
「幸奈の都合の良い日程教えてくれれば、それに合わせるからさ」
「うん! でも、もう少し落ち着いてからの方がいいかも」
一転して表情が翳ってしまう。
「……銀座ならそんなに遠くないから、時間できそうなら言ってくれ」
「うん、誘っておきながらごめ」
「それ禁止な」
「そうだったね」
「とにかく、いつでも連絡くれたらいいからな」
「うん、ありがと。……あのさ」
「ん?」
「……」
「……」
ランチの時間も終わりに近づき、店内に多数いた客もまばらになってきている。
俺もそろそろ店を出ようと思っていたのだが、幸奈が話をしたいというのならもう少しここに座っているのも悪くない。
「さ、さっきは大丈夫だって言ったんだけど……。少し聞いてもらえるかな?」
「もちろん」
「……最近、弟がちょっと良くない人達と一緒にいるみたいなんだよね」
「武志が?」
幸奈の弟の武志、俺より4つ下だから……今は高校1年生か。
武志とはここ数年はほとんど会うこともなかったが、子供の頃はよく一緒に遊んだものだ。
お互い魔法や超能力などに興味があったから、話も弾んだんだよな。
興が乗り過ぎて、俺の異世界経験を話しそうになってしまい焦ったという記憶もある。
そんな武志の素行が悪くなっている。
そういうことか。





