第76話 日常
今話で第2章終了となります。
「では、そろそろ帰りますね」
もうすぐ午前6時。
古野白さんの上司や同僚がやって来る時間だ。
俺の仕事は彼らの到着までのこと。
なのだけど、彼らと会うのは避けたい。
そんなわけで、この後彼らがやって来るまではマンションの外で見張りを続け、到着を見届けた後に帰路につくと、そういうことになっている。
「ちょっと待って」
うん?
「渡す物があるのよ」
そう告げるやいなや、隣室に駆け込んでいった。
と思ったら、すぐに戻って来た。
「……」
何を渡すというのだろう?
「お待たせ。これ」
差し出されたのは、掌におさまるサイズのディスプレイ付きの小さな機械。
「ポケベルよ、使えるでしょ」
ああ、ポケベルかぁ。
そうだった。
この時代は、まだポケベルが使われていたんだ。
懐かしいな。
「多分使えると思いますが」
20代の頃、少しの間だけ使ったことがある。
数字を利用した暗号でやり取りするんだったよな。
確か……。
『114106』が愛してる。
『49』が至急。
『106』が電話。
こんな感じだったか。
「有馬くんは携帯電話持ってないでしょ。だから、これ持ってて。何かあったら連絡するから」
「いいんですか」
「ええ。私は携帯電話を持っているから、もう使わないのよ」
「……」
うーん、持つのはいいけど、何だろ。
携帯と違いポケベルというのは、どうも拘束されている感が強いんだよな。
「い、嫌かしら」
「……分かりました。お借りします。緊急の際は、こちらに連絡ください」
しばらくは携帯電話を購入する予定もないし。
とりあえず、これを借りておこうか。
「ええ、そうするわ」
「では、そろそろ帰ります」
「ええ……。今日は、ううん、今日もありがとうね」
**********
古野白さんの部屋で過ごしたあの夜から5日が経過。
あの日は襲撃者2人の異能を防いだこともあり、古野白さんの部屋でまた異能について何度も質問されて大変だったのだが、それ以降は特に呼び出されることもなく日々が過ぎていった。
おそらく、古野白さんが上司に上手く話をしてくれたのだろう。
助かるよ。
そんな彼女からは一度だけ連絡があった。
あの夜以降は特に問題など起きていないとのこと。
襲撃がないというのは、もちろん良いことなのだが。
そうすると……。
あの日の2回の襲撃は何だったのだろう、と少し疑問に思ってしまう。
特に2度目の襲撃。
こちらが攻撃を防ぐと、すぐに撤退してしまった。
しかも、消えるように。
まるで撤退が前提だったかのように思えてしまう。
……。
考えても答えなど出るもんじゃないか。
俺の考えることでもないしな。
古野白さんのことも、上司に任せておけばいいだろう。
今は俺の出る幕じゃない。
そういえば古野白さん、念のため引っ越しをすることに決めたそうだ。
それがいいと思う。
あの部屋は襲撃者にばれている可能性が高いからな。
上司に守ってもらい、部屋も変わる。
さらに、体調も完全に回復したとのこと。
まあ、これで一安心かな。
俺も心おきなくあちらの世界で活動できるというものだ。
ちなみに、この5日間。
古野白さんのことが気になってはいたが、それでもオルドウに移動して活動は続けている。
夕連亭に立ち寄りウィルさんと話をしたり、テポレン山のエンノアに赴き病から回復した後に問題が起きていないか確認をしたり、ギリオンやヴァーンベックと酒を飲んだり、魔物を狩ったり、などなど。
ウィルさんとエンノアの皆さんは特に問題なく無事に過ごしているようだった。
ギリオンとヴァーンベックも相変わらず。
剣の修練と冒険者活動、それに飲み歩きの毎日みたいだ。
まあ、オルドウ周辺で俺が関係する人たちは皆変わりない日常を続けている感じかな。
日本では大学が夏季休暇になったため、専ら鍛錬と訓練をしている。
幸奈とは1度珈紅茶館で会っただけ。
どうも、家の方が騒がしいみたいだな。
そうそう、先日香澄と夕食を食べに出かけたんだが、高級イタリアンの店で奢らされたおかげで結構な散財をする羽目になってしまった。
大学生には贅沢な店だとは思ったものの、前世の疎遠な関係を考え1回だけならと了解してしまったのが失敗だったな。
まあ、でも、こういう妹孝行も悪いものではない。
たまに、ならな。
そんな平和な5日間を過ごし、今はオルドウの冒険者ギルドに来ている。
ここに来るのも随分と久しぶりという感じがするな。
前回来たのは……。
そうか、テポレン山での薬草採取の依頼達成を伝えに来た時だ。
とすると、こっちの世界では、それほど日数が経過しているわけでもないか。
「フォルディさん、ここが私の所属する冒険者ギルドです」
今朝、フォルディさんがオルドウを訪問するという話を聞いていたので、俺も早朝に日本からこちらに移動しフォルディさんと行動を共にしている。
フォルディさんと俺はエンノアの皆さんに頼まれていた買い物をするため、さっきまで街の中を歩き回っていたのだが、それを済ませた後はフォルディさんの希望を聞いてこの冒険者ギルドにやって来たというわけだ。
「案内していただき、ありがとうございます。オルドウの街の建物はどれも立派ですが、ここはまた素晴らしいですね」
「ええ、私もそう思います」
「やっぱり、オルドウに来て良かった。これもコーキさんのおかげです」
「いえいえ、エンノアの皆さんがオルドウ行きを賛成してくれたからですよ」
「それでもコーキさんがこの街にいなかったら、こんなに早くこちらを訪れることもなかったと思いますから」
エンノアは長らくの間、外部との交流をほとんど断っていた。
そのエンノアの民が唯一訪れていた場所が、テポレン山を挟んでオルドウと反対側に位置するレザンジュ王国の都市ワディナート。
フォルディさんもエンノアの外と言えば、ワディナートしか知らなかったらしい。
「オルドウでフォルディさんと御一緒できて私も嬉しいです。それで、これからどうしましょう?」
「明日までは何の用事もないので、コーキさんの日常を見学したいですね。だから、もし良ければ依頼でも受けてください」
今回のフォルディさんのオルドウ訪問は俺との顔合わせと買い物が目的なので明日にはエンノアに戻る予定なのだが、今後は異文化の勉強のため頻繁にオルドウを訪れることになるそうだ。また、他のエンノアの人々も順次オルドウを訪れることになっているらしい。
そういうわけなので、俺の常宿に部屋を借りて活動の拠点とすることになった。
俺としてもエンノアの皆さんの力になれることがあるなら、惜しみなく助力するつもりだ。
「では、少し見てみましょうか」
依頼が貼り出された掲示板の前に移動し、依頼内容を眺める。
うーん……。
特に興味がある依頼はない。
朝の依頼貼り出し時間を過ぎると、良い依頼は残っていないものだな。
などと考えながら掲示板を眺めていると。
「あの、少しお時間いただけますでしょうか?」
見覚えのある2人が声を掛けてきた。
「君たちは、常夜の森で手助けした」
「はい、シアです」
常夜の森で魔物に襲われているところを、俺が助けた姉弟。
その姉のシアさんか。
「先日はわたしたちを助けていただき、本当にありがとうございました」
シアさんが丁寧に挨拶をしてくる。
「いえ、無事で良かったですよ」
「コーキさんのおかげです」
そう言って、また頭を下げてくれる。
礼儀正しい女性だな。
弟はそうでもないが。
「それでお話とは」
「それは……。ほら、アル、あなたからお願いしなさい」
「この前のあんたの腕は凄かった。だから……だから、おれを弟子にしてくれ」
これはまた、いきなりだな。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
第3章以降も、よろしくお願いいたします。





