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第696話 調合


 触媒の再生だけでなく調合まで俺に?


「依頼を受けてくれぬか?」


「……」


 今日領主館に来てからここまでの接し方を見て、ある程度は分かっていた。

 が、それでも大貴族であるオルドウ伯爵が初対面の冒険者にこれほどの信用を置くなんて、やっぱり信じられないものがある。


「冒険者コーキよ?」


 この信じがたい対応に心も少なからず動いてしまう。

 ただ、今回の件に関しては。


「私は……その触媒に手を加えることで再生を図りたいと考えています。ですが、霊薬の調合自体は専門家の皆さんに」


 任せたい。


「ふむ……」


 実際のところ、鑑定を駆使すれば俺にも調合はできると思う。

 品質を問わぬなら、その成功可能性も決して低くはないはず。けれど、ここは万全を期す局面、素人が前に出ていい場面じゃないんだ。


「触媒の効能だけを戻し、調合には手を出さぬと申すか?」


「はい」


「依頼を断るのだな?」


「……はい」


「「「「「……」」」」」


 続けての拒否回答に静まり返る室内。

 薬師も医師も側近も、皆がオルドウ伯爵の顔色を窺ったまま身動ぎもしない。


「それがそなたの答え、か」


 もちろん、俺にもこっちの世界の空気は読めるし状況も理解している。領主の依頼を即座に断るという行為の意味も分かっている。それでも今は何より霊薬の完成とその薬質を優先すべきだろ。


「……よかろう。その方らも分かったな」


「「「「「はっ」」」」」


 オルドウ伯爵の口調は穏やかなもの。

 目に濁りもなし。


 そうか。

 理解してくれたんだな。






 触媒の中に魔力を流して、流して、流し続ける。

 加減を間違わないよう、ゆっくりと慎重に処理を続け……。


 時間にすると、まだ10分も経っていない。

 それなのに、額にも背にもかなりの汗が滲んでいる。


「っ」


 粒になった汗が流れ目に入ってしまう。

 が、拭ってる余裕もない。

 今まさにここが正念場。

 針穴に糸を通すその数倍の繊細さで魔力を動かし、触媒の中から外へ、その表面へ。


「……」


「……」


「……よし!」


 できた!

 鑑定の指示通り、上手くいったぞ!


「終わったのですか?」


 雑用を手伝ってくれていた傍らの薬師助手が心配そうに覗き込んでくる。


「ええ、まあ」


「成功したのだな?」


 若干震えてるこの声は、オルドウ伯爵か。


「冒険者コーキ?」


「……やれることはやりました」


 今できる最善を尽くし終えた。

 あとはもう結果を待つばかり、なのだが。


「そうか、そうか!」


 今回はあくまで鑑定の指示通り進めただけなので、どんなに手応えがあっても成功したとは言い切れない。だから当然、鑑定が間違っていた場合は。


「……」


 俺の持つ鑑定は万能じゃない。

 特に生物以外を対象にすると、頼りない面が多々目についてしまう。

 時に鑑定機能とは思えぬような一言表示のみのこともあれば、数行に渡る説明が要点からずれている場合もある。ただし、完全な間違いを伝えられたことはない。だから、今回もそこに期待するしかないんだが……。


「よし、ならば続いて調合に進むように!」


「はっ」


 その頼りなさに加え、今回は何と言っても初の試み。

 鑑定の指示で複雑な作業を行うのは初めてだったのだから、とても心穏やかではいられない。


「まずは、触媒をこの中に」


「はい」


「少しずつ熱を加えるんだ」


「分かりました」


 調合が始まった今も喜色を隠しきれないオルドウ伯爵を見ていると、不安が込み上げてしまう。引き受けるべきじゃなかったか、なんて情けない思いすら浮かんでくる。そんなわけないだろと頭で否定しても、片隅に残ったまま消えてくれない。


「いいぞ、そのままゆっくり慎重に」


「……」


「そうだ、そう。それでいい」


「はい……先生?」


「ああ、この状態で少し様子を見よう」


 誰も口を開かない無言の室内。

 ただ全員の意識だけが触媒の入った鍋に集中している。


「……」


 何と言うか、ちょっと表現しがたい居心地の悪さだな。

 強力な怪物相手に剣を振るった時、未知の異空間に飛ばされた時、恐ろしい大軍を前にした時、これまでに経験した困難に比べたら些事としか思えない状況だというのに……。




「そろそろか?」


「だと思うんですが、まだ変化が現れてませんので」


「少し撹拌してみろ」


「はい」


「どうだ?」


「……駄目です」


 触媒が反応しない?

 本当に?


「まったく変化がありません」


 まずいぞ。


「上手くいかぬのか?」


 そう感じたのは当然俺だけじゃない。

 痺れを切らしたようにオルドウ伯爵が薬師に近づいていく。


「それが……」


「どうした?」


「申し訳ございません、前回とまったく同じでして」


「触媒が作用せぬと?」


「……はい」


 薬師の言葉を耳にした皆の視線が俺に集まる。

 これは本格的にまずいことになってきた。

 なのに、不思議と心地悪さは消えている。


「失敗したのか?」


「……」


 ただ、気分が変わっても状況は変わらない。

 いや、同じじゃないか。

 最悪の状況になりつつあるんだ。


「冒険者コーキよ」


 迫るオルドウ伯。

 殺気を溢れ出す側近たち。


 さて、どうする?

 どう切り抜ける?


「失敗したのだな?」


「……」

 

 正直、何とも答えようがない。

 鑑定通り事を進めて上手くいったはずなのだから。

 が、現実はこの通り。触媒に反応は見られない。

 ならば、失敗を認めるしかないのか?

 そして捕縛されて罰を受ける?

 それとも……。



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