第70話 結界 4
脱出するためには、当然のことながら、この結界を破壊しないといけない。
「……」
もちろん、可能ではある。
けれど……。
傍らには、美しい顔を苦しそうにゆがめている古野白さん。
地面に膝をつくどころか、今にも倒れ込みそうだ。
でも、まだ意識はある。
俺がすることも見えているだろう。
これから俺がこの結界を破壊するところも。
……。
見られてもいいのか?
また怪しまれることになるのに。
いっそ、彼女が意識を失ってから……。
いや、だめだ。
それは危険すぎる。
俺の秘密を守るために、そんな危険を犯す訳にはいかない。
古野白さんは何だかんだ言いながらも、俺のことを心配してくれていた。
今も必死に結界を破壊しようと限界近くまで炎を使ってくれた。
そんな人を危険にさらす訳にはいかない、よな。
……。
これがきっかけで、露見に発展する可能性はある。
正直言って、それは避けたい。
けど……。
古野白さんを犠牲にして手に入れた異世界なんてな……。
馬鹿げたことだ。
躊躇することじゃない。
それに、ここで俺が結界を破壊したからと言って、必ずしも露見に繋がるとは限らないんだ。
そう、だから。
「待っていてくださいね」
「え……?」
古野白さんに一声かけて、結界の前まで進む。
肩に下げていた鞄から折り畳み式の万能ナイフを取り出す。
10センチにも満たないナイフの刃を出し正眼に構える。
魔力を練り、ナイフに纏わせる。
……。
よし!
ナイフを一閃!
大した抵抗もなくナイフが通った。
パリーーーン!
少しくぐもった高音が響き渡る。
そして……。
俺と古野白さんの目の前で、結界が砕け散った。
外気が優しく流れ込んでくる。
「えっ、ほん、とに?」
背後でつぶやく古野白さん。
「ホントに、あな、たが……」
驚きと苦しさが混ざり合ったような声。
まだ辛そうだが、とりあえず間に合ったか。
すると。
「くそっ! 破壊されたぞ」
「……」
「逃げるぞ、タケシ」
公園と道路を遮る垣根の向こうから焦ったような声が届く。
「ここにいてください」
「……」
無言で頷いている。
その顔に浮かぶのは、苦しそうな表情。
結界は解けたが、古野白さんの状態が良くなったわけじゃない。
放置するわけにはいかないな。
けど、少しだけ待っていてくれ。
植物で作られた垣根に走り寄り、道路を覗き見る。
暗闇の中、2人の男が駆けて行く後ろ姿が見えた。
追うか?
どうする?
考えている間にも男たちは遠ざかっていく。
公園の中を振り返る。
古野白さん……。
やはり、この状態の古野白さんを置いて行くわけにはいかないな。
それに、可能性は低いが、陽動ということも考えられる。
「にげ、られたの?」
「話は後にして、ひとまず、ベンチに移動しましょう」
古野白さんを抱え上げる。
「いい、から」
力の入らない手で俺の腕を叩いてくる。
「すぐですから。それに、これも2度目でしょ」
「……」
大人しくなった古野白さんを両腕に抱えたまま、近くのベンチに移動。
こっそり少しだけ治癒魔法も使っておく。
効果を期待できるものでもないけど。
「横になりますか?」
「すわる、わ」
まだ顔色が悪い。
それでも、さっきまでの血の気が失せてしまったような状態よりは幾分ましか。
「あの病院に行きましょうか?」
前回、古野白さんを送り届けた病院。
あそこなら、この時間でも受け入れてくれるだろう。
「すこし、やすめば……平気」
「……」
意識はある。
少し良くなってきたようにも見える。
「だいじょうぶ、だから」
古野白さんは普通人ではない。
戦闘慣れした魔法使い、異能者だ。
自分の身体のことは良く解っているはず。
それなら、大丈夫なのだろう。
「分かりました。急に調子が悪くなったら言ってくださいね」
「ええ」
さて。
しばらくは、ここで休憩するとして。
それからどうしたものか、と考えていたところ。
「お兄さん、そこのお姉さん大丈夫? 救急車呼ぼうか?」
突然、背後から声をかけられた。
振り向くと。
少し離れた所からこちらに歩いて来るのは……少年?
ニューヨークの有名球団のベースボールキャップを目深に被っているため顔は良く見えないが、まだ幼い顔立ちに見える。中学生、いや、小学生かもしれない。
そんな少年が突然俺の後ろに現われ声をかけてきた。
さっきまで、公園内には誰もいなかったのに……。





