第665話 闇
<ヴァーンベック視点>
「サ、サージ」
いつもとはまったく違う、蚊の鳴くような声。
それでも、間違いない。
ギリオンが喋ってる。
「……逃げ、ろ」
「へっ?」
「逃げろ……サージ」
ただ、この言葉は。
「何言ってんだ、ちっと治りかけてんだぞ」
「逃げ、ろ」
「だから、大丈夫だって。こうして話もできてんだぜ」
「逃げ……」
意識が戻りつつあるギリオンの口から出るのは、逃げろという一語ばかり。
これは混濁した意識が生むうわ言?
それとも……?
「何か感じんのか? ギリオン?」
「……ヴァーン?」
「俺が分かるんだな?」
「ヴァーン……離れ……」
まだ朦朧としているようだが、認識はしっかりできている。
なら、やはり。
「俺たちが近くにいちゃまずいのか? 危険なのか?」
「……」
「ギリオン!」
「……離れ、ろ」
今にも鱗が消えようとしている顔や腕を見ていると、このまま回復してくれるとしか思えない。それでも、ここまでの反応をするんだ。単なる戯言と決めつけていいわけがない。
「どうしたの、ヴァーン? サージ?」
歓喜から一転、困惑し始めたサージと俺を見て、ブリギッテが声をかけてきた。
「問題でも起きたの?」
「分からない。まだよく分からない」
「治癒の効果は出てるんでしょ?」
「……だと思う」
「なら、何なのよ?」
ブリギッテがこちらに駆け出してきそうな勢いを見せている。
「待ってくれ」
「……」
「今はまだそこでシアと待機を続けてくれ」
治癒魔法は今も継続中。
ブリギッテが離れていい状況じゃない。
「危険があるってこと?」
「……ああ」
「そう……分かった。けど、何かあったらすぐに言ってちょうだい」
「もちろんだ」
とりあえず、後ろはこれで問題ない。
ギリオンに集中できる。
「で、どうするよ、ヴァーン?」
「どうもこうも、様子を見るしかないだろ」
「まっ、そうだな」
「ぅぅぅ……逃げ……」
「「……」」
「逃げ……離れ、ろ……」
「まるで熱に浮かされてるようじゃねえか。鱗は消えかけてんのに、意味わかんねえぜ」
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<ギリオン視点>
「ぐっ!」
真っ黒な闇が襲ってくる。
オレを飲み込もうとしている。
「うぐっ!」
駄目だ。
避けれねえ。
こんなもん、避けれるわけがねえ。
「ぐああぁ!」
意識が飛ぶ。
真っ黒になっちまう。
「ああぁぁ!」
オレが消えていく。
消えていく……。
消えて……。
「ううぅぅ」
消えて、残ったのは……。
衝動。
「ぅぅ……」
壊したい。
破壊したい。
「……」
完膚なきまでに!
敵を、目の前にいるやつを!
すべて壊し尽くして……っ!?
ちがう、だめだ!
手を出しちゃいけねえ。
あいつらがいるから。
まだ剣を振るっちゃいけねえ。
……なぜ?
……剣を振るえるのに?
……壊せるのに?
……我慢を?
「うぅぅ……ぐがっ!」
……斬れ。
……斬ってやれ。
……壊してやれ!
……そう。
……ただ剣を振るえばいい。
「がが!」
なのに、手が止まる。
剣が振るえない。
なぜ!?
どうして!?
「がががガ!」
気持ち悪い。
苦しい。
頭が痛い。
「はあ、はあ……ぐガッ!」
楽になりたい。
剣を振るえば、すぐに。
すぐに!
「うぅぅぅ……」
「ぅぅぅ……」
「……」
「っ!?」
消えた?
痛みが?
衝動が?
晴れていく。
真っ黒な闇が薄れていく。
気持ちいいい。
優しく柔らかい光だ。
「……」
オレは……。
ここは……。
「……」
ギリオン?
名前?
オレの名前?
呼んでる?
誰が……?
「……サ……サージ」
「おお! 意識が戻った!」
この声。
「……サージ」
「よかったな、ギリオン。ホント、良かった!」
聞こえる。
分かる。
「……」
サージの声、ヴァーンの声!
分かんぞ!
ああ、間違いねえ。
はっきり聞き取れる。
戻ってきたんだ、オレは!
っ!?
だってのに……。
迫って来やがる。
すぐそこに、また闇が。
しかも、さっきよりでけえ。
気を抜いたら、一瞬で飲み込まれる程に。
「……」
まじいな。
今度こそ、もう駄目かもしんねえ。
なら。
「ぐっ!」
意識のある内に。
「逃げ、ろ」
「へっ?」
「逃げろ……サージ」
くそっ。
舌が回んねえ。
「何言ってんだ、ちっと治りかけてんだぞ」
「逃げ、ろ」
「だから、大丈夫だって。こうして話もできてんだぜ」
「逃げ……」
まだ飲まれてねえのに、上手く喋れねえ。
「何か感じんのか? ギリオン?」
「……ヴァーン?」
「俺が分かるんだな?」
あたりめえだ。
分かんねえわけねえだろ。
オレに意識がある限り、おめえを忘れることなんて絶対ねえんだぞ。
けど。
けどなぁ。
「ヴァーン……離れ……」
駄目なんだ。
危ねえんだよ。
「俺たちが近くにいちゃまずいのか? 危険なのか?」
おめえには剣を向けたくねえ。
傷つけたくねえ。
「ギリオン!」
ヴァーン……。
おまえだけは……。





