第661話 モヤモヤ
<ギリオン視点>
「シア、こっちに来るんだ!」
「そうよ、下がって、シアさん!」
「いいえ、ここで治療します!」
ヴァーンとブリギッテの手を振り払うシア。
梃子でも動かねえつもりか。
なら、やっぱりオレが。
「っ!」
オレが!
「……」
駄目だ。
何度やっても、足が動かねえ。
「ぐっ!」
その上、嫌な衝動まで湧き上がってきやがる。
「治療を始めますので、できるだけ力を抜いてくださいね、ギリオンさん」
力を抜く?
それどころじゃねえぞ。
「がっ、うぐっ」
今はまだギリギリで耐えてんが、長くは無理だ。
だから、頼む。
逃げてくれ、シア!
「治癒の光よ、ここに集い彼の者に癒しを!」
そんな思いを無視するように、魔法治療が始まっちまった。
「っ!」
柔らかな光が顔を、体を照らしてくる。
「……ぅぅ」
ゆっくり優しく沁みてくる。
「……」
「……」
「……」
悪かねえ。
心地いいとさえ思っちまう。
けんど。
「やめ、ろ」
治療しても無駄なんだ。
大して効果がないことは、さっきまで受けていた治療で分かってる。
「大丈夫ですよ、ギリオンさん」
だから、治療するより。
「やめて、逃げ、ろ」
「絶対治しますから」
「逃げ……」
「もう少しの辛抱ですから」
こいつ、聞いてねえ。
「もう少し、もう少しです」
「……」
「ギリオンさん?」
「……」
「そろそろ眠くなってきましたか?」
まあ……。
「これは特別な治癒なので、眠くなるのが普通なんです。よかったら、目を閉じてくださいね」
「……」
シアの言葉につられて、自然と目が閉じちまう。
「効いてそうだな」
「……そうね、さすがだわ」
「はは、これ完璧じゃねえか。まっ、おめえら2人は反対してたけどよぉ」
「「……」」
「シアさんに任せて大正解だぜ」
「「……」」
「ん? ん? どした?」
「「……」」
「なーに黙ってんだ?」
「うるっさいわねえ!」
声が遠ざかってく。
優しい光だけがオレを満たしていく。
「ぅぅ……」
ずっと受けていた治療とはまったく違う。
比べ物にならないほどかけ離れた治癒魔法。
シアの腕がここまでだったとは……。
「うるせえのは、ブリギッテの声だろうが」
「……」
「って、おい、すげえぞ。こりゃ狂化の心配も無用だな」
「……」
「ほんっと、おめえら、シアさんに感謝しろよ」
「……あんたもね」
「はあ? 俺は治療に反対してねえけど」
「それでも、実際に治癒魔法を使っているのはシアさんでしょ。サージは何もしてないわよね」
「ずっと見守ってたぜ」
「それを何もしてないって言うの」
さっきまでオレを支配しようとしていた、あの黒い衝動が消えていく。
今はもう、ほとんど何も感じねえ。
感じるのは、ああ、心地良さだけだ。
「……」
このままいきゃあ、本当に治っちまう。
衝動は失せ、鱗も消えて、完治しちまう。
前回とはまったく違う結果に……??
前回?
何だ?
前回って?
今回以外に何があるんだ?
何もあるわけねえ。
だってのに、このモヤモヤは?
「っ!」
いってえ!
頭も体も、どこもかしこも!
「ギリオンさん?」
何でだ?
どうして痛みだした?
シアの治療でよくなってたはずなのに?
「ギリオンさん、痛むんですね?」
「……ぐっ、うぅ」
全身がねじ切られるような痛み。
話もできねえ。
「悪化したのか、シア?」
「シアさん?」
「……治癒魔法を強めます」
「なっ? もう最大まで強めてんだろ?」
「それでも、やるしかないから」
「……」
「大丈夫。あと少しなら可能よ」
「……限界だと思ったら引き離すぞ」
「……」
「シア!」
「……うん。だから、今は任せて」
「分かった。ブリギッテ、サージ、おまえらは備えとけよ」
「「了解」」
治癒の光が変わっていく。
熱が増していく。
「うぅぅぅ……」
そのおかげだろう。
どうしようもねえ痛みは和らいでくれた。
ただし、モヤモヤは残ったまま。
晴れるどころか、陰りを増してる。
「くっ!」
いったい何だってんだ?
意味が分からねえ。
前回って何なんだよ?
「うっ!」
まずい。
考えるだけで、モヤモヤがでっかくなっちまう。
飲み込まれそうになっちまう。
ってもう、モヤモヤを越えてんな。
こんなもん、闇の塊じゃねえか。
「……」
真っ黒な闇も前回の意味も、鱗も暴走も、全部分かんねえことばかり。
それでも、この状況がとんでもなくまずいってことだけは理解できる。
今はもう痛みをほとんど感じねえのに、闇の圧迫感を前に体は言うこと聞かねえし、言葉も出てこねえ。
飲まれたら終わり。
そんな恐怖で身がすくんで……。
やべえな。
こいつはやばすぎる。
これまでの比じゃねえぞ。
「そろそろ……じゃない?」
「シア?」
「もう少し、あと少し」
「……」
「お願い、ヴァーン!」
「……様子を見るのはあと少しだ。それで良化しなかったら引き離す。分かったな?」
「……うん」
「安心しろ、ヴァーン。こっちはいつもで動けっぜ。ブリギッテも……」
「当然、魔法は準備万端よ」
「……もしもの場合は頼む」
「おうよ」
「任せて」
痛みは消えてんのに、まともに動けねえ。
無理して動いたら、その隙に一気に飲まれそうだ。
このまま耐え続けるしかねえのか?
すりゃ、おさまんのか?
「……」
そう簡単じゃねえよな。
なら、どうする?
この闇を消すには?
考えなきゃいい?
前回の意味なんて考えず……っ!
駄目だ。
そう思うだけで、モヤモヤ闇が襲ってくる。
「くっ、うぅぅ」
こりゃあ、思考自体消し去るしかねえな。
剣を振る時のように、すべてを、何もかもを無に。
無にして……。





