第658話 順調
「少し休憩するか?」
「……いえ」
「ここまで来たのだ、緩めても支障はないぞ」
「大丈夫です、問題ありませんので」
「そうか……ふむ、無理はするなよ」
「ありがとうございます。ですが、今は急ぎましょう」
今は僅かな時間も無駄にできない。
あの場所に一刻も早く到着する必要があるのだから。
「速度を上げますよ」
シャリエルンを横目に大地を蹴る。
「ここで別れるというのか?」
「ええ」
視界の悪い獣道ながら、左右の分岐が確認できるこの地点。
エリシティア様のもとへ向かった遡行前とは違い、今回はここで道を変えなきゃならない。
とはいえ、それは俺ひとりの話。
シャリエルンはこのまま王女のもとへ直行すればいい。
「なぜだ? アリマもエリシティア様のもとへ向かっていたのであろう?」
「右方向の気配が気になりまして、まずは確認しようかと」
「……」
「シャリエルンさんは先に向かってください」
「……そこまでなのか?」
「はい」
迷いなく断定する俺に困惑の表情を浮かべるシャリエルン。
まあ、納得はできないよな。
ワディナートからずっと一緒に王女のもとへと急いでいたのだから。
けど、ここは譲ってもらわないと困る。
前回と違い回り道している時間はないんだ。
「嫌な予感がするんです」
「……」
「もちろん、あちらに問題がなればすぐに追いかけますので」
「……分かった。アリマがそこまで言うなら、いったん別れるとしよう」
よし。
これで大幅に時間を短縮できるはず。
「早く戻って来いよ」
「了解しました」
遡行して半刻。
シャリエルンから離れて四半刻。
事はこの上なく順調に進んでいる。
ザッ、ザッ、シュッ、ザシュッ。
枝葉を切り払いながら進む必要があるこの短縮ルートはとんでもない悪道だが、それなりの速度で走り続けることはできる。であれば問題ない。余裕を持って今後の事態にも対処できるだろう。ギリオンとシアの命も無事に救えるはずだ。
となると、問題はギリオンの鱗化だな。
あれはどうすれば治療できる?
そもそも完治は可能なのか?
「……」
現状の俺ができるのは治癒魔法と魔法薬による治療。
それに加えて魔力と気の利用。エンノアの民を治療した際のように、体内の流れを正常化することくらいしかできない。
これで完治すればいいのだが、無理だった場合は……。
エスト大神殿の神法に頼る、か、トトメリウス様。
「……」
この世界の偉大なる神格トトメリウス様。
人への不干渉を是とするトトメリウス様を頼るのは避けるべき。
そもそも人が助けを求めていい相手じゃない。
それはよく分かっている。
だから、これまでは何度も自重してきた。
けれど、もしどうすることもできないなら。
トトメリウス様を頼ることで、ギリオンを救えるなら……。
恥を忍んで魔落を訪れるしかない、か。
「……」
もちろん、それでギリオンを救えると断定はできない。
セレス様の時のように上手くいくとは限らない。
それでも、もしもの際は、もう……。
「はは」
頼ると決めた途端気が楽になってきた。
ほんと、情けない。
成長してないよな。
そんな思いとは裏腹に、今の心の中は安堵ばかり。
負の感情なんてほとんど湧いてこない。
ギリオンの命を救う、この思いが強すぎるから?
まあ、そういうことなんだろう。
「さて」
こうなると、最低限俺がすべきことは鱗化の悪化防止。
対症療法でも何でも、症状の緩和に努めればいい。
まずは、治癒魔法から始めて……。
などと考えながら、走り続ける。
ザッ、ザッ、シュッ。
「……うん?」
何だ?
この気配は?
「……」
まだ距離はあるが、左前方、進行方向からはずれた地点に強力な魔物複数の気配。
それと……数人の気配。
魔物と戦っている?
「……」
駄目だ。
今はまっすぐ目的地を目指すべき。
無駄に遣える時間はない。
それでも気にはなってしまう。
走りつつも、感知を向けてしまう。
「……さま」
この声?
女性か?
「……スさまぁ」
よく聞こえない。
なら、耳を強化して。
「グガアァァ!」
「危険です、セレス様!」
なっ!?
セレス様!?
飛び込んできたその叫びに、一瞬で汗が噴き出してくる。
「ギャアァァ!」
「下がってください、セレス様!」
「……平気です」
間違いない。
セレス様だ!
セレス様の声だ!
どうしてこんな所に?
エンノアの地下にいるんじゃ?
それに、前回はいなかったはず?
いや、違うのか?
前回は遭遇しなかっただけ?
「グガアァァ!」
「危ない!」
考えている場合じゃない!
けど、時間は?
「ああぁ!」
っ!
大丈夫だ。
少しくらいなら問題ない。
セレス様を助けた後でも間に合う。
間に合わせてやる!





