第65話 居酒屋
エンノアでの一件の後。
オルドウ、日本、エンノアと各地を転々としながら過ごすこと数日。
今日は日本で過ごす週末、武上に誘われていた飲み会の日だ。
約束の18時の20分前に待ち合わせの駅前に到着。
武上の姿は見えない。
他の参加者らしき者もいないようだ。
ということで、ベンチに座って時間を過ごす。
40歳の俺ならスマホ片手に時間をつぶしていたのだろうけど、20年前にそんな物があるわけもない。それどころか、今の俺は携帯電話すら持っていないからな。
そこで、ふと考えてしまう。
待ち合わせ時間や場所を間違えていたらどうしよう?
携帯すら持っていない俺は、公衆電話から武上に電話するしかないのか。
って、武上は携帯電話持っていたか?
いや、持っていたとしても、俺は武上の番号を知らないな。
……。
そうだった。
こういう時代だったんだ。
まいったなぁ。
あの時代の便利さを知っているから、なおさら不便に感じる。
まあ、間違っていた場合は、その時のこと。
帰るだけだな。
とはいえ……。
20歳での飲み会というものにも少し興味が出てきていたので残念な思いもあるが、仕方ない。
などと考えながら、ベンチに座っていると。
「おっ、有馬早いな。おっは~」
「武上……なんだよ、それ」
その挨拶はなんだ。
「えっ、おまえ、おっは~、知らないの?」
「……知ってる」
そうだった。
今はこれが流行っているんだよな。
でも、もう18時だぞ。
おっは~はないだろ。
「さすがに有馬でも知ってるよな。ん、何だその顔」
「いや、ちょっとな」
「まあ、いいや。さて、今日の飲み会こそ、いい子を捕まえるぞ。有馬も頑張れよ」
「おい、今日の飲み会は合コンじゃないんだよな」
「ちがう、ちがう。でも、可愛い子見つけたら突撃するけどな」
「……そういうことか」
なんか帰りたくなってきた。
「前回の飲み会は散々だったからな。今夜はリベンジだ」
前回もそんな事してたのかよ、こいつ。
それに、リベンジって……。
「今日は何人参加者がいるんだ?」
「言ってなかったか。男5人、女4人。その内、初対面の女性が2人だ」
「そうか。男がひとり多いんだな。なら……帰ってもいいか」
「おいおい、今さら何言ってんだ」
「急に疲れが出たようだわ」
「元気そうな顔してるぞ。まあ、たまには付き合えよ」
「……」
「なんだ、ノリが悪いな」
「そうか」
その通り。
お前のせいだけどな。
武上の妙なテンションにあてられ、こっちはやる気が急降下中だ。
「まっ、でも、有馬も楽しめよな。で、他はまだ来てないな」
「ここに全員集合なのか?」
「ここに5人、店直が4人の予定だな」
「集合場所を別にする必要あるのか」
「うーん、無いな」
なんだそれ。
「で、今何時だ?」
「ほれ」
懐中時計を取り出して武上に見せてやる。
「おっ、もうすぐだな」
「ああ」
「しかし、渋い時計だなぁ、それ。何ていうか、アンティーク感があっていいよな。特に、そのエンブレムが格好いい。黒蛇が剣に巻き付いている紋章みたいなの」
「この懐中時計の良さが分かるのか。意外だな」
この懐中時計の良さが分かるとは、武上もなかなか見所がある。
ただの、筋肉馬鹿じゃなかったんだな。
「おう、気に入ったぜ。って、今馬鹿にしたよな」
「してないぞ」
「……まっ、いっか。で、そのエンブレムはどこかのブランドなのか?」
「どうだろ? 他では見たことないな」
「ふーん」
この懐中時計、曾祖父からの貰いものだけど由来なんかは聞いていない。
ブランドは気にならないが、故障した場合に困るかもしれないな。
街の時計屋で修理できるものなのか?
前の時間の流れの中でも、故障後は結局そのまま放置してしまったから。
「おっ、来た、来た。3人そろって登場だ」
飲み会の会場となったのは駅前のビルの5階、いわゆるチェーン店ではない個人経営の和風居酒屋だった。
料理が美味しいと武上が褒めるだけあって、かなり良い品を出してくれる。特に魚料理がいい。
新鮮なだけでなく一手間かけたその魚料理は、ちょっと驚いてしまう程に美味だ。
40歳の俺は仕事柄、それなりに多くの飲食店を利用していたが、この店は俺の知る20年後の有名店にも引けを取らないものがある。
20歳の若造の舌では、その味を理解しきれない名店なんじゃないか。
そんな名店の個室で。
「じゃあ、もう一度、かんぱーい」
「乾杯」
「乾杯」
「乾杯」
武上の音頭のもと何度目か分からない乾杯が行われる。
「いやぁ~、今夜は楽しい! なぁ、有馬」
俺の隣に座っている武上が上機嫌で話しかけてくる。
「……そうだな」
確かに、武上をはじめ参加者の多くが楽しんでいる。
けど、俺は……。
こういった、いかにも学生の飲み会っていうものは、どうも向いていないらしい。
実質40歳の俺が学生についていけないのか、それとも、性格上の問題なのか。
「有馬くんって大人しいんだね」
「……」
「こいつは、人見知りなんだよ」
「え~、そうなんだぁ。そうは見えないのにね」
「だろ、こいつ身体はでかいのにな」
勝手に言ってくれる。
別に俺は人見知りじゃないし、武上ほどごつくもない。
鍛えていると言っても、180センチ程度の身体だ。
特別大柄でもないだろ。
「そんなことより、ミカちゃんの趣味教えてよ」
「武上くんこそ、趣味は何なの?」
隣の武上とミカちゃんという女性の会話のように、9人の飲み会は数グループに分かれて歓談が続いている。参加者は皆それぞれ料理と会話を楽しんでいるようだ。
俺ともうひとり、俺の前に座っている女性を除いて。
目の前の席に座っているのは、170センチ近くある長身に眼鏡の女性。ジーンズとパーカーにその細身を包んで、サマーニット帽を目深に被っている。ニット帽と眼鏡で分かりづらいが、化粧っ気のないその顔はかなり整っているように思われる。
容貌からして、こういう飲み会では人気になりそうなものだが、お洒落をした他の女性とは異なり、ラフな服装とやる気の無さそうな雰囲気から、男性陣も声をかけるのが憚られる、そんなような状況だ。
「何か?」
そんなことを考えていたら、目の前の女性が訝し気な顔つきで訊ねてきた。
「……いえ」
ちょっと目線を送り過ぎたか。
失礼でない程度に眺めていたつもりだったが。
「そうですか」
そう言ったまま、ひとりでグラスを傾けている。
しかも、グラスの中身はワインでもカクテルでもなく焼酎だ。
モデルのような女性が飲み会の席で会話に加わることなく焼酎をひとりで嗜んでいる。
何とも言えない独特の風情があるな。
でも、この女性……。
こちらに何度もチラチラと視線を向けてくるんだよな。
俺のことが気になるのか?
なんて自意識過剰なことは思わないが。
不思議だ。
こちらを見るのに、特に話しかけてはこないんだから。
どこかで会ったことでもあるのか、と記憶を探ってみるが、少し前まで40歳だった俺にとっては20年前の記憶になる訳で、全く記憶の欠片も見つけることができない。
……。
まあ、いいか。
何かあるのなら、その内話しかけてくるだろう。
考えるのを放棄して、料理に戻る。
さて。
とり貝の炙りをつまみながら蕎麦焼酎を口にする。
うん、やっぱり、これは合うなぁ。
軽く炙られたとり貝の甘みと辛い酒がたまらない。
ついつい焼酎が進んでしまう。
うん。
ひとりで酒と料理を楽しんでいると思えば、悪くない。
この居酒屋の料理をいただけたことが今日の収穫だな。
「あなた、有馬君だったかしら」
「そうですが」
さっきの会話以降ずっと沈黙していた目の前のモデル女性が話しかけてきた。





