第607話 痕跡
「イリサヴィア様、出口ですよ」
ジンクと別れてすぐのこと。
ここまで来れば当然のことながら、平原へと抜ける森の端が視界の先に見えてきた。
「うむ」
今回の横断は魔物戦に加えジンクとの遭遇で、当初の予定以上に時間がかかってしまった。が、それでも大過ない程度、ほぼ順調だったと考えていいだろう。
ただ。
「……」
「依頼が気になるか?」
「ええ、まあ」
依頼された魔物討伐、この手応えの無さで良いのだろうか?
妙に気になってしまう。
「契約は履行しているぞ」
「……そうですね」
この依頼については、討伐遂行は俺たちのできる範囲でという特殊な契約になっている。
「街人の話とも一致しているしな」
剣姫の言う通り。
魔物の数もレベルも、依頼者の語った内容と大きな隔たりはない。
ならば、何の問題もないはずなのだが……。
「何より、今から戻っても森全域を調べる時間的余裕はないだろう」
これも、その通りだ。
「どうしても気になるのなら、こちらの仕事を終えた後にまた森を探ればいい」
「……」
「それとも、アリマだけ森に残るか?」
「いえ……」
こっちは妙な予感がよぎるだけ。
契約の履行にも問題はない。
であるなら、優先すべきは決まっている。
「今は森を出ましょう」
「よいのか?」
「はい」
まずは、剣姫の仕事に付き合って。
森の探索は、それからだ。
ということで、若干後ろ髪を引かれながらも出口に向かって歩を進め。
立ち止まることなく森を出た俺の目の前には……。
見渡す限り、平原が広がるばかり。
付近には人の気配も魔物の気配も感じられない。
微塵も折れることなく真っ直ぐに生え揃った平原の植物からは、集団が歩いたような跡など確認できない。
気配については、森を出る前から感知で分かっていたことではある。
ただ、エリシティア様やギリオンについての何らかの痕跡は残っていると思っていた。
俺の傍らで、探るように平原を見つめる剣姫。
彼女も同じ思いのようだ。
「……」
「……」
平原の状況から推測するに。
彼らはここを通らず他の道を進んでいると?
あるいは、痕跡が残らぬくらい以前にここを通ったと?
いずれにせよ、この付近にはいないということだろう。
「アリマ、先へ進むぞ」
「レザンジュとの国境に向かうのですか?」
「うむ」
近場どころか、かなり先まで感知しても集団の気配など感じられないのだが?
国境に向け進んでもいいんだろうな?
「既に国境近くに到着しているやもしれぬ。場合によっては、レザンジュに入っている可能性も」
「……」
「先に進むのが今は最良だ」
まっ、そうなるか。
「無事に国境を抜けたのなら、少し安心できますね」
「……無事であればな」
平原を小走りで進むこと1刻。
ぎりぎり感知できる範囲内に集団の気配が入ってきた。
「イリサヴィア様、前方に多人数がいます」
「多人数? 私には感じられないが……さすがアリマだ」
「いえ」
感知は俺の方が慣れているだけ。
他の多くについては、特に魔力運用に関しては剣姫が上だからな。
「それで、前方にいるのはエリシティア様たちか?」
「この距離では、そこまでは分かりません」
「ならば、急ぐとしよう」
速度を上げ、さらに四半刻走り続けると。
集団の姿が見えてきた。
もちろん、それなりに正確な感知も済んでいる。
「やはり、エリシティア様たちではないようだな」
「ええ」
エリシティア様と彼女の部隊の気配は覚えていないが、今前方に感じる気配と異なっていることだけは理解できる。
それに、集団の中にギリオンやヴァルターらしき気配も感じられない。
先日白都で色々あったばかりの2人の気配だ。間違いようがない。
「となると、あの集団は……略奪王の手の者?」
先王を弑逆したと噂されるアイスタージウス新王。
彼が国境に派兵したのか?
2000もの兵を?
「キュベリッツはレザンジュの派兵を許可したのでしょうか?」
「白都出発時にはそのような話はなかったが……その後のことは分からぬ」
正式な派兵かどうかは不明。
ただし、その理由は。
「エリシティア様を捕らえるためですよね?」
「であろうな」
「ご無事でしょうか?」
「……」
既に捕らえられている、虜囚となって国境を越えている可能性も考えられる。
「どうしましょう?」
「接触するしかないだろう」
2人だけでアイスタージウス新王の兵2000と向かい合う。
エリシティア様のために?
ギリオンの気配も感じられないというのに?
「……」
今の俺に、エリシティア様に対する悪感情はない。
むしろ、好感すら抱いている。
ただ、レザンジュ王女の立場にある彼女と俺の関係は色々と複雑なんだ。
「無理に付き合わずとも良いぞ」
甘い誘いだな。
「どうする?」
どう考えても、厄介なことになりそうな新王軍との接触。
正直、許されるなら回避したいと思ってしまう。
ただ、ここまで来て俺ひとりだけ危険を避けるという選択も……。
何より、相棒は剣姫イリサヴィアなんだ。
ならば。
「付き合いますよ」
「……そうか」
「ええ」
複雑な思いを片隅に残したまま、剣姫とともに歩を進め。
アイスタージウス軍に近づくと。
「止まれ! 貴様ら、何者だ?」
必然、先兵から強い詰問を受けることに。
「我が名はイリサヴィア」
「イリサ……」
「冒険爵の位を持つ冒険者だ」
そう言って冒険者証明を見せる剣姫。
対する兵士たちは動揺している。
「あの剣姫か?」
「間違いない」
「剣姫イリサヴィアがどうして?」
冒険者剣姫の威光はアイスタージウスの軍にも及ぶんだな。
「冒険爵ということは、貴族階級だぞ」
「ああ、キュベリッツの爵位持ちだ」
「下手なことはできねえな」
キュベリッツの王太子を補佐する公爵令嬢サヴィアリーナの顔を隠しても、剣姫としてここまでの力を持つ。今さらではあるけれど、すごい人だよ。
「して、冒険爵様が何用で?」
「指揮官殿に話がある。通してもらえるかな?」
「……分かりました」
はは。
こうも簡単に通してもらえるのか。
俺ひとりだったら門前払いだったろうに。
「では、こちらへ」
「うむ」
となれば、俺はついて行くだけ。
髪色は黒に戻っているとはいえ、テポレン山の戦いで面が割れている可能性もある。
できるだけ目立たないように、大人しく……。
「……」
「……」
アイスタージウス軍の人垣の中を無言で歩き続けると、すぐに本陣が見えてきた。
といっても、屋根もない簡易な設えの本陣だ。





